メゾン・ド・モナコ

茶野森かのこ

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「わ、私も雇って貰えるんですよね!」
「サキさんにも言ったろ?君の力が必要だ。それに、君がやってくれたら、ヤヱさんも喜ぶんじゃないかな」
「…ヤヱばあちゃんも…」

手紙を通して、この店を通して、またヤヱと会える気がして。それは何だかとても素敵な事に思えた。
以前はレストランだった、このメゾン・ド・モナコが復活する。
新しい目標がなずなの前に現れ、胸が高鳴っていく。母なんかに話したら、きっと驚くに違いない。定食屋もまともに手伝えなかった娘が、よそのレストランで働くのだ、驚くよりも怒るかもしれないなと、なずなは暫し想像し、何ともいえない思いにかられていた。

しかし、そんな皆に反して、フウカだけは戸惑いを見せている。

「…あの、それなら春風はるかぜさんがやられては?僕にこんな大役勤まりませんよ、確かに紫乃しのさんも似たような事言ってましたけど、そんな簡単には、」
「フウカ君、僕が誰か忘れたかい?これでも貧乏神だ、お店の売上を落としたらまずいだろ」
「力を使わなければ問題ないのでは?」
「残念、僕の料理は人並みだし、その点フウカ君はちゃんと紫乃君のお店で働いてるし、料理の腕も申し分ないしね」
「…僕なんかでは、」
「君が適任なんだ」

春風のまっすぐとした瞳にフウカは躊躇い、視線を巡らせた先、なずなと目が合った。
困惑したような瞳に見えるのは、不安だとかマイナスな感情だけではない。フウカは迷っている、本当は興味もあるし、やってみたい筈だ。
それなら、なずなの出来る事は一つだけ、その背中を押すだけだ。

「皆、フウカさんの夢を応援したいんです。フウカさんの料理は、世界一美味しいですから!」
「…逆に安っぽい台詞だな」
「え、」
「もっと、ドンと背中押せるような言葉ないのかよ」
「ちょっと、」
「あらあら、それもなずちゃんの可愛い所じゃない」
「もう、マリリンさんまで!」
「…君達、何の話をしてるんだい?」

ギャアギャアと騒がしくなる一同に、春風の溜め息が零れ落ちる。

「フウカは、レストラン嫌?」

その傍らで、ハクが戸惑いながらフウカを見上げた。フウカはしゃがんでハクに視線を合わせながら、「そうじゃないけど…」と、躊躇いのままだ。

「僕は、レストラン嬉しいよ。色んな人が、フウカのご飯食べてくれたら、嬉しい。だって、フウカのご飯は、いつもほっとするんだ。冷たいおうどんだって、胸の奥があったかくなるよ」

照れくさそうに言うハクに、フウカは目を丸くし、騒がしい一同もその口を止め、フウカの答えを待っている。

「…ありがとう、ハク」

ハクの白い髪をふわりと撫でると、ハクはまた照れくさそうに笑って、マリンの足元に抱きついた。
フウカが立ち上がった、その前には、仲間達が心強く頷いているのが見える。フウカは、きゅっと唇を噛みしめて、頭を下げた。

「僕にやらせて下さい、お願いします!」

その言葉に、わっと沸く。そうこなくっちゃ、これから忙しいぞ、ミオ達にも知らせないと、と声が飛び交えば、再びリビングは賑やかさを取り戻した。
こうなれば、主役はすっかり蚊帳の外で、勝手に盛り上がっていく仲間達だ。

その賑やかな様子を、一歩下がって眺めつつ、なずながふとフウカに視線を向ければ、不意にフウカと目が合った。先程とは違う穏やかな眼差しに、なずなは反射的に胸を震わせ、文字通りあたふたとしていれば、フウカがまた優しく微笑むものだから、なずなの胸は煩く鳴り響くばかりだ。
そんななずなの様子に気づいているのかいないのか、フウカはなずなに歩み寄ると、そっとなずなの手を取った。少しくたびれ始めたグローブの生地に、なずなは高鳴る胸が、少し嫌な音を立てたのを感じる。

不意にこの薄い生地が、フウカと自分の壁のように思えてしまった。フウカは、なずなの前だとグローブを外す事はない、それが時折、妖と人間の線引きのように思えてしまう。
自分がいては、フウカは安心して過ごせないのではないか、また誰かを傷つける恐怖を思い出してしまうのではないか、なずなには、フウカの炎を受け止める力はない、ただの人間だから。
だから、フウカはなずなの前では頑なにグローブを脱がないのではないか、なずなはそう感じていた。
もし自分がフウカの負担になっていたら、そう思うと苦しい。でも、身勝手だとしても、フウカの側にいたい気持ちは変わらない。

「あ、あの、フウカさん、」
「いつかまた、」

なずなの言葉を遮って、フウカはなずなに声をかける。その言葉の強さに、なずなは思わず肩を跳ねさせた。声が大きいのではない、優しいフウカの声は変わらないが、その声の中に願いを込めるような強さがあった。

「グローブを外した手で、あなたに触れてもいいですか」
「え…?」

思いがけない言葉に、なずながきょとんとして顔を上げれば、フウカは目を伏せて、その頬を赤くしていた。

「その、今はまだ、怖いので、」

言いながら、少しだけ震える手に気づき、なずなはそっとその手を握り返した。グローブ越しでもちゃんと気持ちが届けられる事を、フウカに教えて貰ったようだった。このグローブは、壁なんかではない。

「…はい、私はここにいますから、いつだって」

そう顔を上げれば、フウカはほっとした様子で微笑んだ。なずながこのアパートに来た時、なずなはフウカに頼ってばかりいたけど、今は少しでもそのお返しが出来ているのだろうか。
もし、フウカの頼りになれていたら。恋する思いがそっと顔を覗かせるが、なずなはそれを押し込んで、そっと微笑み返した。
フウカが頼ってくれるなら、それだけでとても嬉しい。

「お前ら!いつまでいちゃついてんだよ!」

ナツメの声が飛んできて、二人は慌てて手を離した。

「い、いちゃついてませんから!」
「あらあら、赤くなっちゃって可愛いのね」
「まぁ、フウカ君の不安は、なずな君が引き受けてくれるんだから、良しとしようじゃない」
「ちょっと、春風さん!」
「だって君がいると、フウカ君は安心するみたいじゃない」

そんな勝手な事言ってと、なずなは春風に抗議しかけたが、ふと隣を見れば、赤くなったまま顔を背けるフウカがいる。

「…ま、また人の事をからかって…」

そんな様子を見てしまったら、なずなはまた顔を熱くして、あたふたしてしまった。

そんな二人を見て、ハクが心配になったのか、なずなの元に駆けて来た。

「…なずな、フウカ、具合悪い?」
「え?だ、大丈夫だよ、元気元気!ね、フウカさん!」
「は、はい!心配かけてごめんね、ハク」
「ううん、良かった」

ほっとした様子で笑うハクに、皆の心も自然と和らいでいくようだ。

「ほら、さっさとお前らもこっちに来い」

ギンジの言葉に顔を上げ、ハクに手を引かれながら、フウカは皆の和に戻っていく。


まだ先の事はわからないけれど、ここに来て皆に会えて、無駄な日々なんてない、どんな時もきっと、前を向ける時がくる。そんな事を気づかせてくれた。

ここに来れて良かった。

なずなはそっと心を緩め、それにと、フウカの背中を見上げる。
いつかフウカと、グローブを脱いだ手を繋げる日がくるだろうか。
来たらいいな。

胸の高鳴りをそっと抑え、なずなは再び賑やかな仲間達の話に加わった。



笑顔の咲くメゾン・ド・モナコ、お化け屋敷と呼ばれたこの場所が、その神隠しを解き、町の憩いの場所となるのは、もう少し先のこと。











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