1 / 5
初恋の雨音1
しおりを挟む雨が降ると、その人は現れる。彼は、夏実の初恋の人であり、別人だという。
***
梅雨も半ばを過ぎた頃。
仕事を終えた夏実は、少しだけ遠回りをして家に帰る事にした。通りの裏手にある、パン屋に寄って帰ろうと思ったからだ。
そこで、その人と会った。
古びた洋館の前に、雨に濡れて立ち尽くす男性がいる。この洋館は知っている、持ち主が時折掃除に訪れてはいるが、誰も住んでいない。
彼はこの洋館の関係者だろうか、何故傘も差さないでいるのだろう。妙だとは思いながらも、関わらない方が良いと考え、夏実は彼の後ろを通り過ぎようとしたが、その横顔を見てはっとした。
「深水さん?」
声を掛けたが、彼は振り返らない。雨音のせいで聞こえないのだろうか、でも人違いではない、夏実が彼を間違える筈がなかった。長めの前髪のせいで、横顔からは通った鼻筋しか見えなかったが、それでも夏実には分かる。
彼は、夏実にとって初恋の人だからだ。
「深水さん!」
堪らず夏実は駆け寄って、声を掛けながら彼に傘を傾けた。振り返った瞳は驚きを浮かべていたが、その深い青と黒が混じり合ったような瞳の色を見て、やっぱり彼は深水だと、夏実は胸を高鳴らせた。
「こんな所でどうしたんですか?私の事、覚えてます?」
思わず心踊らせ尋ねたが、彼は戸惑いに瞳を揺らすだけだ。そこで夏実は、はっとした。
そうだ、出会った頃、深水は既に大人だったが、自分は小学生だった。
彼が成長した夏実に気づかない可能性もある、そもそも覚えてるかどうかも怪しいものだ。夏実は、勝手に浮かれた自分が恥ずかしくなった。
「あの、」
「ごめんなさい!そりゃ覚えてませんよね、これ使って良いので!私、家すぐそこなので、では、すみません!」
夏実は彼に傘を押し付けると、逃げるように駆け出した。濡れるより、とにかく恥ずかしくて、穴があったら入りたいとはこの事かと、冷静な自分が頭の隅で呟く。
雨音と、その気持ちにばかり意識を囚われて、傘が地面に落ちた音には気づかなかった。
翌日も雨が降っていた。
昨日の事が何となく気になり、仕事帰りに洋館の前を通ってみると、誰かを待っているのか、傘を差した女性がいた。穏やかな眼差しの、大人の女性だ。彼女は夏実に気づくと、「昨日はどうも」と声を掛けてきた。何の事か分からずに困惑していると、「昨日、ここであなたに傘を借りたんです」と彼女は微笑んで、差していた傘を畳むと、「ありがとう」と夏実にそれを手渡した。夏実は傘を受け取り、更に困惑した。この傘が自分が貸した物だとして、今の彼女は雨に打たれ濡れている。
夏実は見ていられず、受け取った傘を再び彼女に差し出した。
「濡れますから、使って下さい」
「良いんです。それに、この体を持ち主に返さなくては」
「え?」
彼女は微笑むと、そのまま行ってしまった。
傘をよく見てみると、確かにこれは自分の傘のようだった。柄についた傷が同じだ。だが、何故、深水に貸した傘を彼女が持っていたのだろう。恐らく、深水と関わりのある人物で間違いないだろうが…、と考えていく内に、夏実はどうにも彼女の事が気になり、彼女の去った方へ足を向けた。
雨の中濡れて帰るくらいだ、もしかしたらまだ近くに居るかもしれない、そう思ったが、通りのどこを見渡しても、彼女を見つける事は出来なかった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。


極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。


友達の肩書き
菅井群青
恋愛
琢磨は友達の彼女や元カノや友達の好きな人には絶対に手を出さないと公言している。
私は……どんなに強く思っても友達だ。私はこの位置から動けない。
どうして、こんなにも好きなのに……恋愛のスタートラインに立てないの……。
「よかった、千紘が友達で本当に良かった──」
近くにいるはずなのに遠い背中を見つめることしか出来ない……。そんな二人の関係が変わる出来事が起こる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる