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10年目の秘密基地

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 築数十年の古びたマンションの一室を借りている件は、家族にも社員にも知らせていない。社長に就任して10年が経ったが、これまで誰にも知られることはなかった。

 一言で言うなら、あの部屋は私にとって、心のオアシスだった。生き馬の目を抜く競合他社との争いと社内の派閥争いの中で、唯一、心の休まる空間だったのだ。

 だが、どうやら、それも終わりそうだ。私の失脚ネタを探していた専務派の連中が、オアシスの存在を嗅ぎつけたらしい。もっとも、連中が呆気にとられたことは想像に難くない。マンションに愛人を囲っていると思っていたのに、部屋にあったものは予想外のものだったのだから。

 大人の秘密基地ですよ、と専務派の誰かが言ったらしい。

 否定はしない。言い得て妙だ。男の子なら誰でも、空き地や裏山に秘密基地を使った経験があるだろう。

 私も小学生の頃、友達と一緒に、秘密基地を作った。古びたテントとビニールシートで屋根と壁を作り、床には茣蓙を敷いていた。強い風が吹けば吹き飛ぶような粗末な代物だが、子供たちにとっては心躍る空間だった。

 ゴミ置き場から持ってきた本棚には、マンガ雑誌やコミックスが詰まっていた。大半が廃品回収の日に拾ったものだったと思う。グラビアページが破られていたり、カバーがなかったりしたが、子供たちにとっては宝物であり、共有の財産だった。

 思春期になると、平凡パンチやプレイボーイ、GOROなども加わった。きれいなお姉さんの水着姿やヌードグラビアが目当てだったことは言うまでもない。当時流行していたフォークソングをラジカセで聴いたり、トランプやボードゲームで遊んだりもした。

 大学生になると、漫画同好会の部室が秘密基地にとってかわる。たがみよしひさや士郎正宗のマンガ、筒井康隆や平井和正の文庫本を読みふけった。『幻魔大戦』や『超時空要塞マクロス』といったアニメ映画にも夢中になった。そうしたサブカルチャーによって、私の根幹は作られたといっても過言ではない。

 新卒で就職した頃、私の世代は何を考えているかわからないという意味で、「新人類」と呼ばれた。上司の方々は、さぞ苦労されたことだろう。もっとも、曲がりなりにも社長に上り詰めたのだから、彼らの苦労は報われたことになる。

 今、わが社は揺れに揺れている。慢性的な売上減少と経営不振の回復の見込みは薄い。原因の半分は、私の至らなさによるものだろう。

 専務派のシナリオでは、仕事そっちのけで愛人にうつつをぬかしている男に社長は不適任、となっていたはずだ。愛人の代わりに大人の秘密基地だった場合、どうなるのだろう。もしかしたら、退陣を迫る説得力は半減するかもしれない。

 いや、これは希望的観測にすぎるだろう。

 言うまでもなく、マンションの家賃は100%、私の自腹である。しかし、専務派が情報操作を行って、私が会社の資産を私的に流用したと主張するだろう。

 ほとんどの社員は半信半疑だと思うが、この御時世に会社の実権をめぐる闘争に明け暮れている幹部たちに、あきれ果てるにちがいない。互いに水掛け論になって、裁判沙汰にもつれこんだりしたら、不毛の極みである。

 もう、どうでも、よくなってしまった。
 すべてを投げ出してしまいたい気分である。
 社長になってから10年、私は激務によって相当、削りとられていたらしい。

 こういう時に必要なものは、安らぎと郷愁だろう。実は、それらこそが、大人の秘密基地の構成要素である。

 私は久しぶりに、マンションの一室に足を踏み入れる。部屋を占めているスライド式の大型本棚に詰まっているのは、コミックスや雑誌である。昭和と平成初期のものが多く、ほとんどがネット通販で買い求めたものである。

 例えば、たがみよしひさのコーナーを見渡せば、『精霊紀行』上下巻、『依頼人から一言』、『軽井沢シンドローム』全9巻、『我が名は狼』全3巻、『GREY』全3巻、『化石の記憶』全3巻、『滅日』全5巻、『妖怪戦記』全3巻、『PEPPER』、『HARD』、『W』……。

 令和4年になっても昭和の幻影を求めてしまうのは、やはり老いなのだろうか。
 そう思い至った時、私は苦笑しながら、足の震えを抑えることができなかった。

 その時、ポンポンポンと間の抜けた音がした。専務派の連中から、「社長、引き時ですよ」と突き付けられたみたいである。

 打ち上げ花火だろうか? ベランダに出てみたが、それらしきものは見えない。どうやら、遠くで打ち上げ花火をしているらしい。

「真っ昼間だというのに、何を考えているのやら」
 そう呟くと妙におかしくなって、少しだけ笑った。
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