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天使と死神17
しおりを挟むきちんと閉められた障子戸の向こうから、フウガを見送る神使達の元気な声が聞こえてくる。「畏まりました!」と聞こえてくるので、神使は部屋に来ても助けてくれないのだろう。
置いてけぼりにされたアリアは、「何だよ」と、簀巻きの中で体をわなわなと震わせた。
ちょっと感動したのに…ちょっと感動したのに!
悔しくて、どうにか片腕だけでも出ないかともがいてみたが、ぐるぐる巻きの布団の締め付けは強く、片腕すら抜くことが出来そうにない。アリアは仕方なく、ごろりと仰向けに転がった。
そのまま天井に向かって溜め息を吐けば、静かな社の中、神使達がパタパタと駆ける足音が聞こえてくる。社の掃除でもしているのだろうか、本当は神様を探しに行きたいだろうに。社を離れられないのは、神使の片割れが病み上がりというのもあるが、恐らく自分が休んでいるせいもあるのだろう、そう思えばアリアは申し訳なくなった。そして思い出す。神使の二人の着物は日に日にくたびれて、悪魔に抵抗する力も落ちてきている事。神様が側に、この社に居ないから、神使の力は落ちていく一方だ。
「…早く、どうにかしないと」
フウガはああ言ってくれたが、助けられた人間よりも失った人間の方が多いのは事実だ。
せっかく嘘みたいな力を持っているのに、自分のせいで、また誰かの人生が変わってしまう。
「…つーか、これも死神の力なのか?」
簀巻きにされている布団をよく見るが、ロープ等で巻かれている様子はない。死神の奪う力の応用で、フウガなら何でも出来てしまいそうだと、アリアが再び布団と格闘し始めた、その時だ。
「わ、」
突然、布団の反発がなくなり、簀巻きの布団が綺麗に解かれ、アリアは布団の上で大の字になった。驚いて体を跳ね起こし、何があったのかと辺りを見回すと、部屋の隅に黒い何かが居る事に気がついた。驚きのまま身構えたが、よく見るとそれは黒ではなく、茶色い毛並みの狸だった。
「…え?」
しかし、何故、狸。ぽかんとしたアリアだが、それがただの狸ではない事はすぐに分かった。
茶色いふわふわの毛並みに、白い肩掛けを羽織り、ふわふわの二つの尻尾を持つその狸、明らかに妖だ。今朝、駅で見かけた狸もどきかと思ったが、それとは肩掛けの色が違う。あの妖の仲間だろうか、だが、ただの妖とは何かが違う気がする。
アリアが困惑に固まっていると、狸もどきは深い緑色のくりっとしたつぶらな瞳を静かに伏せ、それから丁寧に頭を下げた。
「突然の訪問、お許し下さい」
「え、…あ、はい」
丁寧な言葉使いにどきりとして、アリアは思わず姿勢を正した。狸もどきは妖に間違いないだろうが、神使が騒いでる様子は聞こえてこない。彼らは妖が入って来た事に気がつかなかったのだろうかと、アリアは突然現れた狸もどきを前に困惑しっぱなしだ。
「えっと…君は、あれ?化け狸…ですか?」
平静を装う為、いつもの自分を意識して、なるべく気怠げに尋ねてみようとしたが、何となく気後れしてしまう。本当にこれは、ただの妖だろうか。アリアは注意深く座る姿勢を崩し、後ろ手についたその手をこっそりと握りしめる。この布団の簀巻きが解かれたのは、この狸もどきの力だろうか。布団には、フウガが何らかの力を使っていた筈だ、だとしたらこの狸もどきは、死神よりも大きな力を持っている事になる。
ただの妖に、そんな事が出来るのだろうか。それに、と、アリアが考えを巡らせる中、狸もどきは丸い前足をきっちりと揃えて顔を上げた。
「はい、猫又と化け狸を親に持つ妖でございます。とある噂を聞きつけ、参りました。何でも、命を与えて下さるお方がいるとか。あなた様が新しい神様でしょうか」
熱心に見つめるつぶらな瞳に、アリアは巡らせた思考を止めた。この狸もどきが何であれ、彼の望みが本心からのものだろうというのは伝わってくる。アリアは困惑を隠し、困り顔で笑って手を振った。
「…あー、違う違う。そんな力を持ってる奴なんていないよ。神様は…ちょっと留守なだけ。その話、噂になってんの…ですか?」
この狸もどきがなんであれ、誰かを生き返らせろ、なんて言われても力になれない。アリアは確かに命を与える力を持っているが、死者を生き返らせる事はしないし、それが出来るのか試した事もない。それこそ、重大なルール違反だ。そんな事をすれば、アリアは確実に消滅させられる。
アリアがやっている事は、強制的に心を失い命を取られかけている人間に、不足した分だけの命を注ぎ足す事。アリアの力は、失った心を悪魔から取り戻してくれる。それだって、下界を見守る神様がその役割を放棄さえしなければ、悪魔は大量に人間を襲うなんてなかっただろう、これは天界の不祥事、その尻拭いみたいなものだ。
なので、この力が噂にでもなっていたら大変な事になる。この狸もどきのように、噂を聞きつけ押し掛けられては困る。
「はい、新しい神様は命を与えて下さると。寿命を伸ばす事も出来るんですよね?」
狸もどきはとてとてと側にやって来て、縋るように見つめてくる。その姿だけを見れば愛らしく、アリアは正体のあやふやな存在を前に、逃げるように視線を逸らした。視線を巡らせれば、部屋の隅に置かれていたフウガのスーツケースが目に止まった。
「無理だよ、そんなの。俺はそもそも神様じゃないし」
平静を装って話しかけながらスーツケースを確かめれば、鍵はかかっていないようだ。それにほっとして、早速スーツケースを開き、中を漁って見つけたのは、いつだったかフウガに取り上げられた煙草だった。箱の右端に、縦に青い線が入っている。中身を確認すると、白い紙が巻かれた煙草の他に、青い巻き紙の煙草が数本入っていた。
「ですが、その力をお持ちなんですよね?」
煙草を見つけて安堵したアリアだったが、めげずに追いかけてくる狸もどきに困り、外に出ようと障子戸を開けた。戸を開けると縁側があり、その斜め向こうに拝殿が見える。拝殿の前には人が手を合わせており、アリアは慌てて戸の影に隠れた。今のアリアの姿は人には見えないので隠れる必要もないのだが、本能的なもので、つい体が動いてしまった。
僅か開いた戸から、アリアは身を低くしてその人物を見つめる。学校帰りだろうか、少年は高校の制服を着ていた。何やら熱心に手を合わせている。肩に掛けた鞄には、桜色の御守りが揺れていた。
「どうしても助けて欲しい人がいるんです!」
狸もどきは、構わずアリアの背中を両方の前足で懸命に、たしたしと、撫でているのか叩いているのか分からない行為を繰り返している。
もしこの狸もどきが普通の狸もどきだったなら、必死な彼には申し訳ないが、可愛らしさが勝り、きっとほっこりしてしまっただろう。
だがアリアは、この狸もどきがただの妖ではないと、気づき始めている。
少年が顔を上げたのを見て、アリアは拝殿から顔を背けた。その先で、足元でこちらを懸命に見つめる狸もどきと目が合った。深い緑の瞳が宝石のように深く煌めいて、熱心にアリアを見つめている。きゅるっとした愛らしい瞳にしか見えないが、アリアはその中に畏れを感じ、狸もどきには気づかれないように、悩む素振りを見せながら、そっと視線を逸らした。
アリアは、やっぱりそうかと息を飲む。
わざとなのか、それとも何か理由があるのか分からないが、狸もどきの下に隠れた正体が、アリアを静かに圧倒する。
でも、だとしたら。アリアは考えを巡らし、それから小さく息を吐くと、アリアは敢えて胡座を掻いて座り直した。
「大事な人って?恩でも受けたのか…です?」
おかしな敬語でアリアが尋ねれば、狸もどきはパッと表情を輝かせた。
「はい…!今は遠くからしか見守れていませんが、私を救ってくれた大切な方なのです、失いたくないのです…!」
狸もどきは顔を伏せ、丸い前足を更にきゅっと丸めた。元々丸いので分かりにくいが、苦しみや悲しみを手の平に握りしめているように見える。本当に、失いたくない相手がいるのだろう。
アリアはその姿に、ふぅんと、ぼんやりと相槌を打った。狸もどきの懸命な思いに胸を打たれたとは思えない返事だったが、こちらはこちらで必死だった。狸もどきの正体に気づいていない振りをしなければならないからだ。
少し悩んだ振りをした後、アリアはぽんと膝を打ち、内心、意を決して顔を上げた。
「分かった、いいよ」
「え?」
「丁度暇してたんだ、その人に会わせてよ」
アリアはにこりと愛らしく、精一杯の笑顔を浮かべた。
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