大金星のメルセデス

坂本 光陽

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激闘・横綱戦①

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 3月場所の横綱戦のことは、おそらく一生忘れられないだろう。

 俺は充実していた。ほどよい緊張感をともないつつ、身体の隅々まで神経が行き届き、集中力を持続できている。

 呼び出しを受けて、土俵に上がった時も、これまでにないほど落ち着いていた。横綱から睨みをきかせた一瞥をもらったが、どうということはない。一旦、土俵に上がれば、力士は対等だ。

 俺は蹲踞そんきょの体勢をとり、四股を踏み、塩をまく。「制限時間いっぱい」までの流れを淡々とこなしていく。

 ゆるやかに闘志が上昇カーブを描き、ただ横綱を倒すことに集中する。

 迷いはない。これは俺の一生を決める大一番である。ひたすら全力で勝ちに行く。

 行司の軍配が返った。仕切り線の手前に左手をつき、右手に神経を集中させる。いつもなら呼吸を合わせるところだが、俺はわざとずらす。素早く右手をつくと、しゃにむに飛び出し、右手で横綱の左頬を打とうとする。

「待った待った」

 行司の声が上がる前に、右手を素早く返した。横綱十八番の張り差しを俺が打ち損ねた、と誰もが思ったことだろう。審判員の方々の間から、どよめきが起こっていた。

 俺は顔を伏せて、横綱の顔を見ないようにした。見なくても、鋭い眼光にさらされていることは容易に想像がつく。

 本来、大横綱相手に張り差しなど恐れ多いことだ。ましてや、俺にとっては師匠である。そんなことはあってはならない。

 だが、俺はあえて、張り差しを選んだ。正確にいえば、張り差しのフェイクである。その目的は横綱の張り差し、かち上げを封じること。

 張り差しをされそうになったから、その仕返しに張り差し、かち上げを行う。そんな短絡的で感情的な相撲は、横綱の矜持きょうじが許さない。真正面から俺を倒しにくるはずである。
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