瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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メジロの簪のつくも神、その化身の名前は、ヤヤという。
ヤヤは、江戸時代、武家のお姫様と恋に落ちた商人の青年、その人の持ち物だった。

お姫様と青年は、彼女が家臣の目を盗んで家を抜け出した時に偶然出会い、以来、こっそり逢瀬を重ね愛を育んでいたという。
だがそれも束の間、彼女の嫁ぎ先が決まってしまった。
二人は、「気持ちだけは離れずここに。いつだって心はここにある」と誓い合い、対の簪を渡し合った。桜の花の簪を彼女に、メジロの簪を彼が。そして、必ずまた会おうと約束を交わしたけれど、その約束が果たされる事はなかった。

そのメジロの簪がヤヤだ。ヤヤの持ち主は、ヤヤを大事にしてくれていたが、その後、別の女性と所帯を持ち、幸せに暮らしていたという。

どうして。
幸せに笑う主の声を抽斗の奥で聞きながら、ヤヤは主の気持ちが理解出来ずに混乱した。

二人は、約束をする事が目的だったのかもしれない。約束を持てば、夢が持てた。夢が持てれば、それが叶わないとしても、明日へ向かう力になる。明日に、恋しい人がいなくても、ちょっとした希望が力になる事もある。
どうにも出来ないから夢を見て、夢の中に思いを閉じ込める。そして、別の現実を生きていく。

けれど、ヤヤにその考えは理解出来なかった。何故、主は約束を果たそうとしないのか、主が出来ないなら、自分が彼女を探してあげようと思うようになった。物の化身となれば、ある程度は自分の力で、或いは動物達の力を借りて移動が出来る。

ヤヤは、言葉を通わせられる気の良い犬や猫、狸や鳥たちにお願いをして、彼女を探し続けた。時に情報を集めて、実際に自分を運んで貰って。動物達の動ける範囲だが、精力的に動き続けた。人目を盗んで外へ出掛けても、必ず夜には家に帰ってきた。誰も触れる事のなくなった抽斗の奥、その小箱の中に一人帰る寂しさには、気づかない振りをした。その気持ちを忘れる為に、ヤヤは主の為に再び朝には外へ出掛けていく。

でも、彼女は、片割れは、見つからなかった。

やがて、主が亡くなった。それからは、その寂しさを埋めるように、誰の物にもならず、つくも神となった後もずっと彷徨い続けた。
片割れを失って、主を失って、怖かったのだ、また誰かを失うのが。誰かを信じて、好きになって、それから一人に戻る事を想像する事が、ただ、怖かった。

だが、長い年月の探し物は、どうして見つからないのかという悲しみに取り憑かれ、主の気持ち、自分の気持ち、どれが自分のものだったのかも分からなくなり、やがて心の奥底に残ったのは、何故自分がこんなに苦しまないといけない、悲しまないといけないんだという、恨みや憎悪だった。
その暗い思いに呑み込まれ、ヤヤはくつも神でありながら、禍つものと化す寸前だった。

ヤヤが零番地の手に渡ったのも、初めは宵の店でその恨みを果たす為だった。
これだけ探しても見つからないなら、宵の店が片割れの簪の心を消したせいかもしれないと。そんな確証はどこにもない、でも一度そう思ってしまったら、その気持ちから抜け出せなかった。
ヤヤは誰でも良かった、この暗い思いを誰かにぶつけられれば、そして散るなら、それで良かった。
一人で抱えるには、この思いは重く苦しかった。
大人しく物に身を潜めていれば、よほどの目利きでもない限り、つくも神だと分からないだろうと踏んで、零番地の手に渡るよう身を潜ませた。

そして、宵ノ三番地にやって来た。つくも神の力で店にいる物達に封じ手を使い、出てこれないよう物の中に縛りつけた。アイリス達が傷だらけだったのは、その縛りから無理に抜け出したからだ。その力の影響か、彼らの実体の物の方には、所々に傷が出来ていた。
そして、ヤヤは無抵抗の多々羅を襲った。


***




「とりあえず安静にね。体調に変化があったらすぐに呼んで」

信之に礼を言って見送ると、愛は再び多々羅の部屋に戻り、ベッドに横たわる多々羅の姿を見て、溜め息を吐いた。
どうして自分じゃなかったのか、もし自分が襲われたら、と考えて、自分を守ろうとした多々羅の背中が頭に浮かんだ。
どちらにせよ、多々羅は同じ目に遭っていたかもしれない。

「愛ちゃん、本当に首大丈夫?」
「…どうしてあんな無茶したんだよ、言っただろ、また倒れるような事があったら、」

多々羅の心配を無視して、愛は膝の上で拳を握った。多々羅を守らないといけなかった、なのに結果、守られてしまった。そう思えば、また何も出来なかったと、いつかの記憶が蘇る。愛の声は微かに震え、先の言葉を続けられず唇を噛んだ。
多々羅はそんな愛の様子を見て、愛の拳を、とんとんと指で叩いた。顔を上げた愛は泣き出しそうなしかめ面で、「何て顔してんの」と、多々羅は笑った。愛は笑われて戸惑うばかりだ。


「無茶した訳じゃなくて、愛ちゃんの力になりたかったっていうか…それじゃ格好つけか…、ただ、俺に出来る事がしたくて、咄嗟に」

愛はしかめ面のまま、腑に落ちない、という顔をしている。その顔に、多々羅は幼い愛の姿を思い浮かべていた。

「…楽しかったって言ってくれたの、嬉しかったんだよ。俺、家の期待には応えられないし、何の取り柄もないし。俺って、何の為に生きてんのかな、なんて考えて。久しぶりに瀬々市ぜぜいち邸に行ったのも、昔に戻りたかったのかもしれない。なのに、久しぶりに会った愛ちゃんは、なんか壁が出来てるし、自分なんかどうでもいいみたいな顔して、それが悔しくて…」
「え?」
「だって、その瞳、俺はずっと綺麗だと思ってたし、特別な力があるなんてカッコいいって思ってた。背負ってる物は分かんないけど、力になりたかった。ここで、俺も何か出来るんじゃないかって、あの頃みたいに」

そこまで言って、「自分勝手で、これじゃ迷惑だよな」と、多々羅は焦って繕ったが、愛が俯くので言葉を止めた。

「…何も知らない癖にって思ってたけど、嬉しかったよ。俺は、いつも多々羅君に頼ってばかりだ」
「…迷惑じゃない?」
「今更気にすんの、それ」
「だってさ…」

多々羅は苦笑い、俯く愛を見て、思い直したように再び口を開いた。

「でも、そんなに簡単に傷つかないよ」
「え?」
「簡単に壊れないよ、人も絆も」

多々羅は笑って言った。「この通りさ」と、おどけるように笑って、その優しい思いが胸に突き刺さり、愛は顔を伏せた。唇を引き結び、思いが溢れて震えそうになり、誤魔化すように再び顔を上げた。

「…バカだな。そんなの、口で言ってくれよ」
「じゃあ、何度でも言うよ。愛ちゃんが信じられるようになるまで。俺は、瀬々市の皆は、何があったって平気なんだから」

多々羅は、笑って言う。何て事ないように言ってくれる。愛は、それが嬉しくて、怖かった。



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