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しおりを挟む「亡霊って、幽霊の事?それなら間違ってるよ。だって、私の知ってる幽霊は、こんな風に触れたりしないし、足だってあるし、ミカは、」
「世の中には、不思議な事が沢山あるんだ」
焦ったように話す佳世に、ミカはやんわりとその言葉を遮った。
目の前の現実を誤魔化そうとする佳世の気持ちに、ミカは気づいていたのだろうか。佳世だって、ミカが幽霊かどうかを言っているのではない事は分かっている。ミカは、自分が人間ではない、だから、住む世界が違うと言いたいのだろうか、それだって、今更おかしな話だ、だって今日までずっと一緒に居たのに。
佳世が反論しようと顔を上げれば、ミカはそっと眉を下げて微笑んだ。その笑顔が、また佳世の口を閉ざしていく。
「…僕は、君が生まれるずっとずっと前に、この劇場に立っていたんだよ。当時は看板役者って言われてた」
「納得でしょ」と、ミカがおどけて言うので、佳世は思いを飲み込んで、「それ、自分で言う?」と、笑っていつものように反論すれば、ミカはどこかほっとしたような表情を浮かべた。
それから、ミカは当時の事を少しずつ教えてくれた。
昔、この小劇場は、今よりも多くの人が詰めかける人気の劇場だったらしい。その人気を集めた公演中、照明器具が倒れ、舞台セットに引火し火事が起こった。ミカは舞台に立っていた役者達を庇って大火傷を負い、その後、病院で命を落としたという。
「じゃあ、猫の時の傷って、その時の…?」
ミカとして初めて会った日、佳世は裸の巽を見ている。直視していないから分からないが、その時は、火傷の痕があるとは気づかなかった。けれど、猫になったミカの背中には、確かに大きな傷痕がある。
「そう。昔は、もっと酷かったんだよ。でも、妖として力を得たり、治療して貰ったりして、これでも大分ましになったんだ。巽の姿で居る時は、皆に背中を見せないようにするのが大変だったな」
ミカは苦笑い、それから、俯く佳世の頭をそっと撫でた。その優しく大きな手のひらが、佳世の心を擽って、佳世は顔を上げる事が出来なかった。
「…どうせなら舞台の上で生涯を終えたいと思ってたからかな、気づいたらこの劇場に居た」
看板役者が命を落とし、劇場は長い間閉められていたというが、劇場の買い取りが決まった事で、内部は修復され、劇場は復活した。事故とはいえ、死者を出してしまったこの場所で、また劇場を再開させるなんてと、初めは非難もあったというが、この劇場を買い取った支配人は、劇場を再生させる事が弔いだとして譲らなかったという。
「その支配人はね、僕が恋い焦がれていた劇団の女優だった。君に似て芝居が下手でね、それでも目を逸らせない、とても不思議で、魅力的な人だったよ」
その言葉に顔を上げ、佳世はミカの表情を見て納得した。優しく寂しげに目を細めたその瞳、自分ではない誰かを見つめているように感じていた眼差しが、誰に向けられたものなのか。
ミカの心に、ずっといた人。そう思えば、佳世はまたミカの顔が見ていられなくなる。そんな自分の気持ちに戸惑うように顔を伏せれば、ミカの手を握っていた手がそっと握り返され、佳世はどきりと胸を跳ねさせた。
愛おしむように、宝物を取り出すみたいに大切に触れるその指先に、どうしたら落ち着いていられるだろう。それでも、ミカの思いがどこにあるのか確信が持てず、佳世が再び戸惑いに瞳を揺らしていると、ミカがそっと微笑む気配がした。
「…それから、人でなくなった僕は、この劇場で君を見つけた。彼女に似た君を、彼女と重ねて見ていた。でも、いつの間にか君だけを見ていたんだ。君の中の彼女を探そうとしても、君しか見えなくて困ったよ」
ミカは困ったように笑う。優しい微笑みは、佳世が恋焦がれた巽のものだ。
「僕はもう、幽霊でもない。君の言う化け猫になってしまった。ある妖に出会ってね、彼の気まぐれから力を分け与えられ、僕はそういう存在になってしまった。それでも、僕は元は人間だったからか、人に化ける事は出来ない。だから、僕に力を与えた妖に頼み込んで、人に化ける力を分けて貰った。それが、巽。絵美に記憶がなかったのもその為だよ、劇団を去る時に、巽である僕の記憶は消す約束だったから」
そのミカの説明に、佳世は困惑した。ミカの説明の通りだとしたら、おかしいのではないか。だって、佳世には巽の記憶がある。写真だって一緒に撮ったし、それは当時のまま佳世の部屋に飾ってある。
「…私は?どうして、巽先輩の記憶があるの?」
恐る恐る尋ねてみれば、ミカは困ったように瞳を揺らし、それでも優しく笑った。
「…消せなかった。その妖には凄い怒られたよ。それでも、君の記憶を消しに行くなんて出来なかった。
君が劇団を去った後も、猫の姿で会いに行った。気がかりだったんだ、君はいつまでも腑抜けた顔をしてるから。だから…もう一度力を借りる事にした。今度こそ、ちゃんとお別れしてくるからって」
その言葉に、佳世は瞳を揺らした。お別れと、ミカは言った。まさか、今度こそ、この記憶を消すつもりだろうか、今までの事をなかった事にして、もう会わないつもりだろうか。
巽との出会いも、ミカと過ごした日々も、ミカを大切だと思ったこの気持ちも、ミカは消してしまおうと言うのか。
佳世は、ミカの手をぎゅっと握った。
「どうしてそんな事言うの、勝手に決めないでよ、やっと会えたのに、ミカが言ったんだよ、ミカが言ったから、オーディション受けたんだよ」
思いが涙となって溢れ、掴んだミカの手に、ぽたぽたと零れていく。
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