瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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東京のとある町、駅前の賑わいから離れた路地裏の奥に、「宵ノ三番地よいのさんばんち」という名前の店がある。

二階建ての建物で、一階と二階の境に取り付けられた看板は古ぼけて傾き、その壁も大分薄汚れている。
曇りがかったショーウインドウに見えるのは、淡いピンクのドレスを纏った花の精が踊る大きなオルゴール。大きな傷が入ってしまっているが、紙の繊維が散りばめられ模様のように見える美しい紺色の鉄扇。金の糸が繊細に波のような模様を描く、白いティーカップのセット。それらがまた、統一感無く展示されていた。
ドアを開けると、カランカラン、と純喫茶を思わせるドアベルが鳴る。店内を覗けば、その中は更に統一感に欠けていた。

やや薄暗い店内には、まるで迷路のように商品棚が置かれている。何故この配置かと首を傾げたくなる棚の上には、様々な商品が、これまた決まり悪く並べられていた。皿やカップ、置物、ぬいぐるみ、アクセサリー、着物等々。その種類は多岐に渡るが、そこに値札はなく、これが売り物なのか、売り物だとして、この展示の仕方は売る気があるのかと、疑いたくなってしまう。

だって、見てよこれ。このカップ欠けてるし。あ、ぬいぐるみの手も取れ掛かってる。こんな状態の物を並べて、店長は本当に働く気があるのか…

「おいコラ多々羅たたら!文句があるなら直接言え!」

店の奥、パン!と、漫画雑誌をカウンターに叩きつける青年がいる。
掻き上げられた藍色の髪に、黒と濁った翡翠のオッドアイ、特徴的な瞳を持つ彼は、瀬々市愛ぜぜいちあいだ。彼は、テディベアを紗奈さなの家の倉庫から探し出した時と同様、きっちりとしたワイシャツとベストを着込み、磨き抜かれた革靴を履いた長い足を、カウンターの上に投げ出して座っていた。

よそのお宅で見せた、優しげで紳士的な振る舞いは何処へやら、その態度の悪さに、多々羅と呼ばれた青年は、深い溜め息と共にカウンターへと向かった。

「直接言ったって聞く耳持たないじゃないですか!それにほら、カウンターに足を上げないで。いつお客さんが来るか分からないんですから」

カウンターから足を下ろさせ、腕の取れ掛かったうさぎのぬいぐるみをカウンターに置いた彼は、御木立多々羅みきたてたたら、二十六歳。

やや垂れた目尻に、少し癖のある栗色の髪、腕捲りをした大きめのトレーナーにジーンズ、足元はスニーカーだ。更に黒いエプロンを掛け、エプロンのポケットには、もこもこした埃取りを備えている。背丈は愛より少し高い位で、体格は愛よりはがっしりして見える、といった具合の、ごく普通の青年だ。

多々羅はこの店の唯一の店員であり、同時に、愛のお世話係である。

そしてここは、宵ノ三番地。物の声を聞き、その思いを尊重する探し物屋だ。

物には全て意思がある、時に化身として姿を現す事もあるが、全ての人間がそれを見ることは出来ない。愛には物の化身が見えるが、多々羅にはそれを見ることが出来ない。それでもこの店にやって来たのは、多々羅が愛と幼馴染みであり、この店の店長からのお誘いを受けたからだった。




二人の出逢いは、二十一年前、互いが五歳の頃に遡る。

愛は、瀬々市家の養子だ。
瀬々市家と言えば、世界でも様々な事業展開を繰り広げている大企業だ。
瀬々市ホールディングス、その始まりは、現在の社長、愛の義父である正吾しょうご、彼の曾祖父が開いた小さな金物屋だったという。そこから時代の流れに合わせ、食品や服飾など様々な商品を扱うようになり、闇市での商売を強いられた時代もあったが、それでもお客さんの為にと店を続けた結果、社員達にも恵まれ、今では大きな企業へと成長を遂げた。今はSDGSの取り組みに力を入れているという。


御木立家は、古くから伝わる歌舞伎の家で、多々羅はその家の長男として生まれた。
多々羅の祖父、八雲やくもは、迫力のある芝居が持ち味の、人間国宝となった八矢宗之助はちやそうのすけで、父の国芳くによしは、悲哀と色気が絶賛される人気役者の八矢宗山はちやそうざん、弟の穂守ほがみは歌舞伎界の新たなプリンスとして女性人気の高い、八矢宗玉はちやそうぎょく
多々羅は長男だが、今は歌舞伎の世界からは離れている。


そんな両家の繋がりは、愛と多々羅の父親が高校生の頃に遡る。お互いに名のある家の跡取りという事もあってか、二人は学生時代から仲が良く、その交流は大人になっても途絶えることはなかった。
なので、多々羅も小さい頃は、よく父親にくっついて瀬々市邸に遊びに行っていた。



二十一年前のその日、愛の義理の叔母、正吾の妹の結婚を祝う為に、彼女の同級生や仲間達が瀬々市邸に集まっていた。
多々羅も父親に連れられ瀬々市邸を訪ねており、畏まって真っ赤な蝶ネクタイを締めて落ち着かなかった事、弟の穂守は、子供の頃は病気がちでこの日は来れなかった為、弟の為に何かお土産を持って帰れないかと考えていたのを覚えている。

瀬々市家にはその当時、七歳になる長女の結子ゆいこと、三歳になる弟、凛人りんとがいた。結子は大企業のお嬢様育ちだが、つんけんした所や裏表もなく優しい子で、凛人はよく多々羅の後をくっついてまわり、事あるごとに多々羅の真似をしたがる為、多々羅にとっては、まるでもう一人弟が出来た気分だった。
鬼ごっこでもおままごとでも、結子達と居ると気兼ねなく遊べたし、瀬々市家は、多々羅にとっても心安らぐ場所だった。

御木立の家では、父もだが、祖父がとにかく厳しい人なので、家で友達と遊ぶ事は無かったし、幼稚園も裕福な家庭の子供ばかりで、友達も親の影響か、誰が偉いとか凄いとか位を決めたがり、多々羅にはあまり馴染めない環境だった。
なので、同じ幼稚園の友達と遊ぶより、結子達と遊ぶ方が、多々羅は好きだった。


だからこの日も、多々羅は父親に断りを入れると、真っ先に結子と凛人に会いに行った。
父の国芳も、瀬々市邸では普段よりもおおらかで、家の中で走るな騒ぐなとも怒らない。それは、瀬々市の人々が寛容だったからだろうと、多々羅は大人になってから思うようになった。
いつ会っても、例え多々羅が粗相をして周りの大人を青ざめさせても、瀬々市の大人達は多々羅を咎めず、優しかった。勿論、注意はされたが、頭ごなしに怒鳴られる事はない。
こんな大人達が居るから、結子や凛人は優しく穏やかなのだと、子供ながらに思った程だ。


こんな賑やかなパーティーの時は、結子達はいつも中庭で遊んでいたので、今日もそこに居るだろうと、多々羅は早速、中庭めがけて駆け出した。

瀬々市のお屋敷は西洋風の造りで、とにかく広い。たまにここが日本だという事を忘れそうになる程だ。造園も見事で、まるで不思議の国のアリスに出てくるお城の庭園みたいだと、多々羅は絵本の中に飛び込んだ気分だった。
薔薇のガゼボ、子供が遊べるブランコ、真っ白なテラス、手入れが行き届いた庭園は、全てが計算し尽くされた美しさがある。

だが、勢い良く駆け出して来たものの、中庭に結子達の姿はなかった。それならばと、多々羅は談笑する大人達の足元を駆け抜けて、屋敷の裏に向かった。

綺麗に整えられた中庭と違い、屋敷の裏は、シロツメクサが咲き誇る緑の絨毯が広がっていた。そこは、多々羅のお気に入りの場所だった。靴も靴下も脱ぎ捨て、よく裸足で入ったものだ。土の少し湿った感触、足に当たる草のふかふかした感触が気持ち良い。屋敷の裏手といっても、雑草が伸び放題という訳ではない、もう一軒お屋敷が建ちそうな程の広さがあるそこも、ちゃんと手が入れられている。しかも、瀬々市邸は高台にある為、見晴らしも良い。まるで原っぱにピクニックに来た気分になり、多々羅はいつも楽しくなってしまう。

「あ!」

屋敷の裏手にたどり着いた多々羅は、嬉しそうに声を上げた。多々羅が予想した通り、原っぱの中央には、座り込んでいる女の子がいた。肩まで伸びた藍色の髪には違和感を覚えたが、何より、淡いピンクのノースリーブのドレスには見覚えがあった。結子が好んで良く着ていたものだ。

ゆいちゃん!」

多々羅が声を弾ませ駆けて行く中、女の子が振り返った。そして、彼女と目が合った瞬間、多々羅は時が止まってしまったかと思った。

「…あ」

風が二人の間を走り抜け、彼女のさらりとした髪を掬い上げる。大きく目を見開いたまま多々羅は足を止め、全ての意識が彼女に向かっている事に、きっと本人は気づいていない。
息をする事、瞬きをする事、気を抜けば全て忘れてしまいそうな事。

この瞬間、多々羅は自分の全てを彼女に捧げていた。
一瞬で、恋に落ちていたのだ。




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