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3.歌うような祈り
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めまぐるしい日々はあっという間に過ぎ、私は秘書官から歌合わせの日程を決めろとせっつかれていた。結局、竜が私自身の物語を望んでいるということを伝えられないでいる。口ごもるばかりの私に、秘書官は苛立たしげにため息をついた。
「陛下があの吟遊詩人をご寵愛なさっているとしても、陛下の一存で決めてしまわれては反発を招きます。どうぞよくよくご深慮のほどを、お願いいたしますよ」
私が絶句しているうちに、秘書官は「失礼いたします」とさっと身をひるがえして執務室を去ってしまう。
……即位してからひと月も経っていないのに、すっかり色ボケの小娘だと思われてしまっているらしい。唇を噛みしめてうつむくと、じわりと涙がにじみ出てきた。
「おやまあ、陛下どうなさったんですか? あの陰険秘書官になにか言われたんですか?」
ふいに現れたルルカの声に、思わず顔をあげて机の上にあったペンを投げつける。
「帰ってよ! ……執務室にまで我が物顔で出入りして、あなたの……あなたのせいで変な噂まで立って……!」
言葉にならないことをわめきながら手当たり次第に本やら何やら投げつけるが、ルルカは「あわわ」とか言いながら全部かわしてしまう。いつのまにか至近距離に迫っていたルルカに抱きすくめられて、私はしゃくりあげて泣きながら大きく肩で息をした。
「どうどう、どうどう。……お辛い思いをさせてしまいましたね」
そっと背中をさすられると、こわばっていた全身もゆっくりとほぐれていく。理性ではルルカを遠ざけなければ法王の威厳に関わるとわかっているのに、すっかり籠絡されてしまった自分が恨めしい。私はすすり泣きながら途切れ途切れにルルカを責めた。
「どうして、私に物語をつくれなんて、言うの……今までの法王と同じように、おじいちゃんみたいに、しきたり通りにやっていれば、誰もなにも、言わないのに……」
ルルカはそうっと私を椅子に座らせて、その前に膝をついて真剣な顔で私を見つめた。
「……陛下、竜は老体だと申し上げましたね」
私は鼻をすすってうなずく。
「実は、竜の寿命はもっと長いはずなのです。……捧げられる物語が減ったことが、竜の活力に悪影響を及ぼしていると考えられます。前法王もそれを憂慮しておられました」
「おじいちゃんが?」
問い返すと、ルルカは表情を曇らせてうなずく。
「ええ。……そこで、前法王は陛下にすべてを託すと、竜に言い残して身罷られました。新しい法王なら、新しいしきたりを作ることができる」
ルルカの言葉に心は揺れるけれども、秘書官の冷たい眼差しが私の胸に刺さって取れなかった。今こうしてルルカの言葉を聞き入れ、しきたりを変えれば、みんな私がルルカにそそのかされて自分の威厳をひけらかそうとしているのだと考えるだろう。私はしばらくうつむいて唇を結んでは開き、言葉を探した。
「……竜のためなら、儀式を変えなければいけないかもしれない。でも、そうなったら、あなたとはお別れしないと」
うつむいたままの私の言葉に、ルルカは一度目をみはってから寂しげに微笑む。
「……陛下は聡明な方ですね。ええ、まさしく。私をいつまでも側近くに置いては、私が陛下に取り入ろうとしていると良くない噂が立つでしょう」
「それが……嫌なの」
声が震えてしまう。ルルカは言葉を失い、はっとした表情で私を見つめた。
「ルルカがいなくなったら、私はまたひとりぼっちになってしまう。私を針のむしろに残してどこかに行ってしまうなんて……あんまりだ」
詰まる喉から震える声を絞り出し、私はまたぼろぼろと涙をこぼした。
ひんやりしたルルカの指先が私の涙をすくい、そっと抱きしめられる。ルルカは相変わらず優しく私の背中をさすった。
「……ひとりになど、するものですか。竜とともにずっと奥宮におります。いつでも、会いにいらしてください」
ルルカは優しい。それと同じだけ残酷だ。絶対に嘘をつかない。……ずっと一緒にいてくれるとは、言ってくれない。またこんなふうに気軽に会いにきてくれるとは、決して言わない。
私の涙が少しずつおとなしくなると、ルルカはそっと私の顔を覗きこんだ。
「陛下。お伝えしておきたいことがございます。……竜は前法王の良き友として、あなたの名付け親を任されました。竜はあなたの成長をそれは楽しみにしておられました……時折人の姿をとって様子を見に行くほどに」
大切に語られる言葉に、私は胸を衝かれる思いだった。竜に語った物語は、私の小さなころの思い出をもとにしたものだ。あの時の吟遊詩人は、もしかして……。
ルルカは静かに微笑んだ。
「明日にでも、竜として姿を見せるとの伝言です」
薄曇りの空から光の帯がいく筋も降る日だった。
早朝、聖都市の民は悲しげな声で目を覚ます。それは狼の遠吠えのようでもあり、もっと哀愁を帯びてもいて、聞くものの胸をかきむしるような響きだった。
表に出たものは、法王宮のさらに上、奥宮があると言われるあたりにうごめくものを見つける。それは苔むした体をきしませ、こわばった翼を広げようとしている竜の巨体だった。都市は騒然となる。竜が姿を見せるのは神話の中の話──民はすでに、竜が実在することを信じてはいなかった。
──ォオ…………ン…………
竜の苦悶の声が風に乗って流れてくる。息を飲んで奥宮を見上げる民の前、竜は翼を震わせ、よろめきながら飛び立った。竜が去る……加護が失われるのだと、思ったものもあった。
竜は聖都市の上空をゆっくりとひとめぐりし、広場に降り立った。遠巻きに様子を伺う民の中から、少女が飛び出してくる。それは先日即位式で姿を見せたばかりの、新法王その人だった。
彼女は竜にすがるように寄り添う。竜は大きく息を吐きながら、親しげに顔をすり寄せた。
「……ああ、心配いらないさ。久々に体を動かして……いい気分だよ」
低く深遠な響きの声。法王は心配そうに竜の首を撫でる。竜はぐるりと広場に集まった人々を見回した。
「さて、皆の衆。……最上の物語とはなんだろうか」
戸惑う人々を見据え、竜は言葉を続ける。
「多くの人を楽しませるのが良い物語か。長く残るのが良い物語か。……誰がそれを決めるのか」
ひゅうと吸った息、ぜいと吐いた息。竜の呼吸は苦しげだった。
「それを決めるのは、聞き手ただひとりだ。ひとりの聞き手が良いと思い、それが集まることで多くの人が楽しむ。その結果として長く残ることもあるだろう。……しかし、ひとりの語り手が、目の前の聞き手をおろそかにして、良い物語はありえない」
竜は長く息を吐き、法王を振り返る。
「……俺は、俺を想って語られる物語を望む。名声や技量ではない。真に俺へ向けて語られる物語のみが、俺の飢えを癒すのだ」
竜は法王に微笑みかけ、もう一度民衆に目を向けた。
「幸いにして、俺にはこの娘がいる。……あたたかい心の娘だ。この娘の物語を俺は求めよう」
長い首をぐうっと伸ばし、竜は翼を広げて震わせる。巻き起こった風に法王が後ずさると、竜は背骨をたわめて飛び立つ準備をした。
「……忘れてくれるなよ、物語のあたたかさを……」
そう言い残し、竜はゆっくりと飛び上がる。雲が切れ、まぶしい光が降り注ぐ中、竜は奥宮へと帰っていった。
それ以来、竜は奥宮でほとんど眠って過ごすようになった。ルルカはもう奥宮を離れられないのだという。……いつ、儚くなるかわかりませんので、とルルカは寂しげに笑う。
私はかえって諦めがついたというか、そんな状態の竜のためにできることは全部やるつもりで改革を進めていった。法王に集中していた権力を分散し、自分の仕事をできるだけ減らして、代わりに毎日竜の様子を見にいくことにした。人になんと言われようがかまわない。私の物語は竜のためにあるのだ。
また、民衆にとっても物語がより身近なものになるように、吟遊詩人を集めていつでも物語を聞くことができる劇場をいくつか作った。物語をたくさん聞いて育った子供が、いつか自分も物語をつくりたいと思うようになればいい。……私のように。
眠る竜のかたわらで、私は時折新しい物語を語って聞かせる。鈴板の扱いには慣れてきたけれど、物語が上手くなっているかどうかはちっともわからない。でも、竜は眠りながらももぐもぐと口を動かしている。
「……竜の加護はいつまで続くのかな」
ある日こぼしたつぶやきに、ルルカはしばらく目を泳がせてから気まずそうに笑った。
「……えーと、ここだけの話……次代の竜は、すでにお側におりますよ」
私はルルカをまじまじと見つめる。その、木漏れ日を映した金色の瞳を。
「……加護は失われないの?」
ルルカはその瞳を飴玉みたいにとろけさせ、うなずいた。
「良い物語がある限り、竜と人との絆も続きます」
私はほっとして、隣に座ったルルカに身を寄せ竜に視線を戻した。
「ひとりじゃないんだね。私も、この国も、竜とともにあるんだ」
ルルカは私の頭をぽんぽんと撫でる。
「末永く、竜と人とが睦まじくありますように」
歌うような祈りの言葉。私の気持ちと同じ温もりを持ったルルカの声が、じんわりと体を幸せで満たす。
……いつまでも、いつまでも、この幸せが続きますように。
「陛下があの吟遊詩人をご寵愛なさっているとしても、陛下の一存で決めてしまわれては反発を招きます。どうぞよくよくご深慮のほどを、お願いいたしますよ」
私が絶句しているうちに、秘書官は「失礼いたします」とさっと身をひるがえして執務室を去ってしまう。
……即位してからひと月も経っていないのに、すっかり色ボケの小娘だと思われてしまっているらしい。唇を噛みしめてうつむくと、じわりと涙がにじみ出てきた。
「おやまあ、陛下どうなさったんですか? あの陰険秘書官になにか言われたんですか?」
ふいに現れたルルカの声に、思わず顔をあげて机の上にあったペンを投げつける。
「帰ってよ! ……執務室にまで我が物顔で出入りして、あなたの……あなたのせいで変な噂まで立って……!」
言葉にならないことをわめきながら手当たり次第に本やら何やら投げつけるが、ルルカは「あわわ」とか言いながら全部かわしてしまう。いつのまにか至近距離に迫っていたルルカに抱きすくめられて、私はしゃくりあげて泣きながら大きく肩で息をした。
「どうどう、どうどう。……お辛い思いをさせてしまいましたね」
そっと背中をさすられると、こわばっていた全身もゆっくりとほぐれていく。理性ではルルカを遠ざけなければ法王の威厳に関わるとわかっているのに、すっかり籠絡されてしまった自分が恨めしい。私はすすり泣きながら途切れ途切れにルルカを責めた。
「どうして、私に物語をつくれなんて、言うの……今までの法王と同じように、おじいちゃんみたいに、しきたり通りにやっていれば、誰もなにも、言わないのに……」
ルルカはそうっと私を椅子に座らせて、その前に膝をついて真剣な顔で私を見つめた。
「……陛下、竜は老体だと申し上げましたね」
私は鼻をすすってうなずく。
「実は、竜の寿命はもっと長いはずなのです。……捧げられる物語が減ったことが、竜の活力に悪影響を及ぼしていると考えられます。前法王もそれを憂慮しておられました」
「おじいちゃんが?」
問い返すと、ルルカは表情を曇らせてうなずく。
「ええ。……そこで、前法王は陛下にすべてを託すと、竜に言い残して身罷られました。新しい法王なら、新しいしきたりを作ることができる」
ルルカの言葉に心は揺れるけれども、秘書官の冷たい眼差しが私の胸に刺さって取れなかった。今こうしてルルカの言葉を聞き入れ、しきたりを変えれば、みんな私がルルカにそそのかされて自分の威厳をひけらかそうとしているのだと考えるだろう。私はしばらくうつむいて唇を結んでは開き、言葉を探した。
「……竜のためなら、儀式を変えなければいけないかもしれない。でも、そうなったら、あなたとはお別れしないと」
うつむいたままの私の言葉に、ルルカは一度目をみはってから寂しげに微笑む。
「……陛下は聡明な方ですね。ええ、まさしく。私をいつまでも側近くに置いては、私が陛下に取り入ろうとしていると良くない噂が立つでしょう」
「それが……嫌なの」
声が震えてしまう。ルルカは言葉を失い、はっとした表情で私を見つめた。
「ルルカがいなくなったら、私はまたひとりぼっちになってしまう。私を針のむしろに残してどこかに行ってしまうなんて……あんまりだ」
詰まる喉から震える声を絞り出し、私はまたぼろぼろと涙をこぼした。
ひんやりしたルルカの指先が私の涙をすくい、そっと抱きしめられる。ルルカは相変わらず優しく私の背中をさすった。
「……ひとりになど、するものですか。竜とともにずっと奥宮におります。いつでも、会いにいらしてください」
ルルカは優しい。それと同じだけ残酷だ。絶対に嘘をつかない。……ずっと一緒にいてくれるとは、言ってくれない。またこんなふうに気軽に会いにきてくれるとは、決して言わない。
私の涙が少しずつおとなしくなると、ルルカはそっと私の顔を覗きこんだ。
「陛下。お伝えしておきたいことがございます。……竜は前法王の良き友として、あなたの名付け親を任されました。竜はあなたの成長をそれは楽しみにしておられました……時折人の姿をとって様子を見に行くほどに」
大切に語られる言葉に、私は胸を衝かれる思いだった。竜に語った物語は、私の小さなころの思い出をもとにしたものだ。あの時の吟遊詩人は、もしかして……。
ルルカは静かに微笑んだ。
「明日にでも、竜として姿を見せるとの伝言です」
薄曇りの空から光の帯がいく筋も降る日だった。
早朝、聖都市の民は悲しげな声で目を覚ます。それは狼の遠吠えのようでもあり、もっと哀愁を帯びてもいて、聞くものの胸をかきむしるような響きだった。
表に出たものは、法王宮のさらに上、奥宮があると言われるあたりにうごめくものを見つける。それは苔むした体をきしませ、こわばった翼を広げようとしている竜の巨体だった。都市は騒然となる。竜が姿を見せるのは神話の中の話──民はすでに、竜が実在することを信じてはいなかった。
──ォオ…………ン…………
竜の苦悶の声が風に乗って流れてくる。息を飲んで奥宮を見上げる民の前、竜は翼を震わせ、よろめきながら飛び立った。竜が去る……加護が失われるのだと、思ったものもあった。
竜は聖都市の上空をゆっくりとひとめぐりし、広場に降り立った。遠巻きに様子を伺う民の中から、少女が飛び出してくる。それは先日即位式で姿を見せたばかりの、新法王その人だった。
彼女は竜にすがるように寄り添う。竜は大きく息を吐きながら、親しげに顔をすり寄せた。
「……ああ、心配いらないさ。久々に体を動かして……いい気分だよ」
低く深遠な響きの声。法王は心配そうに竜の首を撫でる。竜はぐるりと広場に集まった人々を見回した。
「さて、皆の衆。……最上の物語とはなんだろうか」
戸惑う人々を見据え、竜は言葉を続ける。
「多くの人を楽しませるのが良い物語か。長く残るのが良い物語か。……誰がそれを決めるのか」
ひゅうと吸った息、ぜいと吐いた息。竜の呼吸は苦しげだった。
「それを決めるのは、聞き手ただひとりだ。ひとりの聞き手が良いと思い、それが集まることで多くの人が楽しむ。その結果として長く残ることもあるだろう。……しかし、ひとりの語り手が、目の前の聞き手をおろそかにして、良い物語はありえない」
竜は長く息を吐き、法王を振り返る。
「……俺は、俺を想って語られる物語を望む。名声や技量ではない。真に俺へ向けて語られる物語のみが、俺の飢えを癒すのだ」
竜は法王に微笑みかけ、もう一度民衆に目を向けた。
「幸いにして、俺にはこの娘がいる。……あたたかい心の娘だ。この娘の物語を俺は求めよう」
長い首をぐうっと伸ばし、竜は翼を広げて震わせる。巻き起こった風に法王が後ずさると、竜は背骨をたわめて飛び立つ準備をした。
「……忘れてくれるなよ、物語のあたたかさを……」
そう言い残し、竜はゆっくりと飛び上がる。雲が切れ、まぶしい光が降り注ぐ中、竜は奥宮へと帰っていった。
それ以来、竜は奥宮でほとんど眠って過ごすようになった。ルルカはもう奥宮を離れられないのだという。……いつ、儚くなるかわかりませんので、とルルカは寂しげに笑う。
私はかえって諦めがついたというか、そんな状態の竜のためにできることは全部やるつもりで改革を進めていった。法王に集中していた権力を分散し、自分の仕事をできるだけ減らして、代わりに毎日竜の様子を見にいくことにした。人になんと言われようがかまわない。私の物語は竜のためにあるのだ。
また、民衆にとっても物語がより身近なものになるように、吟遊詩人を集めていつでも物語を聞くことができる劇場をいくつか作った。物語をたくさん聞いて育った子供が、いつか自分も物語をつくりたいと思うようになればいい。……私のように。
眠る竜のかたわらで、私は時折新しい物語を語って聞かせる。鈴板の扱いには慣れてきたけれど、物語が上手くなっているかどうかはちっともわからない。でも、竜は眠りながらももぐもぐと口を動かしている。
「……竜の加護はいつまで続くのかな」
ある日こぼしたつぶやきに、ルルカはしばらく目を泳がせてから気まずそうに笑った。
「……えーと、ここだけの話……次代の竜は、すでにお側におりますよ」
私はルルカをまじまじと見つめる。その、木漏れ日を映した金色の瞳を。
「……加護は失われないの?」
ルルカはその瞳を飴玉みたいにとろけさせ、うなずいた。
「良い物語がある限り、竜と人との絆も続きます」
私はほっとして、隣に座ったルルカに身を寄せ竜に視線を戻した。
「ひとりじゃないんだね。私も、この国も、竜とともにあるんだ」
ルルカは私の頭をぽんぽんと撫でる。
「末永く、竜と人とが睦まじくありますように」
歌うような祈りの言葉。私の気持ちと同じ温もりを持ったルルカの声が、じんわりと体を幸せで満たす。
……いつまでも、いつまでも、この幸せが続きますように。
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