18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」-4

結局は俗物( ◠‿◠ )

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季節もの

【1話完結】大晦日2024

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 雪夜ゆきよは落ち着きなく、こたつの向こう側にいる相手を見遣った。横面を晒して温和おとなしくテレビを観ている。大晦日恒例の桃白とうはく歌合戦だ。
「どうぞ……」
 鍋から小皿へ具材をよそう。小皿のなかにまた小さな鍋ができている。
「ありがとうございます、先輩」
 後輩の屈託のない笑みを見せられると、雪夜は目を逸らす。
 大晦日はひとりで寂しいからと、家に来られてしまった。1週間もしない先日、飲みの席の帰りに酒の勢いで絡まれた。このことを彼女はまだ完全に水に流せていたわけではなかった。水に流そうとはしている。しかし流れなかったのだ。器用ではなかった彼女は、態度にも表してしまったのだろう。この後輩も察したのだ。雪夜の自宅まで、食材と酒缶を両手に押しかけた。
 後輩は受け取った具材に柑橘醤油をかける。雪夜から見て、人当たりは好い。会社には慣れ、仕事も順調だと聞いている。先輩としては配慮の足らないところがあるが、上司や同期とは上手くいっているようだ。雪夜はこの後輩に懐かれて、時折、仕事帰りに飲みに行くことがあった。雪夜が他の人を誘い、大体は3人、4人で飲んでいたが、前回は2人きりになってしまった。クリスマスであったがゆえに、他の人たちが捕まらなかった。彼女は妥協した。夫はすでに故人。飲む相手はまだ20代も半ばになったのか分からない後輩。対して、雪夜は三十路の寡婦である。何か起こることはないのだ。
「はふ……はふ………美味しいです。えっへへ、美味しい」
 後輩は顔を上げ、笑顔を見せる。無邪気なものだ。私服がさらに若くさせる。雪夜の強張った表情も和らぐ。彼女にとって、嫌な人間ではなかった。多少、気の利かない愚鈍さもあったが、若さのためなのかもしれない。そこがまた年長者たちの世話を焼きたい欲求をそそるともいえる。
「雪夜先輩は?」
 第一衝撃波に似た不快感があった。しかし打ち消される。後輩だ。年下である。世代の違いなのだろう。そして今は会社でもなければ就業時間中でもない。多少の無礼さが、彼等のような人懐こく人見知りのない陽気な人間たちには友好的な意思疎通の手段なのかもしれない。雪夜の知らない文化である。
「わたしは、お酒をいただきますから……」 
 そして後輩が帰った後、残り物を再度温め、一人でゆったり過ごす。彼女は湯呑のように握った缶を啜る。アルコールの異臭が鼻を刺す。
「えー、雪夜先輩も一緒に食いましょーよー!」
 この後輩に軽侮けいぶされているようだ。しかし雪夜はそれを察していながら、怒りもしない。夫は生前、不倫をしていた。雪夜は自身を疑うようになった。所詮は詰めの甘い女なのだ。
 苦笑を返事にする。




 身体が重い。しかし心地良い眠気だった。温もりに包まれている。口内に冷たく苦い液体が流し込まれ、炭酸が弾けた。雪夜は息苦しさに嚥下する。額が眉から切り離されて、ロケットのごとく発射してしまうかのような浮遊感があった。実際、彼女の身体は浮いていた。そして落ちる。柔らかい場所へ身が沈んだ。
「雪夜……」
 懐かしい声を聞いた気がした。髪を撫でられるのが気持ちいい。
『雪夜、もうおまえとは一緒にいられない』
 亡くなったからだ。死んだからだ。逝くからだ。そうではない。生前聞いた声がそのまま甦る。夫は法律の外にある女を選んだのだ。そして雪夜はそれを譲ったのだ。戦いもしなかった。夫に捨てられたときの言葉が、最期の言葉だった。夫の望みどおり、本当に一緒にはいられなくなった。
 温もりが
「あなた……」
 温もりが離れていく。惜しく思った。雪夜は手を伸ばす。まだ間に合う。追い縋れば、留まってくれるかもしれない。振り向いてくれるかもしれない。考え直してくれるのかもしれなかった。
 捕まえる。
「雪夜」
 我儘を押し通すことのできそうな優しい声音が降る。甘えた。
「ん……」
 唇が柔らかく弾む。一瞬触れただけだ。雪夜はそれをふたたび、唇へ手繰り寄せる。
「雪夜」
 切羽詰まった音吐は、艶めいている。
「あなた……」
 まだそこにいる。不倫相手のもとへは行かないでいてくれるのか。
「あなた…………」
 確認するのも怖かった。相手の胸中を知るのが怖い。知らずにいれば、無かったことになる。ただ諾か否か。理由は要らない。答えだけが欲しかった。
 答えは諾。離れかけた人肌の温もりが戻ってくる。雪夜は懐いた猫よろしく身を擦り寄せる。
「雪夜」
 苦しそうでありながら、媚びた色の滲む声音だった。まるで雪夜ならば、その苦しみを取り除けでもするかのように、甘えている。雪夜は唇で探り当てた柔らかいものを吸った。夫はくれなかった。天然の麻酔であり、天然の麻薬であり、天然の秘薬である。相手次第で様々な本能を感奮かんぷんさせる。
 幸せになれるような気がした。
 再構築できる気がしたのだった。不甲斐ない妻を、彼は赦してくれるのではないか。
 そしてそう思うと同時に、夫は死んでいることも思い出す。
――とすれば、今縋りついている相手は誰なのか。亡霊が存在しているとでもいうのか。
 雪夜の目蓋が持ち上がる。寝ていたのだ。鼻先の掠りそうなところにいるのは後輩だ。
「随分積極的なんだな、雪夜」
 その一言で視界にも思考にもかかっていたもやが晴れた。
「……波海ばみくん……?」
 酒に呑まれ、無礼な態度をとっているだけではないようだ。発声から違った。放言や訛りがあったわけではないが、抑揚も違うように感じられる。内側から人が変わってしまったようなのだ。目付きと、表情も、雪夜の知っているものではない。彼は公私で見せる顔を分けているのであろうか。
「はっ! 確かそんな名前シてたな、コイツ」
 他人事めいた口振りに、雪夜は狼狽える。後輩がおかしくなってしまった。怖くなった。雪夜は酔っているのか、将又はたまた、気のれてしまったかした後輩を突っ撥ねようとする。
「あ? さっきまで積極的だったじゃねぇか」
 しかし雪夜の力を大きく上回る力で後輩は彼女を押し戻す。
「あっ……!」
「甘ったりぃキス、もう一回シてくれよ」
 後輩の顔立ちでありながら、後輩とは別人の面構えをしている男の唇が迫る。
 後輩は、隙のある愛嬌と抜作ぶりに隠れているが縹緻きりょうだけは良かった。背も高く、体形もすらりとして手脚は長い。やり方しだいでは艶福家えんぷくかにもなれたのではあるまいか。しかし気質というものは演技ではどうにもならない。
「ぃや……っ!」
「は? アンタから最初にシてきたんだぜ。セクハラだろ……アンタ、コイツの先輩なんだっけ。会社に言いつけてやろっか?」
 雪夜は首を振った。何を否定したいのか、彼女にも分からなかった。確かにセクシヤルハラスメントである。だがわざとではなかった。後輩にしたつもりはなかったのだ。しかしどうそれを証明するのか。
「黙っててやるけど、黙っててほしいなら、分かんだろ? あ?」
 後輩の内側に、恐ろしい精神が入り込んでいる。雪夜は咄嗟に首を振る。それが彼女の癖のようだった。
 大きな手が彼女の耳を塞いだ。髪を乱暴にいて、毛束を作る。爪が長いようだ。頭皮を引っ掻かれている。
「分かれ?」
 男の唇が舌が伸びる。人とは思えない長さであった。カメレオンのようなその舌先には切れ込みが入り、ヘビと同じように二又になっている。ヘビのようなのは舌先だけではない。この桃色のヘビは宙をうねる。雪夜は身を裂かれたのかと思うほどの衝撃を受けた。
 後輩の美貌を操る男は陰険に笑うと、凶器じみた長舌をしまう。そして夫だけが許されていた箇所を気安くんだ。
「あ………ふ………」
 何度か啄み、やがて爬虫類の舌を雪夜の口腔に捩じ込んだ。
「ん……! っく、」
 暗く狭く湿った空間に潜んだヘビは荒れ狂う。雪夜の舌に巻き付き、口水を搾り取る。
 彼女は呼吸を奪われながら、1週間ほど前にも、同じようなことがあったと思い出す。
 舌伝いに、男の口水が注ぎ込まれる。頭のなかに暖炉ができてしまった。薪をべられていくようだ。黒煙が逆巻き、何も考えられなくなっていく。
「ぁ………んふ…………」
 しかし頭蓋骨に響く水音が、雪夜の意識を繋ぎ留める。
 身体は力を失い、抱き寄せる男任せになっていた。抵抗する気ももう無くなっていた舌は、好き放題に掻き回される。
 二又の舌先が彼女の上顎を撫で摩する。脳髄に穏やかな電流が通り抜けていく。甘く痺れた。
「ぁ………っん………」
 雪夜は身を震わせた。陶然として、強張っていた眉が弛む。頬には朱が差す。漏れる吐息には艶が混じる。
 男の口が離れる。長い舌は掃除機のコンセントプラグの巻き取りリールよろしく引き込まれていく。
「かわいいじゃねぇか」
 男は雪夜の髪を掴み、もう一度彼女の唇を吸った。そして放される。雪夜の躯体はベッドへ投げ出される。彼女は起き上がろうともしなかった。身の内が火照り、不調という不調はないが、微熱が出たときのような灼熱感を末端に覚える。 彼女は男の変化に気付かない。男の側頭部から猫足バスタブの脚を尖らせたような角が生えていることにも、前髪を押し退けて額からヘビの頭部を模したと思しき飾りが現れたことにも気付かない。そして男の腰からは、丸々と肥えた大蛇の尾が垂れ下がっていた。薄明かりの色をそのまま映してところを見るに、鱗は白いようだ。
 雪夜はこの人ならざるものの変貌を知ることもなかった。それは幸と出るのだろう。彼女はその妖怪、魔物、怪物、魑魅魍魎の姿を見たら、気をおかしくしてしまうかもしれない。
「コイツが、アンタと結婚シたいんだと。シようぜ。それでオレ様と、毎日セックスだ」
 男は着ていたフード付きのスウェットシャツのポケットから毛の生えた箱を取り出した。そして長い爪を見せつけるかのごとく指を揃えると箱を開ける。曖昧な虹を発する多面体を携えた、黄金に光る小さな環が、ねっとりと照りつける絹の台座に嵌っている。男はそれを毟り取ると、雪夜の胸に置かれた左手を拾う。そして薬指にすでに居座っている輪をぎ取ろうとした。ところが雪夜の細い指は関節が腫れ物のごとく出張っていた。輪は関節に引っ掛かり、皮膚を削る。
 男は円滑にいかない作業に眉を顰めた。雪夜の左腕ごと持って、薬指を口に含む。金属の輪に唇を引っ掛けながら、頭を動かす。
 ぬぽっ………すぽ………にゅぷ………じゅぷ、じゅぷ………じゅぽ………じゅぽ、じゅぽっ、
 さながら口淫であった。雪夜は左手の薬指を襲う生温かさと湿り気、そして卑猥な異音で意識を取り戻す。気付けば関節も痛む。
「な………何? 波海ばみくん! どういうつもりなのっ!」
 後輩が、左手の薬指を口から出し入れしている。
「あ? どういうつもりかって? アンタと結婚スるつもりだよ。このちゃっちい指輪、外せよ。外せねぇんだけど? 外せ」 
 雪夜は跳び起きると、大慌てで左手を取り戻した。他人の唾液にまみれている。不快感で鳥肌が立った。
「こんなことして、ただで済むと思ってるの?」
やっしぃ指輪にやっしぃセリフだぜ、奥さん。"無料ただ"じゃ済まねぇなら、金払えばいいんだろ? コイツなら大枚叩たいまいはたいてくれるさ。コイツと結婚シろよ。オレ様も毎日セックスしてヤるからよ。旦那はシてくれなかったんだろ? レスられちまって」 
「ふざけないで」  
「あ? ふざけてると思ってんのか? このオレ様が? ま、マジになっちまったら、アンタは息もデキなくなるぜ」 
 長い爪が、雪夜の首を小突いた。光が現れ、彼女の首を囲む。形を作り、光が消えた。そこには首輪が現れる。
「他人の女を奪っちまうってのは気分がいいな」
 雪夜は自身の首に巻きついた輪を、両手で引っ張る。すると男は長い爪で、今度は彼女の左手の薬指に嵌る輪を小突いた。金属は砂の山が崩れるかのようにして砕け散る。
「そんなっ!」
「アンタが悪いんだからな」
 故人から贈られた指輪は、今や見るも無残な様相を呈し、シーツの上に散らばっている。もはや塵芥じんかいに等しい。とても意味のある物品とは思えない。
「そんな……」
 雪夜は結婚指輪の残骸を凝視していた。様子のおかしい後輩の存在など忘れてしまった。彼女の頭のなかは、亡夫のことでいっぱいだった。
「ひどい……ひどい……」 
 彼女はやおら顔を上げ、そしてまなじりが裂けるほど目を見開いた。やっと後輩の変容に気が付いたようである。たちまち彼女の瞳には水の膜が張った。間もなく溢れ出す。睫毛をし折り、大粒の涙が頬を伝う。
「は?」  
 男は慷慨こうがいの声を上げる。人相の悪い顔を顰め、雪夜を見ている。その困惑は世に生きる人間の生々しさを帯びている。
「ごめんなさい……」
 雪夜は両手で顔を覆う。指の狭間から涙が濡れて光る。
「赦してください……」
 嗚咽しながら喋ろうとして、彼女はしゃくり上げる。
「どうしてわたしばっかり……」
 夫を亡くしたこの1年は、自身を特別不幸だとは思わなかったが、他人が幸せに見えた。それを羨まなかったといえば嘘になるが、彼女は妬みもしなかった。しかし立て続けに奇妙なことが起こると、とうとう彼女も、見えもしない他者の平穏そうな暮らしが妬ましくなる。恨めしい。他人が不幸になればいいというのではなかった。大切なものを喪ったのだ。厳しくつらい運命は、1年も経たずに再来せずともよいではないか。しかし人の情は通用しない。
「う………うっ……」 
 男は溜息を吐く。泣き噎ぶ雪夜を抱き締め、頭を撫でた。
「悪かったよ。オレ様が悪ぃんだろ? あれもこれも。アンタの旦那が死んだのも、アンタの旦那が不倫シたのも、地球温暖化も、増税に次ぐ増税も、成績不振で若者がばったばった自殺すんのも、ジジイババアどもがヒートショック起こすのも、餅喉に詰まらせんのも、猫が車のなかに入っちまってミンチになるのも、全部ぜんぶ、オレ様が悪ぃって言いてぇんだな? お?」
 雪夜は泣きじゃくりながら首を振る。
「気を遣わなくていい。オレの所為だって、そう言いてぇんだろ? いいぜ、償ってやるよ」
 頭、背中をひととおり撫で摩すると、男は雪夜の両耳を塞ぐかたちで彼女の伏せられた顔を掬う。
 雪夜は泣くことに夢中だった。近付く顔面は、視界には確かに入っていたが、気に留めることはしなかった。
 徐ろに寄せられた相手の唇が柔らかく触れる。威圧的ではない接吻は、子を宥める動作にも似ていた。先程の捕食かまたは恫喝に似たものではなかった。害意はなく、親愛を錯覚させられる。ゆえに雪夜の認識も遅れをとる。
「………あっ」
 しかし口付けされているのだと理解したところで、彼女は抗うことができなかった。後頭部と背に添えられた掌が、彼女を固定していた。逃げることもできず、逃げることに恐れをなしていた。今現在の挙措は優しかった。雪夜の膂力りょりょくでも振り解ける。ところがもし、この訳の分からない男の機嫌を損ねれば、その先にあるものは命の危機ではなかろうか。恐怖する間もなく一撃のもとに訪れる安寧の死ならばまだ救いがある。けれども雪夜がこの男から見出したのは凶暴性である。恐怖と苦痛に満ちながら、嬲り殺しにされるに決まっている。生存本能、生存戦略が、思考回路を狭め、媚びへつらい、おもねることを選ばせた。
 角度を変えて、互いの唇によって互いの唇を揉み合う。雪夜のほうでは揉み合わせさせられていた。
「いい子だ。口開けろ」
 命令せずとも、この男は雪夜の口を開けるすべがある。雪夜は口を開いた。蛞蝓なめくじも通れないような隙間をじ開け、生温かく湿ったものが彼女の口腔に侵入する。しかし先程のカメレオンの舌ではなかった。ヒトの長さをしていた。
 雪夜の上下の歯に削られることも厭わず口腔に押し入った男の舌は、怯えて縮こまる雪夜の舌を掬い上げた。さながら投技である。無防備になった舌下に男は居座った。雪夜に残されたのは、疲れ果て男に身を委ねるか、器用に逃げ回るかである。舌下に落ち着けておくことはもうできない。男の舌の上に置けば、男の技巧に巻き込まれてしまうだけである。
「ん………ぁふ………」  
 雪夜は喉の奥のほうへ避難したが、日常的にやるものではなかった。すぐに疲れてしまう。男はすぐに彼女を捕まえた。組み敷いて、裏表の質感を塗りつける。そのたびに水液が滲む。けれどもどちらのものかは定かでなかった。
「ふ……、んっん………っ」
 喉が疼く。上顎の奥も火照っている。涙は止まり、思考は白く、意識も霞む。夢の中にいるのか、目覚めているのか、彼女自身も分からなくなっていた。
 口内を掻き回されれば、彼女の意識も掻き回される。舌の質感が彼女を鋭敏にすれば、舌の自由を奪われたような浮遊感が彼女を夢見心地にする。
 口角から滴り落ちた透明な滝が着ているものの色を濃くした。
 雪夜の舌を組み敷き、しかかり、平伏叩頭へいふくこうとうさせると、守り手のいなくなった口腔を練り歩いた。そして上顎をまた突つく。火照っていた箇所を刺激される。痒いところを掻き毟る快感に走る。
「あ、ふん……」
 雪夜は躯体のすべてを男に任せた。唇を合わせているだけの力もなかった。蜜糸を引いて男体に凭れかかる。だが相手はそれを許さず、彼女を背中からベッドに落とす。シーツから空気が抜け、ベッドのスプリングが軋る。
 男は雪夜の胸の膨らみに手を置いた。興味本位の手つきではなかった。そこに心臓はないというのに、まるで鼓動を確かめるような触れ方だった。
「泣き止め」
 まだ唇も乾かないうちに、男は雪夜を啄む。額か、目元か、頬か、顎か、唇か。ランダムであった。規則性はない。気紛れなキスの雨。雪夜が雨に打たれている間、男の手は彼女の服の中に侵入していた。素肌と長袖のスリーマーの狭間を這っていく。
 雪夜は冷たい手に腹を逆撫でされ、身動みじろいだ。
「すべすべだな。柔らかい。いい子だ」
 この後輩は年下であり、入社日も雪夜の何年も後で、立場も下である。だが年長者のような口をきく。格上だと認めざるを得ないところがあるとすれば学歴かもしれないが、しかし難関大学を卒業しているからといって傲慢に振る舞うことが赦されるわけでもない。
「だめ……」  
