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しおりを挟む軽々と言葉を吐くヒッポウはあまりにも自信に満ち溢れて、フォワレのちょっとした疑心をすぐに吹き飛ばす。
実際に、その後の展開は実にすばやい。
彼がふぅっと青い炎を吹くや、それはそのまま空間にとどまった。
薄紙を丸く焼き焦がすように燃え盛ると、瞬く間に子供一人が入れそうな空間になる。
『よし、フォワレ!俺についてこい!』
中から穴を覗いてみれば一面の星明かりが見える。それは、ここへ来てから比喩でなく一切見ることのなかった景色だ。
フォワレは続々と込み上げる感動に押され、穴に飛び込んだヒッポウのあとを必死で追いかけた。
穴を越えてから、体が驚くほど軽くなった。
頭上に浮かぶヒッポウが自慢げにフォワレを見下ろしている。
「これもあなたの魔法?」
『そうだよ。これからしばらく、あんたは疲れ知らずに走り続けなくちゃなんないからな』
「…一応聞くんだけど、家までひとっ飛びってわけには」
『はは。さすがにそれは対価がかかりすぎるね。目なり指なりくれるなら考えてやってもいいけど?』
「な、なんでもないわ!」
フォワレの体はガチョウの給餌のように食べさせられてきたものたちで、もはや着ぶくれの風船のようになっていた。
そのために感じていた鉛のような体の重さが一切消えてしまったのだから、本当は目一杯走れることをうれしく思っていた。
ひとまず、二人は駆け出した。
星明かりがあっても真っ暗な足元を彼の青い光が照らす。
青く燃え盛る先導に安堵し一度背後を振り返ってみると、フォワレは衝撃に跳び跳ねた。
茨が這い、鋭く枯れた黒い木々を守るように生えている。
それはフォワレが過ごしていたあの穏やかな若緑の森とまったく違っている。
死の森にふさわしい威容だ。
前を向きなおし、懸命に四肢を動かす。
人生でこれほどなりふり構わず走ったことなど、淑女の人生の中で一度もない。
広がる平原を走って走って、ついに森が夜闇に紛れるほどになっても、数十分後に朝日がのぼり遠目からも見えなくなっても恐怖が消えることはなかった。
『あっやばいやばい、もっと早く走れ!』
「えっ、ええーっ!?」
青い炎の塊のようになった精霊の、慌てる声のせいだ。
『バレたっ!見つかる見つかるっ』
余裕綽々の態度は一変した。
すぐにフォワレの肩に座ったあと、両手を出して何やら唱えている。
『後ろ見るなよ~!見たら後悔するぞ~!』
「えっやだっ何か来てるのっ」
なにか物音がする、気がする。
青ざめたフォワレはことさら必死になって手足を動かした。
*
朝日がのぼり、いよいよ空が白んだ頃、フォワレはくたびれながら見知らぬ町にたどり着いた。
背後になにかがいる気配はない。
肩の上にはぐったりしたヒッポウが、しきりにピィピィ泣いている。頭を撫でて慰めてあげてもヒッポウは指にしがみついて泣くだけだ。
出会った当初の自信満々な部分がただの虚勢だったことに気付いてしまって、フォワレ自身も泣いてしまいたくなった。
それでもヒッポウはよくやった。
フォワレはよく頑張ったこの精霊を早く休ませてあげたかった。
彼の泣き言に耳を貸す体力も残ってないフォワレは、最後の力をつかって、保護を求めに警備隊の小屋を探した。
町中で迷子にでもなったらこうしろという母親の教えの通りだ。
そこで保護してもらい、必ず来るだろう這い回る死の森が迎えに来るまでに、なんとか伯爵家へ向かわねばならなかった。
そこから先どうなるのかを考える余裕は今のフォワレにはない。
早朝だというのに、早起きな町人は朝の仕事の支度をしているようすだ。
フォワレはなんとか一番目に目に入った豊満な体の女性に声をかけた。
「あらまぁっ、どうしたんだい?」
「あの…警備隊の詰め所っていうのはどちらにありますか?」
小麦粉の袋を運んでるらしかった彼女は、それを地面に置くと、フォワレをがっしりと抱き上げた。
「あんたひどい顔をしているよ?迷子かい?待ってな、おばさんがすぐ連れてきてあげるからさ」
親切だ。まともな人間の親切さを、フォワレは久々に感じた。
筋肉のついた彼女の腕がおどろくくらい安心させてくれた。
「あっ…ありがとうございます……」
「なにがあったか知らないけどね、とりあえずここでちょっと座ってるんだよ!」
彼女は大慌てで家の中に入ると、フォワレを近くのソファに座らせてくれた。
中にいた人物に声をかける。
「あんたぁ!ちょっとあたし、ハンスさんのとこ行ってくるから!この子の事頼んだよ!」
「なんだ?どうかしたのか?」
「なんかね、迷子みたいなんだよ。じゃ行ってくるからね!あ、外の袋運んどいておくれよ!」
フォワレは彼女の背中をずっと見つめていた。見ず知らずの子供に訳も聞かずに仕事も置いて、警備隊に行ってくれるなんて。なんてすばらしい人なんだ、という思いで一杯だった。
彼女が出ていってからも扉をじいっとながめていた。
「…お嬢ちゃん?お水、飲むかい?」
ふと声をかけられて、ハッとしたフォワレはすぐにそちらを振り向いた。
ひげ面の熊のような男が、不格好に笑顔を浮かべて頭をかいていた。おそらく彼女の旦那だろう。
彼の手にはコップが握られていた。
フォワレは疲労に震えながらその場で頭を下げた。とてもお辞儀をお披露目できるほどの体力はなかった。
コップを受け取り、名前を告げた。
「わ、私は、レーゼン家のフォワレと申します」
「レーゼン家…ええっ!?ど、どうしてこんなところに領主様のお嬢さんが…っ」
「色々あって迷子になったんです…」
「あっ、そ、そうでしょうね!ええ、なんか、あったんでしょう!」
男はしどろもどろになりながら頷き、水をちびりと飲むフォワレをこわごわとながめた。
そこで静かにしていたヒッポウが動き始める。どうやら水をのみたいようだ。
フォワレの腕から指先をたどり、器用に親指に座ってぐびぐび水を飲んだ。
「ヒッポウ。あなた、そんなに喉が乾いていたのね」
『俺は木の精霊でもあるから、水はとっても大事なんだ…』
「へえ…そうなの…」
『そんなことより』
ヒッポウは困ったような顔をした。
わかったようでわからない問答をしていると、目の前の熊のような男が不思議そうに首をかしげた。
「ヒッポウってなんですかい?」
『…フォワレ、注意しなよ。普通の人に俺たちを見ることはできないんだ、話を聞くこともね』
「えっあ、えーっと。ひ、ひゃっほう、って言ったのですわ。おほほ…のどが渇いていたもので…」
慌てて言った言葉に、ヒッポウは失笑し、熊のような男は苦笑した。
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