恋のスーパーボール

茶野森かのこ

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そして、壱哉いちやの嫌な予感は的中した。

翌朝、瑞季みずきに昨夜の事をそれとなく確かめてみると、瑞希の記憶の中には、壱哉と一緒に祭りに行った記憶がない事が分かった。
瑞季は、壱哉と祭りに行く途中で倒れたと思い込んでいるようで、壱哉の告白も、壱哉の告白を受け入れた事も全て、瑞季と亡き恋人との、夢の中の出来事にすり変わってしまっていた。


これも、あやかしに取り憑かれた弊害だと分かってはいても、ショックはショックだ。だって、せっかく実った恋がなかった事になっているなんて、そんなのあんまりだ。


壱哉は傷心のまま、ひとまず瑞季を家に送り届けると、ふらふらと廃人のような足取りで、会社に戻った。
向かったのは、瑞季の本を出版している会社ではなく、別の出版社だ。瑞季の出版社とは雲泥の差がある古びた雑居ビル、ガタガタと不穏な音を立てるエレベーターで三階のフロアに着くと、斜め前にある曇りガラスの窓がついたドアを開けた。

「ただいま帰りま、ぶっ!」

途端、顔面に勢いよく粉がかけられた。

「塩撒いて塩!それからお札!早く早く!」
「はいはい、ただいま!」

男女の声が飛び交い、かけられた粉のせいで口中が塩味に満たされる。これは塩だ、顔がヒリヒリしてきた。

「ちょ、雑!扱いが雑!」

散々塩を撒かれ、最後にお札を額に貼られ、何やら呪文を唱えられる。

「はい、これでオッケー?」

男の声に、壱哉は痛めながらもそろそろと目を開けた。
目の前には、呪文を掛けていたであろう眼鏡の男性、上司の光谷みつたにがいた。その彼が了解を得ているのは、のんびりとデスクでお茶をすする少女、実際は四十歳というのが驚きの先輩社員、速見はやみだ。彼女が一つ頷くと、「良かった!」と、塩の入った壺を抱える女性先輩社員の佐々木ささきが、笑顔を浮かべていた。

「もー!全っ然良くないですよ!毎回毎回!」
「なんだ、振られて帰ってくるのなんていつもの事だろ」
「違う!…違くないけど、今の“良くない”は、このお祓いの事です!それに俺、今回はちゃんと告白を受け入れて貰えたんですよ!?なのに無かった事になってて!」
「でも、取り憑いたものは払えたんだろ?彼の不幸を君が取り除いてやったんだ。彼を幸せに出来たのは君しかいない…これはとても名誉な事だ」

ぽん、と光谷に肩を叩かれ、思わず感激しそうになり、壱哉はいやいやと頭を振る。

「言いくるめようったってそうはいきません!俺、今度こそこの会社辞めます!」

鞄から狐を封じた小瓶を光谷に押しつけると、壱哉は怒り任せに背を向けた。そのまま本当に出て行こうとする壱哉を、光谷は困った様子で追いかけ、その肩を優しく叩いた。

「壱哉くーん、ここ辞めて行くあてあるの?君が入社する会社は次々と倒産、君の惚れる相手はことごとく妖に取り憑かれた可哀想な人間ばかり。その不幸な特異体質を活かせる職場、ここ以外無いんじゃない?」

ぽん、と再び肩を叩かれ、壱哉は振り返る。
そう、ないのだ。壱哉にはこの会社以外に、いく宛がない。

「…光谷さーん…!」

うわーん、と泣き出した壱哉を、上司と先輩が宥めるように、肩に降り積もった塩を落としてくれた。




彼らの仕事は、祓い屋だ。ここは、表向きは出版社だが、裏では妖に対する相談や対処を受け付けている。
全国の神社仏閣、霊媒師や心理カウンセラーともネットワークを持ち、妖の情報や、また、妖に取り憑かれている可能性が分かっても祓う事が出来ない場合、連絡を貰うようになっている。

その祓い屋業の傍ら、出版社らしく、月に一度雑誌の出版もしている。妖の専門誌なので、買うのは妖マニアか、実害を受けた人、また関係者だ。最近の目撃の多い妖や、もしもの時の対処法等々。何も知らない人が見れば、こんな作り話よく思い付くなと思うだけだろうが、その存在を知る人達は、目撃情報の多い妖を対処する為の準備や、取り憑かれた人に出る症状等をチェックする事が出来る。

今回は、瑞季に怪我や事故が多く、本人の様子も落ち込んでいておかしいという事から、佐伯さえきが神社にお祓いに行かせたという。そこで、神主から祓い屋に連絡が回ってきたのだ。妖が取り憑いているが、心の奥底に入り込んで引きずり出せない、そう相談を受け、佐伯の勤める出版社の一部の社員にも協力して貰い、壱哉は新人社員として瑞季と知り合った。

壱哉は一目見て、瑞季の様子がおかしい事は分かったが、妖は姿を現さない限り捕まえる事は出来ない。今回の妖は人間に取り憑いて、その人間の不幸を食べるといったものだった。
不幸を食べるといえば聞こえは良いが、その不幸を食べれば食べる程、取り憑かれている人間は更に不幸体質になり、どんどん落ち込んで不幸を引き寄せてしまう。実際に瑞季は、事故に何度も遭ったり、何も無い所で足を滑らせ階段から転げ落ちたりと、不幸が重なり続け、終いには病院に厄介になる事態に陥っていたという。



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