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B:マルボー事件②

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 古本屋がマルボーから泣きつかれるのは、必然だったのである。

 いや、泣きつかれるのではない。強引に奪い取るのである。

「このカネは返さなくていいです」古本屋は札束を差し出した。「ですから、現在取引のある警察署は別にして、今後、新規の警察署については、私どもに直で取引をさせてもらえませんか」

〈クロガネ遣い〉の眼から見ても、それは真っ当な取引に思えた。

 受注生産量は膨大だが、ニセ領収書の単価は安い。偽造レベルを維持するために、人件費は下げられない。利益を上げる改善策として、仲介マージンのカットは必要だったのだ。

「そうすれば、今よりも事業が円滑に進みますし、販路の拡大も見込めます」

 札を数えていたマルボーの手が止まった。場の空気が一気に冷え込んだ。古本屋を見上げた眼つきは、瞬時に、凶悪なものに変化していた。

「何だと、おらぁ? 俺がいない方が取引はうまくいく、なんて風に聞こえたぜぇ?」
「え、違いますよ。それは誤解です」
「んぁあ? 寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ。サツカンと取引ができてんのは、誰のおかげだぁ?」

 臭い唾を撒き散らして、マルボーは激昂する。古本屋はうっかり、地雷を踏んでしまったのだ。マルボーのような男は、何よりも体面を重視する。なめられたら終わり。ヤクザに似ているのは外見だけでなく、思考法もそっくりだったのだ。

「俺様のおかげだろうが。違うのかよ。俺がビシっと盾になっているから、おまえらは安心して働けるんだろが」
「はい、おっしゃる通りです」

 古本屋の明らかなミスだった。仕事が順調だったので、気が緩んでいたのかもしれない。

「わかってんなら、ごちゃごちゃ言うんじゃねぇよ! くそっ、気分わりぇな。どうしてくれんだよっ!」

 その後、さも当然のように、マージンの利率アップを要求した。古本屋のミスを〈たかり〉の口実にするのに、マルボーは少しも躊躇ためらわなかった。

 マルボーの暴走は歯止めを失い、古本屋は苦難の時代に突入した。授業料としては高いものについたといえる。

 そこからは坂道を転げ落ちるようなものだった。高額マージンのせいで、古本屋は受注すればするほど赤字が増加した。人件費を極力削減したり、作業の効率化を図ったりもしてみたが、目ぼしい効果はなかった。

 古本屋は苦渋の選択をした。すべての権利をマルボーに譲り、警察関連のニセ領収書事業から手を引くことにしたのだ。古本屋の決断に、マルボーは御機嫌だった。

〈クロガネ遣い〉は嫌な予感がした。マルボーは必ず、何かしでかす。それは、ほぼ確信に近かった。

 数週間後、トラブルの第一報が耳に入ってきた。某警察署で無視できないクレームが発生したという。大雑把なマルボーの仕切りでは、繊細な神経が必要とされる偽造事業など、最初から無理だったのだ。
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