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序幕
プロローグ
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「おじさん、薄荷水一本ちょーだい」
うとうとと居眠りを漕いでいた露天商の男は閉じかけていた目を開けると顔を上げた。
並べた商売品を覗き込み、指さす姿がある。頭に白い布をターバンのようにくるくると巻いて髪をあげた少女が一人立っていた。客か。男は商売人の顔に戻って愛想笑いをした。
「あいよ、薄荷水一丁。中身はどうする? 一モースで氷晶石をつけるぜ……全部で三モース。どうだ」
男は水で満たされた金属の箱にぶちこまれた、無数の壜の中から一本だけうやうやしく取り出すと銅製のストローをいれた。
「魅力的だけど冷たいのはお腹壊しやすいの」
「そりゃ残念だ」
少女は男に銀貨三枚を払って薄荷水の壜を受け取り、ニコッと不敵に笑った。
「この薄荷、本物ね。匂いでわかるわ。「土の王」でしかとれない古代植物」
ほう、と男は悟られない程度に口角をあげた。見た目十五、六の子供にわかるのか、と。
大抵この手の露天商というのはそこら辺に生えている結晶植物を使って商売をするのだが、酷いと不用鉱物の欠片に匂いをつけて売ったりする。そうすれば元手がかからないし、大体薄利多売の商売だからそれが普通なのだ。高価な古代植物なんて使うほうが酔狂なのである。
「本物を売ってくれたお礼に三モース払うわ。――うん、おいし」
そういって少女は男に背を向け歩いていく。己の密かなこだわりに気付いてもらえた男は毎度、と機嫌よく手を振った。
ここは「らくだこぶ停留所」。
各地にある交通の要所の一つで、休憩場所でもある。この世界の交通手段はラクダや飼い慣らしたリャマだ。たまに貴重な馬が走ったりもするが、砂と岩だらけのこの世にはラクダが最も適している。なもので、停留所はらくだこぶ、なんて言われるようになって久しい。
ラクダを乗り継ぐために人が集まり、人を相手に商売が始まり、簡易な宿泊所ができてちょっとした集落になる。それがらくだこぶ停留所である。すでに大勢の人の波は過ぎていた。停留所には商用や個人のラクダのほかに定期的に要所を周回するラクダの便がある。一応決まった出発時刻や停止時刻はあるのだが、なにせラクダ任せなので守られることは殆どない。乗り損ねた者は次の便まで適当に暇をつぶして過ごす。少女もまたその一人だった。
「っつ!」
指先に鋭い痛みが走る。壜の底が僅かに欠けていたのか切ったらしい。白い肌に赤い血が細く滲んだ。あの親父、中身は良くても入れ物に気は使わなかったらしい。少女は壜を軽く振って苦笑いした。西ギルド都市同盟だったらこんな粗悪品は即火中だ。炉にくべられて窓の玻璃(ガラス)にされてしまうだろう。
(……まあ、いいわ。切ったところで)
傷口から滲んだ血は球形に膨らみ、流れ出るかと思いきや――すぐに硬く赤黒く濁りピシピシと軋んでひび割れ、ぽろりと皮膚からとれた。結晶質の血液は空気に触れると結晶化し紅玉となる。
新人類――学術名で言うところの後期人類型である彼女は、余程の大怪我をしない限り古代の人間のように失血死することはない。
彼女に限らず、動物も植物も世界のすべてがそうだ。
「もっと出血してれば宝石として売れたのに……でも天然がいくらでもあるから体液組成の人工物は二束三文かな」
そう悔し気に指先をペロッと舐めると少女は辺りを見回した。停留所に無数に張られた出店と錆びた地図標識。人々の頭上には雲一つない抜けるような青い空に太陽が南中して輝いている。あとは――岩と石と。
バタバタと吹きつける砂交じりの風は地平線まで続く枯れた大地を露わにする。
ここは「結晶世界」。
大地に祝福されし者の、住む世界。
「おいっ、そこをどけ! 今から「回路」の調整をするんだ!」
少女が騒がしい声に振り向くと数人の男たちが小競り合いをしていた。
「なんだ、どいてくれって割りに随分な態度じゃねえか。どこの「ギルド」だ? 俺たちが青海派と知ってのことか?」
「ほう、青海派とな! ふん、粗末な格好をして、ごろつきの無頼派かと思ったぞ? 我々は七条派だ! 青海派とは違うれっきとした「レッセイ・ギルド」の正統。優先的に場所を使わせてもらおうか」
「へっ、七条のクソか! 偉大なるレッセイの正統は俺たち青海派だ。七条派に譲るものなんぞ金剛石一粒だってこの世には存在しねえんだよ」
「やるか? ギルドなら回路で勝負だ」
「ふん、いいぜ。俺は今年「騎士級」の免許を更新するんだからな」
「騎士級」という言葉に周囲が少しどよめく。が、
「ハッタリだな! 騎士級ギルドがこんなところにいるものか。弟子を持って研究所を開いてるって顔じゃない。もっと粗末な腕と見た」
「ならばやらいでか。――おい、そこのお嬢ちゃんよお!」
突然声をかけられて少女は思わず固まった。
「あたし?」
「そうだよ。頭に巻いてるターバン……よく見りゃ薄く植物文様が刺繍されてるな? ってことはおまえさんもギルドだろ」
「よくわかったわね。そうだけどあたし免許持ちじゃないわよ。徒弟級だもん」
「学生か。まあいい、ギルドにゃ変わりねえ。ギルド同士の「回路戦」には他のギルドの立ち合いが必要だからな。審判を頼むぜ」
「いやよ。ゴッコに巻き込まれるのはごめんだわ」
そういって少女は男たちの小競り合いの場からスタスタと歩き出した。後ろで舌打ちする音が聞こえたが喧嘩をやめるつもりはないらしい。少女は彼らから離れて、なにか芸の準備をしている雑技団の元に寄った。停留所は広い。流れの芸人達が出発を待つ旅人たちの退屈しのぎに技を披露し小銭を稼ぐことも多いので、簡単な舞台が設置されているところもあるのだ。
(これから余興が始まるのかしらね)
円形の広場にはベンチが用意されている。少女はそこに座ると薄荷水をすすり愚痴った。
「はあ、青海派と七条派ってホント仲悪い……二大派閥だから仕方ないけど、どこの流派もレッセイの正統を名乗りたがっちゃってまあ……レッセイ・ギルドなんてただの伝説なのに」
少女は砂よけに頭に巻いた布をそっと触った。ぐるぐると巻かれた頭布は男の言う通り植物文様が白い糸で刺繍されている。頭布に植物文様を入れるのはギルドの証だ。古代、ギルドとは元々集団や組合の意味を持つ言葉だったらしいがこの世界ではまったく違う。
ギルドとは「回路技術」を使う特殊技能者、技能集団のことを指す。
うとうとと居眠りを漕いでいた露天商の男は閉じかけていた目を開けると顔を上げた。
並べた商売品を覗き込み、指さす姿がある。頭に白い布をターバンのようにくるくると巻いて髪をあげた少女が一人立っていた。客か。男は商売人の顔に戻って愛想笑いをした。
「あいよ、薄荷水一丁。中身はどうする? 一モースで氷晶石をつけるぜ……全部で三モース。どうだ」
男は水で満たされた金属の箱にぶちこまれた、無数の壜の中から一本だけうやうやしく取り出すと銅製のストローをいれた。
「魅力的だけど冷たいのはお腹壊しやすいの」
「そりゃ残念だ」
少女は男に銀貨三枚を払って薄荷水の壜を受け取り、ニコッと不敵に笑った。
「この薄荷、本物ね。匂いでわかるわ。「土の王」でしかとれない古代植物」
ほう、と男は悟られない程度に口角をあげた。見た目十五、六の子供にわかるのか、と。
大抵この手の露天商というのはそこら辺に生えている結晶植物を使って商売をするのだが、酷いと不用鉱物の欠片に匂いをつけて売ったりする。そうすれば元手がかからないし、大体薄利多売の商売だからそれが普通なのだ。高価な古代植物なんて使うほうが酔狂なのである。
「本物を売ってくれたお礼に三モース払うわ。――うん、おいし」
そういって少女は男に背を向け歩いていく。己の密かなこだわりに気付いてもらえた男は毎度、と機嫌よく手を振った。
ここは「らくだこぶ停留所」。
各地にある交通の要所の一つで、休憩場所でもある。この世界の交通手段はラクダや飼い慣らしたリャマだ。たまに貴重な馬が走ったりもするが、砂と岩だらけのこの世にはラクダが最も適している。なもので、停留所はらくだこぶ、なんて言われるようになって久しい。
ラクダを乗り継ぐために人が集まり、人を相手に商売が始まり、簡易な宿泊所ができてちょっとした集落になる。それがらくだこぶ停留所である。すでに大勢の人の波は過ぎていた。停留所には商用や個人のラクダのほかに定期的に要所を周回するラクダの便がある。一応決まった出発時刻や停止時刻はあるのだが、なにせラクダ任せなので守られることは殆どない。乗り損ねた者は次の便まで適当に暇をつぶして過ごす。少女もまたその一人だった。
「っつ!」
指先に鋭い痛みが走る。壜の底が僅かに欠けていたのか切ったらしい。白い肌に赤い血が細く滲んだ。あの親父、中身は良くても入れ物に気は使わなかったらしい。少女は壜を軽く振って苦笑いした。西ギルド都市同盟だったらこんな粗悪品は即火中だ。炉にくべられて窓の玻璃(ガラス)にされてしまうだろう。
(……まあ、いいわ。切ったところで)
傷口から滲んだ血は球形に膨らみ、流れ出るかと思いきや――すぐに硬く赤黒く濁りピシピシと軋んでひび割れ、ぽろりと皮膚からとれた。結晶質の血液は空気に触れると結晶化し紅玉となる。
新人類――学術名で言うところの後期人類型である彼女は、余程の大怪我をしない限り古代の人間のように失血死することはない。
彼女に限らず、動物も植物も世界のすべてがそうだ。
「もっと出血してれば宝石として売れたのに……でも天然がいくらでもあるから体液組成の人工物は二束三文かな」
そう悔し気に指先をペロッと舐めると少女は辺りを見回した。停留所に無数に張られた出店と錆びた地図標識。人々の頭上には雲一つない抜けるような青い空に太陽が南中して輝いている。あとは――岩と石と。
バタバタと吹きつける砂交じりの風は地平線まで続く枯れた大地を露わにする。
ここは「結晶世界」。
大地に祝福されし者の、住む世界。
「おいっ、そこをどけ! 今から「回路」の調整をするんだ!」
少女が騒がしい声に振り向くと数人の男たちが小競り合いをしていた。
「なんだ、どいてくれって割りに随分な態度じゃねえか。どこの「ギルド」だ? 俺たちが青海派と知ってのことか?」
「ほう、青海派とな! ふん、粗末な格好をして、ごろつきの無頼派かと思ったぞ? 我々は七条派だ! 青海派とは違うれっきとした「レッセイ・ギルド」の正統。優先的に場所を使わせてもらおうか」
「へっ、七条のクソか! 偉大なるレッセイの正統は俺たち青海派だ。七条派に譲るものなんぞ金剛石一粒だってこの世には存在しねえんだよ」
「やるか? ギルドなら回路で勝負だ」
「ふん、いいぜ。俺は今年「騎士級」の免許を更新するんだからな」
「騎士級」という言葉に周囲が少しどよめく。が、
「ハッタリだな! 騎士級ギルドがこんなところにいるものか。弟子を持って研究所を開いてるって顔じゃない。もっと粗末な腕と見た」
「ならばやらいでか。――おい、そこのお嬢ちゃんよお!」
突然声をかけられて少女は思わず固まった。
「あたし?」
「そうだよ。頭に巻いてるターバン……よく見りゃ薄く植物文様が刺繍されてるな? ってことはおまえさんもギルドだろ」
「よくわかったわね。そうだけどあたし免許持ちじゃないわよ。徒弟級だもん」
「学生か。まあいい、ギルドにゃ変わりねえ。ギルド同士の「回路戦」には他のギルドの立ち合いが必要だからな。審判を頼むぜ」
「いやよ。ゴッコに巻き込まれるのはごめんだわ」
そういって少女は男たちの小競り合いの場からスタスタと歩き出した。後ろで舌打ちする音が聞こえたが喧嘩をやめるつもりはないらしい。少女は彼らから離れて、なにか芸の準備をしている雑技団の元に寄った。停留所は広い。流れの芸人達が出発を待つ旅人たちの退屈しのぎに技を披露し小銭を稼ぐことも多いので、簡単な舞台が設置されているところもあるのだ。
(これから余興が始まるのかしらね)
円形の広場にはベンチが用意されている。少女はそこに座ると薄荷水をすすり愚痴った。
「はあ、青海派と七条派ってホント仲悪い……二大派閥だから仕方ないけど、どこの流派もレッセイの正統を名乗りたがっちゃってまあ……レッセイ・ギルドなんてただの伝説なのに」
少女は砂よけに頭に巻いた布をそっと触った。ぐるぐると巻かれた頭布は男の言う通り植物文様が白い糸で刺繍されている。頭布に植物文様を入れるのはギルドの証だ。古代、ギルドとは元々集団や組合の意味を持つ言葉だったらしいがこの世界ではまったく違う。
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