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第5話 第一部4・南ヶ丘高校陸上部顧問 沼田恭一郎
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陸上部の練習は学校の雰囲気と同じで、各自が自由に振る舞っているようにしか見えない。グラウンドに集まって遊んでいる集団にしか思えなかった。チームとしてのまとまりや一体感が重視される野球部と、個人のレースを基本とする陸上との違いなのだろうか。広いグラウンドのあちこちで陸上部の先輩たちがトレーニングに励んでいるようなのだが、僕にはそれぞれが何をやっているのかわからなかった。まじめに全力でやっていることなのか、それすらもわからなかった。いや、いま目の前を3人1組で走っていった3年生達が全力で走っているとは思えない。
「手を抜くんじゃねー。」
野球部ならばそんな声が飛んできただろうと思いながら、しばらくただグラウンドを眺めていた。
「君の脚の筋肉は長いからジャンプ系に向いていると思うぞ」
陸上部顧問の沼田先生がそう話しかけてきたのは入部3日目のことだ。僕の走りを見たのは初めてのはずなのだが、そう言いきった。僕はやり投げでもしてみようと思って陸上部に入った。だが、坊主頭の注目度は高く、周囲の生徒達からは坊主頭イコール野球部と思われていたのだろう。入学式から3日間、休み時間ごとに教室まで押しかけて来る野球部の強烈な勧誘をかわし続けてきた。先輩たちばかりでなく、中学野球で顔見知りだという(僕の方は全く覚えていないのだが)野球部の新入生部員たちにも一日中付きまとわれてきた。
「槍投げをやってみようかと」
「槍かい? ほー、珍しいな。やったことあるの?」
「いえ、野球部でしたから」
「野球、ね」
左右に目を走らせ、沼田先生が何かを考えている顔をした。
「ポジションは?」
「ピッチャーのこともありましたが、センターが多かったです」
「背も高いし、肩幅広いしな。野球やってたのか……」
沼田先生は、なにかを思い出そうとしているようだったが、途中であきらめたような表情になった。
「うーん、まー、しばらくは短距離グループで一緒にやってみな。でも、君の脚の筋肉は長いからきっとジャンプ系に向いてるぞ……」
小学校3年の時、継母が弟を生んだ。家族の中心が僕から弟に移った。それからというもの、放課後と休日は少年野球に熱中することでお互いの幸せを確保してきた。体が大きく上半身の力も強かった僕はピッチャーをさせられることが多かった。
速い球を投げて打ち取った時の快感はあった。でもどうしてもこのポジションは好きになれなかった。4年生5年生と学年が上がるにつれて、打てない球を投げられるようになればなるほど、相手バッターや相手のベンチは、打つこと以外の小細工を弄してきた。3人連続でバント攻撃されたことがあった。インコースのボールにわざとあたりに行くように指示する監督もいた。投球モーションに入る直前にわざとタイムをかけてくるチームもあった。ランナーが出てセットポジションになると牽制のモーションにクレームをつけてくる監督もいた。
野球は楽しむためにやっている。この時間は僕にとって数少ない楽しめる時間なのだ。他の余計なことから逃れ、楽しい時間を過ごすためだけに野球をしていた。野球をしている何時間かは他のことはなにも考えなくてもいい。夢中になれる。楽しむための時間だった。
ピッチャーは嫌だと思うことが多くなった。他のポジションにしてもらおうと監督に申し出ても、簡単には認めてくれない。僕が投げると相手は打てないのだから当然なのだが……。
「肘が痛いんです」と6年生になった時、少年野球の監督に申し出た。野球肘というやつで困っている仲間は何人かいた。
目を丸くしてしばらく何も言えなくなった監督は「病院で見てもらえ」と小さな声で言った。病院なんかに行く必要はなかった。肘なんか痛くはなかった。言われたことを無視して、当時はもう引退して父親に社長業を譲っていた祖父から「野球肘らしい」ことを伝えてもらった。監督は、網元だった祖父の興した水産加工会社で働いていた。
中学に入って外野手を希望した。60人以上の部員がいるので、試合に出られる選手は限られていたが、僕は1年生の時から使ってもらうことが多かった。中学の監督もピッチャーにさせようとしていたが、肘が治らないことを理由に外野手に固執した。ピッチャーには魅力を感じていない。でも、チームの勝利のために個人の希望が後回しになるのは、団体競技の原則だというのが監督たちの話からは伝わってきた。
僕はただ、自分の時間が欲しかった。誰の目を気にすることもなく、自分が思ったことをそのままできる保証された時間が欲しかった。家庭の中にはそれはなかった。学校生活の中にはもちろんなく、部活動の時間だけでも自分の楽しめる時間にしたかった。
外野の守備位置からバッターの打ち返すボールに集中して、自分の体を反応させることに楽しさを感じるようになっていった。ピッチャーの投じる球種とコースに合わせて、打球の飛んでくるコースも予測できるようになった。ピッチャーの投じる1球1球に全神経を集中させることが楽しくなった。そしてなによりも、2塁や3塁にいる走者をバックホームでアウトにすることに1番の喜びを感じていた。本当は肘なんか痛くはなかったのだ。
高校では、個人の力だけで結果を出せる陸上競技に自分の時間を使おうと考えていた。陸上であっても、監督の意思で種目を決定されてしまうのであれば、野球をやめた意味がない。
「手を抜くんじゃねー。」
野球部ならばそんな声が飛んできただろうと思いながら、しばらくただグラウンドを眺めていた。
「君の脚の筋肉は長いからジャンプ系に向いていると思うぞ」
陸上部顧問の沼田先生がそう話しかけてきたのは入部3日目のことだ。僕の走りを見たのは初めてのはずなのだが、そう言いきった。僕はやり投げでもしてみようと思って陸上部に入った。だが、坊主頭の注目度は高く、周囲の生徒達からは坊主頭イコール野球部と思われていたのだろう。入学式から3日間、休み時間ごとに教室まで押しかけて来る野球部の強烈な勧誘をかわし続けてきた。先輩たちばかりでなく、中学野球で顔見知りだという(僕の方は全く覚えていないのだが)野球部の新入生部員たちにも一日中付きまとわれてきた。
「槍投げをやってみようかと」
「槍かい? ほー、珍しいな。やったことあるの?」
「いえ、野球部でしたから」
「野球、ね」
左右に目を走らせ、沼田先生が何かを考えている顔をした。
「ポジションは?」
「ピッチャーのこともありましたが、センターが多かったです」
「背も高いし、肩幅広いしな。野球やってたのか……」
沼田先生は、なにかを思い出そうとしているようだったが、途中であきらめたような表情になった。
「うーん、まー、しばらくは短距離グループで一緒にやってみな。でも、君の脚の筋肉は長いからきっとジャンプ系に向いてるぞ……」
小学校3年の時、継母が弟を生んだ。家族の中心が僕から弟に移った。それからというもの、放課後と休日は少年野球に熱中することでお互いの幸せを確保してきた。体が大きく上半身の力も強かった僕はピッチャーをさせられることが多かった。
速い球を投げて打ち取った時の快感はあった。でもどうしてもこのポジションは好きになれなかった。4年生5年生と学年が上がるにつれて、打てない球を投げられるようになればなるほど、相手バッターや相手のベンチは、打つこと以外の小細工を弄してきた。3人連続でバント攻撃されたことがあった。インコースのボールにわざとあたりに行くように指示する監督もいた。投球モーションに入る直前にわざとタイムをかけてくるチームもあった。ランナーが出てセットポジションになると牽制のモーションにクレームをつけてくる監督もいた。
野球は楽しむためにやっている。この時間は僕にとって数少ない楽しめる時間なのだ。他の余計なことから逃れ、楽しい時間を過ごすためだけに野球をしていた。野球をしている何時間かは他のことはなにも考えなくてもいい。夢中になれる。楽しむための時間だった。
ピッチャーは嫌だと思うことが多くなった。他のポジションにしてもらおうと監督に申し出ても、簡単には認めてくれない。僕が投げると相手は打てないのだから当然なのだが……。
「肘が痛いんです」と6年生になった時、少年野球の監督に申し出た。野球肘というやつで困っている仲間は何人かいた。
目を丸くしてしばらく何も言えなくなった監督は「病院で見てもらえ」と小さな声で言った。病院なんかに行く必要はなかった。肘なんか痛くはなかった。言われたことを無視して、当時はもう引退して父親に社長業を譲っていた祖父から「野球肘らしい」ことを伝えてもらった。監督は、網元だった祖父の興した水産加工会社で働いていた。
中学に入って外野手を希望した。60人以上の部員がいるので、試合に出られる選手は限られていたが、僕は1年生の時から使ってもらうことが多かった。中学の監督もピッチャーにさせようとしていたが、肘が治らないことを理由に外野手に固執した。ピッチャーには魅力を感じていない。でも、チームの勝利のために個人の希望が後回しになるのは、団体競技の原則だというのが監督たちの話からは伝わってきた。
僕はただ、自分の時間が欲しかった。誰の目を気にすることもなく、自分が思ったことをそのままできる保証された時間が欲しかった。家庭の中にはそれはなかった。学校生活の中にはもちろんなく、部活動の時間だけでも自分の楽しめる時間にしたかった。
外野の守備位置からバッターの打ち返すボールに集中して、自分の体を反応させることに楽しさを感じるようになっていった。ピッチャーの投じる球種とコースに合わせて、打球の飛んでくるコースも予測できるようになった。ピッチャーの投じる1球1球に全神経を集中させることが楽しくなった。そしてなによりも、2塁や3塁にいる走者をバックホームでアウトにすることに1番の喜びを感じていた。本当は肘なんか痛くはなかったのだ。
高校では、個人の力だけで結果を出せる陸上競技に自分の時間を使おうと考えていた。陸上であっても、監督の意思で種目を決定されてしまうのであれば、野球をやめた意味がない。
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