瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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「…俺って、惚れっぽいのかな」

結子ゆいことの再会を思い出し、脱衣所で部屋着に着替えながら、多々羅たたらは一人呟いた。

話は現在に戻り、愛と共に夕飯を終えた多々羅は、愛が風呂に入っている間にお弁当の容器を片付け、洗い物も済ませると洗濯物を畳み、今はお風呂に入ったついでに風呂掃除を終えた所だ。


結子とは、あの日から連絡を取り合うようになった。連絡といっても愛の話が中心だが、それでも多々羅にとっては大切な時間だった。結子とやり取りしている時は、今までの自分が辿ってきた道も間違いじゃなかったのではと思えてくる。辛い事は色々あったが、あの時、瀬々市ぜぜいち邸の前で足を止め、正一しょういちに愛の話を聞いたのも、全ては結子と再会する為にあったのではないかと、呑気にも思ってしまう程。
勿論、正一の気持ちに応えたいし、愛を一人にはしておけない。
でも、もしかしたら、その先に結子との未来があるのではないか。そんな期待も、少なからずある。
多々羅として何か出来る事がある、その思いが、多々羅を恋に前向きにさせたのかもしれない。

前職を辞めるまでの一ヶ月は、そのように浮かれた日々を過ごしていたが、浮かれてばかりもいられないぞと、あの時の自分に言ってやりたい。

愛と再会するまでは、勿論不安はあったが、それでもきっと、昔のように接する事が出来ると思っていた。多々羅は愛と仲が良かったと思っていたし、それは独り善がりの思いではなかった筈だ。だが、いざ会ってみると、昔のようにはいかなかった。あの頃は簡単に乗り越えられた壁は、今では分厚くそびえ立ち、多々羅さえも跳ね退けようとする。とはいえ、まだ一週間。そう言い聞かせてみても、愛が壁の向こうから、ひょっこり顔を覗かせてくれる気配は、今のところない。

どうしたものかと頭を悩ませながらリビングに戻ると、愛の姿はそこにはもう無かった。
肩に掛けたタオルで髪を拭きながら、愛の部屋の前で立ち止まり、ドアをノックする。

「店長、何か必要な物あります?お茶いれましょうか?」
「要らない、もう寝る」

ドアの向こうからは、温度感のない声が聞こえてくる。多々羅は溜め息を飲み込み、「分かりました、お休みなさい」と言って、左隣にある部屋に入った。

多々羅の部屋は、ちょうど店の真上にあたる部屋で、部屋に入って向かい側と左手に窓があった。
左手の窓からは店の前の通りが見え、近所の家々には、まだ明かりが灯っているのが見える。多々羅は、先程飲み込んだ息を吐き出しながら、開けっぱなしだったカーテンを閉めた。

通りが見える窓の下には机があり、愛の部屋側の壁際にベッドがある。廊下側の壁には本棚とクローゼット。家具は全て正一が使っていた物だ。正一は、以前からこの部屋で過ごす事も多かったようだ。宵の店の仕事や、研究で日付けを跨ぐ事も多く、愛もそれに合わせるように、自然と隣の部屋を使うようになったという。そんな日々を過ごしていたからか、生活するには十分の家具や家電は揃っていた。
多々羅はベッドに腰かけながら、ふと、愛の子供部屋を思い出していた。あれだけ広いお屋敷で、広い部屋に暮らしていたのだ、愛や正一は、この部屋は窮屈に感じないのだろうかと、ちょっと多々羅は気になる所だった。

多々羅は歌舞伎の名門に生まれているが、最近まで狭いアパートで一人暮らしをしていた。無駄に広い部屋よりも、この位の広さの方が性に合っているようだ。

多々羅が新生活の為に持って来た荷物は、スーツケースとスポーツバッグが一つずつ。特別趣味もないので、服や日用品ばかりだ。彩のように、誰かに頼んでまで探して欲しいと思うような、大事な物も持ち合わせていない。物をぞんざいに扱う事はしないが、思い入れもない。こんな人間だから、物の化身を見る事も、化身に思われる事もないんだろうな、そう思えば、思い出に残る物の一つくらい見つけておけば良かったと後悔した。
それをした所で、愛のような物の化身が見える目を持てるかは分からないが、そもそもの資格がないように思えて、ちょっとへこんでしまう。

「いや!それだけが、この仕事の価値じゃないし!」

見えなくても、この店の為に、愛の為に出来る事はある筈だと、多々羅は無理矢理気持ちを切り替えた。それから「明日は…」と呟き、明日の予定を頭に思い浮かべる。明日は六時に起きて、朝ご飯を作って、洗濯や掃除をして。
そこで、多々羅は大きく溜め息を吐き、ベッドに寝転んだ。

「…俺、何か役に立てんのかな…」

どんなに気持ちを上向けようと、現状を見れば、気持ちは再び下降していく。
今日だって、愛が道に迷わないよう着いて行っただけだ。しまいには邪魔だったのか、調査の間スケートをさせられていた。

「おまけに仕事内容もちゃんと教えてくれないしな…」

物の化身が見えないから、戦力にならないから、多々羅は何の役にも立たない。もし、愛がそう思っているなら。

「…いや、家事だって仕事の内だし、うん」

だけど、やはり落ち込んでしまう。結子に「任せて」なんて言ったが、愛に信頼されていなければ、まさか家族の溝なんて多々羅が埋められる筈がない。結子にも、そして正一にも期待に応えられず、がっかりされるだろう。

「…俺、嫌われてんのかな」

そして行き着いた答えに、多々羅は「いやいや…」と否定しつつも、その可能性は十分にあるのではないかと、落ち込んだ。こっちは切り札として、愛が嫌がる写真を持っている訳だし、嫌われない要素はないんじゃないか。そう考えれば、重い溜め息しか出なかった。

「…水でも貰おうかな」

多々羅はしょんぼり肩を落としながらキッチンへ向かった。
愛はもう眠ってしまったのだろうか、隣の部屋は静かで、多々羅は足音で起こしてしまわないように、そっと廊下を進む。だが、古い建物のせいか、どう歩いても床が軋む。瀬々市の財力でどうにかならないのだろうか、因みに壁も薄い。

瀬々市邸とは違い、少し歩いただけでたどり着くリビング。多々羅がキッチンに立ち、水切りに伏せていたコップを手にした時、カタン、カタン、と何かが倒れるような音が遠くで聞こえた。多々羅はコップを置いて振り返る。一度部屋を見渡したが、その視線はすぐに階段へと向かった。今の音は、階下から聞こえた気がする。店内の棚の商品でも倒れたのだろうか、そう思い、多々羅はひとり暗がりへと向かった。

階下へ下り、店内の電気をつけて、迷路のような棚を見て回る。店内は、棚の並びも棚の上の物達も雑に見えるが、床に物を置く事はなかった。なので、物が落ちていたり倒れていたら分かる筈だが、そんな様子は見られない。

「…気のせいか?」

もしかしたら、家の外から聞こえたのかもしれない。そう思い直し、多々羅が二階へ戻ろうとすると、突然、点けた筈の電気が消えた。

「…え、停電?」

多々羅は驚きつつ、手探りで棚を伝い入り口へ向かった。店にはシャッターは無いので、外の様子はショーウインドウを覗けばすぐに分かる。周囲の建物には、明かりがついており、ショーウィンドウの側はほんのりとそれらの明かりが差し込んでいた。
停電じゃないとしたら、ブレーカーでも落ちたのだろうか。そう思い、ブレーカーはどこにあったかと考えつつ店の奥に戻れば、その途中、足に何かが引っ掛かり躓いてしまった。

「おっと、」

何だ、と足元を見るが、暗くてよく見えない。さっき店の中を見た時は、何もなかった筈だ。多々羅は首を捻ったが、とりあえず今はブレーカーが先だと、そのまま足をどかして先に進もうとする。しかし、今度はどういう訳か足が動かない。それどころか、足に何かがしがみついているような気がする。

「え、何で、どういう事…」

理解し難い事態に、突如として恐怖が背筋を駆け抜けた。多々羅は、見えない何かをどかそうと足元に手を伸ばす。屈んだ瞬間、今度は背中に、はっきりとした手の感触がした。

「え、」

驚くと同時にゾッとして、次いでその手が多々羅の体を思い切り押すので、多々羅は棚に体をぶつけながら派手に転んでしまった。

「いって、」

そう顔を上げて、多々羅は目を見開いた。ぶつかった棚が、グラッと大きく揺れ、自分の真上に傾いていたからだ。

「嘘だろ…!」

棚の下敷きにされる、そう思い、多々羅は咄嗟に頭を庇った。



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