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雨と無知と蜜と罰と 弟双子/気紛れ弟/クール弟
雨と無知と蜜と罰と 33
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教師になったのは、復讐です。復讐のつもりでした。何の目的もなく……何を果たすでもなく………
同衾相手の背中に張りつく。
「くすぐったいです」
生天目の声は曇っている。
「あーくんの担任になってくれて、ありがとうございました」
額を固い背中に減り込ませる。あまり温かくないところがいい。布団の生温さと調和する。
「クラス担任は僕が選んだわけではありません。けれど、僕も、久城が教え子になってくれてよかった」
彼は先程から背を丸くして布団の中に引き籠っていた。自己開示が恥ずかしかったらしい。顔を向けもしない。
「先生……」
頬を擦り寄せた。
「しますか。歯も、磨きましたし」
「そういうこと、言うんですか」
「野暮をしましたか。ごめんなさい。気にするかと思って」
彼はやっと首を加霞のほうへ向けた。目を大きくしている。その表情が意外だった。
「しましょう。なんだか……ちょっとムードないですけど、いいですか」
「ムードなら、作ります、僕が」
布団を捲られる。少し寒く感じたのは一瞬で、加霞の上には生天目が被さる。
「キスします」
「訊いてると、わたしからしちゃいますよ」
首を伸ばして生天目に口付ける。下唇を軽く吸って放す。
「煽ったらいけません。焦りたくない」
「焦ったカオ、みたいです」
「酷くしたらどうするんですか。ゆっくり、少しずつ、長くがいい。夜はまだ長くて、明日もあるんですから」
亡弟の担任教師の唇が振る。首筋を辿られ、パジャマのボタンを外されていく。
「生天目先生……」
「久城さんはいい匂いがします」
「恥ずかしいですっ、!」
「恥ずかしがらないでください。僕が興奮してしまう」
ジャンプーやトリートメントやらボディーソープなど甘い花の匂いとボディミルクの混ざった馥郁とした彼女の匂いが覆い被さる生天目をも包み込む。
「もう一度言っておきますけれど、わたし、初めてじゃないですよ……?」
首筋を吸っていた彼がのそりと頭を上げた。ダウンライトの中で逆光していて顔は影に塗り潰されている。
「僕は、初めてです」
「自己紹介じゃなくて……」
「生天目 和巳、24歳童貞です。ファーストキスもこの前済んで、相手は教え子の姉。おれと一字違いの方……」
「もう!」
外されたボタンから前を開かれていく。
「初めてかどうか、久城さんが気にしているほどおれは気にしていません。ただ、おれはおれなりに、この歳までおれ側に経験がないこと、少し気にしています」
気にしていると言っておきながら、気にしている素振りはなかった。柔和に、情けなさも帯びて微笑んでいる。
「先生……」
鼻先が当たるまで接近してくる。
「何の根拠もなく気持ち良くします、とは言えません。良いところ悪いところ、教えてください。今後たくさん気持ち良くなれることなら約束できますから」
「先生、あの……」
柔らかな表情の教師に手を伸ばす。肩に触れる。
「なんですか?」
「初めてでは、ないんですけれど………こうやってちゃんと、相手の顔を見て、話し合ってするのは、実を言うと初めてなんです」
「ほう……」
フクロウみたいだ。梨を2つに切ったみたいな白い顔面のフクロウではなく、ウサギの耳を立たせたような鋭い目付きの種類に似ている。ミミズクに。彼の雰囲気は。
「生天目先生」
「分かりました。少し嬉しいです。初めてとか最後とか、そういうものにこだわるつもりはなかったんですが、そういう話になってきますと……嬉しいです。やっぱり」
鼻先に鼻先をタッチされる。一瞬目を瞑ってしまった。開いた途端に唇が柔らかく包まれる。
「手、繋いでいいですか」
唇が離れた。吐息が肌を撫でていく。頷く。
「いいですよ。生天目先生は、手フェチなんですか」
「……考えたこともありません」
彼は小首を傾げる。やはりミミズクみたいだ。
「ですが、久城さんの体温、肌に馴染みます。指も……」
冷めて乾いた手と手が繋がる。五指が互いに手の甲を包む。額に額を当てられ、彼は何度か唇を啄んでいく。加霞は笑ってしまった。
「下手でしたか」
「違います。そうではなくて。今まで、触るだけ触られて、気付くと終わっていたから……やっぱり初めてかも知れません」
教師の薄い唇は何か返すでもなく、強くキスを落とす。様子を窺いながら、口付けは深まった。繋がれていないほうの手が、ゆとりのあるインナーの上から胸を触る。マッサージに似ている。布越しながら触られただけで全身が心地良い暖かさに包まれた。ベッドが柔らかくなったみたいに安堵感に沈んでいくようだ。彼女の眉根が寄るけれど、そこに険しさはない。
丹念な口付けで緩く開いた口内に舌が挿し込まれる。互いに酒臭かったが、それを上回る、よく知った匂いに嫌悪は微塵も湧かなかった。加霞はシーツの上に置いたままの手を彼の背に回した。ほんの手の重みに従い、生天目は姿勢を低くした。絡まった舌が奥に押しやられる。
