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しおりを挟むなずながフウカに背をわれながらメゾン・ド・モナコに戻ると、火の玉男がリビングの端で座っているので、なずなは思わず悲鳴を上げた。
体は縄のような物で縛られているが、体は透明で、まだ頭と両手足が燃えている。擬態出来るという妖なので、炎が消えたら透明人間になるのだろうか、それとも、体の一部は擬態したままで居続けるのだろうか。
本物の炎ではないので燃え移る事はないが、ずっと燃えているとなると、やはりそれは気になる。
「お帰りなさい、足は大丈夫?」と、心配そうに迎えてくれたのは、一足先に帰宅したマリンだ。ハクもマリンの足元で心配そうにしている。
「はい、ご迷惑おかけしてすみません。ハク君もごめんね、大丈夫だよ」
なずながそう声を掛けると、ハクもほっとした様子だ。
「ソファーに下ろしますね」
「すみません、ありがとうございます」
フウカは最後まで丁寧に扱ってくれた。本来ならば、これで色んな意味で安心出来る筈だが、どうしても、視界の端に映る火の玉男が気になってしまう。火の玉男はぐったりしているが、なずなはなるべく距離を取ろうと、ソファーの端に寄った。
「大丈夫よ、当分は目を覚まさない筈だから。さ、手当てしてあげる」
「すみません、マリリンさん。それに、さっきはありがとうございました」
マリンは微笑み、救急箱を持ってなずなの足元に座った。
「災難だったね、なずな君」
そこに春風がやって来て、心配そうになずなの足元を覗き込んだ。
「大丈夫かい?」
「はい、皆さんが助けてくれましたから」
「無事で良かったよ。今日はここでゆっくり休みな」
「ありがとうございます、突然すみません」
なずなが頭を下げると、ハクが恥ずかしそうにやって来て、なずなの服を小さく引っ張った。
「ハク君どうしたの?」
「あの、なずな、僕の部屋使って」
「え?」
なずなが目を瞬くと、手当てをしてくれていたマリンがそっと微笑んだ。
「なずちゃんが寝る部屋がないから、ハクちゃんが使ってほしいって。空き部屋はあるけど、お布団がね…」
「でも、ハク君はどこに?」
「私の部屋。あ、なずちゃんも私と一緒が良かった?」
「嬉しいですけど、私、雇われてる身ですし、リビングに置かせて貰えるだけで十分ですから」
「この男、今日はここに居ると思うけど…」
フウカの言葉に、なずなは思わず青ざめた。さすがに、どんな理由があるか知らないが、自分を襲ってきた相手と同じ空間で過ごすのは、さすがに抵抗がある。
「ハクちゃんと私はしょちゅう一緒に寝てるから、気にしなくていいのよ。今日は大変な目にあったんだから、ゆっくり休んで」
「皆、その方が安心だからさ。ね、ギンジ君」
春風が振り返ると、ギンジは居心地悪そうにそっぽを向いた。
「…俺のせいとか言われてるからな。それでまた襲われた、なんて事になったら寝覚めが悪いだろ」
そのまま逃げるように、ギンジはキッチンの方へ立ち去った。素っ気ない言葉だが、いつもの棘がない。ギンジに突き放されないと思うだけで、なずなはちょっと感動だった。
「あ、ありがとうございます…」
礼を言うなずなの隣で、「素直じゃないんだから」「あれが、ギンちゃんの素直なのよ」と、微笑ましさを隠しきれない様子の春風とマリンに、ギンジは舌打ち凄みを利かせてきた。なずなは二人の側に居るので、まるで自分まで睨まれた気がして、ひっと悲鳴を上げたが、春風とマリンは笑って肩を竦めるだけだ。
このアパートには、凶暴に見えるギンジを恐れない強者が二人もいるのかと、なずなは今更ながら落ち着かない気持ちになった。
