18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」

結局は俗物( ◠‿◠ )

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雨と無知と蜜と罰と 弟双子/気紛れ弟/クール弟

雨と無知と蜜と罰と 23

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 生天目なばためは来賓玄関まで見送った。弟の担任へ、背を向ける。
「ご同胞きょうだいとして見ている限り、久城に反抗期はありましたか」
 話は終わったものと思われた。突然投げかけられた問いに面食らう。振り返り、眼鏡越しの眼差しとぶつかる。
「家庭環境が良好なことに越したことはありません。大切なことで、当たり前のようでも世間一般と比べてしまうと難しいことです。家族仲が良好ということは」
 来賓玄関のホールは薄暗く、広かった。有名な彫刻のレプリカや学校の顔にもなっている強豪の部活の大会のトロフィーが飾られ、古めかしい振り子時計が不気味に視界の端をちらつく。
「反抗期は今のところありません。いつでも聞き分けの良い子です。ですが、遠慮や気遣いを感じることも多いです」
「そうですか。私がこう聞いたのは……自己主張や表現の点でほんの少し気掛かりなところがあったからです。お姉様が久城を抑圧しているようには見受けられませんが……見受けられませんが、現状が彼にとって適した環境でないというのが私の正直に感じたところです。厳しい意見になりますが……100%適した環境を作るというのは難しいことです。適応する力を育むことも大切なことではあるのも否めません。しかし無理に変えることではありませんけれど、もし変えられるようなものであるなら変えてみるのもいいかも知れません。よく相談していただいて」
 加霞はワックスでよく照っている床を見つめていた。相談という言葉に何か軋めくものを覚えた。
「こちらからもそれとなく話を聞いてみます。親御さんにもそうしていただけるようお伝えください」
 彼女は頷いた。年長であっても同胞と親には埋めがたい格差がある。弟は兄たちの虐待に耐えてまで実家に残るべきだったのかも知れない。
「すみません。今度は父や母に対応してもらいます」
 生天目からはぎこちなさを感じた。コミニュケーションを円滑にいかせる態度ではあるが、空気のようなものが、出たがりの姉を侮蔑している。それは彼女の後ろめたさによる被害妄想だったのかも知れない。
 弟の担任教員は気拙げな、何ともいえない顔をした。


 舞夏まなつがやって来ているにもかかわらず、嵐恋の帰りは少し遅かった。彼の友人の斑霧むらぎり霰嵐あらんが来たことも生天目と面談したことも話していなかった。そしてこの弟を訪ねてきた気の好い人にもそのことを打ち明けたりはしなかった。
 加霞は昼飯を食い逸れたという来客のために天かすとめんつゆとごまを混ぜた米を握飯キットに詰めていた。すでに舞夏はバターで固く焼き醤油で味を付けた焼き握りをソファーで食っていた。嵐恋の友人たちの中では評判が高かった。
「うんま。昼飯食わなくてよかったわ。これ好きだったんだよ」
 握飯キットで挟んだのを空いたばかりの皿で開いた。綺麗な三角形が転がった。
「あともう1コ食べられる?夕飯入らなくなっちゃうかな。和風ハンバーグと切り干し大根」
 そこになめこの味噌汁と雑穀米、金時豆がつく。
「余裕、余裕。加霞サンのごはんなら何杯でも」
 遅れて茶を出した。どちらから話題を出して喋ることもなく、静かな時間が流れていく。それが苦ではない。彼は軽食を摂り、茶を飲む。加霞はリビングの隅で洗濯物を畳んでいた。
「ごちそうさま」
 空いた皿を持ち、舞夏は立ち上がった。
「置いといて、平気」
「運ぶよ。洗うか?」
「ううん。じゃあ、お水につけといて」
 舞夏はテレビを観て、加霞は家事をやる。嵐恋はまだ帰ってこない。過保護な彼女が心配しないはずがなかった。
「加霞サン、さ……」
 彼はテレビの音量を下げた。呼ばれた彼女は返事をしてタオルを畳む手を止める。瞳と瞳がぶつかる。舞夏の猫目は逃げたそうにした。また沈黙に戻りかけそうなところで彼の血色の良い唇が動く。
