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社会科野ぐそ編
第十五話 こんだて表野ぐそ事けん
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ぼくが穴実小に入学する2年前に起きた「こんだて表野ぐそ事けん」の現場は通がく路の道ばたで、学校から行くとあの便じょがある児どう公えんはすぐ目の前だった。そのすぐ前に家はおじいさんとおばあさんが二人で住んでいて、穴実小に通ほうしたのはそのおじいさんだった。
その家には立派な字で「野分」という表札があった。野分のおじいさんはもう退職していたけど、むかし先生で穴実市内の中がっ校の校長をしたことがあった。昔の穴実市について一番くわしい人で、穴実市内の学こうの先生ならみんな知っていた。退職後も「野分先生」と呼ばれていた。おばあさんも昔、穴実小の先生をしていた。
野分のおじいさんは、穴実小にきて大弁勉蔵について何度か話したことがあったらしかった。勉蔵は明治の初めに穴実小をつくった人で、校歌にも「勉蔵の開きし穴実小」と出てくるから穴実っ子なら「勉蔵さん」という名前でみんな知っていた。
うちの学級の大弁くんのご先祖にあたるらしい。勉蔵はもともと土加勉蔵という名前だった。土加家は貧しい家だけど、勉蔵は子どものころから学問の才能があったのを穴実町の大地主の大弁家に見こまれて養子に入り学問にはげんだ。その後、え戸や長さきに学問に行き、穴実町にもどって穴実小を開いた。
最初、そのうんこが道ばたにしてあったのをさいしょに見つけたのは野分のおじいさんでなく穴実っ子、しかも2年生だった木地内くんのおにいさんと、同じ登校班の5年生の解里くんは言っていた。
木地内くんのおにいさんは、その日は、おかあさんに早く帰ってこいと言われたとのことで一人急ぐように教室を出た。その後、しばらく経ってから解里くんたちもいつものようにしゃべりながらゆっくり学こうを出た。そしておじいさんの家の近くにきたとき、先に出た木地内くんのおにいさんが走ってくるのを見た。
「おーい、面白いものがあったから、ついてこいよ」と息切れしながら木地内くんのおにいさんは大声で言った。そして、来た方向に走ってもどって行った。解里くんたちも何ごとか思い、追っかけて行った。
そして木地内くんのおにいさんがたちどまって「これ」と指さしたのが、野分のおじいさんの家のまえの道ばたにされていたうんこだった。
しかも、それは明らかにおなかをこわした時に出る下り便だった。まるでその日に給食に出たというカレーシチューみたいに、ゆるくて水たまりのように広がっていた。
それをしたのぐそっ子はふんでしまったらしくて、茶色い足あとが下り便についていた。解里くんによれば、そのうんこをふんだ足あとは、児どう公えんの水飲みの下の足洗い場まで残っていたそうだ。
木地内くんのおにいさんや解里くんなどそれを見た子はそこは児どう公えんのすぐそばなのになぜ公しゅううんこするまでガマンできず道ばたにしてしまったのだろうと口をそろえてバカにした。でも、ぼくも、下校とちゅうでうんこしたくなったあの日、ぼくは道ばたにしゃがみこんでしまった。発射にじゃまなズボンやぬいでしまえば、もうその場で、その子みたいにおしりからうんこが出たかもしれない。
でも、ぼくはとっくの昔に通がく路で便じょのある児どう公えんを通り過ぎていて、家まではまだ遠かった。そのとき、うんこできそうなのは、今はコンビになってしまったあの家と家との間だけだった。でも、そこも暗くてこわくてだれかに見られそうでできなかった。
でも、その子の場合は、便じを目の前にして安心したため、とつぜんガマンが限かいにきて、道ばたでもらすよりはましとその場でのぐそっ子になったのだろう。便じょを目の前にして出てしまうことはよくあることだった。
ぼくも去年の夏休みにおじさんおばさんたちと一ぱく二日の旅行に行ったとき、その間ずっとうんこをがまんしていたけど、帰ってきた後、家の便じょにいそいでいって、その前で発しゃにじゃまなズボンをぬぐことまではできた。でもズボンをぬいだところで気がゆるんでパンツの中に発しゃしてしまった。
学こうの便じょ以外のだれもみつからない場所でうんこしてしまう子もときどきいたけどそういうのも便じょのすぐ前の空き教室やゴミ箱など、便じょのすぐ近くの場しょにしてあることが多かった。ぼくも二階の便じょのすぐ前にある、空き教室を使った国語準び室にしてあるのを見た。置いてある机と机のあいだに、まるでマンガに出てくるようにこんもりとうんこがしてあるのを見た。野きゅうのテレビまんがの絵の入ったハンカチを丸めてふき、その場に捨ててあった。
でも、のぐそっ子がおしりをふいたのは、わら半紙にガリ版で刷られたその月の給食こんだて表だった。
ぼくも道ばたでのぐそっ子になりかけたときもおしりがふけそうなものはランドセルの中の「保けんだより」だけだった。でも、黒ちり紙以外のもの、たとえばぎょう虫けんさのセロファンでもおしりの穴にふれるのがイヤだったのにのに、丸めた「保けんだより」でふくなんてもっと勇気がいった。
丸めた「保けんだより」がおしりの穴にふれるイヤな感じしかそうぞうできなかった。それがぼくがのぐそっ子にならなかった理由のひとつだった。でも、そののぐそっ子は、ぼくができなかったそれを給しょくのこんだて表でやった。
