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【龍馬カクテル】Ⅱ⑪

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 桐野さんは苦笑している。
「すいません。その点に関しては反省しています。【龍馬カクテル】を突き詰めるには、伊吹さんの思考になりきる必要がありました。完成度を求めるあまり、なりきりすぎたかもしれません」

 なりきりすぎたって、まさか……。

「だから、私の好みを無視したカクテルになった。桐野くん、そういうこと?」と、リオナさん。

 バーテンダーは頷いた。リオナさんは小さく溜め息を吐く。

「でも、それが父さんの【龍馬カクテル】だものね」そう言って、タンブラーを掲げる。「うん、娘の私が、お墨付きをあげる。これは間違いなく、【龍馬カクテル】だよ。胸のつかえがとれたようなスッキリした気分。やっぱり、桐野くんに頼んでよかったよ」

 よかった。いろいろ慌てたけれど、結果オーライ。私はホッと胸をなでおろした。

「口直しに何かお作りしましょうか?」
 桐野さんが言うと、リオナさんは笑った。
「うん、そうしてくれる? 少し飲んでみたけど、やっぱりこれは無理」

 カラッとした口調で言うと、タンブラーを押し戻した。やはり、リオナさんは我慢して飲んでいたらしい。

 桐野さんは気を悪くすることなく、平然と新しいカクテルを作り始めた。それは私が以前クレームをつけた、最初の【龍馬カクテル】だった。

 ベースのお酒がブランデーであり、タンブラーの中にはスパイラル状にカットしたレモンの皮。金粉の舞い落ちるタンブラーの中、シャープなホーセズ・ネックで、「天に駆け上がる金色の龍」を表現している。

 リオナさんは眼で楽しんだ後、ひと口飲むと笑顔になった。

「うん、桐野くんの【龍馬カクテル】だね。これにも、太鼓判を押すよ」

 そうだった。リオナさんが初めて【銀時計】に来た時に頼んだカクテルが、ソルティー・ドッグ。六本木でばったり会ってアマンドで頼んだのが、ジンジャーエール。甘みよりも辛味、酸味。それがリオナさんの好みだった。

 そもそも、桐野さんは私以上に、リオナさんのことを知り抜いている。私のクレームは結局、桐野さんの足を引っ張っただけで、余計なお世話だったのかもしれない。

 結局、リオナさんは笑顔でお店を後にしたけれど、私の心は晴れなかった。その旨を伝えると、桐野さんは笑った。

「ミノリさんの御意見は、とても参考になりましたよ。あなたに感謝していることは嘘ではありません。ただ、僕たちはお客様に、カクテルを押し付けてはいけないんです。そのことを理解した上で、あなたには経験を積み重ねてほしいですね」

「……はい」

「僕たちの目指すのは、目の前のお客様に喜んでもらうことです。見方を変えれば、カクテル・バーを最終的に作るのは、実はお客様なんですよ」

「はい、今の言葉、しっかり胸に刻み込んでおきます」

 この夜の出来事は、【銀時計】にとっても、私にとっても、大きなトピックだった。

 桐野さんは作り上げた【龍馬カクテル】は一つではなかった。お客様にとって、創作カクテルの正解はいくつも存在すること。正解は押し付けるものではなく、時にはお客様に選んでもらうものなのだ。

 私はこの夜、創作カクテルというものの奥深さを体感したのかもしれなかった。

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