2 / 41
こんなつもりじゃなかったのに2
しおりを挟む「最悪だー…」
翌日、店の休憩時間になると、澄香は厨房内の椅子に腰かけ、深い溜め息と共に頭を抱えた。
常連客と顔を合わせる度、「疲れてるのか?顔色悪いぞ」と心配され、心配してくれるのは有難い事なのだが、まさか失恋しましたとは言えず、更にはその度に仁の顔を思い浮かべてしまい、勝手にダメージを負ってしまう心が憎い。
「大丈夫か?」
「…大丈夫。ちょっと長い夢見てただけ。俺なんかには出来すぎた夢だったんだよ」
「…本当に別れるなんて言われたのか?」
「言われなきゃ、こんなへこんでないって」
「でも、そんな素振り見せなかったじゃん、あの人。なんか理由あるんじゃないか?」
「分かんない。寄るな聞くなオーラ出してたもん」
苦笑う澄香に、公一は戸惑いながら頭のタオルを取った。
「…まぁ、あれだよ、うん、他にも良い男はいるって」
「はは、公ちゃんて慰めんの下手だよな」
「悪かったな。しんどかったら、今日はもう上がって良いぞ、そこまで客も入らないと思うし」
いくら有名な劇場の側にあるとはいえ、通りから裏手にある古い定食屋、この店のピークは昼時だ。常連客も、来る曜日や時間はだいたい決まっているし、昔は無かったが、最近では劇場周辺にお洒落なカフェや飲食店はいくらでもあるので、昼を過ぎれば夜を含めて、あまり客足は期待出来なかった。
「平気、仕事はやるよ。逆に仕事してたい。その方が余計な頭使わなくて良いしさ」
「ならいいけど、無理すんなよ。お前が居ないと店は回んないんだからさ」
「はは、どうだかー。彼女とその内夫婦でやるつもりじゃない?」
「だとしても、ちゃんと雇ってやるから安心しろ」
「うわ、言ったよこいつ」
澄香は笑って、そんな他愛もない話に、心を慰めていた。
仕事が終わり、澄香はすぐに家に帰る気になれず、夜の街へ足を伸ばした。行き先は決まっている、馴染みのカフェバーだ。
“のきした”とは駅を挟んで逆側にあり、その路地裏にひっそりと佇むのは“ロマネスク”という名の店。ステンドグラスを嵌め込んだ黒いドア、その横には立て看板が控え目に置かれ、取り付けられたライトが店名を浮かび上がらせている。
店内に顔を覗かせると、外観は手狭そうに見えたが、店の中は結構広い。少し薄暗い照明、カウンターの中でシェイカーを振るバーテンダー、カウンターから一段下がったフロアにはボックス席が置かれ、その中央にグランドピアノがあり、ちょうど青年がピアノの前に腰かけた所だ。
金色に染まった髪に白い肌、くっきりとした猫のような瞳が印象的で、綺麗な顔立ちをしている。体格はスラリとしていて、白いワイシャツに黒いベストと黒いズボンはこの店のユニフォームだ。ピアノを弾く時は、シャツの袖を丁寧に捲る。その仕草が色っぽいなとつい見惚れてしまうのは、澄香だけの秘密だ。
彼の名前は蛍斗、名字はまだ知らない。この店の店員で、時間のある時や客からの要望を受けた時、こうしてピアノを弾いている。
蛍斗は、接客は丁寧ではあったが、いつもどこか冷めたような雰囲気を纏っていた。だが、そんな青年の奏でるピアノの音色は優しく、かつイケメンである。気だるげな様子もピアノの前では不思議と色気に変わる、見惚れるなという方が無理かもしれない。
その証に、客からは王子様と呼ばれ、蛍斗に会いに来る女性客も少なくないようだ。
「お、タイミング良いじゃん」
そう澄香に声を掛けたのは、西岡真実。彼女も、白いワイシャツに黒いベストと黒いズボンを身に纏っている。この店のユニフォームは、男女共に同じ形だ。
明るい茶色の髪を後ろに一纏めにし、あまり化粧っけがないが派手な顔立ちの女性で、スラリとして背が高く、ヒールを履けば澄香とそんなに背が変わらない。
常連客の澄香は、真実とはすっかり顔馴染みで、気づけばプライベートでも会うようになっていた友人の一人だ。
「今から?」
「うん、席どうする?」
「カウンター空いてる?」
「空いてるよ、いつもの?」
「うん」
「かしこまりー」
店の端にあるカウンターに腰かけながら真実を見送ると、澄香はピアノを振り返った。
店は畏まった雰囲気という訳でもなく、かといってピアノの音色に野次を飛ばすような客もいない。ゆったりと、食事と音楽が楽しめるカジュアルな店だ。
澄香はカウンター席で、蛍斗のピアノを聞くのが好きだった。クラシックは詳しくないが、彼のピアノは不思議と澄香の耳に良く馴染む。最初はイケメン店員の特技に驚いていただけだったが、気づけば彼のピアノの虜だった。
「はい、どうぞ。今日お客さん少ないから、泣いてもいいよ」
出されたカクテルと共に、真実にこっそり耳打ちされ、澄香は肩を跳ねさせた。
「な、なんで…!」
「目がパンパンだもん。愚痴なら聞いたげよっか?」
「…ありがとう、でも大丈夫」
「そ?イケメンが良いなら呼んで来よっか」
「もー、そういう店じゃないだろ?」
「あはは、冗談冗談、ゆっくりして行って」
ぽん、と肩を叩かれ、澄香はカウンターに突っ伏した。
真実は公一同様に、澄香の性癖を知る友人の一人だ。酔いの弾みでうっかりカミングアウトしてしまったのだが、真実はそれを普通の事として受け入れてくれた。
理解してくれていると分かっているから、冗談にも温もりを感じる。
なんで皆、こんなに優しいのだろう。
その優しさに、また涙が溢れそうだった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした
月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。
人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。
高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。
一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。
はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。
次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。
――僕は、敦貴が好きなんだ。
自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。
エブリスタ様にも掲載しています(完結済)
エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位
◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。
応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。
『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748
漢方薬局「泡影堂」調剤録
珈琲屋
BL
母子家庭苦労人真面目長男(17)× 生活力0放浪癖漢方医(32)の体格差&年の差恋愛(予定)。じりじり片恋。
キヨフミには最近悩みがあった。3歳児と5歳児を抱えての家事と諸々、加えて勉強。父はとうになく、母はいっさい頼りにならず、妹は受験真っ最中だ。この先俺が生き残るには…そうだ、「泡影堂」にいこう。
高校生×漢方医の先生の話をメインに、二人に関わる人々の話を閑話で書いていく予定です。
メイン2章、閑話1章の順で進めていきます。恋愛は非常にゆっくりです。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる