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初恋の雨音1
しおりを挟む雨が降ると、その人は現れる。彼は、夏実の初恋の人であり、別人だという。
***
梅雨も半ばを過ぎた頃。
仕事を終えた夏実は、少しだけ遠回りをして家に帰る事にした。通りの裏手にある、パン屋に寄って帰ろうと思ったからだ。
そこで、その人と会った。
古びた洋館の前に、雨に濡れて立ち尽くす男性がいる。この洋館は知っている、持ち主が時折掃除に訪れてはいるが、誰も住んでいない。
彼はこの洋館の関係者だろうか、何故傘も差さないでいるのだろう。妙だとは思いながらも、関わらない方が良いと考え、夏実は彼の後ろを通り過ぎようとしたが、その横顔を見てはっとした。
「深水さん?」
声を掛けたが、彼は振り返らない。雨音のせいで聞こえないのだろうか、でも人違いではない、夏実が彼を間違える筈がなかった。長めの前髪のせいで、横顔からは通った鼻筋しか見えなかったが、それでも夏実には分かる。
彼は、夏実にとって初恋の人だからだ。
「深水さん!」
堪らず夏実は駆け寄って、声を掛けながら彼に傘を傾けた。振り返った瞳は驚きを浮かべていたが、その深い青と黒が混じり合ったような瞳の色を見て、やっぱり彼は深水だと、夏実は胸を高鳴らせた。
「こんな所でどうしたんですか?私の事、覚えてます?」
思わず心踊らせ尋ねたが、彼は戸惑いに瞳を揺らすだけだ。そこで夏実は、はっとした。
そうだ、出会った頃、深水は既に大人だったが、自分は小学生だった。
彼が成長した夏実に気づかない可能性もある、そもそも覚えてるかどうかも怪しいものだ。夏実は、勝手に浮かれた自分が恥ずかしくなった。
「あの、」
「ごめんなさい!そりゃ覚えてませんよね、これ使って良いので!私、家すぐそこなので、では、すみません!」
夏実は彼に傘を押し付けると、逃げるように駆け出した。濡れるより、とにかく恥ずかしくて、穴があったら入りたいとはこの事かと、冷静な自分が頭の隅で呟く。
雨音と、その気持ちにばかり意識を囚われて、傘が地面に落ちた音には気づかなかった。
翌日も雨が降っていた。
昨日の事が何となく気になり、仕事帰りに洋館の前を通ってみると、誰かを待っているのか、傘を差した女性がいた。穏やかな眼差しの、大人の女性だ。彼女は夏実に気づくと、「昨日はどうも」と声を掛けてきた。何の事か分からずに困惑していると、「昨日、ここであなたに傘を借りたんです」と彼女は微笑んで、差していた傘を畳むと、「ありがとう」と夏実にそれを手渡した。夏実は傘を受け取り、更に困惑した。この傘が自分が貸した物だとして、今の彼女は雨に打たれ濡れている。
夏実は見ていられず、受け取った傘を再び彼女に差し出した。
「濡れますから、使って下さい」
「良いんです。それに、この体を持ち主に返さなくては」
「え?」
彼女は微笑むと、そのまま行ってしまった。
傘をよく見てみると、確かにこれは自分の傘のようだった。柄についた傷が同じだ。だが、何故、深水に貸した傘を彼女が持っていたのだろう。恐らく、深水と関わりのある人物で間違いないだろうが…、と考えていく内に、夏実はどうにも彼女の事が気になり、彼女の去った方へ足を向けた。
雨の中濡れて帰るくらいだ、もしかしたらまだ近くに居るかもしれない、そう思ったが、通りのどこを見渡しても、彼女を見つける事は出来なかった。
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