42 / 58
天使と死神42
しおりを挟むアリアの抵抗に、優雅な動きを見せていた悪魔の指先が、見えない糸に引っ掛かりを覚えたみたいに強張り、悪魔は舌を打った。
悪魔は面白くなさそうにアリアを暫し見つめていたが、何やら思い至ったように微笑むと、フウガを振り返り、立ち上がった。
「ねぇ、どう思う死神。この神様みたいな力がボクの体に入ったら、ボクはこの世界の神様になれるかな?」
「は…?」と、声を漏らしたのはアリアだ。彼らの会話はフウガにも聞こえているが、フウガは声を発する事が出来ないでいる。
フウガは悪魔の発言に、そんなこと出来る筈がない、普通に考えればあり得ない、そう反論したいのに、その思考が溶けて消えていく。
悪魔の力が、体にのし掛かる黒から流れ込んでいるのが分かる、それが死神の力を奪っている事も。
だが、フウガはそれに抗う力を持っていない。
「フウガ…?おい、フウガ!」
フウガの返答がない事に異変を感じてか、アリアは焦った様子でフウガを呼ぶ。フウガはアリアの声に不安が混じっているのを感じ取り、問題ない、取り乱すなと言ってやりたいのだが、頭が上手く回らず、口が動いてくれない。
「死神の力は、美味しくないんだよね」
眉を寄せて唇を舐める悪魔に、アリアもフウガに何が起きているのか気づいたのだろう。その声に、更に焦りが滲んでいくのを止められない。
「おい、お前が欲しいのは俺の力だろ!そいつは関係ないだろ!」
必死に訴えるアリアの声が聞こえ、フウガは閉じかけた瞼を止め、重い頭をどうにか動かして、アリアへ視線を向けた。
アリアは地面にひれ伏し、その体は完全に黒に飲まれてしまっている。それでも、フウガの為に必死に声を上げるアリアに、フウガは胸が苦しくなるのを感じた。
そんな事しなくていい。自分の身だけを案じてほしい。そう訴えたくても、考えた側から思考がどろりと溶けていく。
悪魔は楽しそうに頬を緩め、再びアリアへと体を向けた。
「じゃあ、代わりに君の力をボクにくれる?」
その問いかけに、アリアが言葉を詰まらせたのが分かった。そんなアリアに、フウガは、何をやっているんだと、胸の内で吐き捨てた。
迷う必要なんてない、人の事など構ってる場合ではない、ここで大事なのは、アリア自身、それだけなのだから。
フウガは溶けゆく思考に額を地面に擦り付け、力任せに頭を打ち付けた。額の皮膚が切れてじわりと熱を持つが、痛みは感じられなかった。感覚が麻痺しているのかもしれない。
それでも、溶ける思考を引き止める一時しのぎにはなったようだ。
早くアリアを解放しなければと、フウガは震える体を起こそうと、力を振り絞った。
悪魔がここにいるからといって、悪魔の手が人々に向いていない訳ではない。声にならない悲鳴が聞こえる、人々が倒れる音がする。心を吸いとられた人間は、やがて命を失う。命を失うまでの時間が、今回は極端に短かいように思う、心を奪われた人間は、その殆どが間もなく命を落としてしまうだろう。自分を痛めつける事なく、そのままその場所で。
もしかしたら、悪魔の力がそれだけ強いという事かもしれない。だとしたら、この悪魔が鞍木地町を襲っていたこの数ヶ月、悪魔はその力を抑えていた事になる。今の悪魔は、ただ広範囲にその手を広げているのではなく、その心のみならず、人の体力も、体の奥底に残った僅かな気力も奪い、命の期限を早めてしまっている。
天界でもこの騒動は気づいている筈だが、他の神様が応援にやって来る様子はない。
神様が当てにならない今、頼りはアリアだけだ。そうでなくとも、アリアは疲弊している、自分のように悪魔に力を奪われているとしたら、アリアはどうなってしまうのか、考えただけでもゾッとする。
なのに、アリアは何も出来ない死神すら見捨てられないのだ。フウガは自分が情けないと思う反面、アリアをバカだと毒づくが、その気持ちに柔らかな色が混じるのを、フウガは自分の事ながら不思議に思った。
何であれ、アリアの足をこれ以上引っ張る訳にいかない。自分が事切れても、アリアを助けなくてはいけない。
そう思うのに。
心でいくら強く思おうとも、体に力が入らない。体を起こそうとしても、地面に付けた頭を起こす事すら叶わず、フウガの体は地面の上で倒れたままだ。
どうしてこんなにも儘ならない。
ギリと奥歯を噛みしめ、フウガは自身の無力さに悔やみながら、その意識は暗い夜の底へと引きずり込まれていった。
「あらら、もう立つ事も出来ないみたいだね」
「フウガ、」
「このままじゃ、死神が力尽きるのも時間の問題だね、君のせいで」
責めるようなその声に、アリアは僅かに怯んだ。
「知ってるよ、君が神様の代わりみたいな事をしてたの。今だって、くたばりそうなのにまだ抵抗出来るもんね。こんな天使、初めてだよ。どうして今まで現れなかったのかな」
感心するような声が、のんびりと聞こえてくる。その余裕のある様子に、アリアの焦りは増していく。フウガを助けたい、助けなくてはいけない、でも、この力が悪魔に渡ってしまったら、今、この町を飛び回っている天界の者達の頑張りが無駄になる。町を救えない、神様の帰る町がなくなってしまったら、悲しむ者がいる。
帰る場所がないなんて、そんな悲しいことはない。それでも、目の前の死神を置いてはいけない。
残る力で、自分が出来ることは何か。アリアは焦る気持ちを抑え、そっと拳を握りしめた。
「…俺も知りたいくらいだよ。お前こそ、こんなに人間を襲って、腹でも壊すんじゃないか」
「ご忠告どうも、でも心配には及ばないよ。だってボクらは、人の心から生まれたんだよ?命の源だよね」
それに、と、アリアの前にしゃがみこんだ悪魔は、黒に包まれたその体に身を寄せた。
「ボクらを厄介者扱いするけど、ボクらを生み出したのは、君達が慕う神様だからね」
ヒヤリと冷たい声が、アリアの喉元に突き刺さる。黒の向こう側から伸びてきた指が、アリアの顎を掬い上げた。
「不公平だよね、同じ神様が創り出したっていうのに、君たちは正義の味方で、ボクらは悪者だ。生きる権利は平等である筈でしょう?それなのに、君は神様みたいな力でボクの獲物を守って、まさか、神様気取りでいるつもり?」
ずるいな、と、悪魔の長い指が、アリアの首に絡むかのように蠢いている。
「お友達まで犠牲にしてさ」
その言葉に、アリアは声を詰まらせた。
見えないフウガに視線を向ける。分かっている、神様が来てくれるとして、あとどれくらい待てば良いのか、今のこの状況を引き延ばしても良い筈がない。
きっと、怒るだろうな。でも、きっと神様は来てくれる、それまでで良いのなら、多分これも間違いではない。
胸の内で呟いて、アリアは悪魔へ視線を上げた。
「…俺の力を食わせれば、あいつを解放してくれるのか」
「ふふ、勿論だよ」
「…ちゃんと約束するんだな」
「疑り深いな。役に立たないお友達がそんなに大事?」
からかい混じりの声に、アリアは口角を上げた。どんなに目を開いても、黒に飲まれた内側では目の前の悪魔の顔すら見えないが、それでも、倒れているフウガの姿は見えるような気がする。アリアは握りしめた拳の中に小さな光を忍ばせ、真っ直ぐに、悪魔の瞳があるだろう先を見つめた。
「大事だよ。それに、あいつは誰よりも頼りになるんだ」
だから、今度は俺が助けてやらないと。
アリアは、ぎゅっと小さな光を握りしめると、頼りなくぼろぼろになった翼を微かに震わせた。
弾ける閃光に、悪魔が目を剥いた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
gimmick-天遣騎士団-
秋谷イル
ファンタジー
千年前、異界から来た神々と創世の神々とがぶつかり合い、三つに分断された世界。ガナン大陸では最北の国カーネライズの皇帝ジニヤが狂気に走り、邪神の眷属「魔獣」を復活させ自国の民以外を根絶やしにしようとしていた。
だが大陸の半分がその狂気に飲み込まれてしまった時、伝説の舞台となった聖地オルトランドの丘でそれを再現するかのように創世の三柱の使徒「天遣騎士団」が現れ、窮地に陥っていた人々を救う。
その後、天遣騎士団は魔獣の軍勢を撃破しながら進軍し、ついには皇帝ジニヤを打倒してカーネライズの暴走に終止符を打った。
一年後、天遣騎士団の半数はまだカーネライズに留まっていた。大陸全土の恨みを買った帝国民を「収容所」と称した旧帝都に匿い、守るためである。しかし、同時にそれは帝国の陥落直前に判明したあるものの存在を探すための任務でもあった。
そんなある日、団長ブレイブと共にこの地に留まっていた副長アイズ、通称「黒い天士」は魔獣の生き残りに襲われていた少女を助ける。両親を喪い、成り行きで天遣騎士団が面倒を見ることになった彼女の世話を「唯一の女だから」という理由で任せられるアイズ。
無垢な少女との交流で彼女の中に初めての感情が芽生え始めたことにより、歴史はまた大きく動き始める。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
呪われ姫の絶唱
朝露ココア
ファンタジー
――呪われ姫には近づくな。
伯爵令嬢のエレオノーラは、他人を恐怖させてしまう呪いを持っている。
『呪われ姫』と呼ばれて恐れられる彼女は、屋敷の離れでひっそりと人目につかないように暮らしていた。
ある日、エレオノーラのもとに一人の客人が訪れる。
なぜか呪いが効かない公爵令息と出会い、エレオノーラは呪いを抑える方法を発見。
そして彼に導かれ、屋敷の外へ飛び出す。
自らの呪いを解明するため、エレオノーラは貴族が通う学園へと入学するのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる