こんなつもりじゃなかったのに

茶野森かのこ

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それから澄香すみかは、じんと極力顔を合わさずに済むよう日々を過ごしていた。
蛍斗けいととは遊園地に行って以来、蛍斗の家ではなく外で会う事になったし、劇場への配達も、仁とは顔を合わさずに済むよう足早に帰っていた。

だが、店での撮影となると、そうもいかない。

この日は、以前、公一きみいちが言っていた、テレビの撮影が行われる日だった。
仁が出演しているミュージカル公演の共演者と共に、仁が馴染みの店を紹介し、店内で好きなメニューを食べながらトークをするというもので、その馴染みの店に選ばれたのが“のきした”だ。現在行われている東京公演が好評なようなので、この撮影は、次の公演に向けてのアピールになるのだろう。

店主は公一なので、インタビューも料理中の姿も、カメラに映るのは公一だけだ。だが、初めてのテレビの撮影、公一も慣れていない事なので、澄香も念のため脇に控えていた。
澄香にとっては気まずい思いだったが、仁はさすがにプロだった。仁は澄香のような気まずさなど微塵も見せず、共演者と笑いを交えながら和やかに撮影は進み、問題なく終える事が出来そうだった。

「………」

厨房の中から、澄香は店内の様子をこっそりと覗いた。
久しぶりに見た仁は、やっぱり格好いい。澄香にとって、彼が理想の恋人である事は変わらなかった。
一緒に居る時、いつも二人の間には穏やかな空気が流れていて、喧嘩らしい喧嘩もなかった。会話のテンポの心地よさ、隣りを歩く時は、歩幅の違いから一歩遅れる澄香に合わせて歩いてくれた。

そうやって、思い出して気づく、随分甘やかされていた事に。
気遣いもいつだってさりげなくて、仁の優しさに寄りかかって甘えて。
獣憑きの体質だって、仁と居る時は忘れさせてくれた。

過去を振り返っている間、ついぼんやりと見つめていれば、不意に振り返った仁と目が合い、澄香は咄嗟に厨房の中へ飛び込んだ。あからさまな態度にマズイと思ったが、もう時間は巻き戻らない。
頭に巻いたバンダナの下が疼いた気がして、澄香は頭を隠すように抱えると、床にしゃがみ込んだ。
ドッ、ドッ、と心臓が身体中に響く。
見ていたとバレてしまった。それだけならまだ良いが、こんな目の逸らし方、まだ仁への気持ちがあると思われても、おかしくはないのでは。

そんな風に考えて、はたと気づく。

「…だったらどうだって言うんだ」

それで、何か変わる訳ではない。仁への気持ちがまだあると思われたって、何も変わらない。

澄香は大きく息を吐き出すと、しゃがんだまま膝に顔を埋め、腕をぎゅっと抱きしめた。頭には、バンダナを押し上げるように犬の耳が現れ、腰元からは丸まった白い尻尾が飛び出していた。

忘れたと思っていた感情は、仁を前にすれば簡単に呼び戻されてしまう。ドクドクと煩い心音は胸を締めつけて、澄香に訴えているようで。

まだ仁の事がこんなに好きなんだと、思い知らされてしまった。





その日は、薬を飲んでもまた症状が出たりと落ち着かず、閉店まで結局大した仕事も出来なかった。

「…ごめん、きみちゃん」
「謝んなって、わざとそうなってんじゃないんだし。お前、休む事もないしさ」

迷惑を掛けた筈だが、公一は笑って、何でもない事のように受け入れてくれる。その優しさに、改めて澄香は、自分は友人に恵まれていると思った。仕事だって、公一と出会っていなかったら、獣憑きの症状に振り回され転々としていたかもしれない。

「…ありがとう」
「なんだよ、改まるなよ」

公一は笑って、犬の耳がようやく消えた澄香の頭を小突いた。獣憑きの症状が出た理由も聞かず、いつも通りに接してくれる。そんな幼なじみの優しさに、いつも救われている。
ありがとう、そう思いながら、結局自分は誰かに甘えてばかりだと思えてきて、そんな自分が情けなかった。




しっかりしなくては、そう思うのに、そんな時に限って神様は意地悪だ。



仕事からの帰り道で、澄香は仁とばったり出くわしてしまった。
仁と会ったのは、帰り道にいつも通る高架下だ。出くわしたというか、もしかしたら仁は澄香を待っていたのかもしれない。
思わぬ遭遇にどきりとして、澄香は帽子を両手で掴みながら挙動不審でいると、仁は困った様子で眉を下げ笑った。

「ごめん、迷惑だよな。どの面下げてって感じだけど…最近、顔見ないからさ」

それは澄香が避けているからだが、そんな風に言われると、心は簡単に揺らいでしまう。

「元気そうで良かった」
「…そっちこそ…今日は、お疲れ様。公演の評判も良さそうだね、やっぱり仁は、」

見上げて、格好いいなんて言ったら気持ちが溢れてきそうで、澄香は帽子をぎゅっと握りしめると、下を向いてその思いを喉奥に押し込めた。

「…やっぱり凄いな。手の届かない人なんだなって改めて思うよ」

どうにか言葉にすると、不意に手を引かれた。夜の暗い高架下、その影に入ると、仁は澄香を壁と自身の間に閉じ込めるよう壁に両手をつき身を寄せてきた。突然の恋しい香りに包まれ、澄香は驚いて顔を上げたが、仁は澄香の顔を見る事なく、トンと壁に額をつけたようだ。
仁が少しでも屈めば、澄香の肩にその額が預けられる。でも、その距離は埋まらない。

「…本当、勝手だな俺は」
「…じ、仁?」
「ごめん、本当にごめん」

温もりがすぐそこに感じる距離なのに、仁は澄香を抱きしめる事はせず、澄香も仁の思いが分からず固まってしまった。
触れたいのに、指一本動かせない。もう、二人の間に名前のある関係は存在しないのだと、改めて知る。
もう触れてはいけない、澄香の恋人は、仁ではない。

その僅か数センチの距離を、埋める事も突き放す事も出来ず、澄香はただ、立ち尽くす事しか出来なかった。



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