瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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***


多々羅たたらは気がつくと、瀬々市ぜぜいちの家の前にいた。
先月お邪魔したばかりだが、その時と家の様子が何か違う。

何だろう、何が違うのだろうと首を傾げていれば、重たいランドセルを背負い、二人の少年が多々羅の横を駆けて抜けて行く。大きな坂道を駆け下りながら、前を行く少年が振り返り、楽しそうに手で敬礼ポーズを作った。

「愛隊員、今日も登校前の見回りに向かいます!」
「りょ、了解です、多々羅隊長!」

敬礼ポーズでやり取りをする二人に、多々羅は途端に懐かしさが込み上げて、辺りを見渡した。何かが違うと感じていたが、そう思うのも当然だ、ここは多々羅の過去の世界なのだから。

ということは、これは夢の中だろうか。

「行くぞー!」と、景気の良い声が聞こえ、多々羅は再び少年達に目を向けた。

元気良く前を走るのが多々羅で、多々羅を懸命に追いかけるのは愛だ。
朝の清々しい空気を切り、二人は楽しそうに駆けていく。小学校への通学路は、二人にとっては大事な見回りごっこの時間で、低学年の頃の二人の日課だった。
大きな犬のいる家では犬に吠えられつつ、懐いてくれた猫の家では猫の背を撫でて挨拶し、公園の中は遊具の回りを見ながら「不審物なし!」と確認し合う。たまに落とし物を見つければ、登校途中にある交番に届けれたりもした。そうすると、「見回りご苦労さん。でも、早く学校行けよ」と、お巡りさんが敬礼ポーズで見送ってくれる。二人は、「はい!」と元気良く返事をした。


その様子を眺めながら、多々羅はぼんやりと思う。

今思い返せば、本当に子供で、何でも遊びに変えて、何でも楽しくて、よく笑っていた。多々羅は愛といるだけで楽しかったが、愛はどうだったのだろう。
多々羅は、小さな自分達が駆ける姿を遠くから眺めながら、寂しさが胸に押し寄せるのを感じた。

「愛隊員、急ぐであります!」と、小さな多々羅が愛に手を伸ばすと、「了解です、多々羅隊長!」と、愛はその手を掴む。

多々羅は、二人を追いかけようとしたが、その前に多々羅の足元から透明の分厚い壁が現れ、多々羅の行く手を阻んだ。
この壁を乗り越えられる気がしていたのだけど、あれは錯覚だったのだろうか。
越えられない壁の向こう、スーツを着た大人になった愛がこちらを振り返り、寂しそうに彼らの元へ向かっていく。残されたのは、大人になった多々羅だけ。多々羅は焦り、壁の向こうの愛に声をかけた。



***


「待って、」

はっ、と息を吐き出し、多々羅は目を開けた。目の前には、見慣れた天井があり、ここが自室だと知る。

「…夢、だよな」

深く息を吐き、ぽつりと呟く。愛との過去の記憶は楽しいものばかりだった筈なのに、今はとても寂しい気持ちになる。あの頃と今とでは、随分変わってしまったからだろうか。

それにしても、昔の愛は、あんなに屈託なく笑っていたんだなと、ぼんやり思う。
そう言えば、昔は愛と言い合いになる事は無かった、そう思って、多々羅ははっとして体を起こした。すると、急に起き上がった為か、こめかみがズキッと痛み、多々羅は苦痛に顔を歪めた。頭に触れると、おでこに冷えピタが貼ってある事に気づいた。

「…あれ、俺…」

確か店内で愛と言い合いになり、途中で気が遠くなったと、思い出す。

そこへ、トントンとドアがノックされた。返事をすると、ドアから顔を覗かせたのは、髭を生やした優しい顔の男性だった。

「先生?あ、愛ちゃんの診察ですか?」

言いながら、多々羅が慌ててベッドから出ようとするので、彼は笑って多々羅をベッドに座らせた。

「診察はまた別の日にね。今日は、君が倒れたって聞いて来たんだ。愛君が血相変えて飛んで来たんだよ。さっき診させて貰ったけど、うん、その様子じゃ大丈夫そうだね」

彼は、梁瀬信之やなせのぶゆき。愛の主治医で、幼い頃は多々羅もよく顔を合わせていた。なので、舞子まいこに連れられ、喫茶店“時”に顔を出した時は、すぐに喫茶店のマスターが信之であると気付き、同時に驚いた。

信之と初めて会った時から二十一年が過ぎた、年齢は七十代位だろうか。黒いワイシャツにジーンズ、グレーヘアを後ろで小さく結び、昔と変わらない髭姿だったが、更にダンディーさを増したような気がする。その笑顔には皺が増え年を重ねた印象はあるが、穏やかな眼差しは変わらない。
今は自身の病院を後輩に任せて、喫茶店“時”のマスターをやっているという。

「環境が変わったから疲れもあったのかな…あのゴーグルとイヤホンはね、まだ慣れない内は神経が刺激されやすくて、目を回したり、気分が悪くなる事も多いんだ。今日みたいに倒れたのは、疲れやストレスが上積みしたせいもあると思う」

信之は、机からイスを持ってきて座り、「ちょっとごめんね」と、多々羅の腕を取り、脈をとったりしている。

「…あの、先生も見えるんですよね?」
「化身の事?僕も多々羅君と同じで、見えないし聞こえないよ」
「え?」

てっきり愛同様、化身が見えてるものと思っていたので、多々羅は驚いて顔を上げた。

「ただ、化身は見えないけど、物の思いは、影が塊になったように見えるんだ。僕は、その影を少しだけ操れる。だから、愛君の体調を診れたし、それに僕は、あのゴーグルとイヤホンのエキスパートだしね」
「え、それって、あの道具を作ったのって先生って事ですか?」
「ははは、僕が作ったなら凄い発明だろって自慢しちゃうけど。残念ながら、僕はただの実験台。正一しょういちさんが、化身の姿を映す鉱物をどこからか見つけてきたみたいで、他の仲間と一緒になって、苦労してあれを完成させたんだよ。正一さんに呼ばれては、よく目を回して倒れていたな…。だから、あれの使い方に関しては僕の右に出る者はいないね。ただの慣れってのもあるかもだけど」
「じゃあ、俺も慣れたら、使い続ける事は出来ますか?」
「そうだね、でも長時間の使用は辞めた方がいいよ。最初は一日五分から始めて、段々時間を長くしていく事。それで慣れても、長くて三十分、休憩をしっかり取って、また三十分、そういった使い方の方が良いね」
「分かりました」

真面目に頷く多々羅に、信之は少し目を瞪った。

「ノカゼ君達から洗練を受けたって聞いたけど、多々羅君は、あの子達が怖くないの?」

信之の問いに、多々羅は少々苦笑った。

「最初はびびりましたけど、顔見て話したら、人と同じ姿だし、皆、愛ちゃんの事が好きなんだって分かって。そしたら怖くはなくなりました」

多々羅は笑って、それから少し迷いつつも、意を決して顔を上げた。

「…あの、愛ちゃんの目が、化身に襲われたせいっていうのは、本当なんですか?痕跡があるっていうのは、そういう事なんですか?」
「愛君からそう聞いたの?」
「はい」

頷く多々羅に、信之は少し考え込んだ。



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