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金春村 全34話(打切り風)/5話~/剽軽攻め/偏屈クール攻め/ワンコ受け/若パパ受け/

金春村 25

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 三河安城みかわあんじょうは酒を飲んでいた。咲桜さくらは断ったが、直後に口には酒瓶の嘴を突き込まれていた。焼けるような度数が喉を通り抜ける。粘膜が熱い。ケホケホと咳き込んだ。
「随分可愛まび表情かおしくさる。この屋敷で一番まびぃんね。義弟おととの次ぐらいんな。高田馬場たかだのばばくんいうたかぃな」
「陸前高田れ、す、」
 蕃椒や胡椒とは異質の辛さが舌ではなく喉に残っている。胃はまだ熱い。
「聞いたこつあるで。あ、塔郷とうきょうのなんつったけね、没落雅族やんな。いや、没落ちうたら悪かけんども」
 彼なりに言葉を選んでいるのか難しげな顔に頑強げな毛の生際をがりがりと掻きながら言った。酔っているのか、先程の敢えて咲桜にだけ訛りを控えたような嫌味たらしい慇懃さはなかった。
「ゆうて現役雅族も酒ば飲みっせぇ、ただン酔っ払いよ。気にせんご」
「まったく気にしてないんですけどね」
 大きな手は咲桜を酒酌み女だと思っているのか、引っ張り上げて丸太のような膝に乗せた。体温の高い、巴炎と同様にして分厚い掌がまだ疼きを残す頬に触れた。この男の姻戚に叩かれた箇所である。
「都会もんは肌がすべすべしよるが」
 酒臭い顔が近付き、咲桜は突っ撥ねた。
「山育ちの方たちには負けますよ。ところで、お願いがあって来たんですけれども」
「何ね。陸前馬場りくぜんばばくんゆうたかいや?雅族ちゆうことは、遠い親戚ゆうこっちゃな。言うてみ、遠縁のよしみよな。なるたけくたい」
「陸前高田です。あのですね、葵菊任きぐじん組に、鬼雀茶きがらちゃ衆含め屋敷の監視をお願いしたいのです。謝礼は……」
「ここに押し掛けて住まわしてもろてるさかい。寝転ねげって腹掻いてお食事まんま出て殿様風呂、だけンなく、こが腕輪うでわんまで直してもろてけんな。十分なこってす」
 三河安城は自ら引き千切った念珠の元に戻ったのを自慢げに見せた。そしてぐびぐびと酒を呷る。妙に近い。
「おはんし引き受けますけん。ンでもなんでなん。訊いても良かけい?」
「裏切り者ってほどじゃないんです。ただ、三河安城さんもお待ちの次男が寝ている間に……つまり、鬼の居ぬ間になんとやらを働こうという輩がおりまして。それが誰か分かっても、捕縛したりしなくていいです。泳がせておいてください」
 三河安城は片眉を上げた。
「懲らしめたいとかじゃないんですわ」
「ほん」
あおい業といいますか」
「色業盛り治世溶かす鬼と化す」
 愉快げに豪胆な客人は酒瓶に口を付けるとその底を天井に向けた。咲桜は適当な挨拶をして離れ家を出る。夜風に当たった途端、足元が覚束なくなった。頭の中が痺れていく。それでいて不快ではなかった。転びそうになりながら本屋敷に戻る。まだ戸の閉められていない廊下に巴炎が立っているのが見えた。娘の部屋の前に立っている。墨だらけの文机が見えたに違いなかった。三河安城を目にした後では巴炎が小柄で華奢に思えるのだから不思議なものだ。焦りが焦りを呼び、屋敷に上がるためのへりに膝をぶつけた。咲桜は強く打ったところを抱えて蹲る。
「陸前くん……!」
 間が悪い。巴炎は駆け足で咲桜の傍まで来ると身を屈めた。咲桜の手を退かし、同性の丸みもない膝下を慈しむように撫でる。
「冷やすものを、」
「大袈裟ですぜ。ただぶつけただけです。しっかし旦那、こっちまで何の御用で?火子あかねお嬢さんなら風呂ですがね」
 巴炎の濡れた目が咲桜を真っ直ぐに掴む。泣いたのかも知れない。下瞼に普段と変わった赤みが差している。
「陸前くんが……その、三河安城さんのところに行ったと聞いて…………お酒を飲んだのかい?」 
「まぁ、飲まされたというか。ちょっと興味があったんです、あの御仁に。あと犬にもね」
 巴炎は咲桜の膝裏に腕を通し抱き起す。この屋敷に来てからの方が飯を食っている。痩せたはずはない。だが野州山辺の長男の挙動は軽そうだった。
「旦那?」
「また転んだりしたら事だ」
「いや、酔って転んだんじゃなくて……」
「水を持ってくる」
 中紅梅の壁に入ったのは己の足ではなかった。襖を開けるよ命じられた山鳩は抱き上げられた咲桜と彼を抱き上げる主人の姿に固まった。そして咲桜も彼の姿に一瞬、目を大きくした。首元に赤い痣がある。その小さな異変に気付いたのは目敏いからではなかった。寝衣装の襟元が乱れている。雑だったのを風呂にいく前の火子が直していた。彼女はまだ咲桜を、無意識であろうとも少なからず幼馴染の介在する点では完全に警戒を解いているわけだはないようだった。それか、それが彼女の姉心か。甲斐甲斐しいのかはたまた気紛れだったのか火子が襟元を直すところを見ているのだ。
 巴炎は汚された文机に関心を持たず、咲桜を畳に下ろした。
「少し待っていておくれ」
 頬や首に触れられ、肩に大きく重い手が掛けられた。薄い生地とはいえ布越しにも熱い。彼は水を持ってくるつもりらしかった。やはり墨にまみれた文机を気にすることもなく去っていく。主人と入れ違うように少年が傍に来る。ばりばり、と何か噛み砕く音が口の中から曇って聞こえる。飴だが、何故彼が今ここで飴を口に入れているのか。この屋敷でならば高価なものであったとしても、飴は珍しいものではない。だが首の鬱血痕と襟の乱れは咲桜を貞操探り師気取りにさせる。
「旦那の前に誰か来た?」
 稲城長沼という候補を名指しするのはやめた。山鳩の顔はさっと赤くなる。
「だ、誰も、来てません……」
 彼は俯きがちになってもごもごも答えた。
「ええ?あ、そう。そりゃよかった。あんなの見られたら後が厄介だもんね。ンでも旦那、あれ見ても何も言わなかったね」
「おでが、墨の瓶を溢したって言ったんです」
「ほぉ。怒らんなかった?」
 山鳩は頷いた。隠し事をしたのが後ろめたいのか眉を下げ、唇をほのかに尖らせている。
「首、赤くなってるよ。蚊に刺されたかね?蚊取り線香ある?」
 少年は自分の首を一撫でして、咲桜を覗き込む。顔色を窺っている。野州山辺次男の強姦と暴力によって山鳩の陽気で快活な性分は削ぎ落とされてしまった。
「だ、だいじょぶです!ちょ、ちょと、かぶれただけですから……」
 咲桜は酒で頭を痛くなっているのを堪え、山鳩の首に手を伸ばす。素直な彼は鬱血痕よりも広い範囲を撫でるようでいて掻いていた。まるで淡い紅梅色を抉り取ろうとでもするかのように。皮膚を傷付ける彼の手を止めた。
「1人にしてごめんな、翠鳥。お嬢ちゃんに顔向けできないな」
「ご、ごめんなさい……」
「いいよ。訊き方が悪かった。誰が来たの?」
 稲城長沼だろう。稲城長沼に違いない。稲城長沼のほかに誰がいるだろう。この少年が自分でない者を心に決めているということに彼みたいな厄介な慕情持ちが耐えられるはずなどない。
「分かんないです……」
 稲城長沼の名が出るのだとばかり思っていた。咲桜は首を捻る。
「いきなり、後ろから……頭、掴まれて…………目、見えないまま、首を、齧られたんです……」
「それだけ?」
「口の中に、何か入れられて、飴だったんですけど、おで、もうびっくりしちゃって、」
「うん」
 上手く整理できずにいるのが仕草や表情でよく分かった。虚空を見つめ、焦燥感に汗ばんでいる。隠し事をしてしまったことをひどく悔いている様がいじらしい。咲桜は怒っていないとばかりに彼に触れる。
「そのすぐ後にお屋形様がいらっしゃって、おで、もうよく分からなくなっちゃったんです。さっきの何だったのかとか、誰だったのかとか、それよりも、お屋形様にこれをどう説明したらいいかとか……」
「大変だったな。1人にしてホントごめん。お嬢ちゃんなら君が寝ている時も1人にしなかったのにな」
 戯れの軽い抱擁をした時、襖が開いた。娘の部屋だからといってまさか遠慮がなかったはずはない。
「すまない……寝ているかと思った」
 山鳩は遊びに飽きた猫の如き素っ気無さで咲桜の腕から離れてしまった。また入れ違うように巴炎が傍に来る。水を手渡される。しかし咲桜は強い眼差しのためにすぐ飲むことができなかった。
「旦那……?」
「咲桜くん……」
 顔を向けるとその目に視線を鷲掴みにされる。 
「見過ぎです」
「す、すまない……」
 野州山辺の当主は鼻先を背けた。水を飲む。器を隔てても大きな手によって水はぬるくなっていた。
 こくり、こくりと咲桜の喉の飴玉が上下する。微睡みかけそうな顔をしている巴炎の喉も上下に揺れる。
「咲桜くん…………!」
 両肩を掴まれ、咲桜は上体を引こうとしたが叶わない。水を飲むのに支障がある。山鳩の存在を無視したかのように野州山辺の当主は咲桜だけを見ている。それは使用人を蔑ろにし卑しんでいるつもりではないから尚、この場に於いて狂気的なものがあった。
「なんです、旦那。水が飲みづれぇです」
「咲桜くん、帰ってきておくれ。私の部屋に、来てほしい。何もしないから……」
 痛苦を抑えるような切ない声音で求められると咲桜は諾としか言いようがなかった。襖が開いた。これは部屋の主であるのだからわざわざ入室に許可はいらなかった。
「お父様、どうなさいましたの」
「いいや……」
 三河安城を前に据えてから巨体と思えなくなった大男は肩を落とし、長い髪を後ろへ撫でた。
「先にお風呂いただいてしまいました」
「ああ……分かった」
 火子の態度はぎこちない。それは惨劇の文机のためだろう。
「おやすみ。身体を冷やさないようにしなさい」
 強張った微笑みを向けられたところで、咲桜には訳が分からなかった。無自覚な失言をした時みたいな気持ち悪さがある。広い猫背が廊下に消える。
「お父様、なんて?これのこと?」
「まったく別件。驚くよね。とりあえずのところは翠鳥クンが引っ被ってくれたよ。で、お嬢ちゃんのほうは?お風呂中何もなかった?」
 山鳩は何が言いたげに咲桜を見ていたが、話題が幼馴染のことに移ると、はっとした。
「はい。何も、おかしなことはありませんでした。ご心配をおかけしました。それで……どうしたの、翠鳥?」
「あ、あの、こ、こんなの、あんまりです……お屋形様が可哀想です。あ、あの、おでが言うの、変ですけど、お屋形様と、一緒に居てくださいませんか」
 多感な少年も肩を落とし、ぶるぶる震えている。火子はある一点に目を剥いた。首にある口吸い痕に気付いたものらしい。咲桜を一瞥し、俯いた。
「お願いです。お屋形様のことが、怖いんです……お屋形様のことが怖いんじゃなくて、お屋形様、いつも優しくしてくれるんですけど、そういうんじゃなくて……」
「翠鳥。あまり陸前先生に、」
「いいよ、お嬢ちゃん。分かった。なんかオレも、なんで旦那にそんなカオされちゃうのかなって感じだし。そこ片付けたら、なし付けてくるわ」
 2人の背中を叩くと今度こそ雑巾とバケツを借りに出掛けた。



 巴炎が風呂を出る時機を見計らって彼の部屋を訪問した。その前に、咲桜は野州山辺の娘から、彼女の幼馴染のことについて問い質されているのだった。立場を全うしているだけで根から純粋な少年を弄ぶことは許さないと口酸っぱく釘を刺されている。数分もしない過去のやりとりを振り返って咲桜は気色の悪い笑みで廊下に立ち、部屋の主を待っていた。半ば目的を忘れていた。大好きな寝物語を何度も繰り返すような心地で、可愛らしい幼馴染2人のことを考えていた。下心も悪意も介在しない、彼にとっての安穏の話題であった。
 そうしているうちに曲がり角から人影が現れた。濡れた髪を手拭いに包んだまま結わえているのが新鮮な雰囲気を与える。
「さ、さ、さ、咲桜くん………」
 巴炎はどもり、喋り方だけでなく表情や仕草からいっても激しく動揺していた。
「風呂上がりで気の抜けたところにお邪魔してすみませんな」
 思ってもいないことだ。巴炎はまた吃っている。
「な、何か、私に……用が?」
「はぁ。ちょっとお話でも」
 野州山辺の長男は首を後ろに引いたきり静止してしまった。
「都合が悪けりゃ改めます。いきなりでして、申し訳ない」
「いいや、そんなことはない。来てくれて嬉しい……」
 朝まで飼育小屋だった場所に案内された。無口な忍びはいない。布団は片付けられている。跡形もない。奇妙な時間があったことを咲桜の中で曖昧にした。部屋中を眺め回す相手に巴炎の態度は固かった。
「茶を持って来させよう」
 鈴を鳴らすのもぎこちない気がする。
「いや、すぐ終わりますよ」
「あ、いっ、いいや。私が、欲しいのだ……」
「ああ、風呂上がりですもんね。すんまんせん、自分のことしか考えてませんでした」
 咲桜は愛想笑いを浮かべた。巴炎は何か、誰も寄せ付けたくないような悲しみに暮れた顔をする。同情を乞うようでいて応えない者を責めるようなその姿に内心、咲桜は不快になるが表には出さない。
「話ってのは、まぁ、ボク、旦那に何かしましたかね?もしかして寝てばっかで働かないの、そろそろ追い出したくなってきたとか?」
 無くはない話だ。その件について娘と上手く意思疎通が図れていないのかも知れない。
「ち、違う!そんなことはない。私は何度も、言っているが、陸前高田くんには、傍に、居て欲しい。山下に帰りたいと言われても、私は、頷けるかどうか……」
 咲桜はあざとく首を傾げる。
「じゃ、なんで、ボクの姿を見た途端に動揺するんです。ボクが何か言っちゃったか、やっちゃったかなって考えてたんですけど、思い当たる節なくて。悪気ないほうが厄介ですよね。それともボクの知らないボクの秘密を知ったとかです?あったかな」
 巴炎は目蓋を閉じてしまった。煩悶、痛苦に耐えるようなその様がまたもや咲桜に覚えのない加害者意識を植え付け不愉快にさせる。沈黙がさらに苛立たせた。しかし急かすこともしなかった。放浪の末に得た居住地を壊してまで屋敷の主人を責めて利になることは何ひとつない。
「やっぱり返答は結構です。旦那がお嬢さんの先生としてボキを認めてくだすっているのはありがたいことです。ただボキも謙遜ではなく、やはり未熟者ですから、ボキ一個人という点に於いては旦那の気分に障ることも多々あるのでしょう。おそらくは……その差にお悩みなのでは?それともこれですか、お嬢さんの周りの男っ気という点で危惧されているという。ご安心ください。これでも男鰥でござんして、亡妻一筋ですから。子もあったほどなんですよ!たとえ火子お嬢さんがどれだけ素敵な女性にょしょうでも、実際、素敵なんですが、ボキには故人とはいえ愛しの妻子がありますから、変な気を起こしたりはしませんよ」
 当主の厚みのある唇が、彼の娘の飼い魚の如くである。
「いや、湿っぽい話じゃないんですよ。今言いたいのは、つまり、火子お嬢さんとの仲を誤解して欲しくないということです」
 返事がないのが、疑っていると言われているようで躍起になり弁解する。巴炎は話を聞いているのかいないのかも分からなかった。話し相手を捉えているには捉えているが、その眼は虚空を射しているようでもある。
「だから、そう。妻以外のことを好きにならないんですよ。だからご安心ください。重ねて申し上げますが、お嬢さんは素敵な方です」
 言ってしまってから、この父親の危惧はまだ解消されないことに気付く。野州山辺を憂う者にとって、山鳩という立場上弱小にも関わらず、強大過ぎる不安因子があるのだ。
「あの火子の幼馴染の子は……?」
 今度は咲桜があの中紅梅の部屋の鮒になる番だった。
「ああ……あ~。妻に後ろめたい思いをすることも、ありますな」
 真面目な態度を続けることはできなかった。口元が歪むのだ。頬を吊り上がってしまうのだ。相手を直視できず上目遣いに睨んでしまうのだ。
「咲桜くん………応えは要らない。ただ、聞いて欲しい」
「はい?」
 彼は聞くよう促しておきながらまた目を瞑ってしまった。寝たのかと揶揄したくもなる。
「このままでは、咲桜くんとの関係が悪くなるだけだと思うから…………」
「距離でも置こうかと思ってたくらいですよ!」
 へらへらと笑っていると巴炎は仰天する。
「咲桜くん……君のことが、」
 途端に逃げたくなった。耳を塞ぎたくなりそうになる。何か恐ろしい宣告が待っている。しかしここまで来て、襖の奥から声が掛かった。茶が届けられたものかと思った。しかし腹喋りの滑稽な声音は使用人ではない。
「どうぞ、ボキにお構いなく」
