瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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愛の言葉に、用心棒達も予想外だったのか目を瞬き、ユメが真っ先に愛に詰め寄ろうとするのを、アイリスがその肩を優しく掴んで引き止めた。じれったそうに見上げるユメに、アイリスも困ったように微笑み、それから愛へ顔を向けた。

「愛、どういう事なの?彼は辞めさせたかったんじゃないの?」
「説明してくれ、俺達は正一しょういちから言われてるんだ、この店で愛を守ってくれって。お前が恐れるものから、俺達は守る為にいる。この人間は、正一の言っていた良い人間なのか?」

アイリスとノカゼが愛に問う。二人は、愛が多々羅たたらに店を辞めさせようとしていたから、多々羅を追い出そうとしたので、愛の本心を聞かずには引けないのだろう。
愛は首の後ろを掻き、言いにくそうに口を開いた。

「正一さんが言ってた人は、この多々羅君だよ」
「なら、どうして邪魔にするの?」

アイリスの問いに、愛は迷うように多々羅を見て、それから視線を逸らした。

「…俺は一人で良いと思ってたから。皆だって居るし。でも、多々羅君が来たら、昔に戻ったみたいで。危険だから引き込みたくないのに、仕事を分かろうとしてくれるのが嬉しいっていうか…」

照れくさそうに言いにくそうにしながらも、愛には普段のなげやりな様子はない。これが愛の本心なのだろうか、そう思えば、多々羅としては思いもしない愛の発言に、今の今まで感じていた不安が嘘のように萎み、代わりに明るい気持ちが戻ってきた。

「なら、俺、仕事覚えますよ!」

愛は、迷惑とは思っていなかった、同じ思い出を思い浮かべてくれていた、穂守ほがみの兄でもない、多々羅として見ていてくれたと思えば、俄然やる気が沸いてくる。単純かもしれないが、愛の素直な気持ちは、どんな言葉よりも多々羅の心を強くしてくれるものだった。
そんな思いで多々羅は立ち上がり、意気込んで愛に向かったが、愛は眉を寄せて多々羅の思いをはねのけた。

「だから、今ので分かったろ!化身は人を襲う事も出来るんだってば!」

多々羅は、愛の必死な様子に、思わず口を噤んだ。

「ここに並んでる棚の物達は、一度化身となった事がある物達だ。棚の上の物を動かすなって言ったろ?それは、こいつらにとって居心地の良い場所があるからだ。欠損を直さないのも、その物達にはまだその意志がないからだ」

多々羅はその言葉に、先程の腕の取れかけたウサギのぬいぐるみに目を向けた。
ここにある物達は、全てがその物の意思を尊重されている。欠損を直さないままでいいと望むのは、物にとっても何らかの思いがあって、それは心の傷かもしれないし、戒めなのかもしれない。

人のように、物にも意志がある。見えなくても、聞こえなくても、そこにはあるのだと、改めて思い知った気がした。

「物達が勝手に騒ぎ出さないのは、ノカゼ達が彼らの統制をとってくれているからだ。誰も怖い思いや痛い思いはしたくないだろ?だから、ここは安全で、守られてるって事をノカゼ達がちゃんと説明してくれてるんだ。俺はどうしたって人間だから、人より物同士の方が気持ちも分かるし、話だって素直に受け止められるだろ」

愛は慈しみの中に少しだけ寂しさを滲ませながら話し、それから、何か言いたそうにしているノカゼに気付き、そっと労うようにその肩を叩いた。

「でも、ここに来るのは、事情を理解してる物達ばかりじゃない。さっき壮夜そうやが運んできた箱の中には、危険な思いを持った物もいるかもしれない。そういった物達を諭したり、時にはまっさらな心にリセットするのも、俺達、宵の店の仕事なんだ」
「…でも、襲われたって、今みたいに話し合えば、」
「それが出来ない場合がある。だから、俺達の仕事がある、この瞳がその証拠だ」
「え?」

愛は多々羅から視線を逸らし、小さく息を吐いた。

「俺の瞳の色が違うのは、そういう、物に襲われた結果なんだ」
「…でも、それはまだ分かっていないんじゃ、」
「…確かに、俺は何も覚えてない。でも、正一さんや先生は、この瞳には化身の痕跡があるって言ってた。理由がどうのと言ってたけど、襲われた事に変わりない、痕跡があるっていうのは、結局はそういう事だ。俺は化身に襲われて、それを誰かが祓ったんだろう。祓いきれず、力が残ってしまった、そんなところだ」

愛はそう言ってから、俯いた視線をノカゼ達に向けた。彼らを気遣うように、その表情は幾分穏やかになった。

「まあ、そういう例もあるって事だ。勿論、それらばかりじゃないから、こうやってノカゼ達がいる」

それから愛は、眉根を寄せ多々羅に向き直った。

「それに、この店で何かあってもノカゼ達が居るけど、外で、例えば彩さんのネックレスの化身が、例えばだぞ、腹いせに人を襲おうとしたらどうする。俺が側に居れない状況が作られてしまったら?多々羅君は、何も出来ないだろ」

愛は深く息を吐き、カウンターに寄りかかった。

「そんな仕事、やらせたくないし、やりたくないだろ」
「…え、じゃあ、もしかして俺にスケートやらせたのって」

はっとして尋ねる多々羅に、愛は気まずそうに視線を逸らした。

「…もしもの場合があるから、化身の姿を確かめるまでは側に近寄らせたくなかった…まぁ、写真の腹いせにってのは、あるけど」

やっぱり、愛の弱みをちらつかせた多々羅への仕返しもあったのか。
だが、多々羅はその仕返しされた事が吹き飛ぶくらいの思いだった。高く分厚い壁が、今は少しだけ透けて見えるようで。ちゃんと愛の思いを聞くことが出来て、多々羅は安堵から、体から力が抜けていくのを感じた。

「なんだそっか…俺、嫌われたわけでも、必要ないって思われてる訳でも無かったんですね」

はは、と笑う多々羅に、愛は顔を顰めた。

「…何笑ってるんだよ、今の話、絶対理解してないよな!」
「そりゃ、分かんない事はありますよ、でも、それなら、やっぱり俺が居た方が良くないですか?」
「は?」
「だって用心棒の皆は店で、ここの物達を守らないといけないし…持ち歩くのも難しいですよね?」
「確かに、私達はかさばるし、重いわ。私なんて特にね」

多々羅に話を振られ、アイリスが頷いた。化身のアイリスはとても華奢だが、本体は大きなオルゴールだ。

「ね!でも俺なら、道案内も出来るし、もし襲われたとしても、二人いたらどっちかが助けを呼ぶ事も出来るじゃないですか!そうですよ、ね、名案でしょ!」

多々羅は用心棒達に向かって言う。彼らを味方につける作戦だ。

「…確かに、正一が居なくなってから心配してたのよね…」
「俺なら、持ち運べるぞ」
「ノカゼは駄目よ、この店の要じゃない」
「私なら小さいわ!」
「…小さい」
「でも、割れたら大変でしょ?俺なら丈夫だし!」

すかさず多々羅が会話に割り込めば、ふむ、と考え込む用心棒達に、愛はぽかんとして、それから慌てて間に入っていく。

「いや、いやいや!どのみち足手まといだろ!」
「え、急に酷い事言う…!」
「だって、今は見えてるけどさ、外で俺が襲われて、多々羅君はどうやって俺を助けんの。何の力もない多々羅君がいてもさ、ただの足手まといだろ!」
「その時は、皆を呼びます」
「それじゃ遅いだろ」
「でも、店長が一人の時に襲われたら?」
「その時はその時だ、別に初めてって訳じゃない、何度もあることだ。俺は抗い方を知ってる。でも多々羅君はさ、何も出来ないだろ」
「俺だって、教えてくれたら、」
「そんなのないんだよ!」

苛立って言う愛に、多々羅はぐっと唇を引き結んだ。

「…店長は、ないないばっかりですね」
「…なんだよ」
「そうやって、あなたは逃げてるだけじゃないですか、自分の瞳の事だって、本当は何があったのか誰も分からないんですよね、それなのに悪いものだって決めつけて、それって向き合う事を避けてるだけじゃないですか?」
「知った風な口を利くな、俺は、だから探してるんじゃないか!」
「探してるって、何を、」

言いかけて、多々羅は言葉を奪われた。ぐらりと揺れる視界に、ぐわんぐわんと耳鳴りがする。

「あ、れ…」
「多々羅君!?」

伸ばした手は、愛の手に触れる事なく宙を掻いた。


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