家の前で子どもたちががさわぐのに気づいて野分のおじいさんも家の前に出てみたらそこに下り便のうんことともに丸めておしりをふいた給食のこんだて表がいっしょに残っていた。そのこんだて表でのぐそっ子の正体が穴実っ子なのがバレて、野分のおじいさんは穴実小に通報した。
(つづく)
その家には立派な字で「野分」という表札があった。野分のおじいさんはもう退職していたけど、むかし先生で穴実市内の中がっ校の校長をしたことがあった。昔の穴実市について一番くわしい人で、穴実市内の学こうの先生ならみんな知っていた。退職後も「野分先生」と呼ばれていた。おばあさんも昔、穴実小の先生をしていた。
野分のおじいさんは、穴実小にきて大弁勉蔵について何度か話したことがあったらしかった。勉蔵は明治の初めに穴実小をつくった人で、校歌にも「勉蔵の開きし穴実小」と出てくるから穴実っ子なら「勉蔵さん」という名前でみんな知っていた。
うちの学級の大弁くんのご先祖にあたるらしい。勉蔵はもともと土加勉蔵という名前だった。土加家は貧しい家だけど、勉蔵は子どものころから学問の才能があったのを穴実町の大地主の大弁家に見こまれて養子に入り学問にはげんだ。その後、え戸や長さきに学問に行き、穴実町にもどって穴実小を開いた。
最初、そのうんこが道ばたにしてあったのをさいしょに見つけたのは野分のおじいさんでなく穴実っ子、しかも2年生だった木地内くんのおにいさんと、同じ登校班の5年生の解里くんは言っていた。
木地内くんのおにいさんは、その日は、おかあさんに早く帰ってこいと言われたとのことで一人急ぐように教室を出た。その後、しばらく経ってから解里くんたちもいつものようにしゃべりながらゆっくり学こうを出た。そしておじいさんの家の近くにきたとき、先に出た木地内くんのおにいさんが走ってくるのを見た。
「おーい、面白いものがあったから、ついてこいよ」と息切れしながら木地内くんのおにいさんは大声で言った。そして、来た方向に走ってもどって行った。解里くんたちも何ごとか思い、追っかけて行った。
そして木地内くんのおにいさんがたちどまって「これ」と指さしたのが、野分のおじいさんの家のまえの道ばたにされていたうんこだった。
しかも、それは明らかにおなかをこわした時に出る下り便だった。まるでその日に給食に出たというカレーシチューみたいに、ゆるくて水たまりのように広がっていた。
それをしたのぐそっ子はふんでしまったらしくて、茶色い足あとが下り便についていた。解里くんによれば、そのうんこをふんだ足あとは、児どう公えんの水飲みの下の足洗い場まで残っていたそうだ。
木地内くんのおにいさんや解里くんなどそれを見た子はそこは児どう公えんのすぐそばなのになぜ公しゅううんこするまでガマンできず道ばたにしてしまったのだろうと口をそろえてバカにした。でも、ぼくも、下校とちゅうでうんこしたくなったあの日、ぼくは道ばたにしゃがみこんでしまった。発射にじゃまなズボンやぬいでしまえば、もうその場で、その子みたいにおしりからうんこが出たかもしれない。
でも、ぼくはとっくの昔に通がく路で便じょのある児どう公えんを通り過ぎていて、家まではまだ遠かった。そのとき、うんこできそうなのは、今はコンビになってしまったあの家と家との間だけだった。でも、そこも暗くてこわくてだれかに見られそうでできなかった。
でも、その子の場合は、便じを目の前にして安心したため、とつぜんガマンが限かいにきて、道ばたでもらすよりはましとその場でのぐそっ子になったのだろう。便じょを目の前にして出てしまうことはよくあることだった。
ぼくも去年の夏休みにおじさんおばさんたちと一ぱく二日の旅行に行ったとき、その間ずっとうんこをがまんしていたけど、帰ってきた後、家の便じょにいそいでいって、その前で発しゃにじゃまなズボンをぬぐことまではできた。でもズボンをぬいだところで気がゆるんでパンツの中に発しゃしてしまった。
学こうの便じょ以外のだれもみつからない場所でうんこしてしまう子もときどきいたけどそういうのも便じょのすぐ前の空き教室やゴミ箱など、便じょのすぐ近くの場しょにしてあることが多かった。ぼくも二階の便じょのすぐ前にある、空き教室を使った国語準び室にしてあるのを見た。置いてある机と机のあいだに、まるでマンガに出てくるようにこんもりとうんこがしてあるのを見た。野きゅうのテレビまんがの絵の入ったハンカチを丸めてふき、その場に捨ててあった。
でも、のぐそっ子がおしりをふいたのは、わら半紙にガリ版で刷られたその月の給食こんだて表だった。
ぼくも道ばたでのぐそっ子になりかけたときもおしりがふけそうなものはランドセルの中の「保けんだより」だけだった。でも、黒ちり紙以外のもの、たとえばぎょう虫けんさのセロファンでもおしりの穴にふれるのがイヤだったのにのに、丸めた「保けんだより」でふくなんてもっと勇気がいった。
丸めた「保けんだより」がおしりの穴にふれるイヤな感じしかそうぞうできなかった。それがぼくがのぐそっ子にならなかった理由のひとつだった。でも、そののぐそっ子は、ぼくができなかったそれを給しょくのこんだて表でやった。
家の前で子どもたちががさわぐのに気づいて野分のおじいさんも家の前に出てみたらそこに下り便のうんことともに丸めておしりをふいた給食のこんだて表がいっしょに残っていた。そのこんだて表でのぐそっ子の正体が穴実っ子なのがバレて、野分のおじいさんは穴実小に通報した。
(つづく)
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