ギンジを恐れないのは、ナツメのような恐れ知らずの性格故じゃない事は、その姿を見れば分かる。一人は曲がりなりにも神様だし、マリンも怒らせてはいけない妖だというのは、短い時間の中でも良く分かっていた。
「さて」と、春風が手を叩くので、なずなは知らず内に背筋を伸ばした。
「明日は君の部屋の片付けに時間をあてよう、念のため痕跡も調べておきたいしね。他の妖の気配はなかっただろ?」
春風に話を振られ、フウカが頷いた。
「はい、部屋の中を見ましたが、何かが隠れていそうな気配もありませんでした」
「なら安心だね。明日、彼が目覚めたら話を聞こう。ミオ君達が来てくれる事になったからさ」
春風は、眠っている火の玉男を見てそう言った。
「あの、ミオさんって…その人も妖なんですか?」
「君は会った事なかったね。人の世に暮らす妖達の管理をしてる妖の一人だよ、役所仕事的な感じかな。妖が好き勝手に生きてたら、人の世は大混乱に陥って、人の世から出ていかなきゃいけないからね」
人の世で暮らすには、ルールを設け協力していかなければならないという。確かに、このアパートに来るまで、なずなにとって妖なんてものは、空想上の産物でしかなかった。
それから春風は、なずなの傍らに腰掛けた。
「悪かったね、怖い思いをさせて」
「え?」
ぽん、と頭を撫でられた。思わず春風を見上げると、優しい眼差しがあり、心を寄せるような春風の温もりに、なずなは何故だか、ぽろ、と涙を零した。どうしてだろう、なんだか今夜は情緒不安定のようだ、それとも、火の玉男を再び前にして、知らず内に緊張していたのだろうか、止めた筈の涙が戻ってきてしまったようだ。
「おやおや」
「あら、春さんたら、美味しいとこばっかりもってくのね」
「スケベな神だぜ」
「…心外だな、君達」
「泣かないで、なずな。もう怖くないよ」
「うぅ、ありがとうハク君」
ソファーに駆け寄ってきたハクは、なずなを慰めようと、小さな手で頭を撫でてくれる。なずなが堪らずハクを抱きしめれば、ハクは擽ったそうに笑った。
「あら、これが正解ね」
「いい絵だな」
「本当に君達は…誰がここを管理してると思ってるんだい?」
マリンとナツメにいいように言われ、まったくと春風はキッチンの方へ向かう。キッチンには、人数分のコーヒーを入れるフウカと、火の玉男をじっと見つめているギンジがいる。
「俺が見張ってようか、こいつ」
「いや、僕が見てるから大丈夫だよ。ここは僕のテリトリーだからね。それに、君達は明日も仕事があるだろ?人とは仲良くやっていかないと、また外野が煩いからね。まぁ、なずな君を守ったって事で、妙な噂が消えてくれると嬉しいんだけどねぇ」
「下手したら、自作自演とも言われかねませんしね」
「そうなんだよねぇ」
「…俺はそんなに厄介者扱いされてんのか」
「ギンジさんだけじゃないよ、僕のせいかもしれない。僕は妖を傷つけて、こちらに来ましたから」
「何言ってるのさ、お互い様だろ。皆何かしら抱えているものだよ。僕だってそうさ」
春風はフウカの頭をぽん、と撫でた。なずなにしたみたいに。
「さて、皆、コーヒーいれてもらったよー」
トレイにコーヒーを載せて春風が行ってしまうと、フウカはそろ、と、自分の頭を撫でた。春風の温もりが、まだそこにあるみたいだ。
「春風さんて、本当に貧乏神なんですかね」
「本人が言ってるなら、そうなんだろ?」
「…なんか不思議です」
「何が」
「僕は与えて貰ってばかりいます、そんな資格ないのに」
そっと口元に笑みを浮かべたが、フウカはどこか寂しげに目を伏せた。
「…どうして、放っておいてくれないんだろう…」
誰に言うともなく零れた呟きは、シンクの中にぽつりと落ちる水滴に紛れ消えていった。
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