瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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***



雨の音が聞こえて、愛は目を開けた。振り返る女性の耳には、愛が持っているミモザのイヤリングが揺れている。ヒビも入っていないイヤリングは、太陽の光が反射して、キラキラと輝いていた。

「あなたも聞こえるの?」

まるで、ぬいぐるみをプレゼントされた少女のように喜ぶ彼女に、愛の胸も温かくなる。

「聞こえるよ」

その頬へ手を寄せると、彼女がそっと微笑んで、その手を大事そうに触れる。すり寄せる柔らかな頬、紅をひいた唇がそっと開いた。

「じゃあ、良いこと教えてあげる」
「ん?」
「恐ろしい瞳、あなたはここに居てはいけないのよ、気味の悪い子」



***



愛は、はっとして目を開いた。

ド、ド、と打ち付ける心臓に痛みを覚えつつ、愛は急かされるように部屋を見渡した。そのタイミングでドアがノックされたので、愛はびくりと肩を揺らした。

「あ、起きてましたか。ご飯出来ましたよ、顔洗ってきて下さいね」

愛は、多々羅たたらの顔をどこか放心したように見つめ、多々羅が「店長?」と心配そうに声を掛けたのをきっかけに、愛ははっとした様に目を瞬いて頷いた。多々羅は少し不思議そうにしていたが、「店長の好きな甘い玉子焼き作りましたから」と言って、部屋を出て行った。恐らく、寝ぼけているとでも思ったのだろう。多々羅が出て行くと、愛は深く息を吐いた。

「…夢か、」

嫌な夢だ。いや、彼女の事を嫌な夢にしてしまったのは、自分だ。
愛は頭を抱え、暫しベッドの上で踞った。





今日は日曜日だ。休日も変わらず、店も多々羅も暇だった。愛は倉庫部屋に籠り、壮夜そうやが持ってきた仕事をしている。
多々羅の店での仕事は、まず出来る事を探す所から始まる。結局は掃除くらいしかないので、エプロンをつけて埃取りから始めるのだが、この姿もすっかり板についてしまった。
そのエプロンのポケットには、正一しょういちから預かった愛の弱味という写真の代わりに、物の化身達が見えるゴーグルとイヤホンが入っている。
愛の写真については、今も封を開ける事なく、自室の荷物の奥深くに眠らせている。万が一の為に、切り札があるに越した事はない。

多々羅は、店の中からショーウインドウのガラスに目を止めた。

「こいつもやっておくかな」

そう思い立ち、掃除用具を取りに行こうとすると、ドアがカランと音を立て開いた。

「こんにちは!」
「いらっしゃいませ」

ドアが開くと共に飛び込んできた元気な声に、多々羅が条件反射で振り返ると、そこには小学生の女の子がいた。
多々羅と目が合うと、少女は目をぱちくりとさせた。多々羅と少女は初対面だ、見知らぬ青年と出くわして、戸惑っているのかもしれない。
髪を二つに結った可愛らしい女の子で、Tシャツにジーンズ姿、手には大きめのトートバッグを持っている。

「…えっと、」

先程の元気な姿はどこへやら、彼女は困った様子で俯いている。見知らぬ多々羅を前に緊張しているのだろうか、元気に挨拶してやって来たので、愛の顔馴染みかもしれない。

「探し物の依頼かな?今、店長呼んでくるね」
「ち、違う」
「違うの?あ、商品見に来た?ゆっくりどうぞ」

と言っても、売っていいものか分からない商品ばかりだが。
しかし、少女はそれにも首を振った。

「…いつも、オルゴール動かして貰ってるの」
「オルゴール?」
「…あれ」

少女が指差したのは、アイリスのオルゴールだ。今、多々羅には見えていないが、アイリスはこっそり二人の様子を見つめていた。他の皆も、どこか興味深そうに、多々羅と少女のやり取りを見つめている。

「お兄さん、新しい人?」
「そうだよ」
「ずっと居る?」
「うん、追い出されなきゃね」

そう苦笑えば、少女は心なしか、パッと表情を輝かせた。それから、まじまじと多々羅を見上げている。

「名前は?あたしは、華椰かや!」
「多々羅だよ。よろしくね」
「多々羅、ふふ!よろしくね!」

花が飛ぶような笑顔に、多々羅はつられて微笑んだ。

「ね!聞かせて!」
「あぁ、うん。待ってねー」

オルゴールの棚の前にしゃがみ、ネジに触れ、ふと思う。
そういえば、勝手に触って良いのだろうか。そんな不安にかられ、多々羅はエプロンのポケットからイヤホンを取り出した。アイリスから苦情が聞こえたら、辞めようと思ったからだ。

「優しくしてね」

だが、心配は杞憂に終わった。耳元で語りかけられたアイリスの声は、何か含みを持たせたような言い方で、思わず変な声が出かかったが、多々羅は懸命に平静を装ってネジを回していく。こんな所で奇声を上げでもしたら、華椰に変に思われる。少女相手に変態だとでも思われたら、色々と終わる気がする。
そんな多々羅の必死な葛藤は露知らず、華椰は多々羅の隣で楽しそうに笑顔を浮かべていた。

「あらあら、可愛いこと。愛とは大違いね」
「愛といる時と、笑い方が違う」
「罪な男ね!」
「…罪」

アイリス、ノカゼ、ユメ、トワと続く会話。イヤホンをしているので、多々羅にもそんな声が聞こえてくる。
今、多々羅には見えていないが、化身達は華椰の反応が物珍しかったのか、姿を現して、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
うるさいぞ、と言い返してやりたいが、華椰の手前、多々羅は笑顔で口を噤むしかない。
ネジを巻き終えると、アイリスと同じ姿の陶器の人形が、まるで花の舞い散る中、歌い踊っているかのように、ゆっくりと回転していく。多々羅には、流れる音楽がクラシックかな、位にしか分からなかったが、華椰は楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、オルゴールを見つめていた。

「このオルゴール好き?」
「うん!でも、売り物じゃないんでしょ?だから、たまに見せて貰ってるんだ!これは、ずっとここに置いとくから、いつでも来て良いって、愛が言ってた!」
「そうなんだ」
「今日はね、ちょっとだけ悲しくなりそうだったけど、この子のおかげで元気になれた」

「やだ、泣きそう」と、アイリスの声が聞こえてくる。自分が華椰の心に寄り添えたようで、感激したのだろう。

「そっか、華椰ちゃんの力になれたら、このオルゴールも喜んでるよ」
「えへへ、多々羅にも会えたから元気になれた」

照れくさそうに言う華椰に、多々羅も「本当?」と笑って、華椰の頭をぽんと撫でた。

「ママにお使い頼まれてるから、またね!」
「またね」

そう手を振って元気に駆けて行く華椰を、多々羅は外まで見送った。そして店に戻ると、愛が応接室のドアから顔だけ出してこちらを見つめているので、多々羅はびくりと肩を揺らした。

「て、店長?」
「モテモテだね、多々羅君。俺なんか華椰にあんな風に言われた事ないけど」

じっとりと不機嫌に見つめられ、多々羅は苦笑った。

「たまたまですよ、お、お茶でもいれましょうか?」
「もういれたからいい」
「そ、そうですか…」

そして応接室の向こう、恐らく倉庫部屋に消えていく愛に、多々羅は、ふぅと息を吐いた。

「ヤキモチかしら?」
「いや、ショックなんじゃないか、あれは。華椰が愛に懐くまで随分時間が掛かっただろう、なのに多々羅には一瞬だ」
「多々羅は、愛と違って親しみやすいからね。こういう顔もタイプだったんじゃない?」
「愛は、小さい男ね!」
「…小さい」

用心棒達が好き勝手に喋る中、多々羅は苦笑って、愛の消えたドアへ目を向けた。
そんな中、愛はやっぱり優しいんだなと、多々羅はふと思う。そうでなければ、華椰が来る度にオルゴールを聞かせてやったりしないだろうと。
愛はきっと、人にも、物にも、同じだけ思いやりの持てる人だ。人を突き放したくとも、結局距離なんて取れないのではないか。
だとしたら、あの壁を、あのドアを、どうしたら開けるのだろう。愛が抱えているものを、どうしたら軽くしてあげられるのだろう。

多々羅は堂々巡りを繰り返す思考に、自分の至らなさを痛感し、溜め息を吐いた。





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