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40流行病
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この部屋には窓がいくつかある。正直監禁する部屋に窓があるのは意外だった。
逃げられはしないと思っている、と言うことかな。
ということは、昨日ここのそばを通りかかった時に見かけた白い影は彼女だったのだろうか?
部屋の場所的には一致するけれど……
白い獣人――ユリアンのお母さんであるニコラさんは、私を見て明らかに表情が動いた。
けれど熱があるようで、すぐにぼうっとした顔になる。
そして、ゆっくりと寝台に横たわってしまった。
「彼女に接する侍女のひとりが先日発病いたしまして……昨夜から熱が出ました。薬は与えましたが効かないようで。それで司祭様がいらしていると聞き、失礼を承知でお呼びいたしました」
「なかなか珍しい方と住まわれているんですね」
と、デュクロ司祭が楽しそうな口調で言う。
「えぇ……ですので、口外はしませんようお願いいたします」
そう言ったブノワさんの目には危ない光が宿っているように見えた。
背中に冷たいものが走る。
これ……大丈夫かな。私たち帰れるかな。不安になってきた。
いや、今は彼女の病気を癒すことだけを考えないと。
私は気を取り直して寝台に歩み寄り、横たわって荒い息を繰り返すニコラさんに声をかけた。
「あの……」
とだけ言って、私は言葉を飲み込む。
今ここで、私が彼女の名前を呼ぶわけにはいかない。
もし、ニコラさんと知り合いだとばれたら……いったいどうなるかわからない。
人身売買に関わっている疑いのある相手だ。そもそもニコラさんをこんなところに監禁している時点で真っ黒だ。
癒しの魔法の使い手である私をただで返すとは思えない。
いや、でもそうなるとデュクロ司祭は……? デュクロ司祭が帰らなかったら大騒ぎだ。
それこそ本当に私の父が動きかねない事態になる。
いや、そもそも私がいなくなっても同じ事よね?
なら大丈夫か……な?
いざとなれば私だって魔法で壁を壊して逃げられるし……でも、そんなのニコラさんもできるわよね。
なぜニコラさんは逃げないのかな?
謎は深まるばかりだけれど、私は大きく息を吸い、彼女に話かけた。
「貴方を癒すために参りました。身体に触れてもよろしいですか?」
そう話しかけると、ニコラさんの耳がピクリと動いた。
そして、小さく頷く。
私は履き物を脱いで寝台に膝をのせて、彼女に近づき肩にそっと手を置いた。
熱がだいぶ高い。
その時、私はニコラさんの首につけられた真っ白な首輪に気が付いた。
そこから魔力を感じる……これは、噂に聞く獣人の力を封じるものだろう。
こう言うものをしないと、獣人は言うことを聞かないし、その強力な魔力や腕力を封じられないとか。
なんでこんなものをして、彼女を閉じ込めるのだろう?
ユリアンから引き離して……
酷すぎる。
会えたけれど、どうすればここから彼女を連れ出せるだろう?
いや、それよりも彼女を癒さないと。
ニコラさんの病気は流行の風邪だろう。人間と獣人がかかる病気は同じだけれど、獣人の方が抵抗力は高く自然治癒能力も高いからそんなに重篤になることはないはずなんだけれど……首輪のせいで弱体化しているのかな?
首輪外せばいいのに。
そう提案したいけれど外せたらとっくに外しているよね。
私は黙って彼女の身体を癒すことにした。
魔法を使うのは久しぶりだ。
大きく息を吸い、私は呪文を唱える。
『母なる女神よ この者を癒し 身体を蝕む病から解放せよ』
言葉と共に、私の右手が白い光を放ち彼女の身体をゆっくりと包み込んだ。
すると、またニコラさんの耳がぴくっと動く。
『あなた……そうだったのね』
と、ニコラさんは古い言葉で呟いた。
これは、私が使う呪文の言葉と同じ言葉だ。私はこの言葉での会話は少ししかできないんだけれど。
『それ、失われた癒しの魔法よね』
と小さな声でニコラさんは言った。
『はい』
不審に思われないよう、私は短く答える。
少し時間がかかりそうだな、これ。
「ほう……本当に、彼女は……」
なんていう呟きが背後から聞こえた気がした。
ぐらりと視界が歪んだとき、ニコラさんを覆っていた光がすうっと消えていく。
「あ……」
ニコラさんが起き上がり、私の顔をじっと見た。
「ありがとう」
「いいえ、あの、これで大丈夫ですよ。しばらくは怠いと思いますが」
正直私はちょっと怠い。
私が話していると、足音が近づいてきた。
「本当に……大丈夫なのか?」
この声はブノワさんだろう。
私はニコラさんから手を離し、振り返って言った。
「えぇ。女神様のご加護があればだこの程度の病は治せますよ」
「本当に……」
「もう、用はありませんね」
私は寝台から下りて履き物を履き、司祭様を振り返る。
このまま帰る? それとも、彼女を連れて逃げる? でもここ三階だしなあ。
「僕はこれで心置きなくいつでも女神様の御許にいけるよ」
逡巡していると、デュクロ司祭があっけらかんととんでもないことを言い放った。いや、それっていつでも死ねるって意味よね。さすがにそれは手放しで喜べないんだけれど。
「そう言うことをおっしゃらないでください。まだ旅立つには早いですよ」
言いながら、私はゆっくりと歩いてデュクロ司祭に歩み寄った。
彼は右手に杖を持ち、左手を顎にあてて言った。
「そうだねえ。僕としてはいつでも逝く準備はできているんだけれど。なかなか難しそうなんだよねえ」
「だからそう言うことは冗談でも言ってほしくないです」
そんなやり取りをしていると、私たちが入って来た扉とは違う扉が開いた。赤ん坊の泣き声と共に。
「ニコラさん、泣き出したんだけれど俺にはどうしたらいいか……」
胸元まで伸びた真っ黒な髪。真っ黒な三角の耳に、黒い肌。黒い上着に黒いズボンのその人は、赤ん坊を抱えて、そう言いながら入って来た。
人間驚くと声も出ないって本当ね。
私は呆然と彼を見つめた。
逃げられはしないと思っている、と言うことかな。
ということは、昨日ここのそばを通りかかった時に見かけた白い影は彼女だったのだろうか?
部屋の場所的には一致するけれど……
白い獣人――ユリアンのお母さんであるニコラさんは、私を見て明らかに表情が動いた。
けれど熱があるようで、すぐにぼうっとした顔になる。
そして、ゆっくりと寝台に横たわってしまった。
「彼女に接する侍女のひとりが先日発病いたしまして……昨夜から熱が出ました。薬は与えましたが効かないようで。それで司祭様がいらしていると聞き、失礼を承知でお呼びいたしました」
「なかなか珍しい方と住まわれているんですね」
と、デュクロ司祭が楽しそうな口調で言う。
「えぇ……ですので、口外はしませんようお願いいたします」
そう言ったブノワさんの目には危ない光が宿っているように見えた。
背中に冷たいものが走る。
これ……大丈夫かな。私たち帰れるかな。不安になってきた。
いや、今は彼女の病気を癒すことだけを考えないと。
私は気を取り直して寝台に歩み寄り、横たわって荒い息を繰り返すニコラさんに声をかけた。
「あの……」
とだけ言って、私は言葉を飲み込む。
今ここで、私が彼女の名前を呼ぶわけにはいかない。
もし、ニコラさんと知り合いだとばれたら……いったいどうなるかわからない。
人身売買に関わっている疑いのある相手だ。そもそもニコラさんをこんなところに監禁している時点で真っ黒だ。
癒しの魔法の使い手である私をただで返すとは思えない。
いや、でもそうなるとデュクロ司祭は……? デュクロ司祭が帰らなかったら大騒ぎだ。
それこそ本当に私の父が動きかねない事態になる。
いや、そもそも私がいなくなっても同じ事よね?
なら大丈夫か……な?
いざとなれば私だって魔法で壁を壊して逃げられるし……でも、そんなのニコラさんもできるわよね。
なぜニコラさんは逃げないのかな?
謎は深まるばかりだけれど、私は大きく息を吸い、彼女に話かけた。
「貴方を癒すために参りました。身体に触れてもよろしいですか?」
そう話しかけると、ニコラさんの耳がピクリと動いた。
そして、小さく頷く。
私は履き物を脱いで寝台に膝をのせて、彼女に近づき肩にそっと手を置いた。
熱がだいぶ高い。
その時、私はニコラさんの首につけられた真っ白な首輪に気が付いた。
そこから魔力を感じる……これは、噂に聞く獣人の力を封じるものだろう。
こう言うものをしないと、獣人は言うことを聞かないし、その強力な魔力や腕力を封じられないとか。
なんでこんなものをして、彼女を閉じ込めるのだろう?
ユリアンから引き離して……
酷すぎる。
会えたけれど、どうすればここから彼女を連れ出せるだろう?
いや、それよりも彼女を癒さないと。
ニコラさんの病気は流行の風邪だろう。人間と獣人がかかる病気は同じだけれど、獣人の方が抵抗力は高く自然治癒能力も高いからそんなに重篤になることはないはずなんだけれど……首輪のせいで弱体化しているのかな?
首輪外せばいいのに。
そう提案したいけれど外せたらとっくに外しているよね。
私は黙って彼女の身体を癒すことにした。
魔法を使うのは久しぶりだ。
大きく息を吸い、私は呪文を唱える。
『母なる女神よ この者を癒し 身体を蝕む病から解放せよ』
言葉と共に、私の右手が白い光を放ち彼女の身体をゆっくりと包み込んだ。
すると、またニコラさんの耳がぴくっと動く。
『あなた……そうだったのね』
と、ニコラさんは古い言葉で呟いた。
これは、私が使う呪文の言葉と同じ言葉だ。私はこの言葉での会話は少ししかできないんだけれど。
『それ、失われた癒しの魔法よね』
と小さな声でニコラさんは言った。
『はい』
不審に思われないよう、私は短く答える。
少し時間がかかりそうだな、これ。
「ほう……本当に、彼女は……」
なんていう呟きが背後から聞こえた気がした。
ぐらりと視界が歪んだとき、ニコラさんを覆っていた光がすうっと消えていく。
「あ……」
ニコラさんが起き上がり、私の顔をじっと見た。
「ありがとう」
「いいえ、あの、これで大丈夫ですよ。しばらくは怠いと思いますが」
正直私はちょっと怠い。
私が話していると、足音が近づいてきた。
「本当に……大丈夫なのか?」
この声はブノワさんだろう。
私はニコラさんから手を離し、振り返って言った。
「えぇ。女神様のご加護があればだこの程度の病は治せますよ」
「本当に……」
「もう、用はありませんね」
私は寝台から下りて履き物を履き、司祭様を振り返る。
このまま帰る? それとも、彼女を連れて逃げる? でもここ三階だしなあ。
「僕はこれで心置きなくいつでも女神様の御許にいけるよ」
逡巡していると、デュクロ司祭があっけらかんととんでもないことを言い放った。いや、それっていつでも死ねるって意味よね。さすがにそれは手放しで喜べないんだけれど。
「そう言うことをおっしゃらないでください。まだ旅立つには早いですよ」
言いながら、私はゆっくりと歩いてデュクロ司祭に歩み寄った。
彼は右手に杖を持ち、左手を顎にあてて言った。
「そうだねえ。僕としてはいつでも逝く準備はできているんだけれど。なかなか難しそうなんだよねえ」
「だからそう言うことは冗談でも言ってほしくないです」
そんなやり取りをしていると、私たちが入って来た扉とは違う扉が開いた。赤ん坊の泣き声と共に。
「ニコラさん、泣き出したんだけれど俺にはどうしたらいいか……」
胸元まで伸びた真っ黒な髪。真っ黒な三角の耳に、黒い肌。黒い上着に黒いズボンのその人は、赤ん坊を抱えて、そう言いながら入って来た。
人間驚くと声も出ないって本当ね。
私は呆然と彼を見つめた。
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