メゾン・ド・モナコ

茶野森かのこ

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メゾン・ド・モナコに移ると、男は手足を拘束され、苦々しく顔を歪めていた。傍らには、ギンジとナツメがおり、この時ばかりは春風はるかぜも、男の対面に座り込んでいる。胡座をかき、その膝に頬杖をついて男を見上げるその視線には、気だるげな様子もない。
視線を合わせれば、まるで自分の全てを包み隠さず見せられているような気さえする。普段は忘れがちだが、彼が神様である事を思い出させるようだ。

しかし、そんな春風を前にいくら問いただしても、男は火の玉騒動の関係や、なずなを襲った事など口を引き結び、答えようとしない。とんとんと、春風が扇子を軽く叩けば、さすがにその威圧感に小さな音にも視線を彷徨わせていたが、それでも男は変わらなかった。


皆の中では、それらの犯人は彼で間違いないようだが、なずなにはその理由が分からなかった。
一つ分かるのは、彼がフウカと関係がある事だけだ。

「…あの、皆さんはこの人…この妖の事をどうして知ってるんですか?」

なずなが傍らにいるマリンに尋ねれば、マリンはそっと教えてくれた。

男の名前はシュガ、半魚人だという。碧の国という、人魚と半魚人が住まう国の妖だ。碧の国は、マリンがいた水の国とも近いようで、マリンもシュガの事は知っていたようだ。

「…それで、婚約者がいるのよ」
「婚約者?」

マリンの言葉になずなは驚き、そしてすぐに眉を寄せた。大事な人がいるのに、こんな事をする理由が分からなかったからだ。

「婚約者がいて、どうしてこんな事…」

不可解な様子のなずなを見て、マリンはフウカに視線を向けた。フウカはその視線には気づかず、俯いたまま、そっとグローブ越しに右手を触れた。

「僕のせいなんです」
「え?」

静かに口を開いたフウカに、なずなは戸惑い、フウカの手に視線を向けた。葛藤を見せる握りしめた手に、なずなは迷いながら口を開いた。

「…何があったんですか?」

フウカの過去に何があったかは分からないが、フウカはそれと向き合わないと、あのグローブをはずせないのではないかと、そんな気がしていた。
何より、ずっと悲しい顔のままでいてほしくない。

「…随分昔の話です」

なずなの言葉に、フウカは躊躇いながら口を開いた。

「僕は、人魚の女性、テラと恋をしていました。今の…シュガの婚約者です」





碧の国は、妖の世の中でも秘境めいた場所にある。空からは体力さえあれば、障害なく向かえるが、船では潮の影響で行くのは困難だった。
それは同時に、海の中を移動する人魚達にも、国外に出るのは困難ともいえる。
なので、碧の国の者は国を出た事がほとんどない。よその国との繋がりも、同族以外の妖と恋に落ちる者も、ほとんどないという。

フウカが碧の国にやって来たのは、珍しい国をこの目で見てみたかったという、観光のようなものだった。いずれは人の世に出る予定だったので、その前に妖の世界を見ておきたかったそうだ。

碧の国は、海の中に王国があるというが、海上にも幾つかの島が繋ぎ合うように浮かび、そこで暮らす碧の国民もいたようだ。
フウカはその国の上空を飛び、島の連なりとは離れた場所にある、岩が敷き詰め合わせて出来たような小さな島に降り立った。
遠くの島に、キラキラと白波が上がって綺麗だ。その島の近くに、時折人魚の尾ひれが海上に見え隠れしている。フウカは炎の翼を休めながら、いつか絵画で観た異国の光景に、感嘆の息を吐いた。

だが、火と水は相性が悪い。一休みしたら、近くの水の国に向かおうとフウカは考えていた。マリンのいた水の国は、陸の上に街があり、この頃は観光にも力を入れていた。フウカのような旅人にも、過ごしやすい国だ。

フウカがそろそろ行こうかと立ち上がった時、ぽちゃん、と音がして、フウカは足元の海に目を向けた。岩場の近くに、透き通るような青い尾ひれが見えた。人魚だろうか、よそ者と関わりを持たない国民性と聞いていたので、もしかしたら威嚇されているのかと、フウカは戸惑ったのだが、海上にひょっこり頭を出した姿を見て、フウカの戸惑いはどこかへいってしまった。

水色の鱗が陽に当たりキラキラと輝き、エメラルドグリーンの大きな瞳と長い髪を持つ、とても美しい人魚。
彼女が、テラだった。

「…あなた、外の妖よね?」

警戒というよりは、国外の妖に対しての好奇心を必死に押し殺して、といった様子で、海から大きな瞳までをひょっこり出して、テラは尋ねた。フウカは、好奇心に満ちたテラの瞳がまるで子供のように見えて、自然と笑みが零れていた。

「はい、火の鳥のフウカです」

フウカが再び腰を下ろして、そう申し出ると、テラは更に瞳を大きく見開いて、それからそろそろと近づいてきた。

「…私は、人魚のテラよ」

そっと差し出したテラの、透き通るような華奢な手に、これが人魚の手かと、フウカはその美しさに息を呑んだ。
それから腕の炎を止め、「よろしくね」と、テラの手を傷つけないように慎重にテラの手を握れば、テラは嬉しそうに瞳を輝かせ、「よろしくね」と、声を弾ませ笑った。

「ねぇ、あなたの国の事を教えて?」

岩場に体を乗り上げたテラは、まるで創られた女神像のような美しさで、それでも顔を覗き込む姿は無邪気な子供と変わらない。その美しさとのアンバランスさに、フウカはテラに不思議な魅力を感じていた。


それからは、外の世界に憧れているというテラに、フウカは色んな国の話を聞かせた。テラは好奇心に瞳を輝かせ、ころころと笑う。テラの方も、色んな世界を見せてくれるフウカにどんどん心を開いていったようだ。

時を重ねていくにつれ、二人はいつしか恋に落ちていた。だがその恋は、人魚達には受け入れ難いものだった。例えば、フウカがどこかで名のある妖ならまた違ったかもしれないが、フウカには何もない。火鳥の巣の中の、普通の妖。
それでもその思いを止める事は出来ず、二人は事あるごとに岩の小島で逢瀬を重ねていった。


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