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金春村 全34話(打切り風)/5話~/剽軽攻め/偏屈クール攻め/ワンコ受け/若パパ受け/

金春村 29

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 逞しくがっちりと筋肉質な身体が上下する。汗ばんだ手は咲桜さくらの指に割り込み、鷲掴み、擦り切れて擦り剥けた手首は骨から痛んだ。
「咲桜くん……、咲桜くん…………!」
 掠れた声が天井に届く間もなく消える。呼ばれた彼はいつどこで鍛えられたのかも知れないしなやかな美を誇る肉と行李らしき台の間で潰されにかかった。
「あ……っ」
 薬によって研ぎ澄まされた感覚は容赦なく咲桜に牙を剥く。快感を通り越して苦しみに近い。きつく締め付ける野州山辺の当主とひとつにされた場所は爛れていてもおかしくないほどだった。
「咲桜くん………息をするんだ、口を………開けて…………っ、ぁ」
 頑丈げな指が咲桜の唇を割った。汗ばんだそれは淡く塩映しおはゆい。散々絡み合わせ、縺れ、巻きつかれ、絶頂にまで至った舌が侵入を拒む。動いたついでに若輩者の先端が淫らな当主の最奥に到達すると、巴炎ともえの潤肉は二度三度ならず数度まとめてさらに奥へ引き入れようとする。柔らかな襞に強く扱かれ咲桜は悲鳴を噛み殺した。窮屈で暑苦しい小孔から脱げ出せはしないかと、魂の持主を無視して躯体は動く。すると粘膜同士で摩擦が起こる。摩擦が起こると巴炎は天を仰ぎ、内腿を震わせ、咲桜を圧迫する。
「ぁうぅ……!」
「ああっ!咲桜くッ!あぁッ」
 主導権はどちらにもない。すでに彼等は己の肉体を離すこともできず、自ら癒着の中で悶えるしかないのだ。
「く、ち……開けて、あんっ!」
 逃げをうつつもりが若い腰は誘われるままに熱い筒を突き上げてしまう。肌も局部も濡れているくせに乾いた音がした。上半身と下半身の境目が分かるほどの蠕動は動物的で情けない。発情期の雄の獣とそう違わない。
「あっあっあっ奥、当たって、……あっ!」
 巴炎は娘の家庭教師の腰に座り、腰を揺らす。自ら最奥、肉壁に当て、さらにその奥を抉られようとしていた。上気した目元は虚空を見つめ、眼球そのものが溶けそうなほど潤んでいた。
「咲桜く………気持ちいい、気持ちいい…………あっあっあっあっあっ!」
 2人並ぶと華奢に見えてしまう咲桜の上で野州山辺の長男は弾んだ。背が高く、肩幅もあり、どこもかしこも大きな巴炎の、愛しい雄を迎える箇所はあまりにも小さく狭かった。否、一度咥えたら二度と離さぬという気概がある。
「だんな………」
 狂宴だ。知らない男と化した顔だけ知っている者の激しい陵辱は、咲桜に吐精の自覚がなくなるほど続いた。自然の生理に反し、あとは薬の作用で反応し、行為が可能になっているだけだった。快楽はもうない。残ったのは巴炎に対する拒否感と、強壮を偽った現象だけである。





 口に注がれた液体とその臭さに思わず咽せた。その勢いは意識まで呼び起こす。
「ああ、おまはん寝とったんかい」
 赤ら顔に酒臭い三河安城はゲラゲラと下品に笑った。
「大旦那………」
 咲桜は両手首に巻かれた包帯に気付く。離れ屋にいるらしかった。
「まぁ、あれだぃな。がおったぞなもし」
 三河安城は酒瓶に口を付けて背を逸らした。
「大旦那が助けてくだすったんですか」
 助ける、助けないという表現を使っていたことに咲桜自身、声を発したのと同時に認識した。それが引っ掛かる。この動揺を傑物のような大男に覚られてしまう。
「こが随分と、随分とな目に遭ったようやんなぁ」
「あ~、やっぱ夢じゃないんだ」
 咲桜は顔を両手で覆った。夢であればよかったが両手首に包まれた清涼感と薄荷の匂いからは逃れられない。それだけでなく、肘に針が刺さり、管が伸びていた。
「時に若人わこうど罌粟朱けしあかゆう場所行ったんざんしょ?小豆喜あずきゆうのんはおまはんに付けた女子おなごなんやがの、おまはんにナイショで何がしかやっとるたいね」
 分かりづらいこの大男なりの気遣いなのか、ただ単に突発的なだけなのか、はたまた非常に緊急性が高いのか、見当もつかない。しかし野州山辺巴炎のことから切り替わったのも本当だった。
「何かって、何」
「さ~、そが分かりまへん。訊いてみなはれ。のぅ、小豆喜」
 彼女は盆を抱いて、入ってくるところだった。無表情だ。忍装束ではなく、渋い橙色の小袖に裁着たっつけ袴を穿いている。
「そりゃ卑怯ってもんですわ、大旦那。大旦那に訊かれちゃ、答えないわけにゃいきませんて……」
 小豆喜は余裕の面をしながら何か物欲しげな咲桜の横に腰を下ろす。食事が乗せられていたが、粥と潰された根菜である。
「夕食をお持ちしました」
「これが夕食?オレ、身体ぶち壊したワケじゃないよ」
「あまり体力を消耗しないことです」
 彼女は雇主の問いに応えることはなかった。そして離れ家を出て行く。
「ほっほっほっ、菊口任きくじんを雇ってるのはあーしでも、口を割るか否かゆうのんは別でっしゃ。まぁ、どうしてもゆうときゃ、お偉はんに頭下げして聞くけんども、そこまでするこつでもなかろ?」
 頻りに水の音がした。聴覚は清々しいが嗅覚がその正体を突き止めている。
「罌粟朱に、なかなかいい男がいたんですわ」
「聞いとりまっせ。菖蒲馬あやめのんのの字、の字のかたきでっしゃろ。片跛かたちんばの兵隊さん、ちゅいきがち聞いとぅばいね。野州山辺どんのしゃでーに似とるち聞いとるとよ」
「なんて?」
 羆を着てるみたいな男はぐびぐびと喉を鳴らしてから喋った。
青藍あおいどん」
「うん?」
 三河安城は喋るのをやめて、横になってしまった。
「寝んも」
「おやすみなさい……」
「おまはんも寝しな」
「いや、寝ないです」
 巨男は目を閉じたまま鼻を鳴らした。しかし数秒で起こった寝息に誘われ、柔らかな眠気に引き摺り込まれる。気絶ではほぼ何も癒されていなかったのだ。咲桜も全身の力を抜いて布団に甘えた。寝息といびきを響かせていた三河安城はまだ寝ていたなかったらしく、明かりを消した。
「咲桜どん」
「へい」
「ここンば身限ったゆうんなら、三河安城みがわあんじょに来なっせ。あーしゃ、ここンが青藍どんかくましてるように見えぃて仕方なかね。最初はなから信じてなかとよ。置いていげねゆう相手あいでが居るのんなら、連れて来たらよかんべに」
「……ありがとうございます」
 まもなく寝息と鼾が再開した。咲桜は暫く、はっきりしないでもうつらうつらと心地良い微睡みに浸りかけていたが、やがて意識を手放した。



 目が覚めると離れ家には誰もいなかった。酒臭さもない。時間の経った糊状の夕食兼朝食を口慰みに食らった。調味料はなく素材の味がする。管は脱げず、腕に繋がっている。
「まだ寝てろぃや」
 すぱんと離れ家の戸が弾かれた。羆が入ってきたのかと思い、咲桜は脈を飛ばした。三河安城が逆光していた。酒瓶も持たず、清々しい顔で布団の脇に座った。
「青藍どんの目が覚めたたいね」
 豪放磊落な三河安城は疲れているようなところがあった。それは床に直接腕枕で寝たからではないようだ。
「若旦那、目覚めたんです?」
 三河安城は髪を乱暴に掻いた。
「おん」
 豪胆なこの羆にしては歯切れが悪い。顔を背け、違う方向をぼんやり見ている。
「あーしは引き上げらぁね。菊口任は5人くらい置いていくけぇの、おまはんに任せらぁ。好きに使いやっせ」
 咲桜は布団に脚を入れたまま離れ家の中を片付けだす巨大な男を目で追った。
「若旦那、どうでした、調子は………」
「いやぁ、ありゃ呆けが始まってらぁね。鬼キが頭に回っちまったんでっしゃろ。あがヤツ、ぶてこり回すわけにゃいかんばい」
 青藍は意識を取り戻したが、無事ではない。咲桜は立ち上がろうとして目眩を起こす。
「心臓に悪いで、心臓に。ありゃ心臓の薬入った興奮剤けんな。おまはん、心臓は悪くないんべ?」
 咲桜は病的なところのある巴炎の姿を思い出し、喋る気力を失った。火子あかねや山鳩の存在が、足首に絡み付いている。それを振り払えないのではなく、振り払いたくない。
「昨晩ゆうたことは寝言やないけん。いつでも三河安城みがわあんじょば訪ねてきんしゃい。菖蒲馬あやめは帰ってこんけん、おまはんみてな威勢のよか若衆わけぇしが居んれば、あーしのかみさんも喜ばぁ」
「心遣いありがとうございます」
 酒臭くない羆は鼻を鳴らした。
「心なんぞ遣っとらんわ。あーしゃ自分てめぇの利害しか考えとらんき」
「野州山辺の兄弟はとにかく、ここン養女むすめは…………どうしようもないオレを見つけてくれたんですよ。それだけじゃなく……オレの忘れかけて、手放そうとしてたもんを思い出させてくれたんですわ。まだ何も恩を返せていないんです。感謝さえね」
「ほぉ」
 実家から夜逃げし、行く当てもなく彷徨っていたのは斃死を求めていたからだ。何もないのである。妻とその腹の中に宿った子も、弟も、それなりに居心地の良かった家族への信頼も、優しかった近所も、働いていた映写劇場もない。金はあれど、休まる土地はなく、休まる土地を探し、無ければ野垂れ死ぬことも厭わず、遺影も遺品も法牌も置いて、息苦しい故郷を出た。
「ま、逃げ場ゆうもんも選択には必要さな。勝つか負けるかの賭博士はいかんで。賭博士は」
 三河安城は空いた酒瓶を紐で纏め、出入り口に置いた。
「菖蒲馬のこつ頼んだで。したっけね」
 荷物らしき荷物は持たず、三河安城は帰っていった。咲桜はゆっくりと立ち上がる。管を皮膚に刺す針を抜いた。寝衣は雑に着せられている。襟や腰紐を整えながら離れ家を出る。視界の端に渋い橙色が映った。
「あ、小豆喜さん?おはよ」
「おはようございます」
「大旦那、帰っちまいましたね」
「まだ明かさずに続けますか」
 咲桜は頷いた。小豆喜は頭を下げた。
「君も見た?野州山辺の次男」
「はい」
「どうだった」
「………白痴同然でした」
 彼女は遠慮がちながらも忖度のない答え方をした。そっか、と咲桜はこぼすように呟いた。その足で主屋に向かった。使用人たちまで青藍の部屋の前を囲っているのが見え、遠目から見ていた。所在なく垂れ下がる手に何者かの体温が絡んだ。隣を見ると山鳩が佇んでいる。人懐こく手を繋ぐのが子供みたいだった。
「翠鳥?」
 少年は薬物中毒の暴君の部屋を気にしていた。
「若様の目が、覚めたんですケド……」
「うん」
「頭の中まで、クスリが回っちゃったらしくて……」
「そう」
 山鳩の肩を抱いた。今頃、巴炎と火子とその他の村の要人が集まっているのだろう。
「ちょっと川にでも行こうか。気分転換にでもさ。気が乗らない?」
「…………行きます。ここにいても仕方ないし。咲桜さんは、だいじょぶですか」
「うん。オレもちょっと歩きたいしさ」
 山鳩が手を引いた。しかし目の前に長身が立ちはだかる。先程、片親違いの姉の夫が帰った稲城長沼だ。咲桜は咄嗟に、自分でも判断がつく前に山鳩を後ろに引いて割り入っていた。稲城長沼は相変わらずこの場にまったく必要のない艶を振り撒いた。傷付いたように薄い目蓋を伏せる。甚振ってくれと乞うような。
「若様がお呼びです」
 人を呼べる状態にはあるのか。咲桜は稲城長沼を凝らす。
「若旦那はどんなご容態なんで?」
譫妄せんもう状態です」
「そう。で、オレを呼んでるの?」
「はい」
 咲桜は後ろに隠した山鳩を振り返る。
「ごめんなぁ、翠鳥。誘っといて」
「いいんです!おではだいじょぶです」
 傷み跳ねている髪を軽く整えると、彼自身が人懐こい猫のようだった。稲城長沼も、人懐こい猫みたいな少年を見ていた。
「行ってきまさ。このままでいいんです?手枷くらいは要るんじゃ?」
「然る処罰は受けたはずです」
「処罰ねぇ…………」
 咲桜は先に主屋に向かったが、稲城長沼は山鳩を一言二言、口説いているようだった。1人で川に行ってはいけないだとか、今日は屋敷に居てほしいだとか、業務命令にも似ている。
 縁側から入った。使用人たちを掻き分ける。巴炎と火子が布団の脇に座っていた。しかし件の人物は物置きと化した文机の横で壁に凭れて虚空を見つめている。家人その他敵になりそうもない大勢を相手に追い詰められているようにも見えた。青藍の陰険な表情は消えたが、その眼差しは何を捉えることもなく、目を開きながらも意識があるのか疑わしい。
「呼ばれたと聞いたんですがね……」
 一斉の注目を浴びていた咲桜の視界に巴炎が映り、目が合ってしまう。気拙げに事情を告げた。野州山辺の長男は身動いで顔を背けた。火子は板挟みのような非常に重苦しげなところが窺えた。こういう点については器用でないために隠しきれないのだろう。
「呼んでおりませんが……」
 彼女は険しい顔をしていた。消え入りそうな声は恨みにも弱みにも聞き取れる。
「あら………じゃあ勘違いみてぇです。すみませんね」
 踵を返し、野州山辺の次男の部屋から出た。稲城長沼はどう間違ったのだろう。不思議に思いながら縁側から降りようとした。
「ま、待ってくれ…………」
 真後ろからだった。どくりと脈が一拍大きくなる。何故自由の身であるのか、詰問されるものと身構えた。
「青藍の傍に、居てやってほしい…………頼む」
 巴炎の言葉は震えていた。
「ほい」
 敢えてふざけた応答をする。何もなかったのだと。2人の間で了承してしまわなければ、どこか無かったことにできる気がした。進みはしたいが向き合いたくない現実はあるものだ。巴炎に促され青藍の部屋に戻る。野州山辺の次男は首が据わらないのか頭を傾けていた。ガラス玉のような目が咲桜のほうを向く。だが焦点は合わない。
「お父様……あたくしは席を外します。彼を連れて」
 火子の耳打ちが聞こえた。彼女はすまなげに咲桜に会釈して去っていく。雇主側としての配慮なのだろう。気を遣い過ぎて擦り切れそうだ。
「青藍………陸前高田くんが来てくれたよ」
 弟に反応はない。咲桜を認識した様子もない。三河安城が諦めて帰ったのも頷ける。彼は認識する能力を大きく欠いてしまったのだ。
「い、い、稲城長沼くんに呼ばれたんでさ、若旦那がオレを呼んでるってね」
 この部屋には他に何人もいたが、巴炎と2人きりになったような気がした。焦りが出てしまう。真横の巴炎に見透かされているような心地になる。もう少し膝を開けば相手の膝頭にぶつかりそうな距離にいる。
「青藍は、鹿楓かえでを呼んだのだ。だから君が来たことに、少し驚いている」
「とんだ勘違いですもんね」
「そうではない……!そうではなく…………」
 一度も隣の人とは目を合わせなかった。咲桜は顔さえも上げていない。殻になった布団の端を見ていた。
「稲城長沼くんが、君を呼んだことに、驚いている」
「山鳩クンと川に行こうとしたんです。それを阻みたかったのかも知れませんね」
 野州山辺の長男は俯いてしまった。彼の体内を知っていることが、咲桜を戯けた態度にさせなかった。声音は意思と別に棘を帯びる。巴炎の言うことは頭ごなしに否定するというような意地の悪い印象を植え付けていそうだ。
「そうか……」
 身動きひとつしない次男と同じく長男も黙り、硬直していた。この若い当主の一声なしに使用人たちも仕事に戻れないのが分かっているのだろうか。ここにいたところで青藍の様子は快方に向かいそうになく、巴炎も緊張している。使用人たちもまた家人に気を遣うだけだ。しかし呼び止められた手前、戻るという選択ができなかった。
「医者はなんて」
「過激な薬が、許容量を上回って脳に影響が出てしまったらしい……」
 これという新しい情報はなかった。そのことならば咲桜も知っている。ただ廃人同然になるまで過剰摂取した者は、話に聞いたことがある程度で周りにいなかった。だが攻撃性を持ち暴れて騒いだり、被害妄想で怯えきったり、感覚過敏を起こし気が狂ったり、独り言が止まらず不眠を起こすより、本人にも周りの者にとっても都合は良いだろう。皮肉にも昏迷状態の次男は山鳩や稲城長沼に暴行を働いたりはできそうになかった。彼等の存在も薬毒の彼方へ消えたのかも知れない。
「少しだけでいい。傍に……居てやって欲しい。鹿楓は君に、よく似ている」
 巴炎はすっくと立ち上がり、解散を告げた。襖も閉められてしまう。似ていると言われたら、演じねばならない気になる。しかし咲桜は和泉砂川いずみすながわ鹿楓というものを知らない。 2人だけにされ、その空気は滝壷で目覚めた時のように冷えていた。この涼しい山村の製氷機になれそうだ。
 足元を崩す咲桜に対して青藍はというとやはり2人きりにされたことを認識できていなげで、微動だにしない。相変わらず虚空を見つめ、美貌は異国人形みを増した。
「若旦那」
 反応はない。
「若旦那、ずっと同じ体勢はよろしくないです」
 触れたりしたら、彼は抵抗するだろうか。咲桜は横たわった布団を越え、おそるおそる触れてみた。案の定、触られていることにも気付いている様子はない。据わらない首を反対に傾け、横の文机に掛けた腕を下ろす。膝も曲げているほうを左右逆に入れ替えた。自ら動くこともできない。つまり要介護の状態である。しかしおそらく本人に感覚はない。あったとしても緘黙かんもくを貫かれては知りようがない。それでいて脳以外はほぼ、薬物不使用者や適切な扱い方をした者同様なのだから、鬱血だの血行不良だの最悪の場合は壊疽だのという結果は免れない。周りが暗黙の中で気付かなければならないのだ。
「若旦那、オレより山鳩クンのほうが分かるんじゃないですかね」
 目の前で掌を振ってみた。反応はない。
「若旦那とおそろの傷、オレは上書きしちまいましたよ。両手首にね。洒落てるでしょう?」
 包帯の巻かれた手首を見せびらかす。反応はない。それをいいことに青藍の袖を二の腕まで捲った。密集した注射痕によって赤らみ、不気味な様相を呈している。昏睡状態を装うのを長引かせているうちに許容量を越えたか、もしくは他者からやられたか。探り士ではない咲桜には注射痕を見ただけでは分からなかった。
「山鳩クンはもらいまさ。もっとも、山鳩クンはそもそも若旦那のじゃないんですケドね。同情します。失恋野郎」
 反応はない。
「オレが強姦魔扱いされて疑われて惨めに弁明してる面白いトコロ見られなくて残念ですね」
 咲桜は木偶人形から鼻先を逸らす。天井を見上げた。
「稲城長沼くんもおかしなことを言うなぁ。山鳩クンと2人きりで出掛けるのがそんな気に入らなかったんだ。ていよく素行不良2名軟禁しただけじゃねぇか」
 咲桜はカッカッカッと空気を噛むように笑い、情緒が安定していないみたいに突然黙った。静寂に浸っているうちに襖が控えめに軋む。山鳩だ。
「お屋形様が、入ってもいいって………」
「うん。おいで」
 少年は遠慮がちだった。だがその目は青藍を捉えていた。彼は徐ろに咲桜の傍に来た。肩を抱いた。今目の前にある美貌だけが取り柄の木偶人形から着せ替えられなくなったために山鳩の衣類はまた粗末なものに戻っている。
 少年の発育途上の身体を寄せた途端、青藍に反応があった。片腕を上げ、しかし手首にも指にも力は入っていない。離れろとでも言いたげだ。
「若様……!」
 山鳩は暴力で支配していた男の腕に飛び付く。稲城長沼の見当違いは甚だしい。或いは浅ましい妬み嫉(そね)みだ。
「反応なかったんだよ、今まで。すごいね、翠鳥」
 片腕で色稚児をおびき寄せ、もう片方の腕で捕まえようとしている。咲桜は山鳩を引き戻した。
「反応があったって旦那って伝えないと。行こうか」
 背を向けたのが間違いだった。先に気付いたのは山鳩である。少年の挙動を咲桜が察知したと同時に、完成度の高い人形が咲桜の背後に迫っていた。ほぼ自身と同じ体重を支えきれず咲桜は青藍を抱き留めて崩れ落ちた。しかかってくる相手は自分を支えようともしないのだから咲桜が均衡を崩したのも無理はない。山鳩に助け起こされる前に下敷きにされる。
「ごめん、山鳩クン。旦那を呼んできてくれるかい」
「はい!」
 山鳩は慌てた様子だった。敷布団にされながら襖に消えていく後姿を追っていたが首を下ろす青藍の側頭部で視界を塞がれた。
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