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しおりを挟む坂の下には小さな公園がある、多々羅もよく遊びに来ていた公園だ。あの頃は広いと感じていた公園も、今見てみれば、こんなに小さい公園だっただろうかと、多々羅は時の流れを感じずにはいられなかった。滑り台もブランコも、ちょっとしたアスレチックも、記憶にあるより小さくて。鬼ごっこをするのにも最適に感じられた広い敷地も、大人になった多々羅には、顔を少し左右に向けただけで、その敷地が視界に収まってしまう。子供の頃は、端から端まで見えなかったのに。きっと今なら、端から端まで走っても、あっという間に着いてしまうのだろう。
「よく、愛ちゃんと来てたな…」
「あの頃は、いつも一緒に遊んでたよね。愛ちゃん、家に帰ってからも、よく多々羅君のこと話してたんだよ」
「そうなの?」
結子の話に、多々羅は胸が温かくなっていくのを感じる。公園には、近所の子供達が、わーきゃあ言いながら駆け回っている。その姿にいつかの自分と愛を思い浮かべ、自然と頬を緩めた。
懐かしさに浸っていると、結子がベンチを指差し手招いた。公園には池があり、それほど大きくはないが、池の上には橋がかかり、そこから池の中を覗く事も出来る。昔は鯉や亀や蛙がいたが、今も生き物はいるだろうか。
結子が手招いたのは、池の周囲に設置されたベンチだ。日向ぼっこには最適の場所で、いつも誰かしら腰かけていたイメージがあったが、今日は空いているようだ。
二人で池を前にベンチに腰掛けると、結子は手にしていた袋から、ドーナツを取り出し多々羅に手渡した。多々羅がそれを受け取りながら、瀬々市邸で春子特製のアップルパイをいただいた事を伝えると、結子は困ったように笑った。
「アップルパイか~、たーちゃんに会えて良かった。これ持って帰ったら、またおじいちゃんに甘い物食べさせるところだったよ」
「はは、甘い物控えろって言われてるみたいだね」
「そうなの!でも、おじいちゃん根っからの甘い物好きだからさ。普段我慢してる分、私がたまに帰って来た時には、お土産買っていってあげようって思って買ってきたんだけど」
「ダメね」と、結子は笑って肩を竦めた。
「でも、いいの?俺が食べちゃって…正一さん楽しみにしてたんじゃない?」
毎回手土産に甘いものを持っていってるなら、このドーナツを食べてしまったら、正一は残念に思うのでは。そう思い、口にするのを躊躇う多々羅に、結子は軽やかに笑って手を振った。
「良いの良いの。今日はもうアップルパイ食べてるし、それ以上は食べすぎになっちゃうもん。家に持って帰るとばれちゃうし。春ちゃんとこっそり食べても、僕の分はないのかって、見抜かれちゃうんだよ?
だから、多々羅君に会えて助かった!食べて食べて!」
甘いものに対する正一の執着は、なかなかのもののようだ。多々羅はそんな正一の姿を思い浮かべて苦笑い、「ご馳走さまです」と、有り難くいただくことにした。
「ふふ、やっぱりこれが一番美味しい」
二人して笑ってドーナツを頬張ると、優しい甘さに懐かしさを感じる。ドーナツの味のせいか、それとも隣に結子が居るからだろうか。
先程アップルパイをご馳走になったばかりだが、不思議と口が進んでしまう。
多々羅がつい結子を見つめてしまえば、不意に結子がこちらを見上げ、目が合うと、柔らかに微笑んだ。その表情が綺麗で、愛らしさに満ちていて、多々羅の胸を激しく打ち鳴らすものだから、多々羅は慌てて明後日の方へ顔を向けると、この胸の高鳴りを打ち消すように、頭をフル回転させて会話の糸口を探した。
「そ、そういや、結ちゃんて今一人暮らしなの?」
「うん。凛ちゃんも家を出てるけど、凛ちゃんは週一くらいで帰ってきてるみたい」
凛ちゃんとは、弟の凛人の事だ。因みに、先程、結子の会話の中で出てきた春ちゃんとは、春子の事だ。結子は、近しい人達を、ちゃん付けで呼ぶ傾向にある。
「あ、おじいちゃんから愛ちゃんの事聞いた?」
「…うん、それで、正一さんから打診された。愛ちゃんの事、手伝ってくれないかって」
「本当!?やってくれるの!?」
苦笑って言えば、突然瞳を輝かせた結子の顔が迫り、多々羅は再びドキリと胸を震わせた。
どんなに誤魔化そうとしても、間近に迫るふわりと香る甘さに、結子が女性なのだと気づかされてしまう。
「…えっと、俺で役立てるなら、やってみようかな、とは…」
「私は、賛成!あ、たーちゃんがよければだけど」
「でも、俺なんかが役に立つのかな…」
「たーちゃんなら大丈夫だよ!私達じゃ、会ってもくれないし」
「え?」
「おじいちゃんの店で暮らすようになってからは、私達の事も避けてるみたいで。おじいちゃんだけなんだ、愛ちゃんと会えるのは」
結子は寂しそうに多々羅を見上げて微笑んだ。
「ね、覚えてる?たーちゃんが、愛ちゃんに初めて会った日の事。愛ちゃんを守るって言った事」
「…うん…」
多々羅には、少々苦い思い出だ。あの時は、本気で愛の事を女の子だと思っていたし、恋していた。もし、愛が男の子だと知っていたら、あの時、何て言っただろう。
「私は、守れなかった。力になりたいけど、愛情って難しいね、人を弱虫にもさせるみたい。これ以上離れたくないと思うと、どう声を掛けたらいいのかなってさ。
愛ちゃん、私達を重荷に感じて離れたのかも。愛ちゃんは、好きで家族になった訳じゃないもんね」
「…そんな事ないでしょ」
「だって、辛そうだったもん」
「…何かあったの?」
その問いに、結子は少しだけ迷いつつ口を開いた。
「…愛ちゃん、話してくれないから分からないんだけど、中学に入る頃、留学したでしょ?あれって、勉強の為じゃなかった気がするの。その少し前にね、凛ちゃんが家で怪我した事があって、その時から愛ちゃんの様子がおかしかったんだよね」
「…愛ちゃんが、怪我させたって事?」
「違う違う!凛ちゃんも、ただ転んだだけって言って否定してるし、私達も怪我させたなんて思ってない。ただ、愛ちゃんだけが、あの時から距離を置き始めて…何年も一緒に居るのに、急によそよそしくなったっていうか…」
「それが、今までずっと?」
すると、結子は緩く首を横に振った。
「日本に帰って来てからは、だんだんその距離も戻っていったけど、去年かな…あの瞳の事で何かあったみたいでね、その時おじいちゃんも愛ちゃんと一緒に居たんだけど、ちょうど目を離してたみたいで、何があったか分からないんだって。それで、愛ちゃんはまた話してくれなくて」
結子は、ふぅと息を吐いて顔を上げた。
「家族って、何だろうね。私達がいくら思っても、愛ちゃんの心には届かない、辛い時に手を貸せないなんて、信用して貰えないなんて、私達はどうすれば良かったんだろ…」
そう言いながら、「やだ、情けないよね、こんな事言って」と、結子は笑ったが、笑いきれなくて、ポロッと涙を零してしまった。
多々羅は驚き、焦ってハンカチを差し出そうとしたが、なかなか見つからない。そのあたふたしている様子を見て、結子はおかしそうに笑った。
「ふふ、」
「あ、わ、笑わないでよ!かっこつかないな、俺」
「格好つけなくても、カッコいいよ、たーちゃんは」
「え?」と、多々羅は目を瞬いた。
「…愛ちゃんを私達の家族にしてくれたのは、たーちゃんだと思ってる。私ね、また愛ちゃんが遠くに行ったらどうしようって怖くて。今度また遠くに行っちゃったら、もう帰ってきてくれないかもしれない。もし、たーちゃんが良いなら、愛ちゃんの側に居てあげてほしい、私達の代わりに」
涙に滲む瞳が、多々羅を映す。零れる涙が綺麗で、それに触れたくなる。そんな自分の気持ちに気づき、多々羅はぎゅっと手を握った。
結子の涙を拭いたくて、いやそれよりも、真っ直ぐと自分を頼ってくれる事が、弟の穂守ではなく、自分を必要としてくれる事が嬉しかった。
多々羅にはもう、迷う理由はなかった。
「俺に任せてよ!愛ちゃんだって、皆と距離を置くのは、何か理由があるんだよ。愛ちゃんが、皆の事嫌う筈ないじゃん!だから、また前みたいに過ごせるよ。家族なのに、会えないのはおかしいじゃん」
言っていて、多々羅は矛盾している事に気づく。
人の事をとやかく言えない、多々羅だって家族と距離を置いている。
でも、だからこそ、愛には自分のように一人になって欲しくなかった。愛は自分と違って、こんなに愛されているのだから。
「俺が、愛ちゃん連れてくるからさ!」
「…うん、ありがとう。ありがとう、たーちゃん」
その安堵したような微笑みが、多々羅の胸をドッと打ち付けた。次第に速まる鼓動に、多々羅は胸を押さえながら、嫌でも気づいてしまう。
俺、結ちゃんの事、好き…?
思った瞬間、多々羅は瞬時に顔を赤らめ顔を背けた。結子は不思議そうに、多々羅の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「え!?いや、な、何でもないよ!」
幼い頃は何とも思わなかった事が不思議なくらい、今は結子がキラキラと輝いて見える。
多々羅の事を多々羅として見てくれる数少ない人。そんな彼女が、自分を頼ってくれる。それだけで、こんなにも世界が明るく満ちていくなんて。
勿論、愛の側に居る事を決めたのは、正一に誘われた事も大きい。けれど、決定打を押したのは、結子だった。
多々羅の中に少なからず抱いていた不安が、今は綺麗に消えさっている。
恋の力は、いつだって偉大だ。
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