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母娘でトライアングラー

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 母に似ている、と言われるのは面白くない。シングルマザーとして育ててくれたことには感謝しているが、性格が全然合わず、水と油みたいな関係である。

 母はマイペースで、少し抜けていて、物が捨てられないタイプだ。木造の古びた一軒家は二人で暮らすのは広すぎるが、物置と化しているのは一部屋や二部屋ではない。母は着古したTシャツや縁のかけた食器などをごっそり貯め込んでいる。

 私がいなかったら、かなりの高確率で我が家はゴミ屋敷になっていただろう。

「ねぇ、思い切って処分しようよ」
「いやよ。お願いだから勘弁して」

「ほら、この手提げ袋なんか12枚もあったよ。母さんが働いていたお店の袋でしょ」

 母は昔、フルーツショップに勤務していた。その手提げ袋は白地に黒で、切り絵風のタッチで水車小屋が描かれている。表面加工が施されていて、丈夫で持ちがよさそうだ。でも、同じ手提げ袋を12枚もとっておく必要があるだろうか。

 母は手提げ袋の束を胸に抱いて、
「お願い、これだけは許して。大切な思い出があるの」

 一言でいうと、母の恋バナだった。なるほど、とっておきたい気持ちは理解できる。ただ、手提げ袋は使ってこそ価値がある。母にそう言っても使うわけがないので、私がサブバッグ代わりに持ち歩くことにした。

 だけど、こうした些細ささいな事が、人の出会いを生むのだから、世の中はわからない。仕事を終えて、駅のプラットホームで電車を待っていたら、声をかけられたのだ。

「すいません、お嬢さん。つかぬことをうかがいますが」

 振り向くと、銀髪の男性が素敵な笑顔を浮かべていた。背筋がピンと伸びていて、ストライプの麻ジャケットにスカイブルーのチノパン、ウイングチップの革靴、さりげなく首元にチーフを巻いていて、とてもおしゃれだ。

 まさか、ナンパだろうか? 私は少し警戒する。

「そちらの袋なのですが……」おじさまは私の手提げ袋を指差した。「もしかすると、水乃屋さんの袋ではないですか?」

「ミズノヤさん?」
「ええ、果実の専門店です。東口商店街に出店していました。このあたりに来たのは久し振りなのですが、今もまだあるのでしょうか?」

 どうやら、私がその店で買い物をしてきた、と思われたらしい。

「ああ、ありましたね、水乃屋さん。いつも南国フルーツのいい匂いがしていました」
「ええ、あの香りは僕も大好きでした」

「あっ、でも、すいません」私は少し困った顔になる。「水乃屋さんは5年ほど前に閉店しました。社長さんが亡くなってしまって」
「そうですか。残念ですね。では、あなたがお持ちの袋は?」

「これは、家にあったものなんですよ」
「なるほど、僕の早とちりでしたね」おじさまは照れくさそうに頭をかく。「懐かしい袋を見て、つい声をかけてしまいました。そのデザインは約30年前に、僕が描いたものなんですよ。まだ駆け出しのデザイナーでした」

「へぇ、そうなんですか」改めて、手提げ袋を見る。「素朴でかわいらしいデザインですね」
「ありがとうございます」

「ということは、水乃屋さんとは、何度か打ち合わせをされたわけですね」
「ええ、完成形に至るまで、十数回ほどでしょうか。僕が未熟なせいもあって、先方には御迷惑をおかけしました」

 いえいえ、そんなことはありません。私は心の中で呟く。本当にすいません。その担当者は実は、私の母なんです。

 若かりし頃の母には、こっそり憧れていた男性がいた。彼は若いデザイナーだったので、なかなか企画内容にOKを出さず、何度も足を運んでもらったとか。(ちなみに、今は亡き父と出会う前の話である)

 その折りは母が御迷惑をおかけしました。私は心の中で、おじさまに頭を下げる。

 それにしても、母親の片想いの相手と会って、こうして言葉を交わしているなんて、不思議な感じがする。さりげなく、おじさまに訊いてみた。

「あの、水乃屋さんの担当窓口の方を覚えておられますか?」
「ええ、覚えていますよ。見事な顎鬚あごひげの店長さんです。デザインには、とてもこだわりがある方でした」

「あれ、男性の方ですか? 女性の方ではなくて」
「ええ、昔の話ですが、そうだったと思いますよ」

 なるほど、母のことは忘却の彼方というわけか。それとも、こうあってほしいという母の願望が、真実をねじまげて記憶させたのか。

 しばらくして、電車がホームに滑り込んできた。おじさまが乗るようなので、私は電車を一本見送る旨を伝えた。

「では、失礼します。お嬢さんとお話ができてよかったですよ」

 おじさまは会釈をして、電車に乗り込んだ。走り去る電車を笑顔で見送った。

 とても魅力的なおじさまだった。もしかしたら、一目惚れをしたかもしれない。薬指に指輪がなかったので、独身の可能性が高い。この手提げ袋は残りの11枚と一緒に大事にとっておかなければ。

 また、会えるだろうか? 会えたとしたら、それは運命なのかもしれない。

 ただ、母と同じ好みというのは妙な気分だ。明らかに居心地がよくない。もし、母と三角関係になったら、出来の悪いコメディである。

 もっとも、この恋は数日しかもたなかった。同じ駅の構内で、おじさまが同年配の女性と腕を組んで歩いているのを見かけたのである。いかにもお似合いの熟年カップルだった。お二人の後ろ姿を見送りながら、私を小さく溜め息を吐く。

 その時、ポンポンポンと間の抜けた音がした。真っ昼間から打ち上げ花火でもしているのか。まるで、「残念でした」と、誰かに笑われたようだ。

 同じ男性を好きになって、ともに失恋するなんて、やはり、私と母は似ているのかもしれない。認めたくはないけれど。

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