 嫌な汗をかいていた。咲桜は思い切り脚を崩す。入ってきた若く美しい忍び装束の男子が巴炎に耳打ちした。
「分かった。すぐに行こう。―すまない、陸前くん。少し出なくてはならなくなった。また日を改めて……」
「いーえ、いきなり押し掛けたのはこっちですから。片付けもしておきます」
 一度も顔を向き合わせることはなかったが、横目で見た巴炎は真っ赤になっていた。腹喋りの若い忍びはそこに残っている。
「ちょっとお酒付き合わない?」
 土瀝青どれきせい色の双眸が口覆の上でぎらついて首ごと左右に触れた。
「いや、付き合え」
 巴炎の使っている鈴を鳴らした。まだ茶も届いていない。ちょうど、茶を持ってきた使用人が用聞きにきた。
 空いた部屋を借りて香染目と向き合いながら酒を待つ。
「若い子とお酒飲みたかったんだよね。ま、君たちはまだ飲めないだろうけど。お嬢ちゃんと山鳩クン付き合わせるわけにはいかないし。お嬢ちゃん付き合わせたらまず旦那に悪いし、山鳩クン付き合わせたらお嬢ちゃんが怒るのなんの。仲が良くて良くてまぁ……」
 相手はまじろぐだけだった。咲桜はいい気になって喋り続けた。飲む前から酔っている。三河安城に飲まされた分が効いてきている。
「おさん参っちゃうよ。あれはあれで可愛んだけどね。お嬢ちゃんの結婚が遅くなりそうだ。まぁいいか、それも。長年、我慢だったんでしょうから」
 酒瓶が届けられた。そのまま酒酌み役をやろうとした使用人の娘を下げさせる。
「では私が」
 やっと腹喋りでも声を出した若い忍びのことも咲桜は断った。
「旦那はオレに何を言いたかったんでしょうな。もちろん断るけど、娘をもらってくれ、とかだったらどうしようか。お嬢ちゃんは可愛くて優しいけど、流石に年下はな、気を遣うよ。互いにね。お嬢ちゃんは年齢、あまり気にしないかな。どう思う?なんか知らない?」
「知りません」
「そうか。オレよりも君たちのほうが付き合い長いと思ったからさ。もちろんそれは間違いないんだろうけど、何か知らないかなって。探り入れてるみたいでごめんね?ただ家庭教師として教え子のことは知っておかないと」
 酒を注ぎ、一気に呷る。酒臭さが鼻から抜けていく。
「何故、私なんです」
「旦那との大事な話の途中だったから、仕方ないことにせよ、オレが不完全燃焼だったから、そこに居合わせた君を誘ったの。線香が燃えきれないで途中から残るの、気持ち悪いでしょ」
「いいえ」
「ああ、そう」
 薄気味悪い美少年の瞳を肴に酒を流し込む。喉が灼ける。苦みと辛さばかりで、酒を割っていた檸檬ねいもう炭酸が恋しくなる。もともと気狂水は好きではなかった。
「旦那の用事、何だったの?言っちゃまずけりゃ言わなくていいけど」
「ご興味がおありですか」
「いや、無いけど、話題がなかったから。君のこと誘ったはいいけど、そういえば話題なんか無かったなって。それにしても、君、センパイに似てるよね」
 嫌味ったらしく答えるが、香染目は気にした様子もない。こういう取り澄ました人物にありがちな突然憤慨するということはないかと咲桜のほうがひやひやした。酒の速さが増していく。
「似ておりません」
「いや、似てるね。その取り澄まして気取ってる感じ!」
 香染目は黙った。酒を注いでは一口で消えていく。沈黙がさらに酒を加速させる。やがて静寂が心地良くなってきた。酒気が回ってきたのだ。黙るも楽、喋るも快。
「この村では子が産まれると余程の事情がない限り、お屋形様が最初に抱き上げるのが仕来しきたりでございます」
「はぇ?何が」
 いつの間にか部屋にいる、いきなり訳の分からないことを切り出した気味の悪い美少年に咲桜はたまげてしまった。酒に侵された思考はさらに酒を求める。残りの酒を残すか、眠ってしまうかというところで、勿体無さが勝ると、酒瓶の底にまだ入っているのを飲み干した。浮遊感と酩酊が訪れる。この奇妙な感覚無しに気狂水など飲めるはずがない。
「寝る」
 酒瓶から一滴も落ちてこないことを確認すると卓と腕を枕にして寝落ちてしまった。
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