「んっ………っぁ」
結ばれた指が癒着したみたいにわずかな隙間も許さなくなった。身体の物理的な感覚ばかり鮮明だった。胸を触る手が自分の背に回る彼女の腕を剥がした。両手を繋ぐ。口腔を弄っていた舌が巻き付く。口元が濡れていくのも構わず角度を変えた。アルコールよりも酔っていく。
長い口付けで加霞は四肢を投げ出す。彼は不意に上半身を剥がした。ベッドの上で正座をしている。彼女も膝を突き合わせ正座する。
「ごめんなさい。夢中になっていました」
手が離れていく。そこにあった体温は大して高くもなかったが寒く感じられる。
「………気持ち良かったですよ。わたしからもしていいですか」
彼はぼけっとして、両腕を開く。その胸に潜る。あまり筋肉質ではない骨張った身体を押し倒し、唇を当てる。硬い腕が巻き付く。
「寄り道多いですね」
彼女は言った。
「そうなんですか?おれはアダルトビデオしか知りませんから……」
涼しげな、性的欲求など無いような顔をして彼は答えた。
「観るんですね、生天目先生も……そういうの」
「観ます。教師も人間で、おれも健康な若い男ですから。理想を壊してしまいましたか?」
加霞は首を振る。薄い胸に頭を寄せた。まるで鼓動を聞いているようだった。
「いいえ。なんか、意外で……かわいいなって思いました」
シーツに投げられた腕を手繰り寄せ、手を繋ぐこともなく指を絡めて遊ぶ。遊ばれていないほうの手が寂しがるように加霞の肩に乗る。
「先生の観るアダルトビデオには、こういうのはないんですか」
「キスして、舐めて、すぐに挿入ですよ。1時間2時間くらいありますけれど」
「そういうの、したいですか」
「導入のインタビューみたいですね。1人ですから、そういう手っ取り早さでいいんですけれど……2人なら、こういうのがいいです。初めてなので、自分でも確かなことは分かりませんが……ただ興奮してます。勃ってますから。でも急ぐよりも、なんだか大胆な久城さんを見ていたい気もします」
手を雑に握り、楽しそうな口に接吻した。
「久城さん……」
「舐めます。いいですか」
「恥ずかしいですよ」
「先生も訊いてくださるから。ここ、座ってください」
口付けを惜しむように彼女は数度またキスをした。腕を引いて床に脚を下ろし、ベッドに腰掛けるよう促した。
「舐めたらもうキスできませんから」
「どうしてですか」
「嫌でしょう?」
「嫌なんですかね?」
返事もせずに彼の下半身を覆うパジャマをインナーのゴムごと下げた。ふいと彼女は顔を上げた。以前口淫を施したときと同様に、彼は顔を覆っている。普段は怜悧な貌をして清ましているくせ、羞恥に駆られているのが楽しい。
「舐めます」
技量に自信はない。先端部に軽く弾くようなキスをする。今までは好き放題に無理矢理口の中を暴かれていた。彼はそうはしない。安心が彼女を悪戯好きにする。
「どう……ぞ………」
「今日は、ちゃんと射精まで……」
「無理はしないでください……言わせないでくださいな。おれも恥ずかしいんです」
見上げた生天目はまだ顔を覆っている。片手を伸ばすと、彼はやはり手を繋ぐのが好きだった。固く握り合う。加霞は眼前の牡の象徴に舌を這わせた。
「髪、触りますから驚かないでください」
返答代わりに先端部を回すように舐めた。後退ろうとする腿を軽く叩く。
「気持ちいいです……」
生唾を呑む音が聞こえた。震えた声も、髪を掻いていく指の心地良さも彼女を励ます。頬を窄めて扱きながら幾度か試みて、喉奥までゆっくりと咥えてみる。相手を盗み見上げる。彼も加霞を遠慮がちに見ていた。
「んっふ、」
喉で膨らんだものを噛まないようにした結果噎せた。一度口を引いた。咳き込む。
「だ、大丈夫ですか」
「すみ、ませ………っ、。上級者ぶって、あんまりやったことなくて」
「久城さん」
固結びしたような手が解かれ、髪を撫でていた手と共に彼女の顔を掬い上げる。唾液に濡れる唇をまた塞がれた。
「久城さんがおれのを二度も口入れてもいい相手だと認めてくれた時点で、おれは……感動しているんです。これでも」
「生天目先生」
「今度は久城さんを舐め返します」
「でもまだ……」
唇と左右の口角にスタンプされていく。そして硬く骨張った身体に包まれた。
「させてください」
「あの……男女でやっぱり、構造が違いますし……」
「男女がどうこうというより、久城さんのだからというところはありますよ。コンプレックスがある?」
「コンプレックスというか、恥ずかしいです」
抱擁が一段と強まった。
「おれだって恥ずかしかったんです」
「だって、気持ち良くしたかったんですもの」
「おれも久城さんを気持ち良くしたいです。いきなりできるかは期待しないでください。今後のために……少しずつ…………おれを育ててください」
顔を覗き合って、やはり2人は執拗な口付けを交わす。加霞は枕のほうに寝そべり、生天目が被さる。インナーを胸元まで捲られる。
「生天目先生……?」
「胸からいきます。怖がらないでください」
手を繋ぐのが大好きなこの男は筋張って節くれだった手を差し出した。それが可愛らしく思えて彼女の緊張も解ける。散々キスしていた口が胸を遊んだ。まずは唇で皮膚を辿り、空いた手も同じように仕草を真似る。それぞれの膨らみの中心を意識させられる。加霞は胸の頂で達せるほどそこが弱い。もどかしさがつのる。
行き場のない手がシーツを握ったかと思うと口元を隠し、目元を隠し、またシーツの上に戻る。
「せんせ………触っ、て………」
「まだ嫌です」
望みとは違うところを軽く吸われる。
「なばためせんせ………」
胸元に浮く毬藻みたいな髪を抱く。吐息が素肌を掠めていく。
「せんせ……」
「ここですか?」
薄く湿った唇が凝ってしまい存在を主張する突起を軽く挟んだ。
「あっ……、」
甘い痺れが頭の中身を小刻みに震わせた。下腹部へのほうへも響いている。
「久城さん……」
新たな刺激を欲しているが、その次が与えられない。降ってきた声に首を持ち上げる。切なそうな生天目の表情が目に入る。
「どうしたんですか……」
「おれは久城さんのことを知らなさ過ぎる。すべて知るのにどれくらいかかるんでしょう?」
どきりと鼓動が高鳴った。泣きそうな双眸に身体が火照る。同い年の男に異様な保護欲を煽られた。もう一度、胸元に浮かんでいる毬藻を抱き寄せる。
「焦ります、少し」
「夜は長くて、明日もあるのでしょう?」
彼は起き上がった。寝間着を脱いでいく。貧相というほどではないが凹凸のできるほど筋肉のつきそうにはない質の裸体が露わになる。汗ばんでいるのは触れてから分かった。
「久城さん」
「わたしも自分のカラダ、すべては知りませんよ。一緒に探して、調べてください」
男の骨張った指が面白くなって玩んでしまう。
「おかしくなりそうなほど、興奮しています」
「よかったです、あまり自信ありませんでしたから。経験者ぶっておいて」
「どうしてですか」
元の体勢に戻り再開しようと上に被さった生天目を抱く。乳房を男の薄い胸板に押し付けると安堵感を覚える。腕に伝わる抱擁慣れしていないぎこちなさも悪くなかった。
「怖い思い、結構していたので」
相手は弟たちだ。暴力的で叩き込まれていく快楽は感情や意思に反した。倫理観に背いている。彼等に従う理由も今となってはもうない。
「優しくします……」
「そのままの生天目先生を見せてください」
「怖い思い、させるかも知れませんよ」
「先生なら大丈夫です。その後のこと、まだ一緒にいる想像できるくらいにはわたし、先生に懐いているつもりなんです」
シーツと背中に狭間に彼の腕が捩じ込まれ、寝そべりながら抱き合った。顔の横に落ちた彼の頭髪が頬を擽る。下半身が重なり、彼の怒張を感じ取った。
「可愛らしいこと言わないでください」
「先生も、可愛いですよ。ギャップ萌えっていうんですか。たまに少年みたいな顔をするんですから。守りたくなっちゃいました。何の力もないくせに……わたし」
生天目は上半身を浮かせた。
「そのイメージは拙いです。触りますね」
口と手による胸への愛撫がまたはじまった。気の緩んでいた膨らみの中心はすぐさま形を取り戻す。
「ぅ………んっ」
胸の色付きに近付きつつある接触に期待する。その指先と舌先で突かれたときの鐘が鳴り響くような甘い痺れを想像してしまった。それだけで下腹部が熱く滲む。しかし円かな箇所まで来て、その周辺ばかりをなぞられて吸われるばかりだった。固く張り詰めて輪郭を自覚させられたまま、実は放置されている。
「触っ………て、おっぱい、して………」
この男の前ならば、羞恥に酔うことができた。口にして起こる恥ずかしさがさらに快感に置き換わる。胸元で伏せられた顔が舐め上げるように加霞を見つめる。彼は口を離し、両手を彼女の希望するところに翳した。
「久城さん」
「ぁんっ、!」
呼ぶのと同時に摘まれる。爆発的な快感が脳内を巡る。それでいて打ち上げ花火の如く一瞬で終わりながら、余韻はまだ胸元に張り付き、下腹部まで波及する。
「久城さん……」
「ぁっ、あっ、気持ちいい、です……先生………!ぁあっ……」
絶妙な力加減で焦らされた両胸の弱いところを捏ねられる。爪先まで電流が通っていくようだった。
「生天目先生……っ、もう、放してください。すごく気持ちいいんですけれど、切なくなってしまって……」
弱めに擂られ、彼女は腰を跳ねさせながら、生天目の手を止めた。
「それならいいんですか、止めてしまっても」
加霞は躊躇いがちにもこくりと頷いた。
「では、舐めます」
宣言を裏切らず、加霞はショーツを晒した。それも脱がされていく。彼女は脚の間に腕を置いた。生天目のものを舐めることに躊躇はなかったが、異なる構造の同じ部位を見せるのはやはり恥ずかしい。共に風呂に入るのとは訳が違う。目的が違えば彼の様子も違っている。入浴の際は裸体を見せても、欲情の片鱗すら見せなかった。
「綺麗です。とても……」
膝立ちになって高めに目線をとり、生天目は加霞を観察していた。
「そんなに見ないでください……」
「綺麗です。素敵です。なんだか、信じられなくて……夢だったらどうしましょう」
「恥ずかしいので、目が覚めたら忘れて欲しいです」
「忘れません。身体で覚えます。久城さんのいいところごと」
あまり体温の高くない手が彼女の膝に触れて脚を割り開く。
「いただきます」
内腿にキスをされ、彼女は大袈裟に身動いだ。
「もう!」
股座でくすくすと笑う声がした。それから間もなく彼女の秘めた園が生天目を迎える。丹念な舌遣いに、ただでさえ潤んでいた泉水がさらに湧く。確信的な鈴には触れなかったが、指が蜜場を掻き分ける段になって、彼の唇はそこを吸った。
「あっ……」
舌が指の挿入感を誤魔化す。内部を探りながら、舐め回している。初めてと言っていたが器用だ。しかしその手際の良さから彼の言を疑うこともない。彼の反応がそれらしく、納得してしまう。
「痛いですか」
「痛くないですよ」
「もう少し奥に行きます。痛かったら言ってください」
彼は唇を舐めると加霞の湿肌に顔を伏せた。診察のようだった。繊細な指遣いと労るような質疑応答があった。
「先生」
「はい」
前戯というよりもほぼ触診と化していた。痛みも苦しさもないが体内を探られる違和感は気が散ってしまう。しかし熱心に指を動かす男の姿が愛らしい。
「もう大丈夫ですよ。挿れても」
「ですが……内部でまだ、感じている様子がありませんでした」
あまりにも優しい、遠慮がちな彼の手付きでは加霞もそこに性感を見出すことはできなかった。
「挿れてください。多少の痛みはあります。今日は、とりあえずひとつになりましょう。気持ちいいかはまた今度で……生天目先生に抱き締めてもらえたら、わたしはそれでいいんです」
落胆しているように下がった彼の肩に手を乗せる。
「では……ゴムを付けます」
彼のがさごそとやっている後ろ姿を見つめた。1つ粉薬の袋みたいなのを持って帰ってくるのが、フリスビーを取ってきた大型犬を彷彿とさせる。
青白く細い指が包装を破る。数度自分で扱く生天目に、加霞はぎょっとした。リアリティのある単身の性事情を垣間見てしまった。
「ああ、すみません」
「い、いえ……あ、えっと……どういうの、観るんですか……ああ、その、セクハラみたいですね。みたいですねっていうか…………」
動揺を隠そうと咄嗟に出た問いに対し、彼の態度は淡々としている。
「アダルトビデオのことですか?それなら、人妻モノです。あとは、そこまで設定とかなく……」
恥じらいもなく答えられる。どう反応していいのか分からなくなってしまった。
「女子高生モノだと思いました?」
「あ、い、いいえ……そんなことは……」
話している間に避妊具が装着された。恥ずかしい、恥ずかしいと何度か口にしておきながらその佇まいは堂々としている。彼の童貞を疑ってはいないが、無知ゆえの構えなのか、振り切れたのか、その様は歴戦の勇者のもののようでもある。それが滑稽でありながら頼もしくもあった。加霞もまた互いの合意の上にあるセックスについて、初めてだった。
「最終確認ですが、本当にいいのですか、久城さん……」
この問いにもまた臆しているようなところはなかった。ここで中断を言い渡せば、脚の間で避妊ゴムを被り天を衝くものをどうする気なのだろう。気遣いが可愛いらしい。性に自信のある者に散々嬲られた。
「いいですよ。来てください」
彼はふいと顔を伏せ、またすぐに上げた。
「手を握りましょう。おれが少しだけ、怖いんです。関係が、変わるわけでしょう……?」
エスコートするように、或いは転んだ相手にそうするように手を差し伸べた。
「変わりますか、関係……?」
「変わらなくてもいいですか」
「どうぞ。別のところで、変わりましょう。もっと、自覚のないところで」
彼の眉間に困惑が浮かんだ。ここまで慎重にきて、最後まで慎重にいくのかと思えば、性急な挿入だった。痛みはないが、接合部の拡がる感覚と、徐々に内臓を押されていく圧迫感はある。
「久城さ………ん、」
加霞の視界いっぱいに生天目が入ってくる。薄らと滲む汗がダウンライトに炙られている。粗い息遣いには余裕がなかった。彼の頬に触れる。まだ抱き寄せるには腹が慣れていない。
ぽつりと雨が一粒降り、気付いた瞬間にもう一滴彼女の肌を叩く。
「生天目先生……?」
目元に親指を寄せる。濡れた筋を辿った。
「人の愛し方を知らないわけではないですが、見当違いな相手を長いこと恨んでいる身です。1人の人間に感情を捧げたようにこの7年間、生きてきたものですから……なんだか、色々と思い出せなくて、気持ちが追いつかない」
彼の目元に当てた親指が溢れてくるもので濡れていく。
「それにこういう愛し方は、初めてで……愛情になっていますか」
加霞は暗く影を落とす彼の眼をその目で掴んだまま首を傾げた。
「なっていなかったら、こうなってないですけれど」
彼の首を引き、額と額をぶつける。
「久城さん……」
生天目が動く。鼻と鼻をぶつけ合う。
「こういうやり方があるんだなって、わたしも、本当に、初めてじゃないなんて言えないほど、初めての感覚です。主に気持ちの面で……」
快感を腹奥で殴打されるようなことはなかった。ただ繋がっている。それだけで寝起きのようにはっきりしない世界に迷い込んだような幸福感に陥っている。弟のいない現実にいながら。
同衾相手の背中に張りつく。
「くすぐったいです」
生天目の声は曇っている。
「あーくんの担任になってくれて、ありがとうございました」
額を固い背中に減り込ませる。あまり温かくないところがいい。布団の生温さと調和する。
「クラス担任は僕が選んだわけではありません。けれど、僕も、久城が教え子になってくれてよかった」
彼は先程から背を丸くして布団の中に引き籠っていた。自己開示が恥ずかしかったらしい。顔を向けもしない。
「先生……」
頬を擦り寄せた。
「しますか。歯も、磨きましたし」
「そういうこと、言うんですか」
「野暮をしましたか。ごめんなさい。気にするかと思って」
彼はやっと首を加霞のほうへ向けた。目を大きくしている。その表情が意外だった。
「しましょう。なんだか……ちょっとムードないですけど、いいですか」
「ムードなら、作ります、僕が」
布団を捲られる。少し寒く感じたのは一瞬で、加霞の上には生天目が被さる。
「キスします」
「訊いてると、わたしからしちゃいますよ」
首を伸ばして生天目に口付ける。下唇を軽く吸って放す。
「煽ったらいけません。焦りたくない」
「焦ったカオ、みたいです」
「酷くしたらどうするんですか。ゆっくり、少しずつ、長くがいい。夜はまだ長くて、明日もあるんですから」
亡弟の担任教師の唇が振る。首筋を辿られ、パジャマのボタンを外されていく。
「生天目先生……」
「久城さんはいい匂いがします」
「恥ずかしいですっ、!」
「恥ずかしがらないでください。僕が興奮してしまう」
ジャンプーやトリートメントやらボディーソープなど甘い花の匂いとボディミルクの混ざった馥郁とした彼女の匂いが覆い被さる生天目をも包み込む。
「もう一度言っておきますけれど、わたし、初めてじゃないですよ……?」
首筋を吸っていた彼がのそりと頭を上げた。ダウンライトの中で逆光していて顔は影に塗り潰されている。
「僕は、初めてです」
「自己紹介じゃなくて……」
「生天目 和巳、24歳童貞です。ファーストキスもこの前済んで、相手は教え子の姉。おれと一字違いの方……」
「もう!」
外されたボタンから前を開かれていく。
「初めてかどうか、久城さんが気にしているほどおれは気にしていません。ただ、おれはおれなりに、この歳までおれ側に経験がないこと、少し気にしています」
気にしていると言っておきながら、気にしている素振りはなかった。柔和に、情けなさも帯びて微笑んでいる。
「先生……」
鼻先が当たるまで接近してくる。
「何の根拠もなく気持ち良くします、とは言えません。良いところ悪いところ、教えてください。今後たくさん気持ち良くなれることなら約束できますから」
「先生、あの……」
柔らかな表情の教師に手を伸ばす。肩に触れる。
「なんですか?」
「初めてでは、ないんですけれど………こうやってちゃんと、相手の顔を見て、話し合ってするのは、実を言うと初めてなんです」
「ほう……」
フクロウみたいだ。梨を2つに切ったみたいな白い顔面のフクロウではなく、ウサギの耳を立たせたような鋭い目付きの種類に似ている。ミミズクに。彼の雰囲気は。
「生天目先生」
「分かりました。少し嬉しいです。初めてとか最後とか、そういうものにこだわるつもりはなかったんですが、そういう話になってきますと……嬉しいです。やっぱり」
鼻先に鼻先をタッチされる。一瞬目を瞑ってしまった。開いた途端に唇が柔らかく包まれる。
「手、繋いでいいですか」
唇が離れた。吐息が肌を撫でていく。頷く。
「いいですよ。生天目先生は、手フェチなんですか」
「……考えたこともありません」
彼は小首を傾げる。やはりミミズクみたいだ。
「ですが、久城さんの体温、肌に馴染みます。指も……」
冷めて乾いた手と手が繋がる。五指が互いに手の甲を包む。額に額を当てられ、彼は何度か唇を啄んでいく。加霞は笑ってしまった。
「下手でしたか」
「違います。そうではなくて。今まで、触るだけ触られて、気付くと終わっていたから……やっぱり初めてかも知れません」
教師の薄い唇は何か返すでもなく、強くキスを落とす。様子を窺いながら、口付けは深まった。繋がれていないほうの手が、ゆとりのあるインナーの上から胸を触る。マッサージに似ている。布越しながら触られただけで全身が心地良い暖かさに包まれた。ベッドが柔らかくなったみたいに安堵感に沈んでいくようだ。彼女の眉根が寄るけれど、そこに険しさはない。
丹念な口付けで緩く開いた口内に舌が挿し込まれる。互いに酒臭かったが、それを上回る、よく知った匂いに嫌悪は微塵も湧かなかった。加霞はシーツの上に置いたままの手を彼の背に回した。ほんの手の重みに従い、生天目は姿勢を低くした。絡まった舌が奥に押しやられる。
「んっ………っぁ」
結ばれた指が癒着したみたいにわずかな隙間も許さなくなった。身体の物理的な感覚ばかり鮮明だった。胸を触る手が自分の背に回る彼女の腕を剥がした。両手を繋ぐ。口腔を弄っていた舌が巻き付く。口元が濡れていくのも構わず角度を変えた。アルコールよりも酔っていく。
長い口付けで加霞は四肢を投げ出す。彼は不意に上半身を剥がした。ベッドの上で正座をしている。彼女も膝を突き合わせ正座する。
「ごめんなさい。夢中になっていました」
手が離れていく。そこにあった体温は大して高くもなかったが寒く感じられる。
「………気持ち良かったですよ。わたしからもしていいですか」
彼はぼけっとして、両腕を開く。その胸に潜る。あまり筋肉質ではない骨張った身体を押し倒し、唇を当てる。硬い腕が巻き付く。
「寄り道多いですね」
彼女は言った。
「そうなんですか?おれはアダルトビデオしか知りませんから……」
涼しげな、性的欲求など無いような顔をして彼は答えた。
「観るんですね、生天目先生も……そういうの」
「観ます。教師も人間で、おれも健康な若い男ですから。理想を壊してしまいましたか?」
加霞は首を振る。薄い胸に頭を寄せた。まるで鼓動を聞いているようだった。
「いいえ。なんか、意外で……かわいいなって思いました」
シーツに投げられた腕を手繰り寄せ、手を繋ぐこともなく指を絡めて遊ぶ。遊ばれていないほうの手が寂しがるように加霞の肩に乗る。
「先生の観るアダルトビデオには、こういうのはないんですか」
「キスして、舐めて、すぐに挿入ですよ。1時間2時間くらいありますけれど」
「そういうの、したいですか」
「導入のインタビューみたいですね。1人ですから、そういう手っ取り早さでいいんですけれど……2人なら、こういうのがいいです。初めてなので、自分でも確かなことは分かりませんが……ただ興奮してます。勃ってますから。でも急ぐよりも、なんだか大胆な久城さんを見ていたい気もします」
手を雑に握り、楽しそうな口に接吻した。
「久城さん……」
「舐めます。いいですか」
「恥ずかしいですよ」
「先生も訊いてくださるから。ここ、座ってください」
口付けを惜しむように彼女は数度またキスをした。腕を引いて床に脚を下ろし、ベッドに腰掛けるよう促した。
「舐めたらもうキスできませんから」
「どうしてですか」
「嫌でしょう?」
「嫌なんですかね?」
返事もせずに彼の下半身を覆うパジャマをインナーのゴムごと下げた。ふいと彼女は顔を上げた。以前口淫を施したときと同様に、彼は顔を覆っている。普段は怜悧な貌をして清ましているくせ、羞恥に駆られているのが楽しい。
「舐めます」
技量に自信はない。先端部に軽く弾くようなキスをする。今までは好き放題に無理矢理口の中を暴かれていた。彼はそうはしない。安心が彼女を悪戯好きにする。
「どう……ぞ………」
「今日は、ちゃんと射精まで……」
「無理はしないでください……言わせないでくださいな。おれも恥ずかしいんです」
見上げた生天目はまだ顔を覆っている。片手を伸ばすと、彼はやはり手を繋ぐのが好きだった。固く握り合う。加霞は眼前の牡の象徴に舌を這わせた。
「髪、触りますから驚かないでください」
返答代わりに先端部を回すように舐めた。後退ろうとする腿を軽く叩く。
「気持ちいいです……」
生唾を呑む音が聞こえた。震えた声も、髪を掻いていく指の心地良さも彼女を励ます。頬を窄めて扱きながら幾度か試みて、喉奥までゆっくりと咥えてみる。相手を盗み見上げる。彼も加霞を遠慮がちに見ていた。
「んっふ、」
喉で膨らんだものを噛まないようにした結果噎せた。一度口を引いた。咳き込む。
「だ、大丈夫ですか」
「すみ、ませ………っ、。上級者ぶって、あんまりやったことなくて」
「久城さん」
固結びしたような手が解かれ、髪を撫でていた手と共に彼女の顔を掬い上げる。唾液に濡れる唇をまた塞がれた。
「久城さんがおれのを二度も口入れてもいい相手だと認めてくれた時点で、おれは……感動しているんです。これでも」
「生天目先生」
「今度は久城さんを舐め返します」
「でもまだ……」
唇と左右の口角にスタンプされていく。そして硬く骨張った身体に包まれた。
「させてください」
「あの……男女でやっぱり、構造が違いますし……」
「男女がどうこうというより、久城さんのだからというところはありますよ。コンプレックスがある?」
「コンプレックスというか、恥ずかしいです」
抱擁が一段と強まった。
「おれだって恥ずかしかったんです」
「だって、気持ち良くしたかったんですもの」
「おれも久城さんを気持ち良くしたいです。いきなりできるかは期待しないでください。今後のために……少しずつ…………おれを育ててください」
顔を覗き合って、やはり2人は執拗な口付けを交わす。加霞は枕のほうに寝そべり、生天目が被さる。インナーを胸元まで捲られる。
「生天目先生……?」
「胸からいきます。怖がらないでください」
手を繋ぐのが大好きなこの男は筋張って節くれだった手を差し出した。それが可愛らしく思えて彼女の緊張も解ける。散々キスしていた口が胸を遊んだ。まずは唇で皮膚を辿り、空いた手も同じように仕草を真似る。それぞれの膨らみの中心を意識させられる。加霞は胸の頂で達せるほどそこが弱い。もどかしさがつのる。
