19 / 19
18
しおりを挟むそれから数日が経てば…特に伯爵の宣言もあったために…あの一夜の騒ぎはエスポーサの狂乱ということで片付けられた。
精霊の力を借りて魔法陣を使って何処かに行こうとしたというより、職務を肩代わりし懸命に伯爵を支えた伯爵夫人が、疲労と娘の失踪が重なっておかしくなったという方が使用人の中でもまだ納得しやすい理由でもあった。
現に身近に這い寄るイバラの森があったとしても、魔法というものの存在があったとしてもなお、精霊という目に見えないものを信じる者は少ない。
あの夜フォワレを必死に運んでくれた者達以外は。
彼らだけはエスポーサのもつ神秘の秘術をその目にしていたからこそ、表面上はどうあれ、伯爵がそれらの現実を否定しようとも到底受け入れなかった。
フォワレはあの後、未だ起きる気配のないヒッポウをなんとか馬車から見つけ出し、空だった鳥籠の中に敷き詰めた真綿と一緒に安置した。妙な場所に置けば掃除の際に誤って捨てられるかもしれないと思ったためだ。
青い鳥と人の合いの子のような彼をみんなも見ることができたら、みんなお母様を疑ったりなんてしないだろうに。と、歯がゆい気持ちを抑え込んでいる。
フォワレに優しく甘い使用人達にも、その気持ちを吐露することはなかった。
エスポーサは錯乱中であるということと同じく、精霊に類する話をした者は紹介状も持たされず解雇されると決まったから。
フォワレはこの数日で、カロルといた時とは別種の…何かよくない方向に進んでいるような手詰まりを感じていた。
ただ、そんな中でも唯一気が紛れる時間というのが、大好きな母親との会話だった。
朝食後、家庭教師から淑女の教育を受けるまでのしばらくの時が、母親と会える数少ない時間だ。
*
「おはようございます、お母様」
「おはよう。フォワレ」
本館と少し離れた別邸の一室にエスポーサは囚われた。
日当たりのいい広い一室。大きな窓には細くはあるが鉄格子が嵌められ、ドアには鈴。
小さな鐘が装飾のように配されている奇妙さ以外は、伯爵が手を尽くしたのだろう、やけに豪奢な内装の部屋だ。
ヒッポウを連れてきてはいけないと言われたために、毎回持ってくるものはお見舞いのお絵かきくらいだった。
ベッド上で上半身を起こしてフォワレを迎えるエスポーサの元へ小走りで駆け寄ると、ベッドの横に置かれた小さな椅子に腰掛ける。
フォワレのために置かれたものはいくつかあり、そういうものを見る度に、一応願いを言えば叶えてくれるほどの了見は備えていたみたいとエスポーサが苦々しく言ったことを思い出す。
「お母様…」
ベッド上の彼女は、数日前より明らかにやつれていた。
心配げに下から見上げるフォワレの頭を優しく撫でて、エスポーサは微笑む。
「今日は何を描いてくれたの?」
「あのね、今日はお花とヒッポウを描いたの」
エスポーサはニコニコと喜んで、受け取った絵をしみじみと見つめている。
「フォワレは本当にお絵かきが上手ね。私の友達にもお絵かきが上手な子がいてね、見せてあげたかったなぁ」
「お母様のお友達?どんな子?」
「ふふ、そうね、体は大きくって…耳は長くて…目は吊り上がってて、一見怖いんだけど、とっても優しい子だったわ。いつかあなたも会えるといいわね」
まるで、その未来が来ることはないとでも言うみたいに。
儚げに笑うエスポーサに、どうにも言い知れない焦りや不安がフォワレの心に山積していく。
母親と共にいることのできる時間は、その時何よりも変え難く大事なものだった。
エスポーサは、フォワレが出なければいけなくなる時間になると「おいで」と腕を開けて、誘われたように飛び込んでくるフォワレを優しく抱きしめた。
「私のかわいいフォワレ…。大丈夫。あなただけは絶対に守るわ」
耳元で囁かれる声だけは毎回変わらない。
強い覚悟のようなものが滲み、それを聞くたびにフォワレは安心で満たされた。
そしてまた、フォワレも同じことを口にする。
「私も、お母様を守るよ」
ジャラ…と、抱きしめられた背中のあたりから音がする。
フォワレはいつも"それ"を外してあげたかった。
エスポーサの腕に巻かれた鉄の腕輪と、それに繋がる鎖の音は、何よりもエスポーサを弱らせる原因のように思えてならなかったから。
そして時間が来て、家庭教師に厳しく教育を受け、マナーの教育がてら昼食を喫し、1日の課題が終われば一人で夕食を摂り、入浴して眠る。
夜。鳥籠の中で眠るヒッポウの様子を見て床に着く。眠る前にフォワレはその日の振り返りをする。
死の森が領地の近くにやってきて、伯爵が倒れ、こんなことになる前の日常も思い返す。
伯爵はその時…もちろん形式上今でもそうだが…父親で、フォワレにも優しく、妻を拘束して閉じ込めるなんてことをするような人間ではなかった。
だから、カロルのせいなのだ。こんなことになったすべての元凶。
今は何を思ってか解放してくれたカロル。彼に閉じ込められていた間、確かに気が狂いそうだった。
嫌いだ。間違いなく。それでもフォワレは少し、彼の事を考えるとどうしてか寂しくなってしまう。
おかしなほどに恋しささえ湧いていた。
今、親しくしてくれる人と接する時間がないせいもあるのだろうと思いながら、どうしようもなく嫌悪と恋しさがせめぎ合ってしまうのだった。
0
お気に入りに追加
31
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。



あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる