瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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「時代は変わるものですね…」

それから数日後、多々羅たたらは買い出しに出掛けていた。

多々羅の肩には、あのメジロのかんざしのつくも神、ヤヤが乗っている。少年の姿をしているが、今は手のひらサイズ、本物のメジロと同じ位のサイズになっている。

「何だよ、江戸時代からタイムスリップした訳じゃなし」

そうヤヤに笑って返し、多々羅ははっとする。そろりと周囲を窺うと、さっと自分から離れていく視線。
今は人通りも多い昼間で、しかも信号待ち中、周りには多くの人が立ち止まっていた。周囲の人には当然ヤヤが見えていないので、突然、大きな声で独り言を話し始めた多々羅にを不審がったり奇妙な目を向けてもおかしくない。
それに気づいた多々羅は、なに食わぬ顔で耳を押さえ、イヤホンを付けハンズフリーで電話してる演技で誤魔化そうと試みる。

「そ、そーそー、時代錯誤だよな、あの人!」
「主は、嘘が下手なのですね」

ふふふ、と微笑ましそうに口元を押さえて笑うヤヤに、誰のせいだよ、と言いたかったが、ここは人の目がある。しかも、八つ当たりだ。多々羅はそう思い直し、出かかった言葉を引っ込めた。


あの日から、ヤヤは多々羅の肩に乗って生活を共にしている。なので、多々羅の鞄には、常に簪が入っていた。
つくも神は、通常の化身よりも能力が高く、物から離れて行動出来る範囲も広いらしい。だが、それにも限度がある。一定の距離を過ぎると簪の中へ戻ってしまうので、多々羅が外に出る時はヤヤの簪を必ず持ち歩いていた。

しかし、慣れない。話し掛けられると、つい普通に話してしまう。なので、多々羅は奇っ怪な目で見られてばかりだ。

店に戻ったら、愛に相談してみようかと、多々羅はそっと溜め息を吐いた。






「愛ちゃん、足。ねぇ、それで何か良い対応策ないかな」

店のカウンターに、相変わらず足を投げ出して座る愛を注意しつつアドバイスを求めると、愛は渋々といった様子で、足を床に下ろした。

「…俺は、つくも神を肩に乗せて歩いた事はないからな」

ふて腐れたように聞こえるのは、足をカウンターに投げ出していた事を注意されたからか、それとも、つくも神と出歩く多々羅が面白くないからだろうか。
多々羅は小さく溜め息を吐きながら、いつの間にか散らかっているカウンターの上を片付けながら再び尋ねた。

「でも、うっかり化身を街中で見た時は?」
「そりゃ…」

言いかけて、愛は言葉を飲み込むように唇を引き結んだ。何を思い出したのだろうか、その瞳は僅かに狼狽え、愛はその揺れる視界を遮るように雑誌を閉じた。

「愛ちゃん?」
「…いや、考えてただけ。そもそも、常に姿を現す化身は稀だからな。用心棒のあいつらは、元は正一しょういちさんとの約束があるから、こまめに姿を現してくれるけど。声を掛けても、普通は姿を見せない奴の方が多いからな」
「でも、麗香れいかさんの鏡とかは?」
「あれは、持ち主を心配してたから、それを訴える為に出てきてくれただけだ。言ったろ?物は、宵の店に怯えている奴がほとんどだ。俺達が闇雲に祓ったりしてなくてもさ、物からしたら、そんな力のある奴を前にしただけで怖いだろ」
「皆、愛ちゃんの事を知れば怖がる事もなくなるのに」
「…どうかな、俺だって自分の事が分からないから」

自嘲する愛が何だか寂しくて、多々羅は立ち上がった愛を追いかけた。

「俺は、愛ちゃんの事分かりますよ。ゆいちゃんや凛人りんとだって、分かってます」
「…はは、ありがとう」

愛はそう笑って、応接室の奥へと下がってしまった。愛に気持ちが伝わらない。しょんぼり肩を落とした多々羅を、ヤヤが心配そうに見つめていた。




愛が倉庫部屋へ籠ってしまい、多々羅は仕方なく店を締め、屋上で洗濯物を取り込んでいた。
店を締めるには少し早いが、どのみち客は来ないだろうし、愛も作業に集中したいだろうと思っての事だった。

空はまだ明るく、それでも雲は重たく多々羅を責めるように降り注ぐ。
ヤヤは多々羅の肩に乗って、どこか元気の無い多々羅に、敢えて明るく声をかけた。

「噂と違って、愛殿は怖い人ではありませんね。店中の物達を封じた私の為に、詫びてくれました。おかげで、私はこの店に居られます。主が懐くのも、よく分かります」
「懐くって…まぁ、いいけど。昔は、俺の方が愛ちゃんの手を引いて回ったんだけどな」
「昔馴染みでしたか」
「そう。なぁヤヤ、その噂って?あの瞳の事?」

ヤヤは頷き、少し怯えるように、多々羅のシャツを掴んだ。

「あの翡翠の瞳には別の気配がします。それが、怖いのです」
「それって、何かが取り憑いてたって事?」
「どうなのでしょう。ただ、恐ろしい力の痕跡を感じるんです。大きな物の力が何重にも重なっているような、或いは、私達つくも神や禍つものの力を束にしても敵わないと思わせるような。でもそれは跡でしかありません。愛殿を知れば、誰もそんな事を思わなくなるのに」

その言葉に、多々羅は幼い頃の愛を思い出した。多々羅といる時はいつも楽しそうにしていたけど、学校ではクラスも違うので、いつも一緒という訳にはいかなかった。愛が瞳の色の事でなじられているのを見たのも、一度や二度ではない。たまたまその場面に出くわせば、多々羅が止めに入っていたが、当然、多々羅が毎回その場面に出くわせるばかりではない。泣き腫らした目を隠すように笑っていた事も、怪我をしていた事もあった。そんな愛を見ては、多々羅は結子と共に報復に向かおうとするのだが、愛はいつもそれを止めていた。
そして言うのだ、変なのは自分だから仕方ないと。多々羅はそれが悔しくて仕方なくて、結局何も出来ない自分に腹が立って仕方なかった。

「…子供の頃から、愛ちゃんは怯えられてた、人にもさ。あんな綺麗な瞳なのに、奇妙に見えるらしい。本人もそう思ってるのが、悔しくてさ」
「主は、愛殿が好きなんですね」
「…は!?いや、そんな筈ないでしょ!」

脳裏に、初めて会った時の愛の姿が浮かび、多々羅は何故か赤くなって咄嗟に否定すれば、ヤヤは不思議そうに小首を傾げた。

「違いましたか、私が主を思うのと同じように好きなんだと感じましたが」

純粋な丸い瞳に見上げられ、多々羅は咄嗟の勘違いを恥じ、隠れたくなった。

「…そういう好きね…それなら俺も同じだよ」

でも、純粋な丸い瞳には、多々羅の赤くなって落ち込んでいる意味は分かる筈もなく。多々羅も同じ好きだと知ると、パッと瞳を輝かせた。

「だったら、教えてあげたら良いんですよ!愛殿が、どれだけ美しい瞳をしてるか!」

名案だとばかりに上機嫌になっているヤヤに、多々羅は力が抜けたように微笑んだ。

「…そうだな」

何度伝えても、愛は多々羅の言葉を受け取ってはくれないが、自信満々のヤヤを見ていると、不思議と心が軽くなる思いだった。
自分のしてきた事は間違いなかったのかもしれない、それにヤヤの軽やかな言葉は、自分は重く考え過ぎているのかもしれないと、少し気持ちを楽にさせてくれた。

「でも、どうしてそんなに悔しいんです?」
「ん?」
「先程言っていました。愛殿がご自身の瞳をよく思っていないのが悔しいと」

ヤヤはぴょんと竿に飛び移ると、タオルを止めた洗濯バサミを両手で掴んで外してくれる。多々羅は取った洗濯バサミを受け取りながら答えた。

「だって、特別なものを持ってるのにさ。なのに不要な物みたいに言う。俺は何も無いからさ」

苦笑って言えば、ヤヤは少し怒ったように、多々羅の顔の前にふわりと舞った。

「主だって、特別な物を持っているじゃないですか」
「え?」
「私の心を大事にしてくれた、私を、禍つものになろうとする力から救ってくれました」
「……」

きょとんとしてしまう多々羅に、ヤヤは少し照れくさそうに微笑む。

「誰にでもは出来ませんよ、こんな事…あ、主が愛殿に抱いていたのは、この気持ちなんですね」

よく分かったと、どこか嬉しそうにヤヤは再び多々羅の肩に戻ってくる。

「主は特別なお人です。ヤヤのこの気持ちを疑わないで下さいね」

そして、またむっとしたように表情を歪めて釘を刺してくるので、多々羅は思わず笑ってしまった。

「…ありがとう、勇気が沸いたよ」

それから照れくさそうに礼を言えば、ヤヤは満足そうに頷くので、多々羅はおかしそうに笑って、洗濯物を入れたかごを持って空を仰いだ。
どんよりと重くのし掛かるような空が、不思議と少し遠くに見えて、愛の上に広がる空も、こんな風に晴れたら良いのにと思わずにいられなかった。





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