上 下
5 / 41

こんなつもりじゃなかったのに5

しおりを挟む




玄関のドアが閉まる音が聞こえ、呆然と立ち尽くす澄香すみかに、蛍斗けいとは微笑みを向けた。

「澄香さん、じんの許可も下りましたし」

伸ばされた蛍斗の手を、澄香は勢いよく払った。

「触るな!」

パシッと乾いた音が、静かな部屋に響いた。蛍斗はさすがにムッと眉を寄せたが、文句を言う間もなく、澄香は床に座り込んでしまった。その肩が小刻みに震えるのを見て、蛍斗は澄香が泣いているのかと思ったが、慰めようとその肩に触れようとして、澄香が泣いているのではないと気付いた。

「澄香さん?」

体を小刻みに震わせ、その震えを抑えようとしてか、澄香はぎゅっと自分の体を抱きしめている。様子の変わった澄香に不安を覚え、蛍斗は澄香の前にしゃがむとその顔を覗き込んだ。

「どうしたんですか?大丈夫ですか?」
「うぅ、見るな、こっち来るな…」

震える体に青ざめる表情を見れば、さすがに心配になる。

「来るなって、どう見てもおかしいでしょ、具合悪い?寒い?」

澄香は顔を俯け、何も答えない。どうして良いか分からず、寒いならば体を温めるべきかと、蛍斗は立ち上がり、とりあえず自室からタオルケットを持ってリビングに戻って来た。

「澄香さん、これ、」

そして、蛍斗は蹲る澄香の姿を見て、思わずタオルケットを床に落とした。

「…え、」
「み、見るな!ち、違うんだ、これは、」

澄香は必死に頭に手を当てて叫ぶが、手だけではそれを覆いきれず、隠しきれていない物が指の隙間から見えてしまっている。

澄香の頭には、白いふわふわのものがあった。三角形の形に近く、頭の形に沿って垂れているそれは、犬の耳に似ている。それだけじゃない、その腰には、丸まった白い尻尾まである。ふわっとした手触りの良さそうな毛並みが、可哀想に震えて縮こまっていた。

「ち、違うんだ…」

澄香は顔を上げず、蹲って頭の耳を抑えたまま、違う違うと繰り返す。
澄香の感情に重なるように動く尻尾に、おもちゃにしては生き物のように生々しく、かといってそれが本物であるならば、それは人間にはそもそも生えていないものだ。
あり得ない目の前の状況に、頭が上手く働かない。蛍斗は呆然としたまま、でも問わずにはいられず口を開いた。

「…それ、何?」

澄香は答えられず、唇を噛む。だが、蛍斗の目には、普通の人間には無い筈のそれが確かに映ってしまっている。澄香は震える体を叱咤してどうにか立ち上がると、そのまま蛍斗の脇をすり抜けようとする。

「ちょっと、」

蛍斗が咄嗟に腕を掴めば、腕を振り払おうとした反動で澄香は転びそうになり、蛍斗はその腰を支えて床に下ろした。

「危ないって、大丈夫?」
「さ、触るなってば!」

再び腕を突っ張ねられ、目が合った。澄香は、怯えていた。泣きそうに、怖いと訴えるその瞳に、蛍斗は戸惑い、落としたタオルケットを拾うと澄香の頭から被せた。

「見てないから、何も見てませんから」

そう言って、蛍斗はそっと澄香の頭に触れる。澄香はびくりと体を震わせた。

「大丈夫、怯える事ないよ。あんたのそれ可愛いだけだから」
「か、可愛い訳ないだろ!そんな事言うのはじん、」

タオルケットから僅かに見えた顔、澄香が「仁だけだ」と言おうとした事が分かり、蛍斗はぴくりと手を止めたが、それでもその頭を撫でた。

「…可愛いですよ」
「…気持ち悪いだろ、こんな耳と尻尾」
「驚きはしましたよ、そりゃ。それって…犬ですか?」
「…マルチーズ」
「…ふっ」
「わ、笑うなよ!俺だってどうせならドーベルマンとか格好いい犬が良かったよ!」
「ははは、無理ですよ、あんたじゃ」
「無理とか言うな!俺の何を知ってるんだよ!」

タオルケットを頭から被ったままそれを握りしめて牙を剥かれても、しゅんと項垂れるような白い耳を見てしまった後では、怯えた子犬が頑張って威嚇しているようにしか見えない。
だがそれを言ったら、澄香は更に機嫌を損ねるだろうと想像し、蛍斗は自然と表情を緩めていた。
奇妙には変わりないのに、不思議とその耳や尻尾自体に、気持ち悪いといった印象は沸いてこなかった。この頭に耳があるのも、その腰に尻尾があるのも、違和感を通りこして、それが澄香にとっての当たり前の姿に見えて。一度受け入れてしまえば、困惑や戸惑いも嘘のように引いてしまった。戸惑いがあるとするならば、そんな風に澄香の姿を見て思う、自分の感情に対してだけだった。



「何も分かりませんよ、だから教えて下さい」
「え?」

いつもよりも和らいで聞こえるその声に、澄香は戸惑いながら視線を上げた。

「仁は知ってるんでしょ?あんたのそれ」
「……」
「それなら俺にも教えて下さい」
「…からかってんの」
「どうしてそうなるんですか、言ったでしょ、口説いてるって。あんたの事知りたい」

それにと、蛍斗はにこりと微笑む。

「俺と付き合うって言ったのは、澄香さんだよ?」
「……」
「お試しでも良いから、仁を忘れるまででも良い、俺を使って良いから」
「…なんでそんな事」
「澄香さんが好きだからだよ。澄香さんが嫌な事はしないから、駄目?」

そっと澄香の手を取り、蛍斗は澄香の顔を覗き込むので、澄香は戸惑いに瞳を揺らして、その目を伏せた。

「迷う事ないよ、だって仁があんたを振ったんだろ?あいつの事なんか気にする事ないよ」

あいつの事、そう言う蛍斗の声が吐き捨てるようで、以前、弟と折り合いが悪いと話していた仁の言葉を思い出す。この兄弟に、何があったのだろう。
そんな疑問を思い浮かべていれば、蛍斗がタオルケットの端をちょんと引いた。それにそろそろと視線を上げれば、蛍斗は面白くなさそうな顔を浮かべていた。

「…な、なんだよ、分かってるよ、俺が振られたことは!」
「そこは責めてませんよ。ちょっとだけ、抱きしめても良い?」
「え…、」

その優しく窺うような仕草に、何だか強く拒否も出来なくて、澄香が戸惑って視線を泳がせていれば、否定がないのを肯定と捉えたのか、蛍斗は澄香の体を抱きしめた。その腕が思いの外優しくて、澄香はますます戸惑うばかりだ。

蛍斗は、本当に自分が好きだというのだろうか。
蛍斗の自分への思いを測りかね、仁への思いと、自分の秘密だった体質の事が邪魔をして、どうにも上手く頭が回らない。

どうしたら良い、どうすれば良かった、どうしたいんだろう。

分からなくて、澄香は目の前の優しさに考える事を放棄し、その腕に身を任せた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

理香は俺のカノジョじゃねえ

中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。

【BL】キス魔の先輩に困ってます

筍とるぞう
BL
先輩×後輩の胸キュンコメディです。 ※エブリスタでも掲載・完結している作品です。 〇あらすじ〇 今年から大学生の主人公・宮原陽斗(みやはらひなと)は、東条優馬(とうじょう ゆうま)の巻き起こす嵐(?)に嫌々ながらも巻き込まれていく。 恋愛サークルの創設者(代表)、イケメン王様スパダリ気質男子・東条優真(とうじょうゆうま)は、陽斗の1つ上の先輩で、恋愛は未経験。愛情や友情に対して感覚がずれている優馬は、自らが恋愛について学ぶためにも『恋愛サークル』を立ち上げたのだという。しかし、サークルに参加してくるのは優馬めあての女子ばかりで……。 モテることには慣れている優馬は、幼少期を海外で過ごしていたせいもあり、キスやハグは当たり前。それに加え、極度の世話焼き体質で、周りは逆に迷惑することも。恋愛でも真剣なお付き合いに発展した試しはなく、心に多少のモヤモヤを抱えている。 しかし、陽斗と接していくうちに、様々な気付きがあって……。 恋愛経験なしの天然攻め・優馬と、真面目ツンデレ陽斗が少しづつ距離を縮めていく胸きゅんラブコメ。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

処理中です...