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プロローグ
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「好きだ。俺と付き合って欲しい」
それはそれは美しい顔立ちの男が、こちらを見つめている。まわりの同級生とくらべてもとりわけ背の低いぼくは、必然的に彼を見上げる形になっていた。そのせいで目を覆うように伸ばしている前髪がさらりと顔の横に流れて、いつもより視界がひろかった。
抜けるような青空を背に立つ彼はとてもまぶしくて、ぼくは目をぱちぱちと瞬かせた。いつまでも口を開かないぼくに焦れたのだろう。ほんのすこし体をかがめて、ぼくとの距離を詰めてきた。
「もちろん、恋人同士って意味で」
びっくりして思わず後ずさろうとすると、腕をぐっとつかまれる。痛くはないけれど思いのほか強いその力と、ぼくの腕を一周しそうなほど大きいその手のひらに、心臓がばくんと音を立てる。
「……ごめん。いきなりで驚いたよな。でも俺は、村瀬の返事が聞きたい」
国語の時間に彼が教科書を音読するたびに女子が色めき立つ、彼の──峯岸くんの甘く低い声。同級生とは思えないくらい大人びた、落ち着いた話し方をするはずの彼が、いまはすこしだけ焦っているようだった。
「あ、の」
口をひらくと、はく、と体のなかの空気が抜けるように息がもれた。言葉がうまくでてこない。ぼくは、いつもそうだ。誰かに話しかけられても、すぐに返事ができなくて、おどおどとしているうちに相手を苛立たせたり呆れさせてしまう。はやく何か言わなくちゃ、と焦れば焦るほど、喉の奥で言葉がつっかえて、でてこなくなってしまうのだ。
そもそも、どうしてぼくが、こんな状況に陥っているのだろう。どうして彼が──学園一の美貌の持ち主と言っても過言ではないほどの有名人である彼が、ぼくなんかに? クラスメイトとはいえ、きらきらと眩しくて常に人に囲まれているような彼が、ぼくみたいな冴えない奴を認識しているという事実さえ、信じがたいことなのに。
昔から口下手で、極度の人見知りで、運動神経もあまりよくないぼくは学校でも家でも”いてもいなくてもわかんない奴”と言われていた。人の輪に入れない。
『アキはお母さんの腹のなかでぜんぶハルに持ってかれちまったんだよな』と言ったのは、親戚のおじさんだった。お母さんの弟。小学生のころ、正月の親族のあつまりで、みんなに聞こえるくらい大きな声でそんなことを言った。その場にいた大人は、その言葉に沸くように笑っていた。ぼくの両親も、笑っていた。
春は、ぼくの双子の弟だ。一卵性双生児のぼくらは容姿も背丈もほとんど一緒だけれど、ぼくは春と間違われたことが一度もない。当然だ。ぼくが陰なら、春はまさに陽。影と光。それくらい、ぼくらは対照的だった。社交的でいつも明るくて、やさしくて、ぼくとおんなじ顔なのにかわいい春は、だれからも愛されるような存在だ。
そこで、ふと気づいた。ああ、そうか。
──彼は、ぼくと春を間違えているのだ。
ぼくと春は一度も間違えられたことはない。だけど、姿形だけは、鏡写しのようにそっくりなのだ。それに今日は、いつも付けているメガネをかけていない。廊下を歩いているとき、走ってきた同級生とぶつかって落とした拍子に割れてしまったのだ。
今の席は教室のいちばん後ろだから板書ができず困ったけれど、隣の席の人に話しかける勇気もなくて、ぼくはどうか先生に当てられませんようにと残りの授業をやりすごした。幸いにして、今日は誰からも掃除当番の代打を頼まれなかったから、ぼくは急いで帰ろうとしていた。廊下にでて、借りていた本だけ返そうと図書室に向かっていたところで、彼に話しかけられたのだ。
そうして中庭の、ちょうど、校舎のどこからも見えない百葉箱のところまで連れてこられて今にいたる。
「村瀬、もう一回言う。俺と、付き合ってほしい」
彼の瞳に、自分の間抜けな顔を映り込んでいる。そう思うだけで、倒れそうだ。なんだかいい匂いもする気がして、頭がくらくらした。うまく息が吸えなくて、酸欠ぎみになっているせいもあるかもしれない。ばくばくと心臓の鼓動がはやまっていく。
気がつくと、ぼくは、こくんと頭を縦に振っていた。彼の目が大きく見開かれる。掴まれた腕が引かれて、ぼくは前に倒れ込むようにしてよろめいた。
そのまま転ぶことはなく、ぼくの体はあたたかいものにすっぽりと包み込まれる。
──ぼくが彼に抱きしめられていると気づくのに、じつに数十秒の時間を要した。頭の上から響いてきた「……うれしい。好きだ」という声で、ぼくはようやく今の状況を飲み込んだ。全身がかぁっと熱くなっていくのがわかる。ぶわ、汗が吹き出す。
抱きしめられている、峯岸くんに。ああ、どうしよう。ぼくはどうして、首を縦に振ってしまったのだろう。どうして。
そこまで考えてふと気づく。このままでは、まずい。峯岸くんは、ぼくを春だと思っている。つまり、春と付き合えると思っているのだ。それが実は春なんかではなくてぼくだと知ってしまったら──。
彼が事実を知った時の光景が目に浮かぶ。きっと彼はひどく落胆して、ぼくを軽蔑するだろう。それを想像するとひどく恐ろしい気持ちになって、ぼくは慌てて顔を上げた。ばち、と彼と目があう。
思いの外彼の顔が近くにあって、呼吸が止まった。けれどここで黙っているわけにはいかない。喉が震えるのをこらえて、ぼくは口を開いた。
「あ、の──」
ぼくは、ぼくは春じゃないんです。ぼくは、秋なんです。
そう言おうと、した。けれど、それを声にのせることはできなかった。
「ん、」
唇がやわらかいものに塞がれている。彼の綺麗な顔がぼやけて、よく見えない。かぷ、かぷ、と上唇と下唇を小さく、なんども柔くはさまれる。
これって、もしかして、きす、というものなのだろうか。
ああ、だめなのに。ぼくは春じゃないのに。はやく、はやく本当のことを言わないといけないのに。
そう思うのに、ぼくはぴくりとも動けなかった。
この時間を終わらせたくない。そう、思ってしまった。
だって、ぼくは、ずっと峯岸くんのことが好きだったから。
──ああ、峯岸くん、ごめんなさい。
それはそれは美しい顔立ちの男が、こちらを見つめている。まわりの同級生とくらべてもとりわけ背の低いぼくは、必然的に彼を見上げる形になっていた。そのせいで目を覆うように伸ばしている前髪がさらりと顔の横に流れて、いつもより視界がひろかった。
抜けるような青空を背に立つ彼はとてもまぶしくて、ぼくは目をぱちぱちと瞬かせた。いつまでも口を開かないぼくに焦れたのだろう。ほんのすこし体をかがめて、ぼくとの距離を詰めてきた。
「もちろん、恋人同士って意味で」
びっくりして思わず後ずさろうとすると、腕をぐっとつかまれる。痛くはないけれど思いのほか強いその力と、ぼくの腕を一周しそうなほど大きいその手のひらに、心臓がばくんと音を立てる。
「……ごめん。いきなりで驚いたよな。でも俺は、村瀬の返事が聞きたい」
国語の時間に彼が教科書を音読するたびに女子が色めき立つ、彼の──峯岸くんの甘く低い声。同級生とは思えないくらい大人びた、落ち着いた話し方をするはずの彼が、いまはすこしだけ焦っているようだった。
「あ、の」
口をひらくと、はく、と体のなかの空気が抜けるように息がもれた。言葉がうまくでてこない。ぼくは、いつもそうだ。誰かに話しかけられても、すぐに返事ができなくて、おどおどとしているうちに相手を苛立たせたり呆れさせてしまう。はやく何か言わなくちゃ、と焦れば焦るほど、喉の奥で言葉がつっかえて、でてこなくなってしまうのだ。
そもそも、どうしてぼくが、こんな状況に陥っているのだろう。どうして彼が──学園一の美貌の持ち主と言っても過言ではないほどの有名人である彼が、ぼくなんかに? クラスメイトとはいえ、きらきらと眩しくて常に人に囲まれているような彼が、ぼくみたいな冴えない奴を認識しているという事実さえ、信じがたいことなのに。
昔から口下手で、極度の人見知りで、運動神経もあまりよくないぼくは学校でも家でも”いてもいなくてもわかんない奴”と言われていた。人の輪に入れない。
『アキはお母さんの腹のなかでぜんぶハルに持ってかれちまったんだよな』と言ったのは、親戚のおじさんだった。お母さんの弟。小学生のころ、正月の親族のあつまりで、みんなに聞こえるくらい大きな声でそんなことを言った。その場にいた大人は、その言葉に沸くように笑っていた。ぼくの両親も、笑っていた。
春は、ぼくの双子の弟だ。一卵性双生児のぼくらは容姿も背丈もほとんど一緒だけれど、ぼくは春と間違われたことが一度もない。当然だ。ぼくが陰なら、春はまさに陽。影と光。それくらい、ぼくらは対照的だった。社交的でいつも明るくて、やさしくて、ぼくとおんなじ顔なのにかわいい春は、だれからも愛されるような存在だ。
そこで、ふと気づいた。ああ、そうか。
──彼は、ぼくと春を間違えているのだ。
ぼくと春は一度も間違えられたことはない。だけど、姿形だけは、鏡写しのようにそっくりなのだ。それに今日は、いつも付けているメガネをかけていない。廊下を歩いているとき、走ってきた同級生とぶつかって落とした拍子に割れてしまったのだ。
今の席は教室のいちばん後ろだから板書ができず困ったけれど、隣の席の人に話しかける勇気もなくて、ぼくはどうか先生に当てられませんようにと残りの授業をやりすごした。幸いにして、今日は誰からも掃除当番の代打を頼まれなかったから、ぼくは急いで帰ろうとしていた。廊下にでて、借りていた本だけ返そうと図書室に向かっていたところで、彼に話しかけられたのだ。
そうして中庭の、ちょうど、校舎のどこからも見えない百葉箱のところまで連れてこられて今にいたる。
「村瀬、もう一回言う。俺と、付き合ってほしい」
彼の瞳に、自分の間抜けな顔を映り込んでいる。そう思うだけで、倒れそうだ。なんだかいい匂いもする気がして、頭がくらくらした。うまく息が吸えなくて、酸欠ぎみになっているせいもあるかもしれない。ばくばくと心臓の鼓動がはやまっていく。
気がつくと、ぼくは、こくんと頭を縦に振っていた。彼の目が大きく見開かれる。掴まれた腕が引かれて、ぼくは前に倒れ込むようにしてよろめいた。
そのまま転ぶことはなく、ぼくの体はあたたかいものにすっぽりと包み込まれる。
──ぼくが彼に抱きしめられていると気づくのに、じつに数十秒の時間を要した。頭の上から響いてきた「……うれしい。好きだ」という声で、ぼくはようやく今の状況を飲み込んだ。全身がかぁっと熱くなっていくのがわかる。ぶわ、汗が吹き出す。
抱きしめられている、峯岸くんに。ああ、どうしよう。ぼくはどうして、首を縦に振ってしまったのだろう。どうして。
そこまで考えてふと気づく。このままでは、まずい。峯岸くんは、ぼくを春だと思っている。つまり、春と付き合えると思っているのだ。それが実は春なんかではなくてぼくだと知ってしまったら──。
彼が事実を知った時の光景が目に浮かぶ。きっと彼はひどく落胆して、ぼくを軽蔑するだろう。それを想像するとひどく恐ろしい気持ちになって、ぼくは慌てて顔を上げた。ばち、と彼と目があう。
思いの外彼の顔が近くにあって、呼吸が止まった。けれどここで黙っているわけにはいかない。喉が震えるのをこらえて、ぼくは口を開いた。
「あ、の──」
ぼくは、ぼくは春じゃないんです。ぼくは、秋なんです。
そう言おうと、した。けれど、それを声にのせることはできなかった。
「ん、」
唇がやわらかいものに塞がれている。彼の綺麗な顔がぼやけて、よく見えない。かぷ、かぷ、と上唇と下唇を小さく、なんども柔くはさまれる。
これって、もしかして、きす、というものなのだろうか。
ああ、だめなのに。ぼくは春じゃないのに。はやく、はやく本当のことを言わないといけないのに。
そう思うのに、ぼくはぴくりとも動けなかった。
この時間を終わらせたくない。そう、思ってしまった。
だって、ぼくは、ずっと峯岸くんのことが好きだったから。
──ああ、峯岸くん、ごめんなさい。
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