37 / 41
こんなつもりじゃなかったのに37
しおりを挟むそしてあっという間にライブ当日だ。今までの地道なライブ活動や宣伝活動のお陰か、初めてのホール公演は二階席まで満席となった。
一席を除いて。
本番が近づく中、蛍斗は手荷物の中から一枚のチケットを取り出した。代金は払ってあるが、このチケットの席に座る人はない。
澄香に渡すと、いつだったか約束した。渡せるような関係でなくなっても、どうしても手放せなかった。
「それ、恋人に渡さなかったの?」
チケットが目についたのだろう、孝幸が蛍斗の肩越しに手元を覗き込んで言う。蛍斗はチケットをポケットにしまうと、溜め息混じりにその手を払った。
「恋人じゃないって、…知り合いに渡しそびれただけだ」
「またまたー、本当は居るんだろー?」
「いないから」
蛍斗は軽く笑って言うが、その笑みはどこか力無い。からかい口調だった孝幸も、その様子を見て躊躇いつつ口を開いた。
「…いいの?その人、蛍斗自身を見てくれた人じゃなかったの?」
突然のその言葉に、蛍斗は驚いて孝幸を振り返った。孝幸に澄香の事を話した覚えはない、それなのに、まるで心を読んだかのような孝幸の言葉に、疑いたくはないが蛍斗の中に疑心が生まれてくる。
「誰に聞いた」
まさか、澄香の体質の事まで知っているのか。まさか、誰かに言いふらしてはいないか。
思わず睨みつけてしまえば、孝幸は肩を跳ねさせ飛び退いた。
「お、怒るなよ!恋人いるくらい普通じゃん!みんな、蛍斗が俺を睨むんだよ~!」
と、涙目で他のメンバーを盾に訴える孝幸だったが、「何の話?孝幸、スキャンダルは勘弁してくれよ」「お前、また蛍斗に何か言ったのか?ちゃんと謝ってこい」と、冗談混じりながら、孝幸は他のメンバーに追い出されてしまった。このユニットにおいて、孝幸の信用度は蛍斗よりも低いようだ。孝幸はしょんぼりと肩を落とし項垂れた。
「…悪い、怒ってないから」
勝手に疑ったのは蛍斗なので、孝幸は悪くない。蛍斗は孝幸の姿に申し訳なくなった。
何を疑っているのか、孝幸が例え澄香の体質を知っても、それを言いふらすような人間じゃない事は分かっているのに。蛍斗は自分に向けて溜め息を吐いた。
澄香との関係や、誰かと付き合っていた事も誰にも話していない。だから孝幸がそれを知るとしたら、真実からだろう。真実は澄香とも仲が良かったから、何か聞いていたのかもしれない。
それに今は、澄香との間には何も無い。
こんな自分のままで、良いのだろうか。会いに行くと決めたけど、いざとなれば弱い心が顔を出す。仲間を疑うような自分じゃ、昔と変わらない。
「…大丈夫だよ」
落ち込む蛍斗をどう思ったのか、孝幸はそっと表情を緩め呟いた。
「今の蛍斗は、初めて会った時より格好いいよ」
そう、ぽんと肩を叩かれた。
「…何言ってんだよ」
「はは!そりゃそっか、お前は生まれた時からイケメンだもんな~」
先程まで落ち込んでいたのに、孝幸はすっかり調子を取り戻したように笑った。それから仲間の輪に加わっていく背をぼんやり見つめ、蛍斗は胸が温かくなるのを感じていた。
心配してくれる人がいる、突き放さずにいてくれる仲間がいる、その仲間の大切さに気づけたのは、蛍斗にとっては小さいながらも進歩だ。
まだ怖がりの癖は抜けてない、人間何かを決心したからといって、そう変われるものでもないのだなと、蛍斗は思い知った。
渡せなかったチケットは、戒めであり、お守りだ。
澄香の前に立つ自信が無かった、自分は仁には敵わないと知っていたから、仁を思う澄香を見るのは辛かった。
でも、今はもう何も持たなかった頃の自分とは違う。澄香と出会って、自分のピアノに少し自信が持てた。誰かの息子でも、誰かの弟だからというのではなく、評価してくれる人はいる。見てくれる人がいる。このユニットで、自分は自分だと胸を張って立てると思えた。
デビューライブが成功したら、少しは澄香に近づけるだろうか、会いに行けるだろうか、胸を張って、縋るんじゃなくて。いや、今度こそ会いに行く。
蛍斗はポケットの中で渡せなかったチケットを握りしめる。
もう一歩踏み出す勇気を、このチケットに誓って、もう過去の自分には戻らないと。
何より、こんな事で孝幸に心配を掛けてるようではどうしようもないなと、蛍斗は気持ちを切り替え、仲間達の輪に入っていった。
緊張した面持ちで仲間と顔を合せて、逸る気持ちを互いに抑えつつ、それでも抑えきれなくて震える手を握った。
幕の向こうから騒めきが聞こえる、大勢の人が自分達の為に来てくれた。
「一人一人に向けて、最高のパフォーマンスをしていこう!」
行くぞ、そのかけ声に円陣を解き、拳を合わせてステージへ。暗い会場内は、いまかいまかと幕が開くのを待っている。期待が会場の空気を震わせる。
そんな幕前で、それぞれが持ち場につく中、孝幸が蛍斗の居るピアノの方へ寄ってきた。
「何だよ、もう幕が上がるぞ」
「うん…本当は、終わるまで内緒って言われたんだけど、お前の為に言っとく」
「なんだよ?」
「二階席のほぼ正面、前から三列目」
「は?」
「驚いて、ミスんなよ」
孝幸は悪戯に笑って持ち場についた。ライブの本数は幾度となく重ねてきたが、デビューライブは一度きりだ、随分余裕だなと、蛍斗は呆れ半分で孝幸を軽く睨んだ。
半端な演奏したら、蹴りの一つでもいれてやる。
そして、幕が上がった。
感じた事のない大きな歓声と拍手が頭の上から降り注ぎ、ステージにライトが眩しく照りつけた。それでも、客席には顔が見える。一人一人、はっきりと。彼ら彼女らも、こちらを見つめ、高揚した笑顔を見せてくれている。
メンバーと視線を合わせ、ドラムの威勢の良いカウントが始まり、蛍斗は鍵盤を押さえた。イントロが鳴り始め、ボーカルの高揚した声がマイクに乗って会場中に響き渡る。「これから一緒に、夢見ていこうぜ!」と、煽るボーカルに、会場からは歓声が上がり、蛍斗は和音を押さえながら会場に目を向けた。
眩しい歓声に目を細め、ある一点に視線を向けた時、自分の目を疑った。
二階席の正面、前から三列目。
そこに、澄香がいた。
目は合っただろうか、楽しそうに笑っている様子が分かる。来てくれた、そう思えば指が鍵盤から離れそうになり、蛍斗は慌てて手元に視線を戻した。どうにか軌道修正を果たして顔を上げると、孝幸がニヤニヤとこちらを見つめていた。
あの野郎、と顔を顰めかけたが、客前だと気づき、素知らぬ顔を装って演奏に集中した。
けれど本当は、動揺して自分の気持ちを奮い立たせるのに必死だった。
それでも不思議と指先が軽やかに動く。ライトがパチパチ変わるソロパートは、いつもより饒舌にメロディを奏でたかもしれない。
いつも抱えていた、誰かの息子で弟で、だから自分は価値があるのだと、逆にそこだけにしか価値がないと。でもそれは、自分で決めつけていただけなのかもしれない。何も出来ないのを誰かのせいにして、向き合う事から避けていた。出来ない事への言い訳にしていた。
でも、違う。
今は、見ていてくれる人がいる。見つけてくれた人がいる。
客席を見上げ、蛍斗は微笑む。やっぱり澄香の側にいたい。まだきっと頼りないけど、頼りない自分ごと、もう一度澄香に会いに行く。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
まさか「好き」とは思うまい
和泉臨音
BL
仕事に忙殺され思考を停止した俺の心は何故かコンビニ店員の悪態に癒やされてしまった。彼が接客してくれる一時のおかげで激務を乗り切ることもできて、なんだかんだと気づけばお付き合いすることになり……
態度の悪いコンビニ店員大学生(ツンギレ)×お人好しのリーマン(マイペース)の牛歩な恋の物語
*2023/11/01 本編(全44話)完結しました。以降は番外編を投稿予定です。
漢方薬局「泡影堂」調剤録
珈琲屋
BL
母子家庭苦労人真面目長男(17)× 生活力0放浪癖漢方医(32)の体格差&年の差恋愛(予定)。じりじり片恋。
キヨフミには最近悩みがあった。3歳児と5歳児を抱えての家事と諸々、加えて勉強。父はとうになく、母はいっさい頼りにならず、妹は受験真っ最中だ。この先俺が生き残るには…そうだ、「泡影堂」にいこう。
高校生×漢方医の先生の話をメインに、二人に関わる人々の話を閑話で書いていく予定です。
メイン2章、閑話1章の順で進めていきます。恋愛は非常にゆっくりです。
【BL】キス魔の先輩に困ってます
筍とるぞう
BL
先輩×後輩の胸キュンコメディです。
※エブリスタでも掲載・完結している作品です。
〇あらすじ〇
今年から大学生の主人公・宮原陽斗(みやはらひなと)は、東条優馬(とうじょう ゆうま)の巻き起こす嵐(?)に嫌々ながらも巻き込まれていく。
恋愛サークルの創設者(代表)、イケメン王様スパダリ気質男子・東条優真(とうじょうゆうま)は、陽斗の1つ上の先輩で、恋愛は未経験。愛情や友情に対して感覚がずれている優馬は、自らが恋愛について学ぶためにも『恋愛サークル』を立ち上げたのだという。しかし、サークルに参加してくるのは優馬めあての女子ばかりで……。
モテることには慣れている優馬は、幼少期を海外で過ごしていたせいもあり、キスやハグは当たり前。それに加え、極度の世話焼き体質で、周りは逆に迷惑することも。恋愛でも真剣なお付き合いに発展した試しはなく、心に多少のモヤモヤを抱えている。
しかし、陽斗と接していくうちに、様々な気付きがあって……。
恋愛経験なしの天然攻め・優馬と、真面目ツンデレ陽斗が少しづつ距離を縮めていく胸きゅんラブコメ。
僕の追憶と運命の人-【消えない思い】スピンオフ
樹木緑
BL
【消えない思い】スピンオフ ーオメガバース
ーあの日の記憶がいつまでも僕を追いかけるー
消えない思いをまだ読んでおられない方は 、
続きではありませんが、消えない思いから読むことをお勧めします。
消えない思いで何時も番の居るΩに恋をしていた矢野浩二が
高校の後輩に初めての本気の恋をしてその恋に破れ、
それでもあきらめきれない中で、 自分の運命の番を探し求めるお話。
消えない思いに比べると、
更新はゆっくりになると思いますが、
またまた宜しくお願い致します。
先生と私〜家庭教師✕生徒〜
真愛つむり
BL
大学生の家庭教師に恋した少年。ふたりのほのぼのとした日常を描く短編集です。1日1題テーマが与えられるアプリ「書く習慣」にて連載中のものをこちらにも投稿します。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺(紗子)
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる