瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

文字の大きさ
上 下
51 / 76

50

しおりを挟む





それからも、多々羅たたらには信之のぶゆきが言っていたような後遺症の症状は表れず、いつものように日々を過ごしていた。
愛には休んでいろと言われたが、休むような体調ではないことは自分がよく分かっているので、翌日からは、店の掃除に家事に、多々羅は精力的に動いていた。

多々羅に起きた変化といえば、ヤヤの姿が見えるようになった事だけだ。これも、もしかしたら後遺症と呼ばれる部類に入るのかもしれないが、翌日には、感じていた気だるさも消え、ヤヤ以外の化身の姿が見えるようになるわけでもなく、多々羅の体調はすっかり元に戻っていた。

それでも、もしもという事がある。なので信之には、この先も体調に変化がないか注意するようにと言われたが、多々羅はこれ以上の変化が起こるとは思えなかった。だって、ヤヤが見えること以外は、本当に何も変わらなかったからだ。
それでも、もし自分の体に変化が起こるなら、ヤヤ以外の化想も見えるようにならないだろうかと、多々羅はそんな事ばかり望んでしまう。そうしたら、もっと愛の見えている世界が理解出来るし、きっと愛の力にもなれるのにと。

今回の件で、多々羅はより強く力が欲しいと思うようになっていた。もし、自分の目の前で愛が危険に巻き込まれそうになっても、多々羅はゴーグルがなければ化身の姿が見えないし、状況が把握出来ない。見えるだけでも、愛の助けにはならないかもしれないが、足を引っ張らないように立ち回るくらいは出来るかもしれない。用心棒達も傷を負った、すぐに駆けつけられないようにヤヤの力でねじ伏せられていたのだ、彼らに頼るばかりではいけない、物と人、お互いに助け合えるならその方が断然良いに決まっている。


多々羅は、今日も客の来ない店の中、カウンターに散らかった漫画雑誌を片付けながら、棚の前で物達に声を掛けている愛に視線を向けた。愛の手のひらには、本物のメジロと同じくらいのサイズになったヤヤがいる。ゴーグルがなくても分かる、きっと愛の傍らには、アイリスとユメ、トワも居るのだろう。そこにノカゼの姿がないのは、先程、愛の馴染みの修理屋に引き渡したからだ。その店も化身の事は理解があるようで、いつも丁寧に本体についた傷を直してくれるという。多々羅はちょうどご飯作りをしていたので、その人に会うことは出来なかったが、用心棒達は一人ずつ順番に修理に出されるというので、いつか会う機会があるかもしれない。
今、店の棚に並んでいる物達も、新しい持ち主を望んだ時は、先ずその修理屋の元へ運ばれるという。

愛とヤヤが棚の物達に声をかけているのは、今回の事で怖い思いをした物達の様子を見るため、そして改めて謝罪と、ヤヤをこの店に迎え入れる許しを得る為だった。

ヤヤは、この店を襲った時とは、その姿からして別人のようだが、その力までなくなった訳ではない。
つくも神である用心棒達が、一時的とはいえ化身の姿を現せられないようにされていたのだ、一般的な力しか持たない物の化身達は、さぞ怖い思いをしたことだろう。それでも、愛とヤヤの様子を見る限り、店の物達にも、ヤヤは概ね受け入れられているようだった。
それは、自分を取り戻したヤヤの反省や、誠実な思いが伝わったからか、それとも、用心棒達が言葉や思いを尽くしながら、昨夜からフォローしていてくれたお陰だろうか。

そんな皆の様子を見て、この店は、人と物が手を取り合い続いてきた店なのだなと改めて感じられて。多々羅は、自分も正式にこの店の一員になれたのだと思うと、心はとてもわくわくしていた。

まぁ、それでもやってる事は何も変わらないけどね。

多々羅はそれも仕方のない事だと自分に言い聞かせ、カウンターの片付けを再開させた。そうしていると、愛がこちらに戻ってきた。

「あれ、ヤヤは?」

その手の中にヤヤがいないことに気づいて問いかけると、愛は柔らかに表情を緩め、棚を振り返った。

「物同士でお喋りしてるよ。ヤヤの気持ちが伝わったんだろうな、怖いほどの力も味方と分かれば心強いって、色々質問責めにされてる」
「大丈夫ですか?」
「平気平気。転校生を囲ってるようなものだし、アイリス達も側にいるから。物だけでのコミュニケーションも大事だしな」

そう言って、愛は安心した様子で肩を下ろした。

「へぇ…」

そういえば、多々羅はこの店にいる用心棒達以外の化身の姿を見たことがない。それに、転校生状態のヤヤはどんな感じだろうか、ちゃんと答えられているだろうかと、ちょっとした親心と、好奇心に突き動かされ、多々羅はエプロンのポケットに入れているゴーグルに手を伸ばしたが、それは愛によって奪われてしまった。

「あ!」
「多々羅君、一昨日倒れたばかりだろ。ゴーグルもイヤホンも、体に負担になるって分かってる?」

眉間に皺を寄せて怒る愛に、多々羅は小さくなりながらも、愛をちらと見上げた。

「ちょっとだけ、ダメですか?ほら、ヤヤがどんな感じなのかなーって。一応俺の用心棒だし、俺、主人扱いされてるし、ヤヤの事を知っておくのは悪いことじゃないでしょ?」
「それなら、後から本人に聞けば良いだろ。ヤヤの姿は見えてるし、声だって聞こえるんだから」

多々羅は思わず言葉を詰まらせた。全くその通りで、今だって、ヤヤの様子はこの目でしっかりと見えている。照れたように笑って話している姿からは、ネガティブな印象は感じられず、上手くやっているのだなと思えた。
でも、棚の上の化身達は滅多に姿を見せないのだ、それを拝めるチャンスは逃したくない。

多々羅がゴーグルを使わせて貰える方法を頭の中で巡らせていると、そんな多々羅の気持ちに察しがついたのか、愛は溜め息を吐いて腕を組んだ。

「そっと見守る事も、俺達の仕事だし、自分の体の事を考えるのも、多々羅君の大事な仕事だと思うけど」

じとっと睨まれ、多々羅はさすがに身を引いた。愛が多々羅の体調を気遣うのも、愛自身が責任を感じているせいもあるだろう。
これ以上ごねたら、愛の優しさにも後悔にも傷をつける事になる。そうしたら、せっかくちょっと近づけた距離がリセットされてしまうかもしれない。多々羅にとってはそっちの方が耐えきれないので、愛の言葉に素直に従う事にした。ゴーグルの他にイヤホンも愛に渡してしまえば、多々羅には愛やこの店との繋がりが一つ減ってしまったような気がして、しょんぼりと肩を落とした。

丸まった背中はわざとではなかったが、愛は申し訳なく思ったのか、迷いを見せながらも、多々羅の丸まった背中に声を掛けた。

「今晩さ、少し話をしよう」
「え?」
「この店の事や、化身のこと。まだちゃんと話してないだろ?正式に宵の人間となったからには、ちゃんと説明したいと思ってさ」

本当なら、もっと早く話をするべきだったんだろうけど。愛は、どこか申し訳なさそうな、罪悪感を感じているように言っていたが、多々羅は愛のその言葉にすっかり背中が伸びていた。

正式に、宵の店の人間になれたこと。愛がそれを認めてくれたという事実は、何度聞いても多々羅に新鮮な喜びをもたらして、多々羅は元気よく愛の提案に頷いた。






「多々羅君も知ってる通り、ここは元は正一しょういちさんの店で、正一さんも、先代から受け継いだ店なんだ」

夕食後のリビングにて、愛がソファーに腰掛けるのを見て、多々羅はやかんに湯を沸かした。珈琲をいれる為だ。

この宵ノ三番地には、多々羅も小さい頃、愛と共に訪れた事がある。その頃から比べて見ても
、商品棚の物が変わった位で、店の内装は大して変わっていない。
正一がこの店を受け継いだのは、正一も物の化身が見え、それについて研究をする為だったという。物の化身の事を独自に調べていく内に宵の店に辿り着き、本職の仕事をこなしながら先代の助手として働き始めたのが最初だという。
ほとんど趣味だという研究成果のたまものか、多々羅が愛用している化身の見えるゴーグルや、声の聞こえるイヤホンを開発したりと、今もその情熱が途絶える事はないようだ。
因みに、愛の瞳の色を隠す眼鏡も、正一がどこぞから発掘してきた物らしい。

正一や愛以外にも、見える力を持つ人は居る。店名も、「三番」と数字がついてる事から分かるように、一番と二番があり、三番の後も数は続き、十にも二十にもなるという。
愛が度々使うパイプによる煙には、物の化身の姿を引き出す事が出来る。和紙のような紙に想いを託せば、物を探す事が出来る。それらは遠い昔から、見える人達によって、ひっそりと受け継がれてきた。

ただ、宵の店は、探し物をする為だけに受け継がれてきた訳ではない。

意思を持った物は、その想いを拗らせ、禍つものになってしまう事がある。
大切にされなかった物、持ち主の元から自分の意思で去った物はそれになりやすく、その想いを晴らす為、その心を埋める為に力を欲し、人に取り憑いてしまう傾向にある。心を乗っ取られた人間は、そのまま命を吸いとられてしまう事もあり、危険なものだ。

心を奪う物も奪われた人間も、それの繰り返しでは誰も救われない。それを未然に防ぐ為に、「宵」の店が出来たという。
その不思議な力に、あの世とこの世の境の時間、宵の時から力が得られたと昔は信じられ、それが後々、店名の由来になったという。

なので、宵の店の店主達は、見えるだけでなく、禍つものや化身を祓える道具を受け継いできた。
祓うという事は、その物の意思を心を消すという事で、その物には記憶も何もなくなり、また新たに心を宿していくという。そうなれば、再び新たな持ち主の元へ行けるように修理し、商品として売るなり譲るなりしても問題ないという。

ただ、物自体に問題がなくても、人の手に渡るのを拒む化身もいる。そういった場合は、無理に持ち主を探しても逃げ出したり、禍つものになりかねないので、愛は、物の気持ちが変わるまで店に置いている。これは、正一の先代からのやり方だ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~

保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。 迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。 ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。 昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!? 夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。 ハートフルサイコダイブコメディです。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

処理中です...