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未完結打切:赤と白か黒 12話打切り/年下低身長攻/年上高身長受/ご主人様攻/使用人受/敬語受

赤と白か黒 10

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 前髪は下ろした方が好みだ。雪村のセットを神楽常寺が眺めながらそう口を出す。神楽常寺専属のスタイリストが一度後ろへ撫で付けた前髪を器用に下ろしていく。
 黙って神楽常寺の脇に控えていればいいだけの仕事だ。神楽常寺の身を守るのはパーティーに潜入している警備部や会場で雇っている警備員。恨みを買っているはずだ、普段の所業を鑑みれば。ただ立っていればいい。何度も言い聞かせ、わずかに緊張している胃を落ち着かせる。
 髪がセットし終わると、籠原が選んだ衣装が差し出される。雪村のサイズに合うよう仕立てられていた。神楽常寺が見惚れて、小動物を思わせる可愛らしい顔がさらに幼く愛らしいものへと変わっていた。
 会場に入る頃には緊張は治まり、神楽常寺の斜め後ろをついて歩くだけ。好きな物食えよ、と控室で言っていたが、そのような余裕は隙はない。
「跡を継ぐ子を産ませるならどの女がいい?お前のタイプでいいから」
 神楽常寺の登場に、その場の雰囲気はがらりと変わった。格式高そうな格好をした人々が頭を深々と下げている。普通に暮らしていたならむしろこちらが頭を下げる側のような。堂々と歩きながら神楽常寺は雪村に耳打ちする。
「え…」
「言ったろ。ここの目的はそういうやつだって」
 要するに出会いの場だ、と。会場内の女性を見回す。その殆どが男性とペアになっていた。だが神楽常寺が望むならペアを奪うことも容易いのだろう。
「私には…選べません…」
 神楽常寺自身が跡継ぎに興味がないようだった。適当に、けれど厳格に選ばれる生物学的母親を雪村の独断で選ばせようとしている。真面目に答えたつもりだったが神楽常寺は鼻で笑う。誰でもいいらしい。神楽常寺が誘えば相手もおそらくは断らない。だが生まれた子はどうなるのだろう。
 神楽常寺様、神楽常寺様。積極的な女性が自らを売り込みに来る。時折父親も同伴しているらしい。ある程度の家柄の良さがなければ神楽常寺に話し掛けてはならない。そういった点では跡継ぎを産ませる相手の条件のひとつとしてクリアしている。神楽常寺は誰でもいいというが、暗黙のルーツとして家柄の良し悪しは問われている。身分違いの恋など、とうの昔の話だったはずだ。だがそれも結局は建前だった。
「あっちでケーキでも食ってろ」
 神楽常寺が雪村にそう言って、苦笑交じりに数人の女性たちに囲まれていく。何か食べたいという気分ではなかったがやることもなかったためバイキング形式になっているテーブルへと向かう。雪村が思っていたものよりは庶民的な会場と内容だが、それでも一等地の会場であり、神楽常寺邸に入らなければ目にすることさえないような一流のおもてなしの数々。
「ここのチョコケーキめちゃんこ美味いですよ」
 数分おきに作りたての物と入れ替えられていくらしい。破棄される量は一体どれくらいなのだろう。それとも賄い食として従業員に配られるのだろうか。一食で一週間分の食費相当するのではないか。話し掛けられていることにも気付かず雪村は皿を入れ替えられている様子を見つめていた。
「お兄さん起きてる?それとも寝てる?」
 目の前で手を振られ、我に返る。隣に青年がいた。皿を片手に一口サイズにカットされたケーキを数種類のせ、雪村に話し掛けながら咀嚼している。場違いな雰囲気を漂わせているが神楽常寺にも同じようなところは多々あった。だが神楽常寺はそれが例外的に許されている。
「…ッ」
 目が合う。雪村を凝視していた瞳はグレーともブラウンともいえない不思議な色味をしている。白皙とそばかすが印象的な目が大きく、鼻梁の通った、桜色の唇の美青年。全てのパーツが整い、バランスよく並べられている。
「随分とかっこいい人がいるなって思って、声掛けちゃいました」
 美青年は皿を取り、チョコレートケーキを乗せると雪村に差し出す。どうしていいのか分からず、雪村は受け取ってしまう。瞳と同じカラーリングのジェットモヒカンが陽気な少年を思わせた。
「もしかして甘いのダメ…でした?」
 皿の上のチョコレートケーキと青年を交互に見遣る。柿沼かと思ったが、そばかすが印象的なことを除いては顔全体を覆うほどの傷は見当たらない。
「いや…そうではなくて…」
「ならよかった。マジでここのチョコケーキ美味いから、これ食わないで帰るのもったいないと思ったわけですよ」
 小市民の若者といった空気を纏ったこの青年がこの会場では浮いている。
「…お兄さん婚活?モテそうだけど…、あ、年収低いとか!」
「いいえ…付き添いで…」
 青年はフォークを咥えたままぐるりと会場を目だけで見回した。この者は会場を間違えたのではないだろうかと思わざるを得ない異色さがある。
「もしかして神楽常寺様の?」
「はい」
「やっぱりね!いつもかっこいい人侍らせてるんだよな~」
 青年は皿の上に追加でケーキを数個取る。雪村の上にもいくつか。
「ベランダ行こ!もっと話しましょーよ」
 有無を言わさぬ勢いで青年はバルコニーに繋がる大窓へ向かっていく。
「私、今仕事中でして…」
 にこにこと一口サイズにカットされたケーキにフォークを刺して青年は手摺りに寄りかかる。反り返った前髪が風で揺れている。
「ぼくも神楽常寺邸に入ってみようかなって思ってさ」
「何故」
 金に困っているのだろうか。青年はフォークを皿の上に置いて夜空を見上げる。グレーとブラウンの狭間の瞳が暗く染まる。
「いやぁ、ぼく、結構なんでもそれなりに上手くいっちゃう性質たちでさ、神楽常寺邸に入れば人生変わるって聞いて、それもアリかなって思って」
 へへへと笑ってケーキを一口。人生が変わる。人生を変えたい。そういった理由で務まる仕事は初期だけだ。肉体的にも、それを大いに上回り精神的にも苦しい仕事が段々と増えていく。
 会話の途中で近くを通ったウェイターがアルコールの入ったグラスを持って来る。青年が二つ受け取り、雪村に渡す。スパークリングワインだ。
「仕事中は…」
「飲むのも仕事だって」
 仕事中の酒類は気が進まない。隣では青年が運動後の水分補給とそう変わらない飲み方をしている。のせられるままにアルコールを口に含む。
「お兄さんは今の仕事、楽しい?」
「…楽しくは、ないです」
「楽しくないんですか」
「嫌なこととかやっぱいっぱいありますよ」
 ウェイターに空いた皿を渡して青年は手摺りに腕を乗せ、突っ伏す。酔ったのだろうか。
「以前後輩だった子が、今、先輩なんです」
 苦味が口に残っている。雪村にとってはあまり強いアルコールではないのは飲んで分かるが、話すつもりのないことが口とついて出る。アルコールのせいか、青年のせいか。
「え、どゆことですか。後輩の方が先に昇進したとか?」
「私が一度辞めて、また戻ったといいますか。戻らざるを得なくなりまして」
 部外者に何を話しているのだろうか、とは思いながらも雪村は続ける。
「昔と変わらないといえば変わらないのですが、外見はもう別人みたいで。本当は今日、その人が来るはずだったんですけど」
 ほぼ独り言になっていた。それでも青年は雪村の顔を覗き込んで頷いたり、首を傾げたりしている。
「なんで、辞めたんですか」
 はいはーい、と挙手して青年は訊ねる。
「尊敬していた上司のもとから外されたからです」
「尊敬していた上司」
 青年は復唱した。上司という表現が合っているのかは分からなかった。しかしあるじという表現をして特定されてしまうことを恐れた。
「神楽常寺に入って抜けた人間は、烙印を押されるって知ってました?烙印っていっても、刺青なんですけど」
 青年の大きな目が苦しそうに歪む眉間によって細まった。明るすぎて星が浮かび上がらない地平線のずっと遠くを見つめている。
「左腿から下腹部辺りに大きな刺青入れられるんです。自ら志願したくせ、神楽常寺家に生涯を捧げられない半端者として。すごい痛くて、痒くて、熱くて…っていうのは友人の話なんですが」
「え?」
「知らなくても不思議はないと思います。神楽常寺様の付き添い人になれるような立場の人なら…でも一度辞めたんですよね」
 頬を撫でる生温い風。突き出すように反らせた前髪が小さく揺れる。
「何人かは身体壊すんです、それで。そういう人たち見ていても、それでも神楽常寺邸に入れば一財産築ける、なんて思って」
「私は一度辞めた時、そんな話されませんでした」
「並々ならない寵愛を受けていたんですね、きっと」
 青年が雪村に顔を向ける。ケーキ取りに行ってきます、と言って雪村の相槌も聞かぬままま大広間へ戻っていく。雪村の持つグラスの中のスパークリングワインによく似たゴールドに光る大広間へ小さな背中が消えていく。もしかしたら戻ってこないかも知れない。
 神楽常寺の掌に建てられた夜景を眺めながら、まだ空いていないグラスを回す。話は終わっただろうか。相手は決まっただろうか。温いアルコールを飲む。望むほどの酔いには至らない。オレンジや白、赤、少々の青や緑に小さく光る街並みを見渡す。今までは眺められる側だったはずだ。最後に花火でも上がるのだろうか。火薬の匂いが鼻を掠める。視界を白い靄が揺蕩たゆたい薄くなって消えていく。背後の大広間が騒がしくなり振り返れば大広間は白煙で見通しが悪くなっている。火事か、ドライアイスでの演出か。だが火薬の匂いがする。数秒の間思考が停止した。ここに何しにきたのかを順々に思い出していく。
「神楽常寺様!」
 壁に貼りついたように立ち並ぶ護衛や見覚えのある警備部が紛れていたはずだ。白煙の中に自ら飛び込めば、華美なドレスや上等なタキシードに身を包んだパーティーの参加者が倒れている。
「神楽常寺様?」
 誰かが保護しているだろう。燻る室内、倒れている人々。足場は悪い。何よりも先に、目に映る人々よりも先に神楽常寺と別れたテーブルを探す。倒れている人々を気に掛けるという発想すら浮かばなかった。
「神楽常寺様…」
 奥に進むほど濃くなる煙に目が沁み、呼吸がしづらくなっていく。神楽常寺に話し掛けていた女性たちも倒れている。テロリスト。ドッキリ企画。火事。可能性のある単語を捻りだす。けれどどれもしっくりこない。屈んで、倒れている女性の脈を測りながら周りを見渡す。目の前のテーブルに神楽常寺が着けていた腕時計がテーブルの上に置いてあった。だが神楽常寺の姿は見当たらない。趣味の悪い参加型イベントだろうか。神楽常寺ならやりかねない。
「ねぇ、お兄さん」
 雪村の肩に手が乗る。耳元でケーキを取りに大広間へ戻った青年の声がした。
「逃げようよ」
 耳のすぐ横に声の主の口があると確信した。
「君は、」
「ぼくにもいたよ、尊敬する上司」
 顔を見られない。横を向けば間近にあるのは分かっていながら。
「君がやったの?」
 噛み合わない会話。訊きたいことを捲し立てなければ、その前に逃げられてしまいそうで。脈を測って、正常だと判断すると雪村は着ていたジャケットを掛ける。黒い髪が姉と重なった。
「みんな寝てるだけ。安心して」
「どうしてこんなこと」
 青年の軽い溜息が聞こえた。青年が雪村から離れたのを感じると、雪村は青年の姿を捉える事が出来た。人懐こい笑みも素直な眉も緩んだ口元も、そこにはなかった。雪村を複雑に見下ろす目と顰められた眉、不機嫌そうな口元が代わりにそこにある。
「ぼくの本意じゃないよ、本当は」
 陽気だった彼の声が寂しく響く。
「神楽常寺様のお命を狙っている?」
「それは第一目的じゃない」
 青年が片腕を構えるように前へ出す。格闘技の型のように雪村には思えた。
「峡多郎!」
 廊下へ通じる重い扉が壊れても構わないとばかりに勢いよく開いた。神楽常寺の叫びと青年の舌打ちが聞こえる。
「神楽常寺様、御無事で―」
「ばいばい、お兄さん」
 目の前にいたはずの青年が姿を消し、真後ろに居るのだと気付いたと同時に項に衝撃が走る。視界が一瞬で暗くなった。


「調子はどうっスか」
 仮の私室の天井が見える。神楽常寺でも籠原でもない声。
「…柿沼くん」
 上体を起こす。夢をみていたのだ。柿沼の何事もなさそうな様子がそれをさらに強く実感させる。
「大変っしたね。パーティーでテロだなんて」
 困ったように柿沼がそう言った。
「…夢ではなかったんですね」
「うん…?大丈夫スか。眠剤撒かれてたみたいっスけど」
 柿沼に雰囲気や声質がよく似た青年のことを思い出す。どこからが夢でどこからが現実なのかが曖昧だ。
「神楽常寺様は無事っスから。そこは安心するスよ。ところで空腹ペコじゃないスか」
 自身の体温が残るシーツを握る。柿沼はベッドサイドチェストの上の紙袋を雪村の前に置いた。
「パン買ったんス。食べたらいいスよ。パーティーでは何か食べられたスか?」
 礼を言って紙袋を開ける。訊かれて思考は素早く働かなかった。あのパーティーで何が起こったのかを辿っていく。
「チョコレートケーキとスパークリングワインを…いただいたような」
「お、いいっスね。今度外出許可取って食いに行きましょ、スイーツパラダイス的なやつ」
 雪村のベッドの脇のパイプ椅子に柿沼は座って、両手を一度叩く。
「そう、だね」
「ちょっとショック強い感じスか」
 心配そうに覗きこむ柿沼の表情が曇ったのを感じる。雪村は首を振った。
「神楽常寺様は何をしていらっしゃる?」
「公務じゃないスか。キョータロさんのことすっげぇ心配してたっスけど」
 いつでも余裕綽々といった風な神楽常寺が切羽詰った声で名を呼んだ。あまり緊迫した状況なのだとは雪村自身は思わなかったけれど。
「目が覚めたら籠原サンに連絡入れなきゃなんスけど、呼んで大丈夫スか」
 以前柿沼に籠原が苦手だと話したことをどうやら覚えていたらしい。業務用の携帯電話を手にしながら柿沼は確認する。雪村は頷いた。
「何から何まで、ごめんね」
 目尻に濃い皺を寄せ、柿沼はとんでもないスよ、と言って業務用の携帯電話を操作する。馬のキャラクターの上に羊のキャラクターが乗った競馬を模したストラップが揺れる。どれくらいの時間、眠っていたのだろう。
「ぼくちんも基本ここの人たち得意じゃないスから」
 さらりとそう言って柿沼は二世代ほど前の携帯電話を制服にしまう。
