49 / 76
48
しおりを挟む***
メジロの簪のつくも神、その化身の名前は、ヤヤという。
ヤヤは、江戸時代、武家のお姫様と恋に落ちた商人の青年、その人の持ち物だった。
お姫様と青年は、彼女が家臣の目を盗んで家を抜け出した時に偶然出会い、以来、こっそり逢瀬を重ね愛を育んでいたという。
だがそれも束の間、彼女の嫁ぎ先が決まってしまった。
二人は、「気持ちだけは離れずここに。いつだって心はここにある」と誓い合い、対の簪を渡し合った。桜の花の簪を彼女に、メジロの簪を彼が。そして、必ずまた会おうと約束を交わしたけれど、その約束が果たされる事はなかった。
そのメジロの簪がヤヤだ。ヤヤの持ち主は、ヤヤを大事にしてくれていたが、その後、別の女性と所帯を持ち、幸せに暮らしていたという。
どうして。
幸せに笑う主の声を抽斗の奥で聞きながら、ヤヤは主の気持ちが理解出来ずに混乱した。
二人は、約束をする事が目的だったのかもしれない。約束を持てば、夢が持てた。夢が持てれば、それが叶わないとしても、明日へ向かう力になる。明日に、恋しい人がいなくても、ちょっとした希望が力になる事もある。
どうにも出来ないから夢を見て、夢の中に思いを閉じ込める。そして、別の現実を生きていく。
けれど、ヤヤにその考えは理解出来なかった。何故、主は約束を果たそうとしないのか、主が出来ないなら、自分が彼女を探してあげようと思うようになった。物の化身となれば、ある程度は自分の力で、或いは動物達の力を借りて移動が出来る。
ヤヤは、言葉を通わせられる気の良い犬や猫、狸や鳥たちにお願いをして、彼女を探し続けた。時に情報を集めて、実際に自分を運んで貰って。動物達の動ける範囲だが、精力的に動き続けた。人目を盗んで外へ出掛けても、必ず夜には家に帰ってきた。誰も触れる事のなくなった抽斗の奥、その小箱の中に一人帰る寂しさには、気づかない振りをした。その気持ちを忘れる為に、ヤヤは主の為に再び朝には外へ出掛けていく。
でも、彼女は、片割れは、見つからなかった。
やがて、主が亡くなった。それからは、その寂しさを埋めるように、誰の物にもならず、つくも神となった後もずっと彷徨い続けた。
片割れを失って、主を失って、怖かったのだ、また誰かを失うのが。誰かを信じて、好きになって、それから一人に戻る事を想像する事が、ただ、怖かった。
だが、長い年月の探し物は、どうして見つからないのかという悲しみに取り憑かれ、主の気持ち、自分の気持ち、どれが自分のものだったのかも分からなくなり、やがて心の奥底に残ったのは、何故自分がこんなに苦しまないといけない、悲しまないといけないんだという、恨みや憎悪だった。
その暗い思いに呑み込まれ、ヤヤはくつも神でありながら、禍つものと化す寸前だった。
ヤヤが零番地の手に渡ったのも、初めは宵の店でその恨みを果たす為だった。
これだけ探しても見つからないなら、宵の店が片割れの簪の心を消したせいかもしれないと。そんな確証はどこにもない、でも一度そう思ってしまったら、その気持ちから抜け出せなかった。
ヤヤは誰でも良かった、この暗い思いを誰かにぶつけられれば、そして散るなら、それで良かった。
一人で抱えるには、この思いは重く苦しかった。
大人しく物に身を潜めていれば、よほどの目利きでもない限り、つくも神だと分からないだろうと踏んで、零番地の手に渡るよう身を潜ませた。
そして、宵ノ三番地にやって来た。つくも神の力で店にいる物達に封じ手を使い、出てこれないよう物の中に縛りつけた。アイリス達が傷だらけだったのは、その縛りから無理に抜け出したからだ。その力の影響か、彼らの実体の物の方には、所々に傷が出来ていた。
そして、ヤヤは無抵抗の多々羅を襲った。
***
「とりあえず安静にね。体調に変化があったらすぐに呼んで」
信之に礼を言って見送ると、愛は再び多々羅の部屋に戻り、ベッドに横たわる多々羅の姿を見て、溜め息を吐いた。
どうして自分じゃなかったのか、もし自分が襲われたら、と考えて、自分を守ろうとした多々羅の背中が頭に浮かんだ。
どちらにせよ、多々羅は同じ目に遭っていたかもしれない。
「愛ちゃん、本当に首大丈夫?」
「…どうしてあんな無茶したんだよ、言っただろ、また倒れるような事があったら、」
多々羅の心配を無視して、愛は膝の上で拳を握った。多々羅を守らないといけなかった、なのに結果、守られてしまった。そう思えば、また何も出来なかったと、いつかの記憶が蘇る。愛の声は微かに震え、先の言葉を続けられず唇を噛んだ。
多々羅はそんな愛の様子を見て、愛の拳を、とんとんと指で叩いた。顔を上げた愛は泣き出しそうなしかめ面で、「何て顔してんの」と、多々羅は笑った。愛は笑われて戸惑うばかりだ。
「無茶した訳じゃなくて、愛ちゃんの力になりたかったっていうか…それじゃ格好つけか…、ただ、俺に出来る事がしたくて、咄嗟に」
愛はしかめ面のまま、腑に落ちない、という顔をしている。その顔に、多々羅は幼い愛の姿を思い浮かべていた。
「…楽しかったって言ってくれたの、嬉しかったんだよ。俺、家の期待には応えられないし、何の取り柄もないし。俺って、何の為に生きてんのかな、なんて考えて。久しぶりに瀬々市邸に行ったのも、昔に戻りたかったのかもしれない。なのに、久しぶりに会った愛ちゃんは、なんか壁が出来てるし、自分なんかどうでもいいみたいな顔して、それが悔しくて…」
「え?」
「だって、その瞳、俺はずっと綺麗だと思ってたし、特別な力があるなんてカッコいいって思ってた。背負ってる物は分かんないけど、力になりたかった。ここで、俺も何か出来るんじゃないかって、あの頃みたいに」
そこまで言って、「自分勝手で、これじゃ迷惑だよな」と、多々羅は焦って繕ったが、愛が俯くので言葉を止めた。
「…何も知らない癖にって思ってたけど、嬉しかったよ。俺は、いつも多々羅君に頼ってばかりだ」
「…迷惑じゃない?」
「今更気にすんの、それ」
「だってさ…」
多々羅は苦笑い、俯く愛を見て、思い直したように再び口を開いた。
「でも、そんなに簡単に傷つかないよ」
「え?」
「簡単に壊れないよ、人も絆も」
多々羅は笑って言った。「この通りさ」と、おどけるように笑って、その優しい思いが胸に突き刺さり、愛は顔を伏せた。唇を引き結び、思いが溢れて震えそうになり、誤魔化すように再び顔を上げた。
「…バカだな。そんなの、口で言ってくれよ」
「じゃあ、何度でも言うよ。愛ちゃんが信じられるようになるまで。俺は、瀬々市の皆は、何があったって平気なんだから」
多々羅は、笑って言う。何て事ないように言ってくれる。愛は、それが嬉しくて、怖かった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~
保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。
迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。
ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。
昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!?
夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。
ハートフルサイコダイブコメディです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる