18禁BL/ML短編集

チョコミントリバーブ 全6P/女性キャラあり/一人称視点×3/モブ姦/ふたなり/男性妊娠/オメバ？

チョコミントリバーブ 5

-ながめせしまに-
　彼の寝顔の頬を、悪いと思いながら突くのが好きだった。散歩中の犬を眺めるのが好きだった。猫も好き。うさぎも好きだし、ハムスターも。どこか行こうよと誘われたまま、どこに行こうか決めかねていたから、動物園とか牧場って言ってみようかな。水族館もいいな。でもナルにはつまらないかな、ああいう静かで暗くて落ち着いたところは。
「ミヨちゃん」
　意外と長い睫毛が薄く開いて、わたしを確認するとふにゃりと笑った。
「おやすみ」
　パサついた髪を撫でてみる。指の間に通る毛束は柔らかいのに、手の甲に当たる感触は少し硬めで、それも気持ち良い。撫でているつもりが撫でられているみたいだった。
「ミヨちゃん」
「寝なさいよ」
　頬を突いたり、髪を撫でたり、寝かさないのはわたしだ。
「オレみたいなの選んでくれて…ありがとネ」
「…ナルだって」
　照れながら笑うから、もう寝かせる気なんてなくて、ナルの上に腕を乗せた。よく分からないけど、胸に空いた穴を埋めるみたいな。


「いつまで寝ているつもりだ」
　冷めた声で目が覚める。我が物顔であの男がリビングにいた。掃除機をかけ室内をうろついている。家族と一緒にいてあげたらいいのに、この男は日を置かずすぐに家にやって来た。
「いつまでも寝ていたい」
　この男なりの気遣いなのか、会話が増えた。きっと違う。パパと本格的に番う気なんだ。わたしたちが目指したみたいに。
「大して好いてもいなかったくせにな」
　この男は、ナルのことなど本当にどうでもいいみたいだった。
「前の父親が来たらしいな。もう会うな」
　わたしが睨み上げたことに、この男は気を良くしたみたいだった。
「これからは俺がお前の継父ちちおやだからな。そのつもりでいろ。守れないなら…実もとの父親のところに行け。重之さんの実家でもいい。そう遠くないらしいじゃないか」
　掃除機の音で聞こえなければよかったのに。
「俺とお前の関係が、重之さんを追い詰める。あの人もまだ若いんだ。人の親でも独り身なら、色恋沙汰に勤いそしむ権利があると思わないか？」
「…考えておく」
　お父さんと暮らせるのなら、そうしていた。はじめから。この男がいうほど容易く進む話じゃない。
「俺やお前みたいなのは一緒に居るべきじゃない」
　掃除機の唸るモーター音はいつもうるさいくせに今日は空気を読んだみたいだった。正直、パパはわたしを選ぶとは思っている。でも一時的だ。きっとわたしを選んだ体ていで、この男も選ぶと思う。選んでいない体ていで。だってパパの中にわたしがいられるのは目の前にいる時と、罪悪感に囚われた間ばかりで、多分、欲を満たす相手が現れてしまったらその瞬間、事が終わるまでわたしはパパの中から排除される。色んな人と交わって、いっぱい産む。多分そういう欲求とか本能とか無意識とか体質の人。悲しいけど。寂しいけど。ナルだって或いは。どうしてわたしだけに留まっていられたのだろう。目の前でトラックに持っていかれたナルの姿を思い出して、吐き気がした。掃除機が止まる。わたしを侮る目がわたしを見下ろす。
「重之さんの幸せを考えろ。あの人は人の親で収まれない。親想いのお前なら、分かるよな。俺とお前は仲良しこよしで共存出来ない。それも、分かるよな」
　返事も聞かず、また掃除機は轟音を上げる。わたしは自室に戻った。枕を抱く。まだそこにナルの香りが残っているような気がした。頭の中で何度もナルはトラックに轢かれる。頭の悪い、間の抜けた人。わたしとのデートに頭がいっぱいで、周りのことも忘れて。わたしが殺した？わたしがナルと付き合わなければ。彼を浮かれさせなければ。パパみたいに、1人を決めなければ？答えが輪郭を持ち始める。お父さんにはもうパパに巻き込まれたんだから。選ばないほうがいい。パパみたいに。
　パパとは生活習慣をずらして、そうすれば夜にはあの男が寝に帰る。パパはあの男に出迎えられて、あの男と夕食を摂って、あの男と風呂に入って。パパから渡されたお父さんからの仕送りで買う化学食品はやっぱり美味しいな、と思う。料理下手なパパより、作る手間を考慮するより。商店街の手作りお弁当が買えた日は少しの贅沢感に包まれた。パパはもう頼れない。他人の家の玉子焼きの味が好きだった。パパはもうあの男と暮らす。他人の家の煮物の味は美味しかった。お父さんには頼れない。あの男が帰るまでわたしは自室に籠って何度も何度もナルを轢く。結局ここに戻ってきても、何度も何度もあの日を繰り返してナルはトラックに轢かれて、アスファルトに血溜まりを作ってわたしを染める。ナルから流れ出たものを、わたしは嫌悪して、身震いして、みっともなく泣き喚いて。思い出しては昇華もできずに疲弊した。まだ花束も置きに行けていない。ナルは死んだ。わたしの腕の中で息を引き取って、目覚めやしなかった。頭では分かってる。でもまだ、すべてあの子が口する「サプライズ」で、本当は今にもドアを叩いてやって来るんじゃないかって、あり得ないことを思っては、考えるだけ。
　誰かがドアをノックする。ナルなわけはない。パパしかいない。ナルじゃないなら。パパはわたしに出て行けなんて言わない。言うはずがない。言えるわけがない。天原さんと…お父さんと一緒になれなんて、言うはずが。


-ふりさけみれば-
　家の裏にある倉庫に連れ込んで、オフシーズンの衣類のケースの上に欲に燃えている重之を座らせる。もう膨らんでいた。僕を目にした時から？いつから。まさか僕に会う前？威嚇するみたいにそこを掴んだ。
「ぁ！うぅ…」
　揉み解しながら硬さを確かめる。僕が昔、散々触って、散々舐めた。味も覚えている。大きさも、形も。前を寛げて、懐かしいそこに会う。
「み、かさ…きた…な、い…」
　顔を埋めれば、重之は止めるけど手は裏腹に僕の口内を求めている。小さく腰を突き上げて、僕の舌に先端を擦ろうとしていた。快感に弱いことはよく知っている。当時なら嬉しさはあった。けれど今ならもう不本意なほどにそれが僕だけのものではないことを知っていた。埃っぽい倉庫に僕の唾液の音がする。喉奥を重之の芯を持ったそこが出入りして下品な音だった。
「みか、さ…、みかさ、ァッ…相手が、いるの…か？すご…」
　喉奥を締め上げる。塩はゆさと苦味が濃くなって広がった。リズムよく小気味良い僕のディープスロートが低めに響く。
「あっ、あ、みかさ…出る…離して、みかさ…！」
　僕の後頭部を離そうとしてむしろ押さえ付けている。久し振りに開かれた喉に生理的な涙が浮かび、吐き気を催した。歯を立てそうになりながら重之のそこから頭を離す。
「ほら、おしりこっちに向けて」
　完全に勃ち上がったペニスが揺れ、目の前で重之の臀部が晒される。縦に割れたそこは僕以外の人を何人も何十人も受け入れたはずなのにまだ初々しい薄ピンク色をしていた。昨日もこなしたのか、少し盛り上がってかぶれている。慣らしが足らないんじゃないだろうか。指を適当に舐めて、そこに触れた。
「みかさ…！ぁ、ひっ」
　押し返される。緩まないみたいだ。悲しくなる。重之から離れてからの月日は短くない。その間のこと、それはもう僕の口を出すことではないけれど、それでも少なくないはずだ。まだ僕の口を出せた時期のことを鑑みれば。
「みかさ、みかさ…、も、いい…からあっあっ、」
　重之は、あまり焦れたセックスが好きではないみたいだった。前もそう。感じやすいくせに。僕がねちっこいのかなとも思ったから要求を呑む。下手なのかも知れない。自分のセックスが上手い…っていう自覚はどこで得られるものなのだろう。僕のセックスが下手だったから、重之は…？
「きちんと慣らさないと…」
　相手にバレるだろうに。どうせこれから盛り上がるくせに…でも相手、弟を亡くしたばかりならそう頻繁にここにも来ないだろう。未世は気の毒だけれど、僕にとっては他人でしかないから。若い子が事故で死んでいるのに、未世がこの土地に根差さずに済むことに本音は、安心している。
　指をゆっくり抜き差しして、重之は自分から指を呑んで好きなところに当てた。指先に届けられる場所を爪を立てないように掻いた。重之の背筋が弓なりに曲がる。
「んぁ、もぉ…みかさのほし、い…」
　甘く鳴く。僕はその声に上手く誘われて、多分掌で踊っている。僕の中指だけでもう満足してしまいそうだった。
「きちんとさ、慣らしたほうがいいよ。身体の筋肉にガタが来た時、大変じゃない？」
　まだ僕ら、若いけど。それに今の恋人、若いでしょ。でもその頃、重之の隣にいるのは誰なのだろう、誰かいるのかと分からないけれど。未世は介護をしてくれるのかな。その頃もまだ未世はここにいるのかな。情事中にする話じゃないし、情事中に考えることじゃないな。
「で、も早くイき、た…ぃ、」
　僕の指で腰を振る。もう僕が気を遣う筋合いなんてないのかな。
「分かった」
　獣みたいに。指を抜いてひくつくそこにペニスを突き立てる。そこは毎夜重之を想って慰めるだけで、もう相手を求めようとも指示を出さない。吹っ切れてしまえばいいくせに。まだ好きだからたちが悪い。それで当の本人は、あの人この人と誘って、相手を選ばないんだから。
「は…っぁうぅぅ！」
　背後から両腕を組んで密着する。重之の腸内なかはうねって、喰い千切るみたいだった。最初はゆっくりと動かして馴染ませたが、段々スピードを速めていく。重之の小さなお尻が跳ねて、僕の腰に当たるたび、拍手みたいに倉庫に響いた。
「あっんぁ、 ！みかさ、みかさぁ！」
　切なく呼ぶから卑怯だと思う。まだ家族でいた頃と変わらない調子で。僕はまだ重之のこと忘れられないのに。不条理だ。僕だって踏み出したい。未世は重之と生きていって、重之は他の人と生きていく。そんなふうに割り切れたら。それで僕は、でも僕は。
「激し…みか…、なんか、いつもよ、り感じる…っんぁ、ァあ、イく、」
　冷静じゃないみたいだ。僕を傷付ける天才だと思う。僕を妬かせるプロだと思う。いつもっていつのこと？誰と比べるているの？過去の僕？それと直近の相手？僕は意地悪く動きを止めた。惜しむみたいに重之は僕を何度か食い締める。腹と胸を撫で回す。落ち着く匂いがする。僕の求めていたもの。僕が手に入れて留めておきたかったもの。でも捕まえてしまったのがたまたま僕だった。
「重之、もう？あと少しだけ、頑張って」
　いつかは、いつかどころじゃない、時間単位でいずれ終わりが来てしまう。ズルイと思った。僕の中に居座り続けて、未世も傍にいるくせに、まだ飽き足らない。酷い人だ。それでも恨めない。折り合えない想いなら、僕は僕の意思を無視しないと、重之を困らせるし未世を巻き込むから。
　体勢を変えて重之好みに貪った。僕は重之にとって、「その他」でよかった。名前なんて要らなかった。たまたま未世を身籠もらせただけの種馬だった。それはいい。どうにか誤魔化すことにする。でも未世は僕の大事な娘だから。
「なかは、ダ…メ、ぁっ」
　僕の息遣いと動きで限界が伝わってしまう。さすがだと思う。浅いところで揺さぶってはいるけれど、最奥で射精したかった。
「分かっ、てる…っ」
　快感が頭を真白くする。重之の体内から出て、形のいいお尻の上に出す。抜けた時の感触で重之も身体を震えさせる。気持ち良いのは下半身ばかりで、気持ちは晴れない。この不均衡は危険で、下半身が気持ちいいだけに心まで満たそうと欲が出て、もっともっとと重之を求めてしまう。
「…帰って。それでもう、未世には、」
「もう会わないよ。捨てた娘だからね。出るところ出られたら困るし…心配かけて悪かった」
　重之を置いて倉庫を出る。ここへは来ても来ても、磨り減るだけ。未世に会うのは喜ばしいことだけれど、その帰りは空しいもので。アスファルトが流れていくのを見つめて、目の前で止まった人影に顔を上げる。表情のないカッコいい男の子。重之の恋人。未世の死んだカレシの兄。何も言う気にはなれなかった。挨拶をする気も。笑顔を繕う気も。相手方も表情筋無いのかなってくらいに無表情で僕を見て、何も言わずにすれ違う。他人の家の匂いが遅れて鼻に届く。どこに行く？この方向ならコンビニなんてない。右に曲がって商店街に行けるけれど。友人の家にでも遊びに行くのだろうか。まだ弟が亡くなって1週間も経っていないのに。そんないつまでも辛気臭くはやっていられないか。日常を取り戻していかないと。未世も、僕も。



-こひぞつもりて-
　重之さんはもう家にいた。潤んだ瞳と少し皺の寄ったシャツ、それからなんとなく漂った香り、雰囲気とかが、さっき鉢合わせたばかりの元旦那の疲れた感じと合致した。困る。重之さんも何か負い目があるみたいで俺と目を合わせない。あの元旦那が入り浸るならこうなるかも知れないとは思っていた。問題はそこではなく。
「重之さん」
　傷付けず、責めることもなく、どう本題に入ろうか。俺は元旦那みたいなヘマはしない。この人の性分も理解せずに出て行った負犬にみたいには。そわそわしている重之さんの肩を抱いてリビングのソファーに座らせた。
「調子はどうですか。今週は色々ありましたから…」
「悪く…ないよ。体温もそんな差、出てないし、3食毎日食べてる…」
　強張った身体はいつもと変わらない。だが解されたことだろうな。
「今日はどうですか。今からでも」
「…今日は、」
　暫く重之さんとは肌を合わせていない。あの娘への誓いがこの人に禁欲を守らせている。高尚なことだ。重之さんはもうワンラウンド決めているしな。無理強いはしない。負担がかかるのは重之さんのほうだから。
「そうですか。俺は待ちますよ。いつでも誘ってくださいね」
　まだ欲求の満たし切れていないみたいだが重之さんは我慢するらしい。俺は気付かないふりをして両頬にキスしてから家のことに取り掛かる。あの娘は2階に閉じこもりきりきだった。本当に好いていたのか、あの無能な愚弟を。あの女なら態々わざわざ選ぶ必要もないような相手だ。両親は可哀想だ。だが俺には、いちいち振り返っていられるほどの思い出がない。今になって、弟などいただろうかと疑いまで浮かぶ。あの女は何を失って、閉じこもっている？やはり弟はいた。実在していた。俺の夢でも幻でもなく、イマジナリーフレンドでもなく、影でもなかった。
「陽ハルくん…大丈夫かい？」
　この家の掃除機が好きだった。ローラーの滑らかさが楽しい。無心になれた。趣味の悪い恐竜の玩具だの、子供っぽいカーテンもない。ガラスにベタベタ貼り付けられたシーズンのジェルシール。俺が昔置いてきた影みたいな、成長しない部分なのかも。
「陽(ハル)くん？」
「…は、はい？」
　心配の眼差しを向けられ、重之さんは座れとばかりに自分の隣を叩いた。掃除機を置いて呼ばれた通りに腰を下ろす。
「気を張ってないかい。少し休んだら…」
　膝を差し出されたため言葉に甘えた。横になると眠気が襲う。家の重苦しい空気は心身ともに休まらなかった。家事なんてしている余裕は母さんにはなくて、父にもだった。だから俺がやるしかなかったが、それでもそろそろあの人たちも立ち直ってもらわないとと思う。もう大事な息子とは、葬式というひとつの区切りをつけたはずなのだから。
「寝てしまいますよ」
「うん。疲れているだろ、そのほうがいい。何か枕の代わりになるものが要る？さすがにボクの膝じゃ硬いだろうし」
「いいえ。こんな贅沢なことはありません」
　どさくさに紛れ、重之さんの腹を撫でた。俺の精を受け止める場所。くすぐったいよ、と重之さんは微笑んで俺の髪を撫でる。気を遣うだろうな。弟、しかも双子を亡くしたら。重之さんがドン引きしてもおかしくないくらいこれといって俺は大した喪失感だの悲しみだのはなかった。分離した俺がひとつになったような、不思議な感じがあるだけで。体勢を変えて仰いだ重之さんは、申し訳なさそうで、同時に俺を哀れんでいるみたいだった。俺なら不貞、許すのに。重之さんの腹に宿るのが俺の子じゃなくたって、重之さんの子なら。だから俺はあの女と暮らせる。俺の無意識が衝動的な怒りや焦燥、嫌悪を許容してしまっても。重之さんがそんな表情カオする必要はない。
「楽しみですよ、俺。3人で暮らすの」
　俺と重之さんと…。
「そうだね。ボクもだよ」
　哀れみばかりの目を向けられる。嫌ではない。弟の死を利用して…やっとあの弟に、価値が出たみたいだった。あの弟は俺にばかり無償で価値を見出して消費した。無邪気に、無自覚に、当然に。仕方がないことだった。俺にはそれだけの能があって、弟にはなかった。片割れのくせに。いつでも親戚に嗤われる。俺が弟の才能イイトコロを全部奪っちまったのだと。そうかも知れない。俺が、弟をただ笑っていれば人を集めて満足するような空っぽの能無しにしてしまったのだろう。眠りに落ちていく。重之さんの腹に頭を当て、この家の匂いに溶けていく。
「今夜…やりませんから、一緒に居てもいいですか」
　おそらく重之さんが頷いてしまえば、口ではやらないと言っても流されて、俺は抱いてしまうだろうし重之さんも誘うみたいな態度取る。本当に下心はない。もう少し重之さんと2人で過ごすのも悪くないとは思ってはいるが、それでも重之さんに妊娠しやすい身体作りをしてもらっている以上は俺も出来るだけ励みたい。
「いい…けど、君の親御さんは心配するだろうに」
　俺はふと、ある霊感に打たれたような気がした。思案しながら重之さんから目が離せなくなる。既成事実を作ってから、と思っていた。弟の恋人つがいならば同年代だからとにかく、重之さんはその父親で、俺の父よりは若いが俺とは歳も離れている。いい顔はされないだろう。俺に対してはもちろん、重之さんに対しても。
「そろそろ、紹介しようかと思っていたんです。どうですか。家族にも、もう気持ちを切り替えて欲しいと思っていましたし」
　重之さんは魅力的な目を見開いて固まった。まだ覚悟が決まっていないみたいだ。俺を弄んでいたわけではないだろうに。誓いとばかりに禁欲していたはず。今日破ってしまったとしても。俺はそれを責めないし、気付かないふりをする。元旦那が許せなかったこと、俺は許す。元旦那は許せなかったくせに、他人になったら平気で許せなかったことをさせる。俺は許す。すべて。許した分の嫉妬も不快感も不安も背負う。
「まだ、未世ちゃんに…きちんとは話せてないんだ」
「そういうことなら俺から話しておきました。まだ照れ臭いみたいです。同級生が継父ちちおやになるんですから、無理もありませんね」
　重之さんの目が泳ぐ。生活が変わる不安、か。政治的なことには大した興味はないが、生活でいえばどいつもこいつも保守的だ。だからずっと傍にいた無能弟を選んだ。淫蕩に耽るしかない父親の元を脱せない。死んだ番いに現うつつを抜かす。
「ごめんね。未世ちゃんを…手放せなくて」
「構いませんよ。親子なら仕方ありません。そういう親のほうが俺も助かります」
　俺の子が産まれたら、あの女のことなどきっと忘れる。俺との子か、俺か。重之さんの中であの女は二の次、三の次になる。あの女は縄張りに負ける。無能を番いに選んだために。
「陽(はる)くん…本当に、ボクみたいなおじさんで…本当にいいの？君はまだ若いんだし…」
　俺は答えずに起き上がった。重之さんは戸惑っていた。俺を好きか否かなどは関係なく、不安があるのだろうと思う。言葉にしてどうこうできる問題でもない。重之さんを抱き締める。よく知った感触だった。



-ながめせしまに-
　パパが身籠った。継父ちちがそう教えてくれた。それからここに住むことになると。居場所がなくなるのだと感じた。継父が勧めたとおりにするべきか迷っていた。荷物はある程度まとめてはあるけど、行く場所はない。お父さんに連絡をしようとして結局躊躇う。今更大きくなった娘が厄介になるのはいくらなんでも迷惑過ぎる。この家にいたらどうなる？わたしの同胞きょうだいが育ったら。パパの中からわたしが消える。血の繋がりなんてどうにもならない。
　部屋の扉がノックされる。音で分かる。継父だ。わたしの返答など聞かないで、扉が開いた。ナルによく似た、まったく違う服装と髪型と雰囲気で、反吐が出そうになる。
「そろそろ答えを聞きたい」
　パパを奪った冷たい人。でもパパは多分この人に留まれない気がする。わたしは簡素にまとめた荷物の前で、姿を見るのも嫌になった。
「出ていかない。お父さんに迷惑かけられないから」
　わたしの声は震えていたし、引き攣っていた。
「それならもう少し気を遣ってくれないか。重之さんも心配しているだろう」
　この"気を遣う"っていうのは結局のところ共存しろという意味でパパの前でこの男と仲睦まじくやれている、打ち解けている様を自然に装えという話だった。パパのいる時は出来るだけ下の階で雑談に花を咲かせて、3人で朝晩の食事を摂れという話で、貫き通すならパパが見ている間は2人で登校し帰宅しろ…不仲など一切匂わせるなというこの男にとってもある種の罰だった。それでもパパのために折れるつもりでいる。
「2人の仲を邪魔することに気が引けるだけ」
　舌打ちが聞こえる。そろそろ新しい言い訳を考えなければならない。この男といたら気が休まらない。
「そろそろ慣れろ。出て行かないというのならな」
「勘違いしないで。ここはわたしの家でもあるんだから」
　ナルに似た顔が唇を引き結んで顰め面でわたしを見下ろす。ナルじゃないナルの亡霊。利用しようとしていた罰みたいだ。そう考えるなら、出来るのかな。
「だが俺の家にもなる」
　ナルへの償いかも知れない。目の前で轢かれる様を見ていることしか出来なかった。視界が真っ赤になって、話せる状態じゃないナルの喉から呼吸が漏れて、声が抜けていって。まだ鼓膜に遺っている。
「…分かった」
　ナルの亡霊からの頼みなら、仕方がない。それでもこの男の勝ち誇った顔をしているんじゃないかという疑いにわたしはナルへ面と向かえなかった。嫌味のひとつふたつ言われるものかと思っていたけど、何も返さずにナルに似た、少しだけ筋肉の付き方の違うシルエットが出ていった。廊下でパパと鉢合わせしたみたいで、話し声が聞こえた。妊娠したパパの身体を労わる声と、わたしと継父の仲を案じる声。お父さんには頼れない。
『今は、1人にしてあげましょうよ』
『でも、ちゃんとごはんも食べてない…』
　パパの優しさが時につらくなる。どうしてお父さんを棄てたのって。棄てられた側は柿本家こっちみたいになってるけど、そうなっちゃったのはパパが他の人たちを誑かしたからで。でも恨みつらみなんて言っても仕方がない。パパは家庭を待てるタイプの人間じゃなかった。産み捨ててどこへでも行ける自由の中に生きるべき人だった。わたしが受精卵になってしまったばかりに。産まれることを承諾してしまったばかりに。わたしを孕んだりしなければお父さんはパパに振り回されずに済んだのだと思う。もっと家庭を顧みてくれる人と添い遂げられたかも知れない。パパへの恨みと恨めない思い出が綯ない交まぜになって訳が分からなくなる。悪態を吐いて殴って困らせて泣かせたいっていう単純な話じゃない。パパとは一緒に居たいけど、同時に怒りが湧いて、お父さんはそうできないっていう申し訳なさも湧く。3人で暮らしていたことをわたしはまだやっぱり覚えていて、玄関を出て日光に攫われていった笑顔は忘れられないでいる。
『未世ちゃん、ごはんはテーブルの上に置いておくから、ちゃんと食べるんだ』
　ドア越しにパパは言った。多分近くにあの男がいる。まだ大して身重という感じではないけど、大切なんだろう。パパは本当にあの男1人に決めてくれる？これで最期にしてくれる？ナルへ一生尽くさせてくれる？この継父を裏切らない？ナルに恥じないでいてくれる？そうするならわたしは継父として受け入れるしかない。パパの幸せとして。ナルの亡霊への償いとして。割り切れる。ナルに対する不義の不安に雁字搦めになれたら。
「分かった、パパ。少し話があるの。今、いい…？」
『ごめんね、陽はるくんに呼ばれてるから。その後で』
　過保護なほどに継父はパパの面倒を看てくれる。腹の子に何かあったら困るから、と。そう言っているのを聞いていた。だからどうしたってパパは気を遣う。2人のことだからわたしもそのことに口を出さない。継父がわたしにパパへの協力を強いてくるのも時間の問題だ。2人で決めた妊娠コトだから2人でどうにかしてほしいなんて願い入れは多分聞き入れられない。わたしの意地モラルからしても。
「分かった…じゃあ、またあとで…」
　何を話そうとしたかももう忘れた。パパが申し訳なさそうに何か言って、わたしも大した話じゃないからと言って、わたしの決心は揺らいで、でもお父さんには頼りたくないという言葉ばかりが頭にあって端末スマホをじっと見つめていた。