行き場のない手がシーツを握ったかと思うと口元を隠し、目元を隠し、またシーツの上に戻る。
「せんせ………触っ、て………」
「まだ嫌です」
望みとは違うところを軽く吸われる。
「なばためせんせ………」
胸元に浮く毬藻みたいな髪を抱く。吐息が素肌を掠めていく。
「せんせ……」
「ここですか?」
薄く湿った唇が凝ってしまい存在を主張する突起を軽く挟んだ。
「あっ……、」
甘い痺れが頭の中身を小刻みに震わせた。下腹部へのほうへも響いている。
「久城さん……」
新たな刺激を欲しているが、その次が与えられない。降ってきた声に首を持ち上げる。切なそうな生天目の表情が目に入る。
「どうしたんですか……」
「おれは久城さんのことを知らなさ過ぎる。すべて知るのにどれくらいかかるんでしょう?」
どきりと鼓動が高鳴った。泣きそうな双眸に身体が火照る。同い年の男に異様な保護欲を煽られた。もう一度、胸元に浮かんでいる毬藻を抱き寄せる。
「焦ります、少し」
「夜は長くて、明日もあるのでしょう?」
彼は起き上がった。寝間着を脱いでいく。貧相というほどではないが凹凸のできるほど筋肉のつきそうにはない質の裸体が露わになる。汗ばんでいるのは触れてから分かった。
「久城さん」
「わたしも自分のカラダ、すべては知りませんよ。一緒に探して、調べてください」
男の骨張った指が面白くなって玩んでしまう。
「おかしくなりそうなほど、興奮しています」
「よかったです、あまり自信ありませんでしたから。経験者ぶっておいて」
「どうしてですか」
元の体勢に戻り再開しようと上に被さった生天目を抱く。乳房を男の薄い胸板に押し付けると安堵感を覚える。腕に伝わる抱擁慣れしていないぎこちなさも悪くなかった。
「怖い思い、結構していたので」
相手は弟たちだ。暴力的で叩き込まれていく快楽は感情や意思に反した。倫理観に背いている。彼等に従う理由も今となってはもうない。
「優しくします……」
「そのままの生天目先生を見せてください」
「怖い思い、させるかも知れませんよ」
「先生なら大丈夫です。その後のこと、まだ一緒にいる想像できるくらいにはわたし、先生に懐いているつもりなんです」
シーツと背中に狭間に彼の腕が捩じ込まれ、寝そべりながら抱き合った。顔の横に落ちた彼の頭髪が頬を擽る。下半身が重なり、彼の怒張を感じ取った。
「可愛らしいこと言わないでください」
「先生も、可愛いですよ。ギャップ萌えっていうんですか。たまに少年みたいな顔をするんですから。守りたくなっちゃいました。何の力もないくせに……わたし」
生天目は上半身を浮かせた。
「そのイメージは拙いです。触りますね」
口と手による胸への愛撫がまたはじまった。気の緩んでいた膨らみの中心はすぐさま形を取り戻す。
「ぅ………んっ」
胸の色付きに近付きつつある接触に期待する。その指先と舌先で突かれたときの鐘が鳴り響くような甘い痺れを想像してしまった。それだけで下腹部が熱く滲む。しかし円かな箇所まで来て、その周辺ばかりをなぞられて吸われるばかりだった。固く張り詰めて輪郭を自覚させられたまま、実は放置されている。
「触っ………て、おっぱい、して………」
この男の前ならば、羞恥に酔うことができた。口にして起こる恥ずかしさがさらに快感に置き換わる。胸元で伏せられた顔が舐め上げるように加霞を見つめる。彼は口を離し、両手を彼女の希望するところに翳した。
「久城さん」
「ぁんっ、!」
呼ぶのと同時に摘まれる。爆発的な快感が脳内を巡る。それでいて打ち上げ花火の如く一瞬で終わりながら、余韻はまだ胸元に張り付き、下腹部まで波及する。
「久城さん……」
「ぁっ、あっ、気持ちいい、です……先生………!ぁあっ……」
絶妙な力加減で焦らされた両胸の弱いところを捏ねられる。爪先まで電流が通っていくようだった。
「生天目先生……っ、もう、放してください。すごく気持ちいいんですけれど、切なくなってしまって……」
弱めに擂られ、彼女は腰を跳ねさせながら、生天目の手を止めた。
「それならいいんですか、止めてしまっても」
加霞は躊躇いがちにもこくりと頷いた。
「では、舐めます」
宣言を裏切らず、加霞はショーツを晒した。それも脱がされていく。彼女は脚の間に腕を置いた。生天目のものを舐めることに躊躇はなかったが、異なる構造の同じ部位を見せるのはやはり恥ずかしい。共に風呂に入るのとは訳が違う。目的が違えば彼の様子も違っている。入浴の際は裸体を見せても、欲情の片鱗すら見せなかった。
「綺麗です。とても……」
膝立ちになって高めに目線をとり、生天目は加霞を観察していた。
「そんなに見ないでください……」
「綺麗です。素敵です。なんだか、信じられなくて……夢だったらどうしましょう」
「恥ずかしいので、目が覚めたら忘れて欲しいです」
「忘れません。身体で覚えます。久城さんのいいところごと」
あまり体温の高くない手が彼女の膝に触れて脚を割り開く。
「いただきます」
内腿にキスをされ、彼女は大袈裟に身動いだ。
「もう!」
股座でくすくすと笑う声がした。それから間もなく彼女の秘めた園が生天目を迎える。丹念な舌遣いに、ただでさえ潤んでいた泉水がさらに湧く。確信的な鈴には触れなかったが、指が蜜場を掻き分ける段になって、彼の唇はそこを吸った。
「あっ……」
舌が指の挿入感を誤魔化す。内部を探りながら、舐め回している。初めてと言っていたが器用だ。しかしその手際の良さから彼の言を疑うこともない。彼の反応がそれらしく、納得してしまう。
「痛いですか」
「痛くないですよ」
「もう少し奥に行きます。痛かったら言ってください」
彼は唇を舐めると加霞の湿肌に顔を伏せた。診察のようだった。繊細な指遣いと労るような質疑応答があった。
「先生」
「はい」
前戯というよりもほぼ触診と化していた。痛みも苦しさもないが体内を探られる違和感は気が散ってしまう。しかし熱心に指を動かす男の姿が愛らしい。
「もう大丈夫ですよ。挿れても」
「ですが……内部でまだ、感じている様子がありませんでした」
あまりにも優しい、遠慮がちな彼の手付きでは加霞もそこに性感を見出すことはできなかった。
「挿れてください。多少の痛みはあります。今日は、とりあえずひとつになりましょう。気持ちいいかはまた今度で……生天目先生に抱き締めてもらえたら、わたしはそれでいいんです」
落胆しているように下がった彼の肩に手を乗せる。
「では……ゴムを付けます」
彼のがさごそとやっている後ろ姿を見つめた。1つ粉薬の袋みたいなのを持って帰ってくるのが、フリスビーを取ってきた大型犬を彷彿とさせる。
青白く細い指が包装を破る。数度自分で扱く生天目に、加霞はぎょっとした。リアリティのある単身の性事情を垣間見てしまった。
「ああ、すみません」
「い、いえ……あ、えっと……どういうの、観るんですか……ああ、その、セクハラみたいですね。みたいですねっていうか…………」
動揺を隠そうと咄嗟に出た問いに対し、彼の態度は淡々としている。
「アダルトビデオのことですか?それなら、人妻モノです。あとは、そこまで設定とかなく……」
恥じらいもなく答えられる。どう反応していいのか分からなくなってしまった。
「女子高生モノだと思いました?」
「あ、い、いいえ……そんなことは……」
話している間に避妊具が装着された。恥ずかしい、恥ずかしいと何度か口にしておきながらその佇まいは堂々としている。彼の童貞を疑ってはいないが、無知ゆえの構えなのか、振り切れたのか、その様は歴戦の勇者のもののようでもある。それが滑稽でありながら頼もしくもあった。加霞もまた互いの合意の上にあるセックスについて、初めてだった。
「最終確認ですが、本当にいいのですか、久城さん……」
この問いにもまた臆しているようなところはなかった。ここで中断を言い渡せば、脚の間で避妊ゴムを被り天を衝くものをどうする気なのだろう。気遣いが可愛いらしい。性に自信のある者に散々嬲られた。
「いいですよ。来てください」
彼はふいと顔を伏せ、またすぐに上げた。
「手を握りましょう。おれが少しだけ、怖いんです。関係が、変わるわけでしょう……?」
エスコートするように、或いは転んだ相手にそうするように手を差し伸べた。
「変わりますか、関係……?」
「変わらなくてもいいですか」
「どうぞ。別のところで、変わりましょう。もっと、自覚のないところで」
彼の眉間に困惑が浮かんだ。ここまで慎重にきて、最後まで慎重にいくのかと思えば、性急な挿入だった。痛みはないが、接合部の拡がる感覚と、徐々に内臓を押されていく圧迫感はある。
「久城さ………ん、」
加霞の視界いっぱいに生天目が入ってくる。薄らと滲む汗がダウンライトに炙られている。粗い息遣いには余裕がなかった。彼の頬に触れる。まだ抱き寄せるには腹が慣れていない。
ぽつりと雨が一粒降り、気付いた瞬間にもう一滴彼女の肌を叩く。
「生天目先生……?」
目元に親指を寄せる。濡れた筋を辿った。
「人の愛し方を知らないわけではないですが、見当違いな相手を長いこと恨んでいる身です。1人の人間に感情を捧げたようにこの7年間、生きてきたものですから……なんだか、色々と思い出せなくて、気持ちが追いつかない」
彼の目元に当てた親指が溢れてくるもので濡れていく。
「それにこういう愛し方は、初めてで……愛情になっていますか」
加霞は暗く影を落とす彼の眼をその目で掴んだまま首を傾げた。
「なっていなかったら、こうなってないですけれど」
彼の首を引き、額と額をぶつける。
「久城さん……」
生天目が動く。鼻と鼻をぶつけ合う。
「こういうやり方があるんだなって、わたしも、本当に、初めてじゃないなんて言えないほど、初めての感覚です。主に気持ちの面で……」
快感を腹奥で殴打されるようなことはなかった。ただ繋がっている。それだけで寝起きのようにはっきりしない世界に迷い込んだような幸福感に陥っている。弟のいない現実にいながら。
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