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金春村 全34話(打切り風)/5話~/剽軽攻め/偏屈クール攻め/ワンコ受け/若パパ受け/
金春村 9
しおりを挟む巴炎は次々に酒を飲んだ。どちらが注ぐの注がないのの言い争いがついには使用人を巻き込んだ。風呂後の酒は酔いやすいのか顔を赤くして、燃えるような目が咲桜を放さない。咲桜は使用人に酒をねだった。歳は咲桜よりも上のようで、泰然としたところのある髪の綺麗な女だった。何度か用事を頼んだことがある。彼女は襷掛けをしていかにも仕事女という身形をしていたが巴炎と並ぶと、何かすとんと納得のいく絵力があり、咲桜は酒気の回り始めた頭で彼等を肴にした。街に降りれば誰もが関心を寄せそうな2人だった。巴炎は彼女を思慕しているのだろう。これという心当たりはまったくなかったが、咲桜はそう決めつけていた。
「陸前高田くん……もう少し近くで話したい……」
巴炎は赤い顔をしたまま彼には似合わない軟派な笑みを浮かべて手招きした。まるで妻のようにその横に侍る使用人が微笑む。
「飲み過ぎですよ旦那」
「今夜だけ。今夜だけだ。陸前高田くんと飲めるのが、嬉しくて」
おそらく口実にされている。共に飲んでいて楽しいのは自分ではなく小綺麗な使用人の女であることを咲桜は薄々と気付いていた-否、決めてかかっていた。意地の悪い興味が沸く。酒を煽り、酌を乞う。
「お姉さん、名前なんていうの」
訊かれた本人よりも隣の男が目を見開く。
「緋雨さんだ」
そして咲桜が意地悪を企んだとおり巴炎が答える。
「何度かお世話ンなりましたよね」
緋雨というらしい使用人の女は淑やかに会釈した。咲桜も返す。意地悪の次は陰湿な世話を焼きたくなった。
「緋雨さん、綺麗だなぁ。意中の人はいるんですか?夫がある?」
使用人の女は笑うだけだった。巴炎は咳払いをした。
「陸前高田くんには、意中の女性はいるのだろうか」
面白いほどに彼は食い付いた。
「いや~、いませんな。でも、緋雨さん次第ですよ」
「彼女は良家の娘さんで、花嫁修業に来ていると聞いた。陸前高田くん……悪いが、諦めてほしい」
「花嫁修業?というともう相手はいるんで?」
彼女は愛想笑いを浮かべる。巴炎は前のめりになった。
「陸前高田くん……緋雨さん、悪いが退がってくれ。陸前高田くんは随分と酔っているようだ。本気にしないでくれ。すまないが……」
咲桜は我慢できずに笑い出した。酔っているのは巴炎のほうだ。使用人の女は苦笑している。
「お酒はもうここまでだ。緋雨さん、ありがとう。陸前高田くんも、飲み過ぎはよくない。今日はここでやめておこう」
彼はひょいひょいと盆に酒瓶や盃、漬物の器などを戻してしまった。息は酒臭い。酔う前から熱視線を送り続ける瞳がより妖しくなっている。使用人の女が出て行ったことにも気付いていない様子で彼は咲桜を滾った目で見つめる。
「陸前高田くん。一緒に、寝ないか」
「酔ってますよ、旦那のほうが」
「ああ、変な意味ではなく。変な意味ではない。変な意味ではないんだ。変な意味では……布団を並べて、私と、寝てくれないか。陸前高田くんと、寝たい」
少しずつ距離を狭めてくる男に咲桜は狼狽えた。腕力勝負になれば勝ち目はない。それくらいに野州山辺巴炎という男の体格は逞しい。
「多分に変な意味を感じ取っちまいますね。野郎2人で布団並べて何が楽しいんです?お忙しい旦那を、ボクが独り占めするわけにはいきませんや」
咲桜は愛想良く笑いながら適当な挨拶をして屋敷の主人の部屋を出た。視界が揺れる。飲み過ぎたかと思われた。貧血に似た、頭の中身がどこかに吸われていくような浮遊感がある。壁に手を付いた。急激な耐えがたい眠気に襲われる。凄まじい情交によって疲労している自覚はあった。早いところではすでに筋肉痛が出ている。今すぐにでもこの廊下に横になって眠ってしまいたい。壁を触りながら歩いた。昼間の茹だるような欲熱ほどは強いものではなく、ただ眠さがある。壁に体重を預け目を瞑る。立ったままでも構わない。寝たい。咲桜は頭痛を堪えるように固く目を閉じた。力を抜けば睡魔に呑まれるだろう。一歩踏み出す。ふっ、と頭の中で血の流れを感じた。意識が遠退く。廊下が迫ったが、視界の端から腕が伸びた。
「ごめん……誰?」
眠気に抗えず、喋るのも気怠かった。舌が回らない。
「一服盛られたようです」
声に聞き覚えはあるがすぐには思い出せなかった。顔中に散った痣や傷はすぐに浮かぶ。
「オレ、本格的に狙われてるの?」
襖が開いた。体重を預けられる先にほとんど預けてしまった。振り返るのも面倒で、名前の出てこない忍びの腕で意識を半分手放していた。
「陸前高田くん………すまない」
「あ~……旦那?旦那が、盛ったんです………?」
目は開かなかったが耳はまだ働いている。
「すまない、陸前高田くん」
「なんでぇ~」
巴炎の逞しい腕に咲桜の身柄は引き渡される。ややこしい集団の名前の覚えきれなかった男の小袖を摘まむが、すでに顔には布越しでも分かる大きな胸の硬い弾力を感じていた。
「陸前高田くんと布団を並べて寝たかった」
「はぇ~?」
二十歳を少し過ぎた男子を、さらに上であるはずの男が大事そうに抱えている。
「陸前高田くん。一夜を私にくれないか」
野州山辺の当主もかなり泥酔している様子だった。低い声は溶け、言葉も甘ければ喋り方もいくらか甘えた響きがあった。
「いや~、ちょっと今日は本当に疲れちゃってですね………」
名前の長い忍びが主を宥めていたのは聞こえた。巴炎のほうにも躊躇が窺える。半分は寝ていたがもう半分が寝てしまうことを許さなかった。気の弱げな顔をしていたはずの素破が主であるはずの相手を非難し、その主は何度も謝り続ける。一瞬、すべてを手放した。んご、と鼾が途切れる。部外者にされた刺々しさのある会話も止む。
「陸前高田くん…」
「この一家は、オレに薬を盛るのが好きですね……」
「すまない。どうしても、陸前高田くんと寝たかった」
「それってどっちの意味なんです」
腕を噛む。貞操の危機だ。汗ばんだ手に握られ、口元から下ろされる。
「陸前高田くんと夜まで語り合いたいのだ」
「いや~、これは横になったらすぐ寝ますよ。お酒は効き目早くなりますし。お嬢さんにも言っておかないと」
抵抗は身体が眠ってしまったためにできなかった。聴覚と、多少喋る力があるだけで、睡眠欲に圧倒される。巴炎の部屋に引き戻された。
「旦那…」
「陸前高田くん、すまない」
「蕎麦殻くんはどこに………行ったんです」
やっとそれらしき単語を口にした。
「こちらに」
溺れたように宙を掻いて手招きする。
「蕎麦殻くんも一緒ね。蕎麦殻くん、オレのこと見てて」
頼れる第三者とその主との間でやり取りがあった。巴炎は潔く忍びが付くことを認める。時折開く薄い視界の中で、部屋の片隅に平服姿の若者が座っているのが見えた。咲桜は大事に抱えられ、布団に寝かされた。腰と頭に筋肉によって太ましさのある腕が回り、強靭な脚がそれと比べると華奢に見える咲桜の下肢に絡み付く。
「陸前高田くん…」
甘えた声音と酒臭さに咲桜は強張った。包み込む力は強い。暑いほどの体温が伝わりとうとう眠ってしまった。
息苦しさによって目が覚め、身体に乗る筋肉質な腕をみて飛び起きる。腰が痛い。腿と脹脛も攣っている。隣の大男を認め一瞬青褪めた。共に多少の乱れはあれど肌は晒していない。胸筋がきついのか隣でまだ眠る野州山辺の当主は普段から少し衿元が緩かった。寝呆けた頭を休ませる間もなく襖が開く。白地から徐々に濃淡の変わる水色の着物を身に付けた火子が朝にもかかわらず溌剌とした声で言った。
「おはようございます、お父様」
彼女の目は父親の横で頭を掻いている咲桜を捉えた。
「お邪魔しましたわ。おやすみなさい」
「ちょっと待ってお嬢ちゃん。オレじゃないんだって!旦那がさぁ」
天井裏から人陰が落ちてくる。火子の前で片膝をついた。低い姿勢で経過を述べる。咲桜も一言一言を漏らさず聞いた。山鳩が受け入れていた箇所は、咲桜は特に痛まなかった。しかし下半身は鈍く重い。報告によれば、肉体の関係は結んでいない。
「別にあたくしは、構いません。あなたがあたくしの妾母様になってもね」
「オレは嫌だって……それに旦那、多分他に好きな人いるでしょ」
火子は平服の素破を睨んだ。
「どういうこと」
「私は把握しておりません」
「いや、あの花嫁修行に来てるとかいう使用人の…なんていったか忘れたな。秋雨さんとかいう……」
「お父様からそう聞きましたの?」
まだ火子の機嫌は昨日のものを引き摺っている。
「聞いちゃいないけど、オレが秋雨さんと話すと全部旦那が答えるんだもんよ。いやぁ、あの旦那は可愛かったな」
「本当ですの?」
彼女は真偽を素破に訊ねる。彼は短く肯定した。
「何か言いたいことがあるようね?」
「ございません」
「野州山辺の兄弟はオレに薬を盛るのが好きですな。似てない、似てないと思ったけど似てますわ、だろ?」
「それは類似点ではなく共通項といいますのよ、陸前せんせ」
火子は吐き捨てるように言った。そして険しい表情で素破を見る。
「あなたもあなたですわ。お父様が彼に一服盛るのを見ていたのならどうして止めて差し上げなかったの。お父様は孤独で寂しい方なんですのよ。こんなことをして後悔するお方だってことはご存知でしょう?あなたの頭の中にはあの子しかありませんのね!」
「ちょっと、お嬢ちゃん?」
彼女はこの素破に当たりが強い。目下の者に対する威圧かと思われたが、個人的で私的で限定的な色を感じてしまう。
「オレ結構この人にお世話になったし、昨日から起きっぱなしで寝てないよな?」
咲桜は火子の圧に押し負けた。傍で跪く忍びの肩に触れた。
「あら!恋仇かも知れないのに仲の良いこと!」
「違います!私は…」
「落ち着きなさいよ、お嬢ちゃん。昨日のことがあって苛立ってるんだ。朝餉は食べたのかい?え?」
咲桜は火子の肩を抱いて酒臭さの充満した部屋から彼女を連れ出した。
「あの男!自分は何も知りません、関係ありませんって顔をして、腹が立ちますの!」
「そりゃ主従関係ってものがあるからでしょうな」
火子は黙った。握った拳が震えているのが見えた。
「ちゃんと寝たかいや、お嬢ちゃん。朝餉ももりもり食べること。どうせお嬢ちゃんも、言うだけ言って後悔して反省しても活かせない質なんでしょうが」
「あの男、あの子に馴れ馴れしいんですの。あの子もあの男としか素で話さないから、叔父兄様が発狂するんです!だから叔父兄様はあの男を殴るし、あの子は叔父兄様に弄ばれるのに、あの男……!」
咲桜はふんふん、と軽率げな相槌を打つ。
「山鳩クンの話?」
「……そうです」
怒りっぽい少女を咲桜は近くを通りかかった使用人に預けた。偶然に苦笑いする。昨晩酌を頼んだ女だった。すでに名前は忘れた。もしかするとこの少女の妾母どころか正式な母になるかも知れないのだ。使用人の女は巴炎を陥落させたに違いない朗らかな笑みを浮かべた。目尻に寄る皺に歳上の健やかな色気と愛嬌があった。火子は彼の手元を離れるとすっかりおとなしくなったが表情は相変わらず暗い。
「たらふく食わせてやってください。どうせ昨日も食えてないんでしょう?」
巴炎の気に入りらしい使用人は、炙り岩魚の茶漬けがあると言った。咲桜は口笛を鳴らしてそれを羨ましがってみせた。屋敷の妻になるかも知れない使用人は気遣わしげで、咲桜は彼女に笑いかけ、いずれ夫になるだろう男の部屋に戻った。火子に嫌悪されている忍びは恭しい態度を崩さず畳の上にいた。巴炎はまだ寝ている。
「水持ってくればよかったな」
「お持ちいたします」
「持ってきてもらうよ」
屋敷の主がよく鳴らしている鈴を振った。やって来た使用人には姿を隠さない素破が応対する。
「陸前高田様」
「なんぞ~」
「火子お嬢様のおっしゃるとおりでした。止めず申し訳ありませんでした」
「若様に盛られたよりぜ~んぜんだから。でもお嬢ちゃんとめちゃくちゃ仲悪いんだね。お嬢ちゃん、山鳩クンのことになるとスゴいなぁ。強火の姉ちゃんって感じ?」
なかなかの美貌が憂いを帯び、溜息を誘う。
「負い目がおありなんです。山鳩さんは、火子お嬢様の傍で働けて嬉しいと言っていましたが、火子お嬢様はそれを不幸だと思っていらっしゃるようで…」
「仲良いの?山鳩クンと」
「良いと、思います」
卑屈げな眉の下の真摯な眼差しが逸れ、痛々しい数カ所の濃淡がある痣を付けた白い端整な顔が極々薄く桜色に染まった。
「仲良い、だけ?」
「はい」
「で、若様に殴られるの?何でもかんでも密告っちゃうからじゃなくて?」
「以前、火子お嬢様からもそのようなお言葉をいただきました。ですが私は、山鳩さんと居たいのです」
仲が良い、という関係では済まないようだった。何かもう少し、業の深く艶めいたものがある。
「蕎麦殻くんが山鳩クンと仲良くすればするだけ若旦那が発狂して、殴られたら殴られるだけ山鳩クンは蕎麦殻くんを気にするわけだ?」
「はい」
「若旦那って、結構頭悪いんだな」
「山鳩さんのことになると……普段の冷静さが嘘のように………感情的になられます。普段は聡明な方です」
咲桜は肩を竦めた。その様を見て忍びは申し訳なさげに眉を動かし俯いた。
「蕎麦殻くんはそういうしかないわな」
「本当のことでございます」
苦笑する。拗ねたような上目遣いを向けられる。苦労してんな、と無意識に呟いていた。言い終えてから自覚する。
「山鳩クン、あれからどうしてる?」
「若様の傍におります」
「ずっと?」
「はい」
もとからの困惑顔がさらに憂愁に沈み、薄い目蓋を伏せた。ただ視覚として美しいだけでなく、彼は仕草のひとつひとつに色気がある。咲桜は呑気に感心していた。
「会いたいんだけど、会えそ?」
「若様は山鳩さんに絆を付けていらっしゃいました。もう外には1人でお出しにならないつもりです」
「絆ってあの縄っこか」
何かの聞き間違いかと思いたかった。しかし冷静沈着で何事にも動じない野州山辺次男の咆哮を聞いている。まだ少年という頃合いの、そうでなくても見た目から幼さの抜けない山鳩の肩や耳に噛み付き、絶対に身体を離さなかった。縄で繋いでいると聞いても驚きがないことに却って驚いた。
「じゃ、会わせてくれ、なんて言ったらまた若旦那は発狂しちまうかな?」
「その矛先はおそらく山鳩さんに向かうでしょう」
「若旦那は本当に、どうかしてんなぁ」
咲桜が呆れた声を上げると同時に背後の布団が動いた。振り向くと寝返りをうちながら巴炎が目を覚ます。彼も咲桜と同じく一度朧げに瞬きを繰り返してから跳ね起きた。
「陸前高田くん!陸前高田くん、すまなかった。本当に、すまなかった…!」
瞬きを一度終えたか終えないかという速さで巴炎が眼前に迫った。両肩を肉感のある手が掴んだ。
「詫びの言葉もない!」
「いいですって、いいです。こんな寝て起きて待ってれば美味い飯が出てくる生活をさせてもらってるんですから、抱き枕になるくらいのことは屁でもないです」
いつの間にか両手を繋がれている。頼もしい指が、彼と比べると筋張って細くなってしまう咲桜の指と指の狭間を擦り抜けている。体温は高く、酒臭さは相変わらずだった。
「陸前高田くん………」
忍びの加虐趣味を唆る困り顔よりも哀れっぽい目でさらに近寄られる。
「オレは大丈夫ですって。もうすぐ水が来ますから!」
野生動物的なしなやかさのある筋肉に覆われた腕が再び咲桜を閉じ込めた。
「陸前高田くんが、もう出て行ってしまうのではないかと…」
「あと3回くらいは許しますよ、徳物なんでね、オレは………まぁ、兄弟合計なんで、あと1回だけですよ~?」
そしてその1回というものは、口にしてから現実みを帯びた。それは癲狂病みの次男なのか、この態度こそ柔らかいが身体的接触ばかり図る長男なのか。想像はつかなかった。
「すまなかった。本当に……」
「大丈夫ですって。まぁ、でも、本当に悪いと思ってらっしゃるなら、村一番の美人を差し出してくださいよ。なぁに、手は出しません。湯伽と、晩酌に付き合ってくれたら………ね?」
小さい村だ。そもそも美人というものは少ないのである。期待はしていなかった。ただ小うるさくさえ感じられた当主の罪悪感を打ち消したかった。そうして連れて来られた村一番の美人を辱めようだとかいうつもりも咲桜にはない。
「………考えておこう」
この提案に謝ってばかりの男は吝かな様子を見せた。咲桜は忍びの顔色を確かめる。年中戸惑っている眉の下、薄い目蓋の折り込まれた目の奥の光が逸らされる。村一番の美人もまた、使用人の女のように彼の手付きである可能性が無くはなかった。忍びの気拙げな仕草がそれを物語っていた。咲桜の中ではそうと決まっていた。早々に屋敷の主の部屋から撤退し、火子がぼそぼそとつまらなげに飯を食っている中紅梅の部屋へ引きこもってしまった。
そのうちに別室を設けられ、村一番の美人がやってきた。明るい茶毛に不満げに寄った眉根、長い睫毛の下で伏せられた目、白い肌。口をあんぐりと開けながら咲桜は髪を掻いた。美人だ。夏場にもかかわらず白の獣毛の肩掛けをし、薄紫着物は少し堅い。儚げな珊瑚色の帯と互いを引き立て合い、見るものに清涼感を与えた。疲れているのかはたまた具合が悪いのか、脚を崩している。裾と足袋の間から見える素肌に草木萌ゆる感慨を覚える。
「蕎麦殻くんの姉?」
挨拶されたが咲桜は応じるより先に思ったことを後回しにできなかった。全体的に何か不満げで機嫌の悪そうな顔立ちはいくら美人であっても生傷だらけの、それも殴打痕だらけの顔を重ねてしまい、美人相手に美人に対する咲桜の中の流儀というものを扱えずにいる。
「……いいえ…………」
「蕎麦殻くんの妹?」
「……いいえ」
声に違和感はなかった。目病み女の持つ危なげな色気が咲桜には後ろめたいものがあるように思えてならなかった。尋問するように女の前で膝を開いて座る。村一番の美人を迎える態度ではなかった。
「名前は?」
「春菜葉と申します……」
「お春菜さん………よろしく。初めまして、で、いいんだよな?」
握手を求める。透かし編み線帯で作られた手袋が応えた。あまり柔らかさのない骨張った手だった。指は長い。
「蕎麦殻くん呼んでいい?知り合いかな。すごく似てる。周りから言われない?あの人隠密稼業っぽいから顔知れちゃうの拙いかな」
咲桜は厭らしく笑って彼女の隣に座った。女は相変わらず目を伏せ、一度も咲桜を見ようとはしなかった。色街に売り飛ばされた娘のような哀れさがある。その哀れさはいくらその後に財と権力を成し遂げようとも一生憑いて廻る類の妖艶さでもあった。長たらしい名の忍びには無いものだ。
「咲桜様………わたくしは……何をしたら…」
「湯伽とお酒に付き合ってほしかったんだけど……知り合いに似過ぎててちょっとそういう目で見られないから、ごめん。来てもらって悪いしおうちまで送ろっか。恋人いるならやめるけど」
春菜葉という女は黙りこくっている。余程ここに来るのが嫌だったらしかった。始終、潤んだ目は畳を見ている。初対面の男女2人きりで、部屋には布団が敷かれている。嫌でないはずがなかった。
「いくつなん?」
「24でございます…」
「じゃあオレの3つ上か」
特にこれという意図のない何気ない質問だった。女は相変わらず俯き、今にも泣き出してしまいそうな繊細い声で囁いた。
「なんかお土産になりそうなものもらってくる。せっかく来てくれたしさ。なんかあるかな~」
咲桜は彼女を置いて部屋を出た。村一番どころか街中一番の美人といっても過言ではなかった。年上で背が高く落ち着いた雰囲気という点でも咲桜の好みに間違いはない。描像していたのは髪の黒く毛艶のよい娘であったが髪色などは取るに足りないことで、娘よりかは自力した色気のある女が趣味だった。
「蕎麦殻く~ん」
呼んでみるが返事はない。彼は音もなく現れるため振り返ってもみた。しかし人陰はない。
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