天使と死神

茶野森かのこ

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天使と死神30

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そうして迎えた夏祭り。

神社の周辺や盆踊りの会場を中心に、通りには赤い提灯が夜空を照らし、様々な出店が多くの人々を出迎えていた。活気のある声に笑い声、笛や太鼓の音色に混ざる掛け声が夜空に響けば、たまたま空を通りがかった死神が、車から顔を覗かせて祭りの様子を楽しげに見つめていた。

神様は、友達と歩く八重やえの後ろを、狸もどきと共に歩いている。八重は、いつもとは違う浴衣姿で、下駄をカラコロと鳴らしている。彼女の横顔を、灯る提灯明かりが照らせば、可憐の内側に隠された艶やかな魅力を引き出すようで、神様は途端に落ち着かなくなり、焦ったように視線を外すのもしばしばだった。

神様は人間には化けていないが、八重がいるのでいつもの子供の姿のままだ。神様の気配を消し、パトロールを装って歩いているが、八重を目にすれば、こんな風に胸を騒がせている。
天界では、一体、今の自分の姿はどう見えているだろうか、どんなに取り繕ったところで、天界の神達には全てを見透かされているのかもしれない。

それでも、こんな風に自由に過ごせているのは、きっと自分が神だからだ。だから天界の神達も、こんな風に猶予を与えているのかもしれない。

八重の為にも、もう姿を消すべき時がきたのかもしれない。これ以上側にいれば、その先をきっと望んでしまう。それはどんなに願ったところで、叶わないことだ。

「神、…妖様!八重さんが行ってしまいますよ!」

狸もどきの焦る声に、神様ははっと我に返り、八重の姿を探して顔を上げた。八重は変わらず友人達と行動を共にしながらも、立ち止まる神様に気づき、不安そうにこちらを振り返っている。目が合うとほっとしたように頬を緩めるので、神様は駆け寄りたい衝動を抑え、そっと歩を進めた。駆けてしまったら、愛しい思いが溢れてしまいそうで、胸がきゅっと痛い。

今夜だけ、今夜だけだから、秘密の恋に夢を見させてほしい。そうしたらちゃんと、本来あるべき姿に戻るから。

神様は天を仰ぎ、そう心を決め、八重の側へと向かった。



だから今夜は楽しもう、そう心を決めたとはいえ、八重との距離は保ったままだ。

出店の美味しそうな匂いに気を引かれ、食べ物をこっそり盗み出そうとする狸もどきをたしなめながら、神様は楽しそうな八重の姿を愛おしく眺めていた。八重は時折こちらを振り返り、神様にその微笑みをくれる。秘密のアイコンタクトに、そっと胸が高鳴り、幸せが満ちていく。隣には並べなくても、こうして同じ時を過ごす事が出来る、二人の思い出がまた一つ増えた事が、こんなにも幸せをくれる。

ただ、どうにも、もやもやとさせられるのは、八重の友達の中に、男子生徒が混じっていることだ。隣のクラスの男子だと聞いていたが、なんだかその少年が、八重に気があるような気がしてならなかった。

そんな風に、出店の建ち並ぶ賑やかな通りを歩いていれば、その内に、花火が上がった。祭りの会場から離れている場所からの打ち上げにも関わらず、夜空に打ち上がる大輪の花は、その音を腹に響かせ、視界を鮮やかに染めていく。はらはらと散る最後の一粒まで切に訴えかけるその美しさに、神様は感嘆の溜め息を溢した。

「今年も見事だ」

ふと前方にいる八重に目を向けると、夜空に見惚れているようだった。そっと近づいて、それでも距離を保ちながら、その綻ぶ笑顔を覗き見れば、あの少年が八重の手に触れようとしているのが目に入った。
神様は、咄嗟に手を伸ばしてしまった。

「八重…!」

その瞬間、ビリビリと広がる空気が波打つ感覚に、神様はしまったと思ったが、もう遅い。
八重の手を掴むこの手は、子供のそれではなく、青年の姿のものに変わっていた。八重よりも大きな手が華奢なその手を掴むのを、八重だけが見えている。そして、驚いた彼女の瞳が徐々に力を失っていくのを、神様はその体を抱き留めながら呆然と見つめていた。やや遅れて、花火の打ち上がる音に紛れて、周囲に悲鳴が上がった。神様の突然解放されたその力に当てられ、周囲にいた人々が倒れてしまったからだ。救急車をと叫ぶ声に、腕の中でぐったりと瞳を閉じた八重を、神様ははっとして揺り起こす。八重、八重と名前を呼んで必死になる神様に、狸もどきは遅れて駆け寄り、神様の着物の袖を咥えて引っ張った。

「神様!彼らは気をやられただけです!ここは人間達に任せましょう!」

神様は気が動転している、もしまたここで誤って力を使うような事が起これば、人間達に更なる被害が及ぶ。そうなれば、気を失うだけでは済まない者が出かねない。

それから間もなく、神使達も神様の力に気づき飛んできて、神様は狸もどきと神使達に引きずられるようにその場を後にした。駆けつけた救護班に八重が抱えられるのを、神様は遠くからただ見つめる事しか出来なかった。




神様の力によって意識を失った人々は、命に別状はないようだった。病院に運ばれた人々も、その場で意識を取り戻していた八重も、その日の内に家へと帰る事が出来たという。病院の医師達も、現場に駆けつけた警察官達も、大勢が一斉に倒れる事態に、何らかの中毒を起こしたと思っていたようだが、現場や患者の体に原因を解明する手立ては残っておらず、ただただ頭を抱えていたという。まさか、神様の力によるものとは思いもしないだろう。

神様は八重が家に帰ったと聞き、八重の家を訪ねていた。しっかりと子供の姿に戻り、ふわりと空に浮かぶと、二階の部屋の窓を控えめに叩いいた。部屋に居た八重が気付き、窓を開けてくれる。そのほっとしたような、嬉しそうな表情に、神様は何とも言えない申し訳なさが込み上げてくるのを感じた。

「本当にすまなかった」

その思いのまま頭を下げれば、八重は目を瞬き、それから困ったような、照れ臭そうな表情で、あの時、神様に掴まれた手首を擦っていた。

「ちょっとでも、ほんとの顔が見れた気がして、嬉しかった…なんて言ったら、倒れた人達に申し訳ないよね」

華奢な手首に残る思いに触れ、その大事そうな眼差しに胸が苦しくなって、今すぐにでも抱きしめてしまいたくて、神様はこっそりと拳を握った。
八重は、何故神様がその手を掴んだのか、何故あの姿を現すに至ったのか分かっているのだろうか。
これ以上、彼女に近づいては、その命が危ないというのに。八重は何も知らない、だから、自分が近づかないようにしなくてはいけないのに。
それでも尚、溢れ出る思いに、神様は瞳を揺らし、ただその顔を伏せるだけだった。

「…あの桜、来年も咲くかな」

八重は、神様が皆を傷つけたと落ち込んでいると思ったのだろうか、窓に腕を掛けて庭の桜の木を見つめながら、明るく声を掛けた。

「どうだろうか…もしかしたら無理かもしれない」

今年も、咲かす花が少なかった。来年はどれだけ花を咲かしてくれるだろうか、もしかしたら、幹さえもたないかもしれない。
桜の木の葉が頼りなく揺れる姿を見て、神様はそれに自分の気持ちを、その行く末を重ね見ていた。
八重はその寂しそうな横顔を、どんな思いで見ていたのだろう。彼女は、どこか意を決したように顔を上げると、少し緊張した面持ちで神様を見つめた。

「…じゃあ、その…もしあの花が咲いたら、一緒にお花見してくれる?」
「…勿論だ、毎年してるだろ」
「…ふたりだけで」
「…それは、」
「咲いたら!咲いたらだよ。そうしたら、私の話、聞いてほしい」

真っ直ぐな決意に満ちた眼差しが、神様の胸を刺すようで。
その瞳には、決意を感じると同時に、諦めが滲んでいるようにも感じられた。八重も、来年は咲かないかもしれないと思っているのだろうか、それでも願いを伝えたのは、この思いの終着点を決めなければならないと思ってのことかもしれない。

神様はその瞳に頷いた。

だが、神様が八重の話を聞く事は出来なかった。





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