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第一幕
⑥
しおりを挟む海を歩く。
どこまでも続く砂の海砂の海は完璧な山を作り、太陽に照らされて大地に明と暗を生み出す。
その山も吹き荒れる風に削られ、刻々と姿を変えていく。同じ景色は二度とない。ラクダに乗り、砂の斜面を列をなしながら六十八は辺りを見回した。
ここは礫砂漠とは違う、完全に砂だけのまさしく砂漠だ。
生き残れる生物はほとんどいない死の海。熱砂は同じ熱を含む風を生み、風は砂と踊り、また砂の海に還っていく。それが永遠と繰り返される。赤茶色の砂漠は結晶世界に多数存在するが、礫砂漠よりは少ない。少ないが、面積は広い。環境は一層苛酷だが唯一いい点がある。
クリスタリスがあまり出没しないことだ。
どういうわけか砂の海にはあまり潜んでいないらしい。肉が少ないからだろうか。そういうわけでこの手の砂漠に出くわした時はなるべくその丘を歩いた。レッセイたちは三日連続してクリスタリスと出会い、戦闘を繰り返していた。流石に疲れが見えてくる。そのため害が少ない砂漠を横断していた。日陰の部分を滑るようにして進む。ラクダの背というのは左右に大きく揺れるもので、背負った弟子がぐずらないか六十八は心配していたが、九十九は揺られながらうとうとと寝ていた。
弟子となってから三年がたつ。
「む」
歩いていた八十八が目を凝らした。
霧だ。
砂の海に覆いかぶさるように白い霧の塊がいくつも連なって遠くからやってくる。レッセイたちの隊列に追いついた霧が彼らを包んだ。
「こいつはありがたい。霧が出たという事は……八十九」
「ああ。近くに海があるな」
「海?」
六十八は懐から油紙と方位磁石を取り出す。ばたばたと強い風の中、広げた油紙には青金石で描かれた蒼い地図が記されていた。方位磁石を見ながら地図を覗き込んでいた六十八はため息をついて金属製の方位磁石を投げ捨てた。
「だめですか?」
九十五が少し悲し気に一二三の様子をうかがった。六十八の返答を予想している表情だ。
「だめだな。とっくにわかってはいたが……磁石などもう役に立たん。歴代の一二三が描いてきたこの地図も大幅に辻褄が合わなくなってきている。我々はクリスタリスから逃れるため西へ進んできたはずだ。そう思っていたが……この砂漠の向こうにある海はおそらく青海だ。結晶世界に唯一存在する海。青海は南に在って干上がることも無く、ただ南に在り続けている」
「ということは西じゃなく南に来てしまったという事……やはり動いているのは大地ってことね」
七十七が続ける。
「方位磁石が狂うばかりだから星を目印にしてきたけどそれもずいぶんと変わったわ。少なくとも黄道十二宮はもうバラバラね。天も地もすべてが動いてるってことかしら」
「星が移動するほどなら、それは……時間の流れも相当変わってるってことかも知れねえな。俺たちが気づかないうちに……。師兄さまは自分の「齢」を感じるか? 俺はあんまりだ。一年が三六五日のままだってなら俺は二十も半ばのはずだが」
六十九は五十五に話をふる。五十五は指を折り、
「私が拾われてから太陽がいくつ沈んだかな……。古代の数え方をするなら私はもうすぐ五十となる。だが妙な感じだ。老いというのは肌で感じるものだが、あまりないな」
「だろう? 俺だって若いとはいえ弟弟子と一緒というわけにはいかねえ。でもなにか……そうだな、若いまま止まってるってかんじだ。それか、時の流れがゆっくり過ぎるというか?」
「とにかく海へ行こう」
レッセイたちは霧が向かってくる方に歩き出した。青海の近くでたまに出会う恩恵が霧だ。海の水分が風に乗って砂漠の熱波で霧となり、わずかな水をもたらす。
「見えた」
九十五がぶるりと震えた。青海近くは砂漠よりずっと温度が低い。急激に冷やされて背中がゾクゾクと騒ぐ。砂の丘に立つ彼らの目の前には紺碧の水平線を抱く青い海が広がっていた。
それは底抜けに蒼く、波の泡立ちさえ、青い。
「青海だ」
六十八の髪が海からの風になびく。
結晶世界で唯一の海、青海。
水をたたえてはいるが結晶質を多く含み、飲むことはできない。巨大な藍玉や青玉、水晶が海面から氷山のように天に向かってそそり立っている。泳いでいるのは魚眼石。昼間は満ち引きがあるが、陽が落ちるとともに結晶化が始まり、夜になると海は多種多様な鉱物を抱いた完全な結晶となる。陸の地下深くの化石水が示すように、かつてこの世の海というのは塩辛かったそうだが、口にすることはできないので青海もそうなのかは謎だ。
「水は飲めんが回路を作るのに青海の「水」は必要不可欠。もうすぐ切れるところだったからちょうどいいが、面倒なことになったものだ。どこへ行っても出会う海は青海だ」
「てことは俺たちは青海をなぞってきてる……西や南に行ったり来たりしてるってことか?」
六十九の疑問に、これは予想だけど、と八十八が口を開いた。
「大地は常に変動していて青海は変わってないってこと……時間の流れも大地だけが違うんだと思う。ゆっくりと時間が進んでいる。海や空は……とくに空はきっと変わっていないんだ」
「何故そう思う」
「天は僕らの味方だから」
はっきりと言い切った。
「そうだな。天は……天だけは俺たちの味方だ。しかし六十八……」
結晶化が始まってから世界は無秩序になり、方向の感覚も曖昧になり、大地は常に胎動し続けている。だから結晶世界の在り様を掴むことは難しい。
昨日あったと思った岸壁が次の日遠くに移動していたり、目が覚めたら砂漠の真ん中に放り出されていたり。そのため何代も前からレッセイたちは磁石と星を頼りに地図を描いてきた。が、もうその星さえ掴めない。大地が動き、時の流れさえ変わる――これはクリスタリスがいよいよこの世の全権を掌握しようとしている証かもしれない。
「俺たちもゆっくり歳を取っていく……この大地の上で生きている限り影響は及ぶからな」
「だが我らが東から来たことは確かだ」
八十九の師である七十四がゆっくりと確かめるように言った。レッセイの中で二番目の年寄りであり、四十近い穏やかなレッセイである。翠色の鉢巻きが風に揺れてなびいた。
「すべての始まりである「東」……千年前に人類の都があったという東から我々は天の加護を得て旅してきた。それは太陽を目印に……時は東から西へ流れる。太陽さえ狂っていなければ太陽を目印に西を目指せることだけは確かだ。クリスタリスは東からくるからな」
「東……「死海」ですよね」
八十九がつぶやく。
結晶世界以前の人類の文明の地。それは遠い東の果てであり、死ぬと人間の魂はその地へ還るという。同じく歴代のレッセイたちも還ると言われているが、東がどういう地なのかはわからない。只、死者の魂が還っていくことを信じてレッセイたちは東を死海と呼んでいた。
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