天使と死神

茶野森かのこ

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天使と死神35

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次々に巻き起こる空の変化に、地上では、自分に何が起きているのかも分からないまま、次々と人が倒れていく。神様は空の上でその様子をただ見つめ、やがて、揺らした瞳は恐れるように、夜を視界から遠ざけた。


神様がいるにも関わらず、悪魔が堂々と人を襲えるのは、神様に力がない事を知っているからだ。この二週間、悪魔の勢いが弱まってきたと感じていたが、それは、フウガが悪魔の力を奪う事でその力を弱らせていたのではなく、悪魔がこの日の為に力を蓄えていたからだろう。
神様はアリアに力を求めた、もう自分ではどうにもならない、八重やえの事しか考えられないのだ、そんな神様に何が出来るというのか。悪魔はそう思ったのかもしれない。


この空のどこかで、悪魔はきっとほくそ笑んでいる。
神様は、ぎゅっと拳を握った。それでも、自分にはどうする事も出来ない。


「…あやかし様、」

記憶の中よりも小さく見えるその背中に、八重はいつかのように呼びかけた。はっとした様子で振り返った神様に、八重もまた瞳を見開いた。
神様の瞳に浮かんで見えた恐怖と後悔に、かける筈の言葉が宙に浮く。それでも、その心の側に在りたくて八重は手を伸ばしたが、神様は苦しそうに眉を寄せりだけで、その瞳を逸らしてしまった。八重は触れる事を躊躇い、思いをそっとその手に握りしめるしかなかった。

神様は八重に背を向け、自身の手に視線を落とした。握りしめた拳を開いて思い起こすのは、昔、悪魔と戦った日の事だ。
八重を傷つけた、八重から力を奪ってしまった日の事。


***



神様が悪魔と戦ったあの日、八重に背中を押されて、神様は悪魔を祓う事が出来た。悪魔が消えれば、共にやって来た嵐も姿を消して、澄んだ空には丸い月が顔を覗かせていた。

だが、静けさを取り戻した町の景色は、日常の姿とはほど遠いものだった。
家屋の窓や壁が崩れ、店舗のシャッターも曲がり、どこからか飛んで来たのか、看板が畑を荒らしている。学校の校庭や道路にも、木々が倒れ、物が散乱した状態だ。折れた電柱が道を塞ぎ、電気や水道にも影響を及ぼす中、空からは、はらはらと雪が降り始めていた。

人々は灯りを失った夜の中、寒さに身を震わせながらも町に出て、声を掛け合っている。川も裏山も危ないという声や、避難所になっている学校へと呼び掛ける声、救助が必要な人はいないか、怪我人は、この町に何が起きたのか。
神様も神使と手分けをして、人々と同じように町の状況を把握しようと、夜の町を駆けていた。周囲の様子を見ながらも、気にかけるのは八重の事だ。彼女は無事なのか、今どこにいるのか。早くその顔を見て安心したくて、足早に八重の家へと向かった。


八重の家は、建物自体は嵐による影響は少なかった。電気等は止まっているようだが、窓の向こうには仄かな灯りが見える。ロウソクの灯りだろうか。
だが、庭は酷い状態だった。あれだけ綺麗に手入れをされていた花壇は、花々がくしゃりと萎れて崩れた塀の下敷きになり、鉢植えは転がって割れ、庭木も葉を散らしている。
そして、あの桜も。幹の中程辺りから、風雨に耐えきれずに避け、折れてしまっていた。
その桜を、神様は呆然と見つめていた。次の春は花が開くだろうか、もう少しだけもってくれるだろうか、そうしたら、八重は、八重とー。
望んではいけない夢だ、だが、自分で遠ざけておきながらも、どこかで期待をしてしまっていた。その淡い期待が打ち砕かれ、何よりもあれだけ愛された桜の無惨な姿に、神様は言葉を失った。
枯れるよりも悲しいその姿に、神様は胸を痛めながら、折れた幹に手を触れた。桜も泣いているようだった。

「八重!八重を見ませんでしたか?」

その時だ、家の前の通りから、八重を探す母親の声が聞こえてきた。その必死な様子に、八重が家に戻っていないと知る。途端に嫌な胸騒ぎを覚え、神様は急かされるように、慌てて町へ飛び出した。

八重を探しながら混乱の町を再び駆け、瓦礫に埋もれてしまった人には見えない救助を、悪魔に心を奪われてしまった人には、失われた分の命を注ぎ込んだ。
でも、どこにも八重がいない。焦りが膨らむが、町の人を見捨てて行く事は出来ない。神使達や、やって来た天界の者達も、被害に遭った人々に、見えないフォローをして駆け回っている。
そんな中、「神様!」と泣き叫ぶ声に、神様は足を止めた。狸もどきだ。その体は嵐のせいで濡れそぼり、赤い羽織りもすっかり傷だらけだった。

「お前、無事だったか!良かった、」
「八重さんが大変なんです!」
「え…?」
「妖を救おうとして川に落ちて…!側に居ても何も出来なくて!ごめんなさい、ごめんなさい…!」

足にしがみつく狸もどきに、神様は戸惑いながらもその気持ちを落ち着かせようと、しゃがんでその背中を擦り、声を掛けた。

「悪くない、お前は何も悪くないから。八重は今、どこにいる?」

冷静を装い尋ねたが、胸の内では心臓がけたたましく打ちつけており、生きた心地がしないという感情を、神様はこの時初めて知った気がしていた。




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