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GカクテルⅡ④

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「いえ、それは結構です」桐野さんは、きっぱり言った。「僕は仕事が忙しくて、父と会わないわけでありません。この件と仕事とは無関係です」

「ですよね。入院先の病院は同じ都内ですもの。数時間もあれば、余裕で往復できる距離だし、仕事の合間に顔を見せることぐらい、いくらでもできるはずです。どうしてなのか、私には理解できません」

 桐野さんは無言だ。表情も変わらない。

「私、桐野さんには本当に感謝しています。お仕事に関して全面的には信頼していますし、お客様に対する気配り、心遣いには尊敬の念を抱いています。お願いします。大事な御家族にも、その気配り、心遣いの数分の一を使ってあげてください」

「ミノリさんは最初の面談で、こう言ったはずですよ。“桐野さんはこれまで通り、御自分のやり方を貫いてください”とね。お忘れでしょうか?」

「ええ、そう言ったかもしれません」

 でも、それは確か、【雪村カクテル】の取り組みについてだったはずだ。桐野さんは論点をすりかえた。ずるいし、そんなの、桐野さんらしくない。

「申し訳ありませんが、僕のわがままを思って、この件に関してはあきらめてください。もう一つ言わせてもらえば、これは僕のプライバシーです。ミノリさんのお気持ちは本当にありがたく思います。でも、この問題は僕と家族のものであって、あなたとは何の関係もありません」

 カチンときた。まるで〈出しゃばり〉って言われたみたい。

「でも、こんなこと、桐野さんらしくありません。もう一度、お願いします。バーテンダーとしての心配りを、自分の御家族にも向けてあげてください」

 つい、口調が強くなってしまう。

 桐野さんは苦笑を浮かべた。
「もう、やめましょう。感情的になられては、話し合いになりません。問題がややこしくなるばかりです」

「私、感情的になんか、なっていません」
 そう言いつつも、自分の心が乱れていることに気づく。少し落ち着こうと、タンブラーのお水を飲む。

 桐野さん、ひどすぎる。私はこんなに心配しているのに、どうしてわかってくれないんだろう。思考と感情がねじれてもつれ合い、同じ場所をグルグルまわってしまう。思うように言葉が出てこない。そんな自分が情けなくて腹立たしくて、思わず涙ぐみそうになる。

 でも、絶対に泣かない。経営者になると決めた時から、人前では絶対に泣かないと心に誓ったから。

「すいませんが、そろそろ仕事に戻ります」

 桐野さんはそっけなく腰を上げて、私に背を向けた。いつもは頼もしく思える大きな背中が、今は私を拒絶しているように見える。
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