瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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珈琲の香りが部屋に立ち込める。多々羅は、愛の前にカップを差し出した。

「零番地は、禍つものになりそうな物を、各店に対処するよう振り分けているんだ。中には、捨てられた物や、忘れさられて置き去りにされた物がいるから、それらを定期的に探してる」
「じゃあ、倉庫部屋に入るなっていうのは」
「単純に危険だからだ。まぁ、今回のヤヤみたいな事は滅多に起きないけど、中には既に禍つものになっている化身もいる。うっかりって事がないように、これからもあの部屋には鍵を掛けておくし、多々羅君は入らないで」
「…分かりました」

好奇心が消えた訳ではないが、ヤヤに取り憑かれ自分を見失った事を思い出せば、罪悪感が押し寄せてくる。自分を見失っていたとはいえ、この手で愛の首を締めていたのだ、改めてそれを思えば、とんでもないことをしてしまったと、多々羅は自分を責めずにはいられないが、愛を見れば、神妙に頷いた多々羅を見て、どこかほっとした様子で肩を下ろし、ゆったりとソファーに背を預けている。その姿からは、多々羅を警戒している様子も見られない。

愛は化身に恐れられてはいるが、禍つものによって体を乗っ取られた人間から、敵意を向けられた事はあるのだろうか。

「…愛ちゃんはさ、こういう経験、今までもあったりするんですか?」
「こういう?」
「その…襲われる、とか」

聞いてもいいことなのか悩みつつも言葉にすれば、愛は何でもない事のように笑って頷いた。

「この仕事をしてれば、誰だってそういう事に直面するよ。でも、多々羅君が気にする事はないよ。あれは、多々羅君に乗り移ったヤヤがしたことで、ヤヤも苦しかっただけだ。だから誰も悪くない、多々羅君が気にすることは何もないし、俺は君に怯えたりしないよ」

すらすらと出てくる言葉に、多々羅がぽかんとして愛を見れば、愛は意地悪い笑みを口元に乗せ、勝ち誇った様子で胸を張っているので、多々羅は参ったなと苦笑い、うなじを擦った。

どうしてか、心配していた事も、愛には全部見抜かれているようだ。

「でも…不安になりませんか?心は変わるでしょ?禍つものには、いつだってなれてしまう訳だし、俺も、またいつ体を乗っ取られるか…」

自分の手のひらを見つめて呟く多々羅に、愛も同じようにその手を見つめ、それからそっと表情を緩めて顔を上げた。

「そうなったら、また説得すれば良いだけだ
。多々羅君に至っては、自力でヤヤの思いをはねのけたじゃないか」
「それは、愛ちゃんが声を掛けてくれたから…」
「うん、だから、いつだって多々羅君には俺の声が届くってことだろ?それだけで、俺は随分安心出来る。ちゃんと、君は俺の話を聞いてくれる、どんなに心を囚われても戻ってきてくれるって信じてるからね。不安はないよ」

淀みなく言ってのける愛に、多々羅はその心の深さに、その強さに、不安がる胸を抱き締められたような、救われた気持ちになった。

自分の意思ではないとはいえ、反省したとはいえ、自分の首を締めた人間と物の化身を側に置いているのだ、自分ならもう少しくらい躊躇するかもしれない。

それでも愛は、自分を信用してくれている。物の化身の事には前から寛容に思うが、対して人には壁を作る愛だ。自分を少しでもその心の内に置いてくれているだろうか、そう思えば嬉しさが込み上げて、多々羅は改めて愛の注意をしっかりと受け止め、身の引き締まる思いだった。

今回の事で、自分に危険が及んだら、愛も危険に晒されるという事がよく分かった。だからといって、何でもかんでも守られていく訳にはいかない。取り憑かれた時、毎回ヤヤのように、化身を説得出来る事ばかりでもはないだろう。
見えなくても、聞こえなくても、出来ることはある筈だ。その中で、愛の為になれるように自分も何か力をつけていけたら。そんな決心を固めていた。

「だからって、変な事はするなよ」

決心した側から釘を刺され、多々羅はびくりと肩を跳ねさせると、必死に愛想笑いを浮かべた。

「す、するわけないじゃないですか!今、気をつけようと気合いを入れていたところですから!」
「どうだか」

鼻で笑ってそっぽを向いてコーヒーを口にする愛に、多々羅は、どうしてこうも思った事がばれてしまうのだろうと、解せない思いだった。
それでもちらりと愛を見れば、コーヒーのカップに視線を向け、きらりと目を輝かせている。きっと、美味しいと思ってくれているのだろう。眼鏡を掛けていないので、翡翠の瞳が多々羅にはよく見える。電球の光でも、角度を変えて色を変えるその瞳は、多々羅にはやはり美しい以外の何者でもない。そんな瞳が恐れられている事に、多々羅はやはり納得いかない思いだった。

「愛ちゃんは、強いですよね」
「うん?何だよ急に」
「だって、傷つくじゃないですか。毎回、化身に怯えられるでしょ?話せば絶対、愛ちゃんは怖くないって分かるのに」

納得いかないなと不機嫌になる多々羅に、愛は可笑しそうに表情を緩め、コーヒーのカップを静かにテーブルに置いた。

「まぁ、仕方ないよ。俺の瞳がどうのという前に、宵の店の人間は、物にとっては心をまっさらにする事が出来るからな」
「それって、自我を一度消すって事ですよね」

愛は頷き、続けた。

「俺は、禍つものになって、どうしようもなくなった物に対してしかしないけど、祓えるのは禍つものだけじゃない。普通の物の心も消してしまうことが出来る。そういう人間がいるって事が、いつの時代からか分からないが、物達の中でも広まっていったんだろう。宵の店の中には、悪い影響を及ぼさない物まで心を消してしまう人間もいるからな」

「どうしてそんなことするんですか?」と、多々羅は不可解に眉を寄せた。

「物には心が必要ないと思っているんだろう。心があれば、誰でも禍つものになる可能性はある、心はいつ変わるか分からない、人間と同じだ。
化身となって姿を現す物も、現さない物もいるが、禍つものに近いのは、化身となって自ら外に出る物だ。そっちの方が強い思いをもっているし、強い思いは傷ついた時のダメージも大きい。化身として姿を現したというだけで心を祓っていた宵の人間もいたようだ。
だから、物達の中には、化身の姿が見つかったら祓われてしまうかもしれない、そう思う者もいる」

多々羅は怯える物達の気持ちに触れたような気がして、同情して眉を下げた。

「酷いですね…、心を消されたら、化身の性格も変わっちゃうんですか?」
「そうだね、それまでの意思も記憶もリセットされる、またそこからの日々の積み重ねになるんだ。
人に取り憑いた禍つものを祓えば、その意思は消えて、無の状態で物に帰っていく。
この祓う力は、人や他の物にも影響を及ぼす、危ない意思から守る為に生まれた力だけど、物にしてみれば、その心を消す事に変わりはないから。…加えて、俺は翡翠の瞳だ、他の店より余計に怖がられてるみたいだね」

自嘲する愛の言葉に、多々羅は愛が落ち込んでいるような気がして、空気を変えようと、「待ってて!」と、急いで部屋に向かった。机の抽斗から細長い包みを持って戻ると、それを愛に渡した。結子から預かったプレゼントだ。

「これ!」
「…何?」
「誕生日だったんでしょ?プレゼント」
「…多々羅君から?」
「…あー、ごめん。ゆい、その…瀬々市ぜぜいちの皆さんから預かってたんだ。渡してって」

結子ゆいこから、と言いかけ、多々羅は言い直す。結子と会っているのは秘密だ。
愛は暫しその包みを見つめ、それに手を伸ばそうとしたが、その手は包みに触れる事なく立ち上がった。

「それ、多々羅君にあげるよ。俺は受け取れない」
「え、なんで、」

「ごめん」と、愛は逃げるように部屋へ戻ってしまった。多々羅は、残されたプレゼントの箱を見つめ、戸惑いを浮かべながら、そっとその箱を指で撫でた。

愛の手は、微かに震えていたように思う。
愛を躊躇わせる原因は、一体何だろう。愛は、自分を襲った誰にも怯えたりしないのに、どうして、瀬々市の人々から逃げようとうるんだろう。誰も、愛を咎めたり傷つけようとする人はいないのに。

多々羅は落ち込みそうになる気持ちに、頭を振ってそれを追い払った。

そんなに簡単に変われる訳がない。きっと、いつかその手を伸ばしてくれる時はくる。無理強いはしたくない、少なからず、愛はその手を伸ばそうとしたんだから。そう自分を勇気付けてみたが、やがてそれは深い溜め息に変わった。

愛の寂しそうに伏せる瞳を見る度に、多々羅は愛がどこかへ消えてしまうような気がしてしまう。

「……」

珈琲に映る多々羅の顔は、どこか不安げに揺れていた。






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