三限目の国語

理科準備室

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階段の先を曲がれば

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外に出ると、そこはもう廊下だった。後ろを振り返らずに廊下のぼくはそっと4年2組の教室の戸を閉めた。それまでぼくの耳につきまとってきた先生やクラスの子たちの声がまわりの教室と変わらないくらい静かになった。
 もう、これでぼくは4年2組にいなくなったんだ。なくなったのは声だけでなく、登校から終わりの会までずっと一緒にいて、いつも何かしら、ぼく自身を見ている同じクラスの子たちの視線ももうそこにはなかった。
 2階の廊下は東の行き止まりが第1音楽室、西の行き止まりは第2音楽室だけど、授業中だからついさっきの休み時間と変わって、どちらを向いても廊下は先生も歩いていなかった。教室から聞こえる授業の先生の声さえ聞こえなければ本当に一人の世界になったみたいだった。
 廊下は人影の代わりに校舎のはるか向こうまで続いていた教室と反対側の北向きのアルミサッシを通して差し込んでくる日差しを白い塗装や御影石や床のリノリウム板が反射して清潔そうな白い光を放っていた。
 しかもアルミサッシの窓は真下のグランドに向かってすべて開け放たれていて、初夏の真っ青に晴れ渡った空が見えた。開け放たれた窓からは授業を受ける子の掛け声や体育の授業の先生の声ともに外から結構強い風が吹き込んできていた。吹き込んでくる風は教室の中の論争で飛ばされたツバでよどんだ空気とは正反対に爽やかで、ぼくのほっぺたをなでて気持ちがよかった。
あまりに気持ちよくて、ここは森じゃないけど、ジョンがキャサリンを誘って行こうとした、「森なのに、木と木の間を吹き抜ける風が涼しく」て気持ちよい場所」や「誰もいなくても誰も知らないすてきな場所」という「秘密の場所」というのはこういうところじゃないかとふと思った。
こうしてぼくは机を合わせていたクラスの子たちから離れてたった一人になれたことにほっとした。ぼくはやっとクラスの一員でなくてただのうんちしたい子どもになれた。
これでぼくが教室からクラスの子たちから気づかれずに脱出するウンコマン作戦その1は成功のうちに終わったんだ。
 でも、ウンコマン作戦その1が成功したからといって、ぼくはいつまでここにとどまってはいることはできなかった。
ぼくのお腹の中のうんちやおしっこは次のウンコマン作戦その2の実行を待ちきれなかった。それはいつも休み時間に行っている西側の「男子児童便所」じゃなくて反対方向の後者配膳室の隣の東側の方へ行くことだった。
 西側の「男子児童便所」はぼくの4年2組の教室から一つ置くだけの隣の隣、すぐ近くにあった。学校のきまりでは使うトイレは学年ごとに決まっていて、ぼくたち4年生はできるだけこの西側の「男子児童便所」を使うことになっていた。ぞれに、ぼくのお腹は学校のきまりと関係なくもうできるだけ近くのほうへ行きたがっていた。
 でも、ぼくのウンコマン作戦その2で行くことになっていた東側の「男子児童便所」はもっと遠くのこの廊下の向こうにあった。東側の隣の4年1組だけでなくてその先の3年生の3つのクラスを抜けて、この校舎の2階の東のはずれの方だった。もうそこから先は給食の配膳室とこの2階の本当の行き止まりである第一音楽室しかなかった。
 そんな遠くへ行きたかったのは、ガマンの時間が長くなってもできるだけクラスから離れたところでうんちしたかったんだ。
ゆきお君事件のときのように何か聞こえるかもしれないし、ものすごくいっぱいうんちが出て休み時間になってクラスの子が行ったときニオイが残っているかもしれなかった。それにそんな一教室しかあいだがあいていないところのトイレでしゃがむなんて、4年2組の子たちが座っている机のすぐそばでうんちするようでイヤだった。
 そしてぼくはウンコマン作戦その2を実行するために第一音楽室の方を見た。2階の廊下の白い輝きは東側の階段の手すりに変わるあたりで終わって、そこから廊下は日陰になって薄暗くなっているのが見えた。一番の突き当りに第一音楽室があって、その少し手前の左側に配膳室があった。ここからは引っ込んで見えないけど、その配膳室と同じくここから手すりが見える階段の間に東側の「男子児童便所」があった。そこで右に曲がればもうぼくはウンコマンだった。

 そう思ったとき、廊下の日差しと日陰の境界あたりで同じように授業を抜け出して今のぼくみたいに一瞬黒い半ズボンの中のもううんちでいっぱいの揺れるおしりを抱えながらそこへ駈け込んでいく男の子の姿を見たような気がした。
ぼくもぎりぎりという緊急時なのに、そんな走っていく子たちの姿を想像して妙にコーフンした。でも、それはまぼろしだった。 そして、ぼくはその「男子児童便所」に向かった。最初、ぼくはできるだけ足音も立てないようにそっと足を踏み出して歩き始めたつもりだった。
でも東側の「男子児童便所」は今のぼくには思った以上遠くて、そんなふうに歩くと一歩踏み出すごとにだんだん、うんちとおしっこが同時に押してくるようなお腹の痛みが増してきた。うんちを抑えようとしておしりの穴をしめようとすると逆流して、むかつくような感じがした。お腹もときどきぎゅるぎゅると不気味な音をたてた。
 もうぼくは早く着きたいという思いだけが強くなってバタバタと足音がたつのも構わないまま、完全に走っていた。そんなぼくに胸で揺れる名札はすごく邪魔だった。そこに書かれた「4年2組」と名前は誰もいない廊下で一人になったはずのぼくをクラスの子がしつこく追いかけて来るみたいだった。
 でも、ようやくぼくの東側の階段が見えた。階段のすぐ隣がぼくの目指している「男子児童便所」だった。そのとき階段の脇に置かれた背丈くらいありそうな大きな鏡に胸の名札とともにうつった青ざめた顔のぼくの前かがみ気味でおなかまで手に当てていて、完全にうんちしようとトイレに急ぐ小学生だった、その姿の通りぼくはそのとき出てしまいそうだった。
鏡の脇のゴミ箱が目に入ったとき。もう間に合わないなら、もらすよりましだし、誰も見ていないからあのゴミ箱の中にうんちして、しらんぷりして教室に戻る、という考えまで一瞬頭の中によぎった。
ちょっと前に掃除の最中にそのゴミ箱でうんちがしてあるのが見つかってその階の3年生4年生のほとんどが見物にくる大騒ぎになったことがあったんだ。結局犯人はわからなかったけど、そのときはなぜトイレが近いのにうんこしたんだ、と腹がたった。
 でも、今は、その子も本当はぎりぎりまで我慢してトイレにまでたどりつけなかったと少し同情できた。

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