「多分すぐ来ると思うっスけど緊張しないで」
「ありがとう。柿沼くん…本当に…」
 リスキーなことを柿沼は言っている。雪村の緊張を和らげさせるために。情けなさに柿沼の顔が見られなかった。
「なぁに言ってんスか」
 肩を柔らかく叩かれる。7つも下だが良い友人を持てたと思った。
「峡ちゃん!」
 近くで待ち構えていたのではないかというほど早い登場だった。扉を蹴破るつもりなのかノックもなしに籠原が部屋へ飛び込んでくる。じゃあね、と穏やかに柿沼が目を細め、籠原に何も言わずにすれ違って出ていった。
「大丈夫、ですか!」
 頭突きされる寸前まで詰め寄られ、雪村は身を引いた。
「よかった…峡ちゃん…目覚めて…」
 雪村に迫る体勢から籠原も身を引いて、立ち上がろうとしたようだが立ち眩みを起こしふらふらとしながら柿沼が座っていたパイプ椅子へと腰掛ける。
「半日くらいずっと寝てて、目が覚めなかったらどうしようかって…」
 浅黒い顔には分からないが近くで見ると隈が浮いている。赤みを帯びた目が優しく瞬いた。
「そんなところで悪いんですけど、犯人、見たんですよね…特徴とか覚えてますか」
 本人に自覚はないようだが、仕事用のきりっとした顔立ちへ瞬時に切り替わる。籠原自身の意思ではないのだろう。今の出で立ちの籠原とは長くはないが、これが事務的に頼まれたことなのだと雪村は察した。
「覚えていません」
 覚えている。白い肌。そばかす。桜色の薄い唇。通った鼻筋。ジェットモヒカンという天を向くように上げた前髪と刈り上げた側頭部、爽やかな額。異国の菓子を思わせる大きな瞳。美しい顔立ちをしていた。だが神楽常寺の好みではなさそうだ。
「…じゃあ、他に何か覚えてること…本当に何でもいいんです…すみません、こんなこと訊かなきゃならなくて…」
「…少しバルコニーで風に当たっていたことくらいしか、思い出せません」
 少し苦味の強いチョコレートケーキを食べたことも、スパークリングワインを飲んだことも、隣にいた無邪気を装った青年のことも、無かった。無かったことにした。
「峡ちゃ…」
「すみません。すぐに身支度を済ませて“業務”に戻りますので、今は1人にしてください」
「…分かりました」
 不満を残した態度ではあったが籠原は頷いた。退室していく背に視線を向けることもなく雪村はベッドから立ち上がった。
 寝間着のまま廊下に出る。邸内をそのまま歩くわけにもいかず、薔薇園に向かう最短ルートの神楽常寺邸のバルコニーへ出る。視界一面にあるはずの望んだ風景はそこにはなかった。方角を間違えただろうか、と一度立ち止まる。間違えていない。何か幻覚を見ている?雪村は駆け足でバルコニーから庭へ繋がる階段を降りていく。刈り取られた垣根。露わになった、横倒しになっている鳥籠を模した鉄柵のオブジェ。広範囲に渡り見通しのよくなった神楽常寺邸の庭。息を呑む。何故。どうして。何があった。疑問で胸がいっぱいになる。膝に力が入らず、地面へと崩れ落ちる。未馬が造った庭園が消えている。目の前にある光景が受け入れられない。
―――お前からキスしろ
 神楽常寺の言葉を思い出す。自分はどういった行動をした?両手を床につき、鼻が床につくほど頭を下げ、迫られた選択の通りに神楽常寺の足を舐めようとした。忠誠を誓えないという選択をした。その仕打ちがこの現状か。雪村は視界が滲んでいくのをじっと堪えた。


 お前嫌い!未馬が弟から預かったという少年は雪村を嫌がった。
 おいおい、オレの大切な執事くんに嫌いとか言うなって。傍で見ていた未馬が少年の額を弾く。贔屓だ!とまた少年は騒ぎ出す。籠原煌のようには上手くいかなかった。素直だが自信がなく引っ込み思案で静かな籠原煌とは反対に、活発だが意固地で勝気、雪村にはとにかく反抗的だった。
 ごめんな、ちょっとスレてんだわあいつ。未馬は難しい表情でどこかへ行ってしまった少年のことを話し出す。ろうぱちゅなんだわ、あいつの兄轢き殺したの。それで反抗してきた父親射殺したのもウチなんだわ。未馬の妙な兄の呼び方にも慣れてきた。
 それならどうして連れてきたのです。危険因子だ。未馬は雪村の言いたいことを理解したらしく、にへっと笑った。
 だからこそウチで引き取った。
 はい?。
 未馬の言う“ウチ”はどこを差すのか。雪村には分からない。
 とりあえずここにいれば食うには困らない。教育も受けられる。未馬はそう言った。
いちいち何人を、どこの誰を轢いたなんて覚えてないだろうな。だからオレ嫌なんだわ、車で外出んの。未馬は変装して市井に出ることが多かった。雪村もその変装に付き合い、外へ出たことがある。
 多分その辺に転がってる虫の死骸見てるのと変わらないんだろうぜ。危険因子だからこそ管理下に置く必要あるんだわ。そんなこと言ってたらキリないけど。何人が神楽常寺を恨んでんだかな。皮肉に笑って未馬はこの話は終わりとばかりに雪村の頭をくしゃりと撫でる。見上げた未馬の目は庭園を見つめていた。ただ芝生が広がっているだけの殺風景な庭。美しいと思った。夜は妖艶ながらも雄のカオをして雪村を貪る未馬が幼く映った。
 なんかボタニカルガーデンでも造るか。オレとお前とアイツと煌。家族4人でピクニックできるような。
 仲の悪そうな家族だと思った。だがそれが雪村には嬉しく思えた。



 空の色が変わっている。庭園を前に座り込み、着ている物には芝がところどころ付着している。戻らない記憶の中の光景が空をスクリーンにしていたのか鮮明に思い浮かべられた。
「サボりか」
 力なく振り向く。疲れを顔に出したままだった。神楽常寺が雪村を見下ろしている。胡散臭い癖と化した笑みもない。
「…」
 神楽常寺を一瞥するが立ち上がる気にも言葉を発する気にもなれない。どれだけ無礼を重ねているのにも頓着がない。
「峡多郎」
 表情はないが声音は優しい。
「随分と見通しが良くなってしまって…」
 目を閉じる。捨てなければならない思い出が多過ぎる。
「…晩飯までには戻ってこい」
 返事は出来なかった。神楽常寺が去っていく足音が聞こえる。

 柿沼くん、今、いいですか。人通りがほとんどない、行き止まりの壁に貼り付けられたような壁。柿沼の私室だ。空調によりよく冷えた空気が気持ち良い。
「なぁに」
 扉が開き、突然の訪問にもかかわらず柿沼は情けない笑みを浮かべて雪村を招き入れる。
「あの庭園、なくなってたんだね」
 包帯の合間から出された唇を尖らせて、そうスね、と少し冷めたトーンで返される。
「キョータロさんたちがパーティー行ってる間に業者の人来たんスよ。やめちくり~って言えたら良かったんスけど、ここ神楽常寺様ンだし」
 茶菓子を出しながら柿沼はそう言った。柿沼もあの庭園が無くなったことはショックなのかも知れない。
「柿沼くん」
 小皿の上に和紙が敷かれ、その上に大きめな芋が入った饅頭が置かれている。
「とりあえず間食っス。もうすぐ晩飯っスけど、こっちで食って行きます?カップ麺と冷食しかないんスけど」
 鬼饅頭を齧りながら柿沼は冷凍庫を確認してから積み上げられた即席カップ麺を漁る。
「ううん、大丈夫。これだけいただきます」
「そうスか?食って食って。これ好きでね、この前買ってきたんスよ。キョータロさんに次会ったら出そうと思って」
 忘れていた胃の不満を柿沼の前では取り戻す。神楽常寺の晩飯までには戻れという言い付けも破り、出された饅頭を食べる。
「キョータロさんさぁ」
 おそらく賞味期限を見ていたらしく、カップ麺の山を漁る手を止めて柿沼が雪村の対面に腰を下ろす。鬼饅頭を頬張る雪村に手を伸ばす。
「もしかして熱ない?なんか鼻声っぽいんスよね」
「ないと思いますけど…?」
「ちょっと計ってみるスね」
 散らかったデスクの3段ほどある抽斗ひきだしを順に乱雑に開けていく。あった、と小さく声がした。床に転がっているウェットティッシュを拾い上げ、体温計を拭いて雪村に渡す。受け取った雪村は黙って体温計を腋に挟んだ。
「どうするっスか?自室戻るか、医務室で看病付きか…それとも、ぼくちんとこ泊まる…?」
 この有様を見ろとばかりに腕を広げる。足の踏み場はあるが、生活用品や衣類が散乱している。
「…迷惑じゃなかったら、…片付け、しますから…」
「片付けは別にいいっスけど、この散らかり具合スよ」
「うん…大丈夫…」
 瞼が重い。対面の柿沼が大きく目と口を開いた姿がぼやけて傾く視界の中で見えた。遠くでピピピ、と高い音が聞こえる。一瞬真っ暗になったがすぐに色を取り戻す。せっせと部屋を片付け始めている柿沼がわずかな衣擦れの音にも気付いたらしく屈んだ体勢のまま振り向いた。
「あれ…」
 床に寝たまま、薄い掛け布に包まれている。
「そのまま寝ちゃっていいスよ。微熱だったスけど、油断は禁物っス」
穏やかな笑みを浮かべる柿沼は、雪村の中の胸を擽る人物に似ていた。
「俺、寝てた…?」
「10分くらいっスかね。今ベッド片付けるんでそれまでちょっと肩とか痛いかもっスけど」
 向けられる背中も、どこか重なる。喉が震え、眉に力が入った。抑えなければならないと思っていた熱くなる眼球から冷たさが落ちる。柿沼は雪村をもう振り向かず、暫くの沈黙の後、ベッドを片付け終わったらしい柿沼が雪村の身体を支えて起こす。ベッドに上がり、横になると柿沼が布団を掛けた。
「食欲なくても何か食べた方がいいスよ。残したらぼくちん食べるし。うどんとかそばとか…何がいいスか。それ以外でもいいスけど」
 肩を掛布団の上から優しく叩かれる。
「柿沼くんの…食べたいやつ…」
 肩に置かれたままの柿沼の手に手を重ねる。顔を見ることは出来なかった。触れた瞬間柿沼の手は引っ込められた。
「んじゃうどんね。ネギいっぱい入れてもらお」
 温もりが離れていく。行かないで。気を緩めれば、言ってしまいそうだった。
「柿沼く…未馬様…」
 


 雪村!一緒に寝てやる!布団の中になかなか懐かない少年が入ってくる。反対側のベッドには籠原煌が静かに寝息を立てていた。未馬は時折私室の片隅に作った和室で4人で寝たがった。わざわざ買ったという煎餅布団を敷く手間も惜しまず。もぞもぞと動きながら未馬は籠原煌の腹に脚を振りおろし、苦しそうな小さい呻き声が聞こえる。消灯前に未馬がホラー映画を2人に観せていた。未馬は弟といるよりも籠原煌やこの少年といた方が楽しいようだった。実の兄弟とはいえ、いずれは権力を巡って本人たちが意図せず争うことにはなるというのは雪村は歴史の本で何度か読んだことがある。
 トイレ行くだろ、雪村!ぺしぺしと柔らかい手が雪村の顔を叩く。私は行かないです、と答えると、あたいが行くの!と凄まれる。少年はすでに目を擦りながら雪村を待っている。籠原煌の腹に乗った未馬の足を元の体勢に戻すと少年をトイレへと連れて行く。
野兎様?
 トイレへ向かう途中に、寝間着姿の未馬の弟が廊下を歩いていた。少年を制して足を止め、頭を深く下げる。深夜だ。何をしているのだろう。トイレなら、私室の近くに専用トイレがあるはずだ。
 どうなされました?
 周りに誰もいない。誰も付けずに歩いているらしかった。未馬の弟は雪村と少年を一瞥して去っていく。
 ―、ここにいて。漏らしそうなら先にトイレ行ってなさい。
 廊下は明るい。夜勤の者たちも多く行き来するためだろう。少年は不服な顔をしたが雪村は未馬の弟を追った。

身体が浮いている。熱のせいだろうかと思いながら心地良い揺れに意識は泥沼のような眠気に抗えない。
「峡ちゃん…」
 上から降ってきた言葉に脳が覚醒する。雪村をそう呼ぶ者は1人しか知らない。そして甘えた低い声。目を開き、見上げれば籠原が顔を覗き込む。横抱きにされているのだと膝裏と背の感触で気付いた。
「下ろ、して!下ろしてください!」 
 鮮明になっていく記憶と視界と聴覚。身体を捩り、籠原の胸を押す。
「峡ちゃ、あ、暴れないでください!」
 雪村を落とさないようにとさらに強く抱き締められる。
「歩けますから、自分で…」
 籠原は背が高く筋肉質だが、長身だが華奢な雪村の体重も平均以上はある。顔色ひとつ変えず籠原は雪村を抱えていた。昔は、雪村がまだ平均身長にも満たなかった小さい籠原を抱き上げたものだった。
「峡ちゃん、あの人にはもう近付かないほうがいいと思うんです」
 籠原の匂いがする。籠原の差す“あの人”がどの人なのか瞬時に判断は出来なかった。神楽常寺のこと以外に思い浮かばない。だが神楽常寺なわけはないだろう。
「多分お互いにとってよくないです、きっと」
 神楽常寺のことなら、確かにその通りだ。浮いた頭の中でそう判断し、小さく頷いた。
「帰りますよ、おれたちのところに」
「ここに帰るところなんてないです」
 ぼろり、ぼろりと瞳から雫が落ちていく。籠原に見られたくなかった。目元を手で覆う。
「で、でも、でもでも、」
 外観に似合わない自信のなさと狼狽えた声。
「少なくとも、もう、あそこじゃないです、峡ちゃんの帰るところ…」
 籠原の靴の音がやたらと大きく響いた。
「あなたの元でもない…」
「おれは懐かしくないんですか」
 要らないことを喋ったと雪村は後悔した。籠原の問いともいえない問いに応えられない。


「命令無視は大草原だぞ峡多郎」
 籠原にベッドの上へ下ろされる。ガラス細工を扱うかのように繊細な仕草で。神楽常寺の陰が横たわる雪村に重なった。痛みはないが締め付けられるような感覚が頭部を支配する。どこか現実味のないふわふわとした視界と触覚。
「峡多郎…」
「のんさん、峡ちゃんは、ちょっと具合悪くて…その…」 
 籠原の焦った顔と神楽常寺がベッドに乗り上げ軋む音。
「のんさん…」
「煌」
 虚ろな視界の中で神楽常寺の小さな身があくまで優しく籠原を呼び、大きな図体にキスをしようと背伸びする。
「のんさん、のんさん」
「ダメ、煌」
 啄むキスを数度繰り返してから籠原の唇に人差し指を立てる。
「いや、いや…」
 籠原が首を緩く振る。水を浴びた犬を彷彿させた。
「傷付けない。大切にする。大丈夫だ」
 ぼんやりとして、神楽常寺と籠原が向かい合っている。
「のん、さん」
 神楽常寺の下唇を甘く食んで、籠原は雪村を切なそうに見つめながら退室した。
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俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

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