「デートの話………大丈夫そう?」
 ふと舞夏の表情も声音もがらりと変わった。上擦って明るい。加霞はそれに気付くけれど、それが彼のサプライズ的なやり口なのだと高を括った。
「うん。どこがいい?わたしあんまり運転得意じゃないから、遠いところは電車とかバスになると思うけれど……」
 運転免許は持っているが、車自体は所持していない。駅前のレンタカーを利用することになる。
 舞夏は間の抜けた妙な顔をした。
「オレが運転するよ、それは。なんで?加霞サン、運転してくれるつもりだったの?」
「だって、この前の埋め合わせだし……」
 それが彼女にとっての当然だった。彼女は交通費も、旅先で掛かる費用も出すつもりでいた。舞夏の時間を奪い、弟に充てさせたのならそうなるだろう。貧しいわけではなかったが、かといって自分の事情で実家からの仕送りに手を付けることを厭う加霞にとって本音を言えば痛い出費なのは間違いない。しかし同時に舞夏にはそれ以上の恩がある。
「あ………ああ、そう」
 彼はふいとまた猫目を逸らした。
「だから行きたいところ、決めておいてね。交通費出すから。ごはんも……」
「………加霞サン」
 ぽつりと溢すように呼ばれる。洗濯物の山を然るべき場所に運ぼうとするときだった。
「ごめんな。えっと……その、オレの言葉の綾っていうかさ。デートして、なんて言っちゃったけど、悪かったよ」
「え?」
「デート、やっぱ無し!こうやってお家来てるだけでいいのに、何言ってんだろって。振り回しちゃってごめんな?」
 へらへらと彼は笑っている。
「悪いよ、そんなの。舞夏まなちゃんに無理言っちゃったんだし」
 すっと舞夏の笑みがさらに引き攣ったことも彼女は気付かないままだ。気付いたところで取り繕い方を知らない。
「いいんだ。嵐恋くんと遊べて楽しかった。元々埋め合わせとかないんだよ。そこにつけ上がって、オレばっかプラスじゃん。だからあの話は無し」
 気は済まない。だがそこまで言うには彼にも事情があるのだろう。"デート"という体裁では困るような。或いは気紛れだったのかも知れない。彼のノリの良さ故の。
「……そう。でも何かあったら言ってね。応えられるだけ、応えるから」
 一瞬舞夏の眉間に皺が寄った。おかしなことを言ったかと加霞は警戒してしまう。気に障るような文言を反芻するが見当たらない。そもそも自覚も、相手を傷付ける意図もなかったために言葉にしたのだ。しかし加霞にとっては何の気無しだったとしても彼の受け取り方はそうではない。
「何もない。だから加霞サンも気にすんな。もう予定とか空けてくれちゃってたならほんとごめん。ころころ言うこと変えちゃって……」
 舞夏は額を覆い、何度か拭った。妙に赤い顔をしている。
「それは大丈夫だよ」
 彼は黙ってしまった。テレビの音が小さく流れている。化粧品のコマーシャルにしずくれんが出ていた。忌々しい弟の映像から逃げた。洗濯物を仕分け、リビングに戻る。苦ではなかった静寂が途端に閉塞感を覚えはじめた頃に嵐恋が帰宅した。舞夏も玄関についてくる。
「おかえりなさい、あーくん」
 末弟は姉を見ると気遣わしげに舞夏のほうも向いた。
「ただいま……おで、これから友達と遊んでくる」
 外は暗い。時間も時間だ。
「こんな時間に?」
 加霞は思わずエプロンのポケットに入っている端末を確認した。
「うん……」
「別にダメとは言わないけれど、さすがに悪いよ。わたしから連絡を入れさせて」
 嵐恋の視線はほんのわずかに揺らめいた。
「その友達の家も、両親の帰り、遅いって……」
 ちらちらと彼は落ち着かない感じがあった。しかしそこに深入りするのが怖い。傷付けはしまいか。それだけでなく、壊しはしないか。超自然的としか言いようのない直感が問い詰めようとする加霞の意思を削いでいく。
「あーくん?」
「じゃあ、行ってくる。泊まるかも知れないから、そしたら連絡するよ!」
 そう捲したて、有無を言わせず彼は飛び出していった。舞夏が訪れている日は喜んでこの兄代わりに飛び付いたというのに、まるで避けるような素振りだった。
「加霞サン……?」
 脳裏では担任の教師と話した内容を繰り返し、まるでスクリーンのようにして玄関ドアを見つめる彼女に舞夏は首を傾げる。
「ああ……ごめんなさい」
 担任の教員に話した危惧が輪郭を持ちはじめる。
「嵐恋くんと何かあった?」
 すぐ隣にいる舞夏を瞥見する。覗き込まれた。彼は嵐恋の良き遊び相手であるが所詮は他人であり、同時に家庭の事情にはこれ以上巻き込めない相手である。一歩引いたところで末弟と接してもらわねば困るのだ。優しい舞夏は気を回すに違いない。弟を腫れ物扱いさせたくないのだ。
「何もないよ」
 加霞は万事何事もなく装ってリビングに戻ろうとした。舞夏に止められる。彼も戸惑っている。自分の行動に訳が分かっていない様子だった。
「……何?舞夏ちゃん」
「なんでも、ない………悪い」
 肩にあった手が離れていく。加霞は自分の肩がそこまで狭く小さいと思っていなかったが、この時ばかりは自身の肩の小ささを知る。彼の手が大きいのかも知れない。
 舞夏はまだ玄関ホールに突っ立っていた。それが気にならないではなかったが、彼女の頭を占めるのは弟のことである。生天目なばためとの面談が甦り、言いようのない不安が増殖している。これが嵐恋の反抗期なのか。遅れた思春期なのか。他の同じ歳のくらいの子たちと比べて彼は精神的な成長が遅れているように感じられる。雰囲気も幼い。それは姉として仮の保護者として手を焼いてしまうからか。
 嵐恋に限らず、男子の成育にはこういう時期があるのだろうか。加霞には分からなかった。反抗期であるならそれでいい。しかし適切でない接し方、環境に放り込んだせいなのなら、このままでは取り返しのつかないことになりそうだ。それが最も加霞の恐れていることなのだ。
「オレには相談できないこと……?」
 カウンターで反省会をしているとリビングに戻ってきた舞夏が言った。半ば彼がいたことすら忘れかけていた。固く瞑っていた目を開け、寄せられていた眉が離れる。
「そういうんじゃないよ。おうちのことだから。ごめんね、せっかく来てくれたのに。今ごはん、作るから……」
 嵐恋を追わねばならなかったのかも知れない。問い詰めて、話を聞くべきだったのだ。何故しなかった。後悔ばかりだ。そしてそこに言い訳を並べようとするが、どれも真っ当なものはなく、自身で論破できてしまう。
「加霞サン……加霞サンのことがまだ好き。返事が欲しいわけじゃない。頼って欲しい。加霞サンの役に立ちたい」
 ぐわんと側頭部を薙ぎ払われるような感覚に陥った。ソファーに座す舞夏の姿勢が畏まっていて彼らしくなかった。
「何、言って……」
 どうにか貼り付けた笑みは堅すぎる。頬の筋肉に異常を来しているみたいだった。
「嵐恋くんはオレの友達だけど、オレの好きな人の大切な弟でもあるんだよ」
 彼女は顔を顰めた。作業が手につかない。米を研ぐ簡単なこともできなかった。何合釜に移したのかも分からなくなってしまっている。突然の告白がショックだったのか、彼との関係に無理矢理に区切りを付けさせられたことに衝撃を受けているのか加霞自身、判じられなかった。これを言われたらお終いだ、というひとつの目安だったのかも知れない。引き出してしまった後ろめたさを認めるしかない。
「舞夏ちゃん」
 舞夏の目には彼の風体ふうていからは縁遠そうな怯えの色が陽炎う。彼と比較すると心身ともに見るからに弱そうで、華奢な、力尽くで服従させるでも屈服させるでもどうにでもできそうな女を前に戦々恐々としている。
「舞夏ちゃんがあーくんのこと、下心なく大切にしてくれてるの、分かってるよ」
 水に浸す直前で、彼女は釜の生米を戻した。しゃらしゃらと音がする。
「加霞サ……―」
「でもわたしはそうじゃない。舞夏ちゃんみたいに綺麗な考え、持ってない」
 沈黙が部屋の中で膨張し飽和状態になっている。四方八方から静けさに圧迫され、カップで米を掬う単純作業さえ息が苦しかった。
「それって…………どういう意味」
「舞夏ちゃんの気持ちを利用してたってこと」
「利用されたなんて、オレは思ってない」
「舞夏ちゃんは思ってなくても、わたしはそういうつもりだった」
 今ここで舞夏と問答している場合ではないのだろう。しかしもしかすると、嵐恋は姉の愚かな行為に気付いていたのかも知れない。そしてそこに嫌気が差したのかも知れない。友人の作り方も選び方も分からない小僧っ子として扱われたことに屈辱を覚えたのかも。
「そういう人間だから、わたし」
 舞夏の大きな吊り目が見開かれる。
「舞夏ちゃんの思うような清楚な女の子じゃないよ」
 女の子という年齢でもない。加霞は自嘲した。
「だから返事はしないし、受け取らない」
 カップで米を掬う。1合、2合、3合……今晩は4合も要らないかも知れない。
「それでも、好きだよ。オレに利用価値があるなら、利用して欲しい」
「本気で言ってるの。本気にするよ」
「……………本気じゃない」
 3合入れて、生米の山にカップを入れる。
「そんな契約みたいなのは、嫌だ」
「恋愛とかどうでもいいから。あーくんのことで精一杯。ごめんなさい」
 彼に恋人がいないと知って厭な安堵があったのは嘘ではない。そのことに素直になると、浅ましい自身を彼女は認めなければならなかった。
「……好きでもない男が毎日家に来て、気持ち悪かったろ。オレも深く考えてなかった。ごめんな、調子乗っちゃって。嵐恋くんとは、これからも、このことは抜きにして、友達だから……それはよろしく。じゃ、ご馳走様」
 見送りもしなかった。何故こうなったのだろう。嵐恋の話を打ち明けなかったのがいけなかったか。否、舞夏には舞夏の人生がある。一度となく二度も三度も、数え切れないほど利用したのだ。嵐恋がどうなろうと、もし舞夏側からアクションを起こした時、いずれはこうなったはずだ。彼が長年の恋慕に冷め、本当に恋人を得るということがなければ。だが意思と感情が背反している。彼の好意を受け入れるのは、加霞が己に課したこだわりとして許されないことなのだ。恋愛は真摯であるべきところを算盤そろばん片手に押し曲げ、し曲げ、それのみならず貞節はぎたぎたに切り刻まれ不浄を極めている。
 中途半端だった。弟に尽くすつもりならば舞夏を慮るのはやめにして、相手の恋愛感情を質草に骨の髄まで舐めしゃぶればよい。そうすることもできたはずだ。
 彼女は3合の米を研いだ。エプロンの中でスマートフォンが震える。電話だ。端末を耳に当てる。電話の相手は嵐恋の通う高校だ。
『土屋東高校の生天目です』
「お世話になっております、久城嵐恋の姉です」
 長たらしい挨拶は省略されていたが気にもならない。加霞からみて生天目という教師は特に人格破綻している感じはなかったけれど、教員という界隈に留まらず世間的にどこか浮いているような気がした。
『お時間よろしいですか』
「はい……」
『今日の放課後に久城と面談をしました。久城はもう帰宅していますか』
「さっき一度帰ってきたんですが、友達と遊ぶと言って……」
 生天目の返事のテンポが遅れる。
『……それから、まだ帰ってきていないんですか』
 19時を過ぎて少し経っている。塾や習い事、図書館に通うわけでもない高校生の外出時間として、学校側から見れば不健全なのかも知れない。
「はい……すみません」
『そうですか。いいえ、分かりました。ところで、久城の進路についてなのですが、本人はご自宅ではどう話していますか』
「特には……。成績に任せて、という感じで……」
『そうですか。今日話したところ、久城は大学進学については考えていないようです。すぐに就職すると。第一回目の進路希望の時点では、大学進学の意思があったようですが……』
 加霞はぎょっとした。大学進学のための費用を実家はぽんと出すだろう。加霞も通学費や家賃、教材費になればと、彼が苦労しないよう貯金はしている。
「その理由は、経済的な事情……ですか」
『それがですね……詳しいことは聞けていないのです。家を出たい、とそればかりで。この場合の家というのが、ご実家のことなのか、お姉様と暮らしているほうのご自宅のことなのかは訊きそびれてしまいましたが』
 ぶるぶる、と耳に当てた端末が振動する。このタイミングで他からも電話が掛かってきている。
『家を出たいのなら尚更、大学進学をする気はないのかと訊いてみたのですが、就職して一人暮らしを希望しているようです。もし……経済的な事情がおありでしたらご相談ください。奨学金を借りる手もあります』
「経済的な事情は、ありません!どうにかしますし、父もそう言っています」
 語調が荒くなる。我慢を強いていた自身に対する怒りだった。貧しい思いをさせたことも、経済的な厳しさを匂わせた覚えもない。何故なら困窮はしていなかった。毎日豪遊、贅沢三昧というわけにはいかなかったけれど、必要なものならば惜しまずに買った。食うにも着るにも困らせたことはないつもりだ。
『なるほど。分かりました。久城さん』
 唇を噛む。嵐恋は好い弟だった。その枠組みに彼の可能性を無視し、期待と理想を押し付けていたのか。加霞は思い出せる限りの彼との思い出を振り返る。
『久城さん?』
「あ、ああ。はい……すみません」
『私の携帯番号を教えておきますので、お姉様からでも久城本人からでも、帰宅次第、ご一報ください。留守電にでも入れておいてくだされば』
「はい……あの、すみません」
 メモを引き寄せ番号を書き留める。情けなさに声も出ない。
「ご迷惑をおかけします。もう少し家でもしっかりしますので……弟をよろしくお願いします」
『いいえ。久城はまったく問題のない生徒です。少なくとも素行に於きましては。迷惑なんてかかっておりません。だからこそ心配になりますが多感な時期です。家庭に原因のない場合もございますのでお姉様ひとりで抱え込まないよう、ご家族でよく話し合っていただいて』
 教師はそう言うしかないだろう。家庭の事情に踏み込める教員がどれほどいる。いくら生徒のためといえど干渉はトラブルになる。トラブルになれば生徒や教師が良くても周りが止めることになる。久城家はその点、悪い意味で寛容だ。嵐恋は産まれてすぐ、仕事熱心な母親から放って置かれた。父親から世話を任されたのは加霞である。育児は女の仕事であり、幼い同胞の世話もまた女同胞の常らしい。それでもまだ父を常識的で善良な人間だと信じていたのは、やはり圧倒的な経済力と外に対しての人当たりの好さのためかも知れない。大学に受かりさえすればどこでも学費には困らせないだろう。母親も同じ考えだ。双子はかなり差のある大学に行った。どちらがどちらに行ったのかは定かではないが、片方は有名な難関大学に受かったと言っていたし、片方もそれなりの大学に受かって入ったのは名前と住所・生年月日を書けば入れるようなところだ。教師が1人干渉してきたところで、外に甘い両親は学校に訴え出ることもなくその場で繕い、余裕をみせて、宥めるだけだろう。時代錯誤の熱血教師が居たもんだとばかりに。家族で話すことなど何もない。嵐恋は産まれたときからどうでもいい子だった。両親に蔑ろにされた子供を、愛された兄たちが一緒になって侮蔑し賤しまないはずがない。
『久城さん?』
 生天目の声で我に帰る。
「すみません」
『謝らないでください。お忙しい時間に失礼しました』
「いえ……あの、こういうとき、本当は父や母が出るべきなのでしょうけれど………やりづらいですよね。申し訳ないですが、実家は頼れないので先生……ご迷惑をおかけしますが、そういうつもりでお願いします」
 生天目の返答はまた遅れた。
『…………―なるほど。分かりました。久城のことは私もサポートします。お姉様も、久城のことで何かありましたら、ご相談ください。遠慮なく』
「はい。ありがとうございました。失礼します」
 通話を切ると、最新の着信履歴に嵐恋の名があった。急いでタップした。画面に爪ばかり当たる。やっと通話画面が表示された。コールが響く。やがて通話時間が現れる。
「あーくん……」
『姉さん』
 まったく予想外の声がした。唇がわなわな震える。拉致されたのだ。誘拐犯と喋っている。
「あーくんは………?」
『すぐそこに居る。家から摘み出したのか?』
「今……どこにいるの」
『俺の家に』
 鼓動が速まる。虐待が大好きな誘拐犯のどちらかに拉致され監禁されているに違いない。しかしどちらか、姿が見えないと分からない。確率は2分の1である。だが加霞にとっては雫恋も霙恋も同じである。厄介なのはろくでもない鬼畜が2人いることだ。あの双子か、あの双子のどちらでもないか。
雫恋かれんちゃん」
『雫恋じゃない』
「あーくんは無事なの?」
『俺は雫恋じゃない』
 何を言っても壊れた機械みたいに同じ言葉ばかり返される。彼女が改めて呼び直すまで話も聞かず、意地になって誘拐犯は双子の片方であることを否定した。
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