 雪夜は男の腕を掴んだ。指が回りきらない。服の上からでは知ることのできなかった逞しさがある。
「雪夜。オレに身を委ねろ」
 彼女の手を振り解かせる手は、決して乱暴ではなかった。長い爪に気を遣っていた。貴重な借物を返すようであった。
「痛くはしない。気持ちよくなるだけだ。でもそれも、アンタ次第。"青いの"にシてもらっただろ?」
「え……?」
 男は雪夜の服を、長袖のスリーマーごと捲り上げた。チェリーレッドのブラジャーが露わになる。それを目にした途端、後輩のどの程度焦げ茶色だったのか知る必要も機会もなかった瞳が赤く輝いた。
「いい色だ。赤は好きだぜ。雪夜の肌も白く見えるな」
 雪夜は自身の胸に腕を巻いて、ブラジャーを隠そうと試みる。彼女は大きなブラジャーを見られるのが恥ずかしかった。レースを纏う大きな布がだらしなく思えた。夫は象や牛のようだと嗤っていた。
「隠すな。もっとよく見せろ」
 男は彼女の腕を剥がすと、鼻先を近付ける。柔らかな脂肪同士が寄せ合わさって深い溝を築いている。
「いい匂いがするな。熟れた女の甘い匂いだ。ガキじゃこうもいかねぇ」
 桃裂に寄せた鼻を鳴らす。こたつには入っていたが、汗は大してかいていない。臭いの強い体質でもなかったはずである。彼女にその認識がないだけだったのであろうか。
「もう、赦して……」
 後輩の顔をした何者かに匂いを嗅がれている。彼は後輩であるのかもしれないが、後輩ではないのかもしれない。いずれにせよ、他人に体臭を嗅がれていることが恥ずかしかった。己の体臭に無頓着というわけではなかったが、嗅がれるほどの異臭を放っていることに気付かずにいた自身の愚鈍さも恥ずかしかった。
 男は雪夜の腕を掴み、腋を開かせた。
「腋はノーマークか。こんないい匂いをさせておいて……」
 男は独りち、彼女の腋窩に鼻先を突き入れた。
「よ、よして……!」
「微かにアポクリン汗腺の匂いがするな。少し足らねぇくらいだが、これもまた悪くない」
 鼻から息を吸う音が、雪夜の羞恥を煽る。男の声がわずかに上擦るのもまた、彼女を熱くした。
「ここはオレ様がマーキングしておいてやる」
 長い爪が、接触する場面のあまりに少ない箇所を突つく。
「あ……っ!」
 雪夜は擽ったさに声を漏らす。
「悪ぃな。こっちで遊んでやらなきゃな」
 男は指を鳴らした。ブラジャーのホックが千切れる。暗赤色の布に狭げに押し込まれた膨らみがゆとりを取り戻す。
「きゃ!」
 雪夜は浮いてしまったカップを押さえる。
「かわいい声だな」
「ブラジャー……」
 雪夜はホックを付け直そうと背中に手を回す。
「付けなくていい。ぺろんちょ」
 男は守備のいなくなったブラジャーを捲った。
「あっ!」
 白い膨らみに色付いた蕾を見せてしまう。後ろにあった手はすぐさま前へ帰ってくるが、目を剥いた男の手のほうが速かった。彼女の両腕を両脇で捕まえる。獰猛げな喉の隆起が浮沈し、生唾を呑む音が雪夜の耳に届く。
「く………っ、美味そうじゃねぇか………」
 男は自身の下唇をむにむにと食む。衝動的に燃え上がった飢渇をやり過ごしたようだ。
「あ…………あ…………、は、恥ずかしい………」
「綺麗だぜ。それに美味そうだ」
 雪夜の両腕を掴んだまま、男は首を伸ばして胸の先端を舌で撫で上げる。
「ひゃ、ん!」
 定位置に戻る小さな実を、男は上下左右に舐め嬲る。起き上がり小法師こぼしのごとく、戻ってくる。男と対峙し、慎ましやかに勃っている。
 男は赤く輝く瞳を爛々と脂ぎらせ、掠れた息遣いを轟かせる。肩で息をしていた。
「ん………ダメ………っ」
「綺麗だ」
 男は雪夜の腕を放すと、今度は彼女の胸を掴んだ。喉の渇きで死にかけた旅人が、水々しい果実を見つけたかのような有様であった。両手で胸を揉みしだき、乳頭を吸う。
「あ………ひんっ、」
「かわいい……! くそっ! かわいいな!」
 男は叫んだ。叫ばずにはいられなかったようだ。叫んで、吸い、叫んでは吸う。
「ぁっ!」
 擽ったさに雪夜は男の肩に指を引っ掛ける。
 男は唾液を塗りたくると、親指で左右の胸芽を押した。
「あ……」
 しかし芯の通った色付きは弾性を以って男の指に歯向かう。
 男は雪夜の後輩のものではない精悍な表情を蕩けさせ、健気に勃起する肉粒を捉えた。捏ねる。長い爪が程良い痛みを与える。
「あ、ん、……」
 甘い痺れが胸の内側へ駆けていく。上と下に分かれ、腹の奥で電気の毬を作っている。雪夜は腰を揺らした。
 男は彼女のその挙措を見逃さなかった。絶妙な力加減で淫瘤を抓った。
「んぅ!」
 雪夜の指が、男の肩から落ちていく。
「乳首でイけるのか?」
 雪夜は答えなかった。
「答えろ? 答えたくねぇのか? じゃあカラダで答えてもらうか」
 爪の側面と指先を使い、実粒を上下に焦らされる。指は半転し、今度は指の腹によってにじられる。
「あ! ああん、……っ!」
 雪夜は頭が重くなった。首が反り返る。危ない男に喉笛を曝した。閉じることを忘れた口から粘性を帯びた水を溢す。
「乳首でイかなきゃダメだろ?」
 乳房を揉み、男は雪夜の溢水を啜る。そして彼女の頬を舐め上げた。
 敏感になったところは触られなくなった。その周りばかり他人の温もりと硬い皮膚感が這う。
 雪夜は首を振った。
「ここがイイんだろ?」
 爪の尖端が胸の先端を掠める。
「あんんっ!」
 雪夜の身体が跳ねる。男はまだ指の先で胸を擽った。
「変になる………っ、変になる……っ、!」
「いいぜ」
 雪夜は首を振った。
「ほぉ?」
 男は彼女の弱いところを揉んだ。胸の色芽を中心に、模様が光って浮き上がる。
「"青いの"のマーキングがあるぜ?」
 ぷに、と肉粒を擂り潰され、雪夜は背筋を後ろへ反らす。視界が真っ白なった。プールのなかに潜ったときのように耳鳴りがある。それでいて肉体がさざなみに溶けていくような気持ち良さに襲われる。
「あひっ………あっ、あああ……、!」
 身を引き攣らせ、彼女は夢とも現実ともつかない境界を彷徨う。
 男は雪夜が四肢を投げ出したのをいいことに、彼女のボトムスを脱がしにかかった。チェリーレッドのショーツが現れると、男は喉を鳴らし、フレーメン反応よろしく牙を剥いた。歯を打ち鳴らし、震えながら、顔面をショーツに当てる。クロッチを嗅いだ。こたつで蒸れた匂いが、男の鼻孔を突き抜けたはずだ。熟れて蒸れた牝の香りに脳髄を殴られたのだろう。一瞬にして内側から目の色が変わった。閃光を放つようだった。
「いい匂いがする。エッロい匂いサせやがって……」
 布越しに雪夜の秘実を噛んだ。
「んっ、……」
 噛んだところを舐める。布が濡れていく。彼女から湧き出た蜜もまたそこに加担する。
「まんこ、いい匂いがするな………ああ……いい匂いだ。あ~すっげ…………すっげぇ………いい匂いがする………」
 男は湿った布を吸った。口でも吸った。意思のなさそうな、無意識に支配されていそうな指が彼女の脚からショーツを脱がした。股ぐらの糸屑に鼻先を押し付け、感嘆の声を漏らす。
「蒸れたまんこ、最高だ……」
 長い爪を生やした指が、肌 木通あけびを割り開いた。男は舌を伸ばし、鐘肉をく。
「あ!」
 ちゅる………ちゅるるっ……ちゅる、ちゅぢゅぢゅ……
「吸っちゃヤ……! ああんっ!」
 男は雪夜の声に構わず吸い続けた。秘裂を押し開き、九皐きゅうこうをなぞる。
「や……!」
 雪夜は男の髪を握った。後輩は会社では髪を後ろに撫で付けて固めていたが、今日は洗い晒しのようだった。柔らかい毛並みをしていた。
「うまい……」
 男は本人も意識していなさそうな音吐おんとで呟くと、女壺へ尖らせた舌を捩じ込んだ。
「あっん!」
 女蜜を啜る。男は夢中になっていた。口の周り、鼻先を、己の唾液とも雪夜の蕊露とも分からない汁で濡らした。

「ヒトのモノばっか欲しがらないでクレる」

 雪夜と、後輩の姿をした謎の男。この家にはその2人だけのはずだ。ところが3つ目の声が混ざった。後輩の姿をした後輩ではない男の後ろに、誰か立っている。アンモナイトを2つ、頭の横、耳の上左右に携えた、ピアス面の男だ。アンモナイトの下の耳からはビーズカーテンめいた飾りがちゃらちゃら揺れている。
「オネエサン、勝手に乳首イきシたでしょ、裏切り者」
 クリスマスの夜に現れた不審者だ。夢ではなかったのか。
「オネエサンが乳首イきスるトコロ、ワタシにも見せて!」
「そんな暇ねぇよ。雪夜はこれからオレ様とセックスすんだよ」
 男はどちらのものともいえない粘液でぬらつく口元を拭った。
「オネエサンはワタシが先に目をツケたんだヨ!? あっちイってヨ!」
「残念だな。先に雪夜に目ぇつけてたのはコイツで、コイツに取り憑いたのはオレ様だぜ」
「ワタシがオネエサンのコト食べちゃったからデショ。二番煎じヤローがヨ」
 アンモナイトを生やした男は、後輩の姿をした男を突き飛ばす。
「は? オレ様はオレ様とコイツと2本柱で雪夜を愛すんだよ」
 後輩の姿をした男は自身を指した。
「ワタシが食べなきゃキョーミも持たなかったクセに!」
「あー聞こえない、聞こえない」
 後輩の姿をした男は指を鳴らす。ボトムスが消え去る。
「あ! ヤダ! オネエサン、逃げて!」
 アンモナイトを生やした男が叫んだ。
「え……?」
 雪夜は訳が分からなくなった。
「いいじゃねぇか。てめぇの女はオレ様の女。オレ様の女はてめぇの女。それが掟だろうがよ」
 後輩の姿をした男は雪夜の腰を掴むと、長い爪で彼女の下腹部を突つく。そこに桃色に光る紋様が浮かぶ。
「オネエサン!」
 アンモナイトを生やした男の呼びかけるのとほぼ同時に、後輩の凶棒が雪夜を貫いた。
 どこか遠くで鐘が鳴る。重く、骨に響く。しかし雪夜には届かなかった。鐘どころか間近、体内を撞かれ、意識の糸が途切れそうであった。
 花火も打ち上がっている。しかし雪夜も、脳裏に花火が打ち上がっていた。目からは星が飛び出そうである。
「オネエサン、ヒドいヨ! そっちのチンポのほうがイイんだ! 差別だ!」
 アンモナイトを生やした男は雪夜を起こすと、後輩の姿をした男のほうに押しやった。そして彼女の後ろの二つの膨らみを割り開いた。
「ふ、あ………?」
 すでに恐ろしいものを受け入れていた箇所のすぐ近く、星孔に焼け爛れた巨大ミミズの頭部のようなものが押し入る。
「オネエサン半分こ♡」
 身体が裂ける。内側から食い破られる。下半身が千切れてしまいそうだった。
「え……? あ………いやああああ!」




 雪夜は目を覚ました。こたつで寝ていたらしい。鍋をしていたことは覚えている。危険行為だ。
「ごめんなさい……わたし………」
「ヘビの夢を見たら、人に言っちゃいけないらしいですよ、雪夜先輩」  
 目の前では、後輩が酒缶を煽っている。テーブルの上の鍋が小気味良い音をたて、具材は踊っている。
 雪夜は顔面を青白くしながら、左手の薬指を撫でた。夢であるはずだ。しかし身に覚えのない指輪が嵌っている。
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