11 / 56
第一幕
⑧
しおりを挟む「もうすぐ海面の結晶化が始まる」
九十九を腕の中に抱きかかえ、六十八は寒さで赤くなった九十九の頬を撫でてやった。
「ではそれまでに回路の基本形のおさらいだ」
「ししょう、おなかすいた」
「晩飯まではまだだ。それより基本形は覚えているか」
「うん」
九十九は得意げにうなずく。六十八は浜に移動し、九十九を降ろすと回路の模型を取り出した。
「これは何だ」
「……ろっかくばん?」
六十八は薄く笑った。
「六角板。そうだな。これは?」
「ほうだん」
「うむ、砲弾状。よし……これは?」
「ほし、がた」
六十八の眉がぴくりと動いた。
「星形はあってる。これは何の星形だ」
「ほ……ほしがた、ほしがた……かくばん」
「星形角板。つぎは?」
「ろ、ろっか?」
六十八は無表情で、
「扇六花だ、扇状結晶であることを忘れるな。こっちは?」
「じゅし……」
「違う。羊歯状星形樹枝だ。これは?」
「う、うう……」
「九十九!」
「ほ、ほしろっか」
「違う! 扇付角板六花!」
「わ、わがんないよおーッ」
九十九が泣き始めた。泣いている九十九に向かって六十八は厳しい声でこれはなんだ! と答えを迫り続ける。遠くからその様子を見守っていた九十五は鬼だなあ……とつぶやいた。なおも六十八の厳しい質問は続く。九十九はぐずぐずと泣きながら、
「ろっか」
「違う」
「おうぎつき」
「違う」
「はりじょう」
「違う、九十九!」
ひっ、と九十九は立ち上がった六十八に恐れをなして縮こまった。六十八は回路の模型をじゃらりと手の中に広げ見せつける。
よく見ろ! と六十八は厳しく言うと、
「お前は回路の基本構造を意識して答えていない! なんとなくで答えるな!」
「うっうっ、わかっ、わかってるもん……」
肩を揺らしながら九十九はずず、と鼻をすすった。顔は涙でぐちゃぐちゃだが六十八は容赦ない。
「嘘をつくな。お前はまだ十分に理解していない。回路は雪の結晶が本性だ。その構造の多くは六角形を基本としている。基盤となる底面は六方晶。ここから六角形を形成する尾根がのびていてその周りに現れるのが肋骨。そして一番外側にあたるのが額縁だ。鋭い先端の尾根をもつのが樹枝形の特徴。先端が扇のように広がっているのを扇付と呼ぶ、いいな」
六十八は砂浜に転がっていた長く赤い珊瑚を手に取ると地面に回路の図を描いた。
「扇形は角板と樹枝形の中間。角板は底面を中心として大きく成長した結晶だ。完全な六角形。そしてここからまた姿を変える。星形と呼ばれる六方に成長したもの、これはとても多い。ほとんどが星形に入ると言ってもいい。星形には多種多様な種類がある。樹枝形がそうだな」
「ほしがたと、じゅしがたは、ちがうの」
「いい質問だ。樹枝形にはさらに羊歯状という細かく枝分かれしたものがある。シンプルに言えば羊歯六花。木の枝のように成長し尾根にあたる部分を主枝と呼ぶ。これに左右に細かく枝分かれしてついているのが側枝。分別して呼んでいるのは複雑な構造の回路ほど使うのが難しく、しかし大きな成果をもたらすからだ。ただの樹枝形と羊歯状を一緒に考えることは暴論。枝分かれが多いと我々の「血」が隅々までいきわたるぶん、威力が変わってくる。だがこれらは総じて六方に伸びた星形から始まっているので星形を基本と考える。そもそもさっきも言ったように回路は同じものは一つとして存在しない。だからこれはあくまで大別しているだけだ。星形も正確には複合板状星六花形という。これは星形が複合板状結晶に分類されるからだ」
「……」
「角板と扇形は複合板状結晶と同じ板状結晶群だが、針状、角柱、砲弾状は立体で柱状結晶群に分けられる。特に威力を発するのが多重六花と呼ばれる分類で……九十九、聞いているのか。九十九!」
「は、はぇっ」
「……わかっていないな」
「わ、わかってる! もん!」
「嘘はつくなと前に言ったはずだな。……今日はもう止めるか」
六十八は無表情に持っていた珊瑚を投げ捨てた。
「いっ」
師の態度に九十九は大粒の涙をこぼしながら慌ててその足に抱きついた、
「いやーッ、やだーっ、やめないっわかってるもん! やめないよぉーっ!」
「複雑多重角板の分類は」
「――ば、ばんじょうけっしょう!」
「板状結晶群非対称板状結晶だ」
九十九はきつく唇をむすんでぷるぷると震えた。はあ、と六十八はため息をついて、
「まだ鉱石の話も残っている……。回路に嵌める鉱石の純度・透度・種類・系統・研磨。回路との組み合わせは万を超える。それを理解しなければ回路技術を習得したことにはならない。それを頭と体に叩きこまなければならないのだぞ! わかっているのか」
「そこまでにしとけよ六十八」
浜辺より少し上に皆が敷物を広げて夜営の準備を始めていた。寒さを和らげるために掛布をまとった六十九は呆れ顔で近づいてくる。
「回路の完璧な分別なんてまだ無理だろ。俺だって三年以上かかったぜ。それよりはやく青海の水を汲んじまえよ。まだ全部の筒に入れてないだろ。完全に陽が落ちたらとれなくなるぜ」
「ああ、――そうだったな。九十九のせいで忘れていた」
うう、と足に抱きついて離れない九十九を引きずりながら六十八は何とか青海の水を満足に得た。九十九はぼろぼろと涙を落とし、ほしろっかはふくごうばんじょうけっせう……としゃくりあげながら繰り返している。
「そんなに泣いていると目が溶けるぞ」
六十八の言葉に思わず九十九は目を抑えた。
「冗談だ。……しかし技術と知識も大事だがレッセイの掟も忘れてはならないぞ」
「掟……」
「そう。ひとつ、名を持たぬこと。ふたつ、弟子は自分を超えると確信した者を選ぶこと。みっつ、けしてレッセイ・ギルド以外の人間となれあわぬこと」
「なれあう?」
「親しくしてはならない。我々の技術を渡してはならない」
「どうして?」
「それが掟だからだ。それ以外にない。掟は破ってはならない。もし破ることがあれば、破ったものを弑す」
「……殺しちゃうの」
「そうだ。だが今まで掟を破ったものはいない。お前もレッセイなら掟に従え」
「うん……」
九十九はそういいながらわかったようなわからないような表情で顔をこする。六十八は水筒の蓋を締めると九十九の手をひいて皆の元へ歩み寄った。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【BIO DEFENSE】 ~終わった世界に作られる都市~
こばん
SF
世界は唐突に終わりを告げる。それはある日突然現れて、平和な日常を過ごす人々に襲い掛かった。それは醜悪な様相に異臭を放ちながら、かつての日常に我が物顔で居座った。
人から人に感染し、感染した人はまだ感染していない人に襲い掛かり、恐るべき加速度で被害は広がって行く。
それに対抗する術は、今は無い。
平和な日常があっという間に非日常の世界に変わり、残った人々は集い、四国でいくつかの都市を形成して反攻の糸口と感染のルーツを探る。
しかしそれに対してか感染者も進化して困難な状況に拍車をかけてくる。
さらにそんな状態のなかでも、権益を求め人の足元をすくうため画策する者、理性をなくし欲望のままに動く者、この状況を利用すらして己の利益のみを求めて動く者らが牙をむき出しにしていきパニックは混迷を極める。
普通の高校生であったカナタもパニックに巻き込まれ、都市の一つに避難した。その都市の守備隊に仲間達と共に入り、第十一番隊として活動していく。様々な人と出会い、別れを繰り返しながら、感染者や都市外の略奪者などと戦い、都市同士の思惑に巻き込まれたりしながら日々を過ごしていた。
そして、やがて一つの真実に辿り着く。
それは大きな選択を迫られるものだった。
bio defence
※物語に出て来るすべての人名及び地名などの固有名詞はすべてフィクションです。作者の頭の中だけに存在するものであり、特定の人物や場所に対して何らかの意味合いを持たせたものではありません。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる