18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」

結局は俗物( ◠‿◠ )

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雨と無知と蜜と罰と 弟双子/気紛れ弟/クール弟

雨と無知と蜜と罰と 38

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 腹の中に生天目なばための精を受けた。猛烈な悦びに身悶える。互いの温気うんきで茹だりそうであるのに暗い夜が心地良く冷やす。
 2人はホテルにいた。下されたブラインドの奥にはビルや店の光が照っている。階数はそう高くない。
「久城さん……」
 ぎしりとベッドが鳴く。急かすような動きではないが加霞かすみはシーツを握って腋を晒す。腕の内側に生天目は頬擦りした。猫みたいだった。
「今、だめ………もうちょっと………」
 果てた直後である。指を遊ばれ、そして遊んだ。関節で弛む指や骨の凹凸を撫でるのが好きだ。乾いて白ずんだ爪を触るのが。指先を握ったり、曲げて伸ばすのも。
 彼との性生活は、次々と込み上がる欲望に体力がついていけない。それでいて一ラウンドは激しく、二ラウンドは緩やかに、3ラウンドに入るときつく絡まり合い談笑しながら睦んだ。
「平気そうなら久城さんから動いてください」
 生天目は悪戯っぽく笑う。時々、加霞が騎手の如くこの男に跨がることがある。決まって4回することになった。それでいて加霞は緩やかに動くが、終いには生天目の顔や声や手付きに堪らなくなって搾り取ってしまう。或いは生天目のほうが女の婀娜な姿と嬌声、濡れた奥肌に辛抱できず結局ベッドを拷問することになる。


 2人で夜の街を歩いた。風が生温かい。飯を買いにコンビニエンスストアに向かうところだった。大きな川に架かる橋の上で加霞が立ち止まった。縮緬皺というほど細かくはない波に光が反射している。大量の魚が苦しんで跳ねているようにも見えれば、どす黒い龍の鱗がさんざめいているようにも見える。
「久城さん……?さすがに疲れてしまいましたか。ここで待っていていただければ、買ってきます。待てますか、ここで……」
 心配の色が滲んでいる。彼の信用に足らないことをした。否、彼は信用信頼などと丸投げせず責任を全うしようとしているのかも知れない。彼女が滾々こんこんとしている墨汁に身投げする可能性は否めない。内包する事情によって、そういう思い付きをしないとは言えない。
「行きます、大丈夫ですよ。っていうか車も出してもらったのでわたしが払います。生天目先生、遠慮なく好きなもの買ってください……って言っても、コンビニのお弁当なんですけれど……」
「コンビニ弁当も侮れないですよ。そういうことならお言葉に甘えて。袋チキン買っていいですか。ピリ辛マヨネーズ味が新発売らしくて」
「どうぞ」
 手を引かれ橋を通り過ぎる。彼女の目はまだ深浅しんせんも分かりかねる水面に引き寄せられていた。
 買い物袋とアイスを持って2人は店から出てきた。足は橋に向く。生温い夜風が毛を撫でていく。
「月が綺麗ですね」
「出てますか、月」
「出ていると、困ります」
「困りません、別に。月なんて、思い描ける」
 アイスは人工的なブドウの味がする。
「生天目先生は国語の担任でしたっけ?」
「いいえ、数学です。数学と、理科」
 生天目はペールブルーのアイスを齧っていた。
「いやだな、久城さん。数学教師も元は生徒ですからね。それくらいのことは知っています。数学一辺倒なら数学者になってますよ」
「小さな頃、何になりたかったんですか」
「医者ですね。内科医。どうしたんですか、急に」
「ああ……いいえ。急に予定を変えての教育学部と言ってらしたのをふと思い出したんです」
 生天目はふいと外方を向いた。季節の変わる匂いがする。
「生天目先生」
「教師であることに負い目があります。もともと負い目を抱えて教師になったのだから、順番が逆ですね。気付きたくなかったな。いつの間にか仕事に没頭して、教師の素養がなかったことに意外と落ち込んだりして」
「仕事、上手くいってないんですか」
「いいえ。順風満帆ですよ。だから……浮き彫りになる。自分のおかしさが」
 彼はアイスを食んだ。失敗だった。それだけで夕飯が済みそうなのである。さらに一口齧るのをキャンセルし、青白い顔は加霞のほうを向いた。光源といえば建物の光や看板くらいだが、強い光輝でも当てられたたかのように眩しがっている。自身の眼鏡が眩いのだろうか。
「月が綺麗ですね」
「見えないんでしょう?月」
 ひょいと加霞は生天目のほうに寄った。
「アイス食べて、冷えましたか」
「いいえ」
「早く手、繋ぎたいです」
「急いで食べると頭痛くするんじゃないですか」
 アイスを咀嚼しながら彼が頬が綻んでいる。
「太陽がないと月は夜に輝けないのって、なんだか、すごいことしましたよね……世の中の摂理は」
 くくく、と笑う姿がどこか不審人物を思わせた。
「生天目先生」
「……加霞。共依存は、何でも出来てしまう気がして、恐ろしいことなんです」
 魚たちが苦しみにのたうち回っているような燦然とする広い川を、眼鏡の奥の目は凝らしていた。強く眉根を寄せている。
「共依存、ですか」
「違いますか」
「分かりません。したことないですから。ただ、生天目先生がいない生活はもう考えられません。一人暮らし、結局慣れませんでした」
「おれもです。いつか、蜂須賀さんの言った洗脳が、貴方から解けるといいのに……そう思っていたんです、これでも」
 アイスの棒が残る。焼き場で現れた、弟の本体みたいだった。木製の遺骨をすぐ傍のコンビニエンスストアに戻りゴミ箱に捨てる。
「生天目先生」
「なんですか」
「仕合わせです。他のものは真っ白で、生天目先生だけ見える。これが舞夏ちゃんの洗脳だって言うのなら、わたし、もう仕合わせにはなれません。仕合わせになりたいです」
 生天目はふいと加霞から視線を外した。星も見えない妙に燻された夜空を仰いだ。
「冷えますね。手を繋いで帰りましょう」
 体当たりをするが如く、彼女は教師の腕に擦り寄った。




―痛いよぅ、痛いよぅ……
―痛いよね、今お姉ちゃんが病院連れて行ってあげるからね………
 霧雨の降る日のジャングルジムで弟が転落してしまった。左肘を打ったらしい。額にも擦り傷を創り、砂を纏って血が滲んでいた。
―痛いよぅ、痛いよぅ……
―痛い痛いだね。でもすぐにくなるから、もう少しだよ。
 遠雷が聞こえる。視界は白く朧げだった。2人で世界に取り残されたような人気ひとけのなさと見通しの悪さだった。住宅街にある公園であるにもかかわらず、四方八方を取り巻くのは濃霧である。しかし恐れも不安もない。怒声に似たいかずちに怯えるのともない。背中に負った弟を落とさないように後ろで腕を組み、転ばぬよう踏ん張る。痛い痛いと泣いている弟の苦痛をいかに和らげるか、そればかりだ。

―痛い……痛い………
 寝床が固く、ベッドや布団のような質量が感じられない。加霞は寝呆け眼で真横に寝ている男を抱き締めた。髪を撫でる。ひとしきり少し梳かして、青白く薄い手を取ると胸に当てた。
「生天目先生……」
 眼鏡がないとどこか鋭さのある目がぱちと開いた。薄い目蓋と長い睫毛に艶冶えんやな感じがある。涙が一筋落ちて光っていく。
「久城さん…………」
うなされていました」
「そうでしたか。どんな夢だったのか忘れてしまいました。途中から貴方が出てきたので」
「わたしが?どうでしたか、夢の中のわたしは」
 生天目も加霞のほうに寄ってきて彼女の額に頬擦りする。彼の匂いがした。
「素敵でした。優しい夢でしたよ。仕合わせな……」
「生天目先生……」
 数分間、2人は横になりながら抱き合っていた。ここは車内だ。後部座席を倒してそこに寝ていた。車中泊である。生天目のほうは少し窮屈そうだった。
「コーヒーか何か買ってきます」
 身を起こそとする教師からわずかでも離れることを惜しみ、加霞は彼にまとわりつく。
「久城さん」
「もう少しだけ一緒がいいです」
 外は生憎の曇り空で、車窓は明るいグレーだった。生天目はふと虚空を一瞥してから加霞の唇にキスする。弾むだけの接吻だった。
「生天目先生……」
「久城さんにまた嘘を吐いてしまいました」
 彼は清爽に笑う。この男の透明感が時折加霞を不安にさせ、放せなくなった。
「なんですか」
「おれの小さな頃の夢の話です」
「お医者さんになりたいってやつですか」
「そうです。ちょっと朝の風にでも当たりませんか。肩、凝ってしまって」
 加霞は頷いた。這うようにしてハッチバックドアから降りる。ほんのりと冷えた空気が心地良い。身体を伸ばして欠伸をする。そこは海の見える広い駐車場だった。水平線が見えた。ライトブルーと紺碧の溶け合った縮緬ちりめんが、斑ら模様の白練しろねり色とはっきりしたコントラストを横に引いて、白を鈍く点綴てんていと差す。
 車は柵沿いのスペースから一列空けて停まっている。ほぼ貸切状態だった。他に1台、シルバーのワゴン車が離れたところに停車していた。
「昨日のおにぎりです。どうぞ。鮭とツナマヨと焼きたらこ、どれがいいですか」
 激しい情事の後、風呂に入って長いドライブが始まった。その時にコンビニエンスストアで買ったものだ。ビニール袋を渡される。チーズパンやドライフルーツ入りのショートブレッドも入っている。
「シャケがいいです」
 跳ね上げ式のドアを上げたまま平坦にされた荷室スペースに腰掛けた。複雑な包装を剥ぐ。芳ばしい海苔の匂いがした。歯を入れると音が鳴る。空いた駐車場と海がよく見えた。
「さっきのお話、聞いてもいいですか」
「いいですよ。おれがなりたかったのは、医者ではありません」
 生天目はツナマヨの握飯を開けていた。隣で海苔の割られる音がする。
「小さな頃ですから、ヒーローですね。正義のヒーローというやつになりたかったんです。が、見てのとおり、なれませんでした。正式な職業ではないから、という意味ではなく、そのメンタリティすらも、おれは持つに値しなかったんです」
 緑茶のペットボトルを差し出され小さく礼を言う。
「それに引き換え、弟はヒーローでした。ですが、おれにとってはヒーローではなかった。暴力から他人を庇って、その暴力で斃れるのなら、おれはあの子に傍観者でいて欲しかった。いいえ、加害者であったもいい。あんなツラい思いをして、おれにツラい思いをさせるくらいなら、おれは弟に加害者でいて欲しかった。傍観者であって欲しかった。傍観者となじられて、嘲笑われてもいいから……こうならないと、きっとそうは思わないんでしょうけれど」
 彼は握飯を齧った。しかし二口ほどで左右から包装フィルムを掛けてしまう。
「それが、生天目先生が自分に対して疑っている、教師の素養というやつですか」
 彼は俯いたのか頷いたのか分からない動きをした。
「生天目先生はやっぱり心の綺麗な人です。現役高校生よりもずっと」
「そうですか……?だって、こんな人物が教師をやっているのは危険です。いじめと暴力を肯定しているんですからね」
「身内が巻き込まれたならそう思っても仕方のないことです。肯定しているとは思いませんでした。弟さんを人質にとられたも同然の条件じゃありませんか。わたしはそうは思いません」
 朝の空気に溶けてしまいそうな横顔を加霞は見つめていた。彼は爪先とも質感の粗いアスファルトともいえない場所を凝らしていた。
「久城さん。今日はなかなかいい朝です。おかしな夢も見ましたが、貴方が出てきて忘れてしまいました。目が覚めても久城さんがいる。こんないい日はなかなかありません」
 彼は食べ掛けの握飯をビニール袋にしまった。そして2人はシートを戻すと運転席と助手席にそれぞれ座った。
「縄は痛いのでリボンにしました。可愛いくないですか」
 互いにシートベルトを閉めると、加霞はクラフト紙の袋を見せられる。中からワインレッドのリボンが現れる。笛吹きに誘われ出された蛇よろしく伸びていく。
「可愛いですね。生天目先生、ブルベなので似合うと思います」
「なんですか?ブルベって」
 リボンを彼の手首に巻いてみた。
「血色のことみたいです。ふふふ、ごめんなさい、知ったかぶりました。最近知ったんですけど、化粧品とかお洋服、どういう色の選んだら似合うかってやつです」
「大変ですね、女性は。好きなものを着たらよろしい」
「そうできたらいいんですけれど……世間に溶け込みたくなる時ってあるんです。自分の着たいものを着るのも楽しいですけれど……周りに合わせられないことを気にしたり……ちゃんとしなきゃなって。自分で着たいものかどうか考えるのも疲れちゃったり。大変ですね、1人で自分と向き合うのは、意外と」
「―久城さん」
 生天目は加霞の左手をねだった。紙袋の中からはリボンの他に金糸と銀糸の入ったレースが現れる。短く切られている。薬指にそうきつくない結び目が作られる。輪を描いて、蝶の形になる。彼女は左腕をフロントガラスに掲げ、外光に透かした。糸で作られ、両端は鋏で断たれたそれは糸屑がはみ出しながらも金と銀が懸命に照っている。
「久城さんに合う色なのかは知りませんが、似合うも似合わないも、おれは両方、見たいです」
 寛いだ無表情で彼はぼそぼそと喋った。そして加霞の右手首と自身の左手首を器用に縛っていった。肌に色鮮やかな化学繊維が食い込む。一度も目を合わせようとしない。シフトレバーを操作する左手に彼女の右手が付き従う。彼はそれだけで深呼吸をして背凭れに寄り掛かかる。加霞は隣を見た。そこでやっと瞳と瞳が一直線にかち合った。キスを交わす。生天目の足がアクセルに乗る。
「怖くないですか」
「はい。生天目先生は」
「不思議と、仕合わせです」
「わたしもです」
 生天目は項垂れるような素振りだった。彼の足がペダルを踏み込む。瞬間、2人は車内で大きく揺れた。鼓膜どころか耳そのものが破壊されたような爆音を聞く。フロントガラスに映っていた景色が大きく半転した。リアガラスとサイドガラスが砕け散り、雹が降るような音もする。こうなっては猪突猛退するはずの車も止まらないわけにはいかなかった。加霞は何が起こったのか分からなかった。見ただけの判断によるとシルバーのワゴン車に突っ込まれたらしい。それだけでなく、フロントガラスを亀裂によって曇らせたワゴンは追撃するかのようにバックするかと思うと加霞たちの乗る車の後退方向を塞いでしまった。行動を読まれている。
 生天目は車を降りようとした。加霞は運転席のほうに引っ張られた。彼も左手首だけでは女1人分を引き摺ることはできずに制止する。
「困りましたね……」
 その呟きは優しいが、どこか悲嘆を帯びていた。車の後部を破壊されたことに困っているのか、予定を狂わされたことに当惑しているのか、固結びのリボンが解けないことに困惑しているのかは定かでない。
「跨げますか」
 運転席をできるだけ下げた。釣られて右手首も下がっていく。引かれながらシートを辿って運転席から外へと出た。シルバーのワゴン車からも運転手が降りてくる。服装や肌の感じは若い男だ。染めたての明るい茶髪が自然光の下で微かにピンクがかっている。彼が掛けていたサングラスを外したとき、加霞は目を見張った。弘明寺ぐみょうじ愛恵めぐみである。丈の長いだぶだぶとしたフリンジとも襤褸布とも言えないような古着の雰囲気に皺加工された黒のベストが印象的だった。
「加霞ちゃん」
 同情に満ちた眼差しを向けられる。
「お知り合いなんですか」
 生天目が加霞を振り向いた。
「弘明寺さんです。怪文書に出てきた……」
「なるほど。―初めまして。土屋東高校の……」
「存じています。生天目 和巳かずみ先生ですね」
 名前を当てられた当人は黙る。
「探偵なんです、あの人」
 弟とぎくしゃくした一件で、加霞はこの探偵を傍に寄せ付けなくなっていた。異性という一点に於いて、弟の目に触れることを避けた。弟が命を落とし、双子も気違いになってしまった以上、もう接点はないはずだった。怪文書に名前が載るまで存在も忘れていた。否、怪文書にその名を記されても、そのすぐ後にはもう忘れていた。
「久城さんに何かご用があるんですかねぇ」
 その声はどこか恍けている。
「弘明寺さん、何の用ですか」
「自殺の名所は、致死率が高いから自殺スポットになるわけですね」
 弘明寺は弱った顔をしている。
「マナから依頼を受けてきました。嵐恋くんの出自についても。それはすでに調査が済んでいます。確定的なことは得られませんでしたけれど、ひとつ、大きな可能性ということだけ」
 鈍い頭痛を覚える。




『こりゃひでぇな』
 叔父が加霞の家に来た。近くに来るついでに姪と若くして死んだ甥のもとに顔を出したのである。相変わらず酒気を帯びていた。これが彼の離婚の原因になっている。
 甥の瞬間接着剤で留まっている位牌をひょいと不躾に摘んでそれを眺めていた。
『気付いちまったんだ!加霞も!わはは!』
 彼は言った。父に似て顔立ちこそ二枚目俳優を思わせるが髭を伸ばし、髪もぼさぼさとしている。
蒼治郎そうじろうのやつもとんだメス犬を捕まえちまったもんだよな。同情するぜ、加霞。お前(ま)はんにも』
『どういう意味、それ。叔父さん』
 すでに怪文書や怪電話を受けている時期だった。気にならないはずがない。
『ありゃメス犬だぜ。だから言ったんだ。嵐恋は可愛かったが間男のガキじゃぁ話は別さな。おりぁこの目で見たんだ、あの嫁はんが男と居るところをな。おっと、蒼治あんちゃんと見間違えたワケじゃねぇ。もっと若ぇのさ。この前ほれ、薬物ヤクで捕まったろ、なんてったっけな―』
 視界にモザイクがかかる感じがした。
『ありゃ蒼治兄ちゃんも気が付いてんな。八神の坊っちゃんも知ってたでな』
『叔父さん、あの2人にそのこと言ったの……?』
『まぁ、言葉の綾だわな。半信半疑よ、半信半疑!ただ一言、見舞いついでにありゃあ誰にも似てないっつーことを言ったのさ。おっさんにも蒼治郎にもな。じ様ば様には似てたんかい?ってことを探っちまったのさ。あんちゃんのほうにな。あの入院中の仏頂面のほうの。長男あっちは一応、久城ひとに対する口の利き方っつーもんを知ってるからな。急に昔のことを掘り返したくなったわけよ、おりぁ探究心が強ぇのさ。そんで、一応は久城のガキっちゅう扱いだからね、おっ死んじまったら悲しいっつーことを話したのさ。おりぁ、おりがあのランデブーを見た日付をはっきり覚えてんでね、あの日にゃおりもデケぇ用事があったんで。嵐恋との誕生日から逆算してみたっつーワケさな。そしてその答えが、おりの言いてぇことも可能性としちゃ強ち間違ってねぇって言いてぇのよ』
 本人の位牌と遺影を前に、ある種の信仰めいたものによって気が咎めるのかも知れない。叔父は普段の横柄な態度がなりを潜め、いくらか躊躇いの色を見せた。
『あと、この歯並びよな。おりぁ、嵐恋の歯並びを見たときにこいつぁもしやと思ったね。間男の歯にそっくりだがん。おりぁ当時、興味本位でそいつの載ってる雑誌を片っ端から買ったってワケよ。ありゃ劇団員だからな。八重歯の生え方なんかそっくりよ。ンま、確かなことはDNA鑑定するしかねぇってこったな。この状況とあっちゃ、できるのか知らんがね。あのメス犬、おはんにとってのままママは肩の荷が下りたんじゃねぇのかね。おはんも可哀想によ、加霞。どこの馬の骨か牛の骨か、或いは鹿の骨か山羊の骨かも分からんガキの世話を任されて。ありゃ可愛いガキだったが所詮は他人よその種よな』
 次第に興奮に変わってきた喋り方で、ついに叔父の様子から逡巡は消えた。
『気付くたぁ、やっぱり他人の家の男と女さね。迫られでもしたかい。血の気配ってやつかい。いいや、こういう場合っちゅうのは大抵、男側が自分の血とは違う女の匂いに気付いちまって、ひとつ屋根の下、惹かれちまうもんなんでさ。お加霞すみさん、おはんは蒼治郎のたった一人のガキよ。おりぁ蒼治あんちゃんと比べりゃデキが悪かったが顔は良い。元嫁もヒス持ちだがなかなかの別嬪さ。その間にデキたガキも、親バカとまでは言わんでもなかなかの男振りよ。今風に言やイケメン、一昔前風に言えばハンサムよな。この前も何人か女が結婚を迫って乗り込んできたくれぇよ。いとこ婚っつーことになるが、おはんが良ければどうだいね。うちのせがれは是非にと言うとるが。どうだいね?うちのんより3つ上っつーと24、5だったな。 か人おらんなら、悪い話じゃねぇべや。久城グループも安泰よ。蒼治郎にはおりからも話とおす。おはんももう世間そとで働かねぇでいい。うちの倅を支えてくれるだけで。うちのんと結婚してくれりゃ親孝行にもなる。会社の安寧にも繋がる。悪い話じゃねべ?』
 加霞は胃が変形していくような心地だった。後半はほとんど聞けていない。ぼんやりと床が白く照っているのを見ていた。
『まだそんな気分になれねぇのは分かっとるが。嵐恋なぁ、ありゃ人懐こくて実に可愛いかったもんだけ……ただなぁ、おりの最終的な結論から言っても、久城うちじゃぁねぇね―……』


 頭部をきつく縄か何かで絞められるような痛みに加霞は眉を顰めた。愛恵はただより一層、